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物価連動国債入札-発展編(フロア・オプション、流動性等)-

東京大学 公共政策大学院 服部  孝洋*1


1.はじめに

本稿は「物価連動国債入門―基礎編―」(服部, 2024a)および「ブレーク・イーブン・インフレ率入門」(服部, 2024b)を前提に、我が国における物価連動国債に関する発展的な内容について解説することを目的としています。服部(2024b)で説明した通り