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手を抜くな全力を尽くせ!


LOUDNESS

二井原 実


「どうやったらプロのロックミュージシャンになれるのか?」「どうやったら世界デビューできるのか?」とよく聞かれる。正直、良く分からない。プロのロックミュージシャンになる為の試験もないし勿論資格なんて必要ない。そこで私のケースを振り返り回答の1つとしたい。
私は日本のヘビーメタルバンド“LOUDNESS”と言うバンドでヴォーカルをやっている。1981年に日本コロムビアからデビューし今年で43年目になる。デビューは21歳の時でそれ以来ずっとメタルヴォーカリストとして喰ってきた。ちなみに就職の経験は一度も無い。今年64歳になり今でも年間約100本近いメタルライブを世界中でやっている。ガチガチのプロのロックミュージシャンとして今日まで生きてきた。
そもそも私がロックを始めたのは1976年、当時高校1年生で同級生とロックバンドを組んだ。(ちなみにそのバンドはメンバーチェンジを経てプロデビューしている)。そして高校3年、大阪のライブハウスで初めてロックでお金を稼いだ。その頃のライブハウスでのパフォーマンスが評価されLOUDNESSのオーディションへと繋がった。要するに、ライブハウスにお客さんとしていたある人の強烈なプッシュでオーディションが実現しLOUDNESSのヴォーカリストとなった。まずは「人との出会い」がプロへ繋がる道だと思う。LOUDNESSのオーディションは1981年、私が大学4年になる春だった。そして正式にLOUDNESSのヴォーカリストとなり文字通りプロのロックミュージシャンとなった。
LOUDNESSは世界で通用するロックバンドを目標に結成された。デビューの1981年、日本ではテクノポップが全盛でハードロックは古臭いと言われていた。従って、デビュー時はあまりマスコミは興味も示すことなく小さな囲み記事が音楽雑誌に載った。普通ならここでジリ貧になっていくのだが、世界的なヘビーメタルムーブメントがイギリスより日本にも押し寄せ時代が味方してくれた。LOUDNESSはデビューアルバムで見事ヒット賞を獲得! デビューライブは3000人のメタルキッズで溢れた。日本中にジャパメタブーム到来LOUDNESSは一世風靡した。
2枚目3枚目のアルバムはサンフランシスコからエンジニアを呼び制作された。そのエンジニアの一言「アメリカでやるべきだ!」。1983年夏にメンバー4人とマネージャーの5人だけで無謀にも何のコネも無く渡米。初めての西海岸ライブハウスツアーを大成功させた。そしてそのライブハウスにアメリカのメジャーレコード会社のA&R(スカウトマンみたいなもの)が来ており、その熱烈A&Rにより全米デビューが決まった。アメリカ初ライブで海外デビューのチャンスを掴んだのだ、最強の運を持つバンドであった。この時も、A&Rマンとの出会いが無ければ海外デビューは無かったと思うと「人との出会い」がいかに大事かと再び思う。
全米デビューアルバム完成後、初の過酷な全米単独ツアーに出た、ライブは評判を呼び、モトリークルーやAC/DCなど多くの世界的トップバンドからオープニングアクトのオファーを受け、初の全米アリーナツアーを成功させた。そしてLOUDNESSは世界的バンドの仲間入りを果たした。
ざっくり私のケースを紹介したが、私のようなケースは非常に稀であるとは思う。しかしながら大事なことは、「いつ何時誰が見ているか分からないから、どんな時も絶対に手を抜くな! しっかり準備をして全力を尽くせ!」である。これ以外プロのロックミュージシャンに成る方法は無い。少しの勇気と強く自分を信じるならば運命が味方となり道は必ず開ける。