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健康でまちのにぎわいを

~健康都市弘前の実現に向けて~


弘前市企画部企画課 総括主査
千葉  勝博

1.弘前市の概要

弘前市は、青森県の南西部に位置し、藩政時代以来約400年の歴史を持つ、人口約16万人の城下町であり、津軽地域の政治、経済、文化、教育の中心都市として発展してきました。
全国有数の桜の名所として知られる弘前公園をはじめ、春のさくらまつりや夏のねぷたまつりなど、四季のまつりには多くの観光客が訪れる観光都市です。また、日本一の生産量を誇るりんごを中心とした農業都市で、弘前大学をはじめとした高等教育機関が集積する学都でもあります。

2.健康都市弘前

弘前市総合計画後期基本計画(2023年3月策定)では、「健康都市弘前」の実現を基本方針に掲げ、市民一人一人が長く元気にいきいきと活躍する「ひとの健康」を重視したまちづくり、健康医療関連産業の誘致等により、雇用の場が確保され、所得も向上する「まちの健康」にも力を注ぐまちづくりに加え、地域づくりや地域産業の担い手が育ち、地域の未来を担う多様な人材が活躍する「みらいの健康」のひとづくりの3つに関する取組を重点的、横断的に取り組む「リーディングプロジェクト」として位置付けています。
「健康都市弘前」の実現に向けた取組については、健康をはじめ、広範な分野に及び、専門性が高いことから様々な能力や知識、情報が必要であり、そのためには様々な実績やノウハウを有する、弘前大学との連携は必要不可欠です。
弘前市では、弘前大学等とともに、2005(平成17)年から岩木健康増進プロジェクト(大規模住民合同健診)に取り組み、毎年約1,000人の市民を対象に約3,000項目を測定し、約20年にわたる超多項目ビッグデータを蓄積しています。
なお、弘前大学では、この取組を中心に据え、2013(平成25)年に「真の社会イノベーションを実現する革新的『健やか力』創造拠点」と銘打ち、文部科学省・科学技術振興機構(JST)のCOIプログラム拠点として採択を受け、様々な活動を展開してきました。
また、2022(令和4)年には、弘前大学が「健康を基軸とした経済発展モデルと全世代アプローチでつくるwell-being地域社会共創拠点」として、弘前大学COI-NEXTプロジェクト(共創の場形成支援プログラム)の採択を受け、弘前市も幹事自治体として、参画企業等とともに、研究開発課題に取り組んでいます。
写真: 「運動」「食事」「健診」の3つの側面から、気軽に始められる取組を市民に呼び掛けている

3.健康とまちのにぎわい創出事業

健康とまちのにぎわい創出事業は、2022(令和4)年10月に開始し、働き盛り世代の市民を主なターゲットに、市民の健康増進や健康意識の向上、中心市街地のにぎわい創出を目的に、様々な取組を行っています。
その中で、親子で参加できる健康交流イベント、食生活改善モデル事業、ベジチェック®の設置、健康アプリの運用、働き盛り世代の運動教室等の取組において大きな軸となるのがQOL健診です。
QOL健診は、弘前大学COIが開発した「生活の質(Quality of Life)を向上させる新しい健診・健康教育プログラム」で楽しみながら受診でき、メタボリックシンドローム等の健康状態を総合的に判断し、その場で結果がわかり、健康の知識を得ることができる健診です。中心市街地でのイベントにおいて実施しているほか、商業施設内に常設の拠点を設け、いつでも気軽にQOL健診を受診できる環境を整備しています。
食生活改善モデル事業では、QOL健診とともに、内臓脂肪をためにくい健康的な食事法である「スマート和食®」の実践とレシピ開発に取り組んでいます。弘前大学COI-NEXT参画企業(以下「参画企業」)である花王(株)が開発した内臓脂肪の測定機器を用いて、QOL健診受診時と「スマート和食」実践後の内臓脂肪を測定し、効果を検証しています。
弘前市では、市民が気軽に健康状態をチェックできる環境を整えるため、参画企業のカゴメ(株)が開発した野菜の推定摂取量を測定するベジチェックを中心市街地の商業施設、弘前市役所の計4箇所に設置しています。その他、地域のイベントや会議等でもベジチェックの測定コーナーを設けて、市民が体験できる機会を増やし、健康意識の向上を図っています。
また、同じく参画企業のセントラルスポーツ(株)の監修の下、中心市街地をウォーキングするモデルコースを設定し、マップにより周知を図っています。モデルコースは、3つのコースを主に構成され、歩数、距離、消費カロリーの目安のほか、大きな特徴として、ベジチェックの設置箇所をコースと連動させたことで、まちを歩きながら、ベジチェックの設置箇所に立ち寄り、測定することができます。
健康アプリ「kencom(ケンコム)」は、参画企業のグループで、ヘルスケア事業を展開する企業のDeSCヘルスケア(株)が開発した「楽しみながら、健康に」取り組むことができるアプリで、日々の記録による健康習慣化、健診結果の閲覧(国民健康保険加入者)や将来の健康状態の予測ができます。弘前市では2023(令和5)年11月に運用を開始し、市民の行動変容を促しています。
これまで紹介した様々な取組を通じ、市民の健康増進や健康意識の向上はもちろん、参画企業のほか、商店街などの地元企業や食生活改善推進員などの地元関係者、団体間の関係性が構築され、継続的な事業実施に向けた体制づくりにつながっています。
写真: 働き盛り世代が多く参加(ニュースポーツ体験ができる仕掛けでQOL健診の受診を促す)
写真: 「スマート和食」で食生活を改善/野菜の推定摂取量を気軽に測定ベジチェック
写真: ベジチェック設置箇所と連動したコース設定でまち歩きしながら測定できる
写真: 弘前市マスコットキャラクター「たか丸くん」とタイアップ

4.おわりに

健康とまちのにぎわい創出に向けた取組を今後も産学官が連携しながら積極的に展開し、中心市街地である、旧弘前市立病院・旧弘前市立第一大成小学校跡地に整備する「(仮)健康づくりのまちなか拠点」の供用開始を見据え、市民や事業者の機運を高めながら、「健康都市弘前」の実現を目指してまいります。
「みんなで創り みんなをつなぐ あずましい※りんご色のまち」の実現に向けて!

地方創生コンシェルジュ 
東北財務局青森財務事務所長
佐藤  雅裕

青森県は全国でも平均寿命の短い県。そのような中、「お城とさくらとりんごのまち」弘前市では、「健康都市弘前」を基軸に、産学官が連携して「ひとの健康」「まちの健康」「みらいの健康」の実現に向けた取り組みを行っています。
誰でも気軽に健診を受診し、その場で健診結果と健康指導が受けられるQOL健診の普及促進を図るとともに、「健康」を切り口に商店街への来街者増加や賑わい創出を目指しています。弘前市の「にぎわい創出」に向けた今後の仕掛けに期待しています。
※ 居心地がいい、落ち着く、気持ちがいい


全国で2番目に小さい町が挑む、未来をつくるまちづくり

~自分らしくハッピーにスモール(住もうる)タウンの実現に向けて~


三宅町 みやけイノベーション推進部 参与
岡野  憲

三宅町プロジェクトマネージャー
田中  友悟

1.はじめに

三宅町は、奈良盆地の中央部に位置し、東西約3.4km、南北約2.0km、面積約4.06km2と奈良県で最も小さな町で、全国でも2番目に小さな町です。「三宅(みやけ)」という地名は古代の屯倉(みやけ)に由来します。屯倉とは大王(後の天皇)が直轄経営する領地のことです。また、万葉集にも「三宅の原・三宅道」と詠まれるなど、遺跡や環濠集落、社寺林など歴史的環境、豊かな田園風景に恵まれるなど、人々に憩いとやすらぎを与えてくれる環境が備わっています。
人口は約6,500人で過疎地域に指定されているものの、「自分らしくハッピーにスモール(住もうる)タウン」をビジョンに掲げ、ビジョン実現のため、様々な事業に取り組んでいます。

2.ビジョン・ミッション・バリュー

三宅町では、行政組織としては珍しく、「ビジョン・ミッション・バリュー」を定めています。
地方創生総合戦略の改定時期が到来し、改訂内容について、住民からもお話を伺う等、町全体で対話を重ねていく中で、三宅町の未来のありたい姿を、ビジョン「自分らしくハッピーにスモール(住もうる)タウン」、と言語化して打ち出すこととなりました。
「自分らしく」というのは、住民が自由に生き方を選べる状態のことを意味しています。やりたいことを叶えるとき、夢を追いかけるとき、何らかのしがらみにとらわれることがない状態です。これから行政が何かを始めようとするときの一番の判断軸になると考えています。
町の困りごとは、住民と行政が一緒に考え、それぞれの得意を活かしながら解決していく。町の外にもまちづくりを進めてくれる仲間がたくさんいる。一人ひとりの「やりたい」の実現を、町ぐるみで応援する。多様な人とのつながりが、町を元気に魅力的にしていく、そんな未来を描いています。公務員はルールを作るクリエイティブな仕事ですので、多様な選択肢を作っていき、柔軟に制度を変えていける町にしようと、この言葉を掲げました。
ミッションの「『伴走者』であり『共創者』として、共に成長し続けます」ですが、地域住民と役場職員には、上下関係はありません。役場職員は地域住民のサポートだけでもないですし、地域住民に何かを与える人でもないと考えています。地域住民の一番近くで寄り添い、ときには同じ速度で、同じ歩幅で、隣に並んで走ったり、ときにはペースメーカーとして引っ張ったり励まし合ったりして切磋琢磨し、一緒にゴールを目指す存在でありたいと願い、この言葉を設定しました。
写真: 三宅町のビジョン・ミッション・バリュー

3.交流まちづくりセンターMiiMo(ミーモ)

バリュー実現のために、交流まちづくりセンターMiiMo(以下、MiiMo)を令和3年度に開設しました。MiiMoは貸し室・ホールのほかコワーキングスペース、シェアキッチン、図書フロア、学童保育施設、子育て包括支援センターを兼ね揃えた、地域住民や三宅町に関係する方の「自分サイズのチャレンジ」を応援する複合施設です。
役場が役場の都合で施設整備を行うのではなく、基本構想策定段階から、地域住民参加型のイベントを開催し、地域にとって必要な施設の在り方を模索し、現在の姿に至りました。MiiMo完成後の現在においても、役場が直接運営をするのではなく、運営委員会方式を採用して、地域住民が運営委員となって積極的に運営に関わることができる仕組み作りを行いました。
運営側だけではなく、施設を利用する側にも変化が生じています。従前は、地域住民の活動は団体単独で行うことが多かったのですが、団体間の交流を育む狙いと、地域のにぎわいを創出する目的でMiiMoクラブという登録制の会員組織を作りました。「MiiMoの使い方や楽しみ方を町内外の人へ伝えよう」など「MiiMoクラブの約束」を定め、役場が関わらなくても自ずと関係性が広がっていく仕掛けづくりを行っています。
このようなコンセプトをもとに運営を進める中、役場が企画・運営に直接携わらないMiiMoクラブ会員独自イベントや、MiiMoクラブ会員同士がコラボしたイベントなど、地域住民主体のイベント等が多く開催されるようになり、MiiMoを中心とした三宅町の新たな賑わいが発生しています。
写真: MiiMo全景

4.Mラボ(エムラボ)

三宅町では三宅町人口ビジョンにより、人口が減少していく未来を提示しています。推計によると、三宅町の2060年の人口予想は現在の半分以下の2,900人。税収や域内の経済循環が減少し、社会保障費も増加していくとすれば、役場はこれまでと同じような公共サービスを維持することが難しくなります。同様に、住民が稼いでまちを支えるという自助努力にも限界があるでしょう。市場経済や行政が力を失っていく未来においては、時代に合わせた新しい自治の仕組みが必要不可欠になります。これからのまちづくりに必要なのは、いま一度、自治を起こしていく知恵と技術だと考えています。
三宅町は全国で2番目に小さな町です。若者は少なく、潤沢な財源があるわけでもありません。しかしそれは、縮小化が進む日本の最前線に立っているとも表現できます。「小ささ」をアイデンティティとしている私たちは、この町の拡大を夢想するのではなく、ありのままの今を見つめる姿勢を大切にしています。そもそも「自治」とは、私たちが「私たち」のままで、日々の暮らしを守り続けていくこと。それは「分相応につくる力」を育む営みだとも言えます。
「Small is Beautiful.」かつて文明経済学者のシューマッハが唱えたこのシンプルな言葉が、三宅町が探求したい価値観と重なります。Mラボが掲げるミッションは、「小ささの可能性を探求し、挑戦の総量を増やすこと」。自分たちのまちを自分たちで治める自治の営みにもっとも必要なのは、派手な特殊能力や専門的な知識ではなく、小さくつくり続けるスモールデザインの力です。ひとりひとりが小さくともまちをつくりだす力を身につけることで、三宅らしい自治の仕組みと多彩なスモールチャレンジが三宅に溢れる未来を目指します。本事業では、これまで以上に町民の方々や多様な専門家がごちゃまぜになってまちの未来を話し合ったり、企業や大学と協力して「欲しい未来」をつくるための実証実験を展開していければと考えています。
これまで三宅町が取り組んできた官民連携や住民サービスは、役場内の意思決定の速さや、挑戦と失敗を許容する組織風土、地域の声にきめ細やかに対応できる距離感から生まれてきました。三宅町役場の強みは、小ささの価値を理解し、活かせる点にあります。Mラボではこの強みをより一層深く探求しながら、まち全体でスモールデザインの力を育んでいきたいと考えています。
小ささを価値に変える技術と知恵は、縮小を余儀なくされているこれからの地方に求められるものです。また、経済規模が大きい都市ではなく、自然資本が豊かな農山村でもない、三宅のまちづくりだからこそ伝えられることがあるはずです。小ささから価値を生み出す知恵を集め、発信することで、スモールデザインの文化を日本全国へと伝え拡げていけたらと思います。
場所や世代にとらわれるのではなく、想いでつながれる人たちとの関係を大切にしていく。既存の境界線を溶かし、多様な仲間と手をとりあう未来を目指したいと思います。
写真: Mラボのコンセプト

5.おわりに

本稿でご紹介したもの以外でも三宅町役場では様々な挑戦を行っております。担当者それぞれの思いのつまった記事を三宅町公式noteに掲載しておりますので、こちらもあわせてご一読いただけると幸いです。


日本で2番目に小さな町の大きな挑戦

地方創生コンシェルジュ 近畿財務局奈良財務事務所長
前田  泰之

三宅町では、「ビジョン・ミッション・バリュー」を定め、地域住民の方に寄り添い、共に考えるなかで、時代に合わせた新しい自治の仕組みを生み出そうとしています。
そうした仕組みは、縮小化が進む日本の最前線での取組みとなり、他の自治体にとってもいいお手本になるのではないかと思います。
奈良財務事務所としても、三宅町の今後の取組みを支援してまいりたいと考えております。



復旧への歩みを進める熊本城

~国有地を有効活用し、熊本城復旧を後押し~

九州財務局 管財部

令和6年能登半島地震により犠牲となられた方々に慎んでお悔やみ申し上げるとともに、被災された皆様にお見舞い申し上げます。
熊本地震では、皆様からの温かいご支援等いただきありがとうございました。地震で大きな被害を被った熊本城の復旧状況について、報告させていただきます。

1.はじめに

熊本県熊本市は、九州の中央、熊本県の西北部に位置する人口約74万人の政令指定都市です。
旧制第五高等学校(現熊本大学)に着任した夏目漱石が高台から眼下に広がる景色を初めて目にした際に「熊本は森の都だな」と口にしたと伝えられているほか、人口50万人以上の都市としては日本で唯一全ての水道水を地下水で賄っていることなどから「水の都」とも呼ばれています。
また、最近では隣接する菊陽町に、台湾積体電路製造(TSMC:世界最大手の半導体受託製造企業)の工場が完成し、令和6年末には本格稼働が予定されており、同社の進出による熊本県内への経済波及効果は10年間で7兆円近くに達するとの試算もされています。熊本市でも、令和5年9月に熊本台湾間の直行便就航以降、台湾からのインバウンド客が増加しているほか、インターナショナルスクールが開設されるなど、地域活性化への期待が高まっています。


2.熊本城公園と無償貸付

熊本城公園は、熊本市の中心部に位置し、熊本城跡のエリアにおいて、昭和21年に千葉城緑地としての都市計画が決定されて以降、順次整備が進められた熊本を代表する都市公園です。
日本三名城の一つと称され、難攻不落のための様々な工夫が施された熊本城は、熊本県民から「清正公(せいしょこ)さん」と親しみをもって呼ばれている加藤清正公により慶長12年(1607年)に今の城が完成したといわれているもので、熊本城公園内には天守閣並みの大きさを誇り第三の天守と呼ばれる宇土櫓(うとやぐら)をはじめとする13の国の重要文化財建造物のほか、「武者返し」として知られる反り返りが激しい石垣などがあり、熊本城公園区域の大部分は、特別史跡に指定されています。
熊本城公園の土地は、明治となって以降、鎮西鎮台(のちの熊本鎮台、第六師団)や予備士官学校などが置かれ、ほぼ全域が陸軍省の管轄となりましたが、昭和21年の戦後処理により大蔵省(現財務省)へ引き継がれました。
その後、九州財務局では、本丸・二の丸地区を中心に公園整備を進めた熊本市に対して無償貸付を行ってきており、現在の貸付面積は、東京ドーム9個分に相当する約41.8ha(公園区域の約74%)となっています。
なお、国指定天然記念物「藤崎台のクスノキ群」や広大な芝生が広がり熊本城マラソンのゴール地点となっている「二の丸広場」なども貸付財産に含まれており、市民や観光客などの憩いの場となっています。また、熊本の食文化や歴史、伝統を発信する「城彩苑」(観光施設)の敷地は元々国有地であり、熊本市が所有していた土地(現在の熊本地方合同庁舎敷地)と交換したもので、賑わいの創出にも寄与しています。
写真1: 熊本城旧絵図
写真2: 現在の熊本城公園

3.熊本地震による被害

平成28年4月に発生した熊本地震は最大震度7を2回記録するなど、県内各地に甚大な被害をもたらしました。熊本城公園内の重要文化財や石垣などにも以下のような被害が確認され、地震発生後しばらくの間は立ち入りができない状況となりました。
テレビ報道などで熊本城大天守最上階の瓦の大半が剝がれた様子や「奇跡の一本石垣」と注目された飯田丸五階櫓は皆様の記憶にもあるのではないでしょうか。
〈被害状況〉
  • 重要文化財建造物 13棟(倒壊2棟、一部倒壊3棟など)
  • 再建・復元建造物 20棟(倒壊5棟など)
  • 石垣 崩落-膨らみ-緩み517面、約23,600m2(うち崩落229面、約8,200m2)
  • 地盤 地割れ70箇所、約12,345m2
  • 利便・管理施設 26棟(屋根破損など)
写真3

4.熊本城公園の復旧と国有地の活用

熊本城公園は、築城以来さまざまな災害を経験しており、近現代の主な災害としては、明治10年の西南戦争の際に大小天守や本丸御殿の焼失、明治22年の金峰山地震による石垣の崩落、平成3年の台風19号による長塀の倒壊などがあります。
こうした中、市民・県民の皆様をはじめ関係者の尽力により、その都度、復旧・復元が成し遂げられてきました。

(1)復旧計画

熊本市では「熊本城復旧基本計画」に基づき、熊本地震で被災した熊本城公園内の復旧を進めています。同計画は、史跡や文化財の価値を損なわない復旧事業に不可欠な調査・分析・設計等の学術的・技術的判断に係る検討に時間を要しているほか、事業量に見合う必要人材の確保などに不安定要素があることから、当初より15年延ばして令和34(2052)年度に完了する見込みとなっています(令和5年3月改定)。

(2)復旧状況

令和3年1月には重要文化財建造物の復旧第1号として「長塀」、同年3月には復興のシンボルとして最優先に着手した「天守閣」が完全復旧し、展示・内装が刷新された天守閣を含むエリアは、復旧工事の状況を見学できる特別見学通路が整備されており、震災の記憶を次世代に繋げていく長期的な視点も持っています。
さらに、令和5年度には、飯田丸五階櫓の石垣復旧が完了したほか、宇土櫓の解体保存作業に着手するなど完全復旧に向けて着実に歩みを進めています。
写真4

(3)国有地の活用

被災直後から、熊本城公園内の貸付財産の一部の土地が崩落した石垣の保管用地として利用されています。
また、熊本市役所古京町別館は、熊本城公園区域に隣接し熊本城総合事務所等の庁舎として長年利用されてきましたが、熊本地震により被災して解体されることとなりました。
九州財務局では、熊本市からの相談を受けて、移転により廃止されていた庁舎(旧熊本国税局分室)の土地・建物について、被災した熊本城総合事務所の応急代替施設として、新施設が完成するまでの間、無償で貸し付けるなど、災害対応や復旧に向けて国有地を活用しています。

5.終わりに

このように、特別史跡の熊本城公園は、国と地方が連携して、歴史的財産の保全や地域の観光資源としての活用などに努めてきたところですが、熊本地震という大きな試練の中で、貴重な財産をより良い形で将来に繋いでいくことが地域にとっての重要な使命となっています。
今後、熊本城公園の完全な復旧までには30年近くの長い年月を要することとなりますが、九州財務局としても、熊本市に対して可能な限りの協力を行い、国有財産を通じた地域貢献を果たしていく所存です。
全国の皆さまも、今しか見られない復旧の様子が見学できるこの機会に、是非とも、熊本城公園にお越しください。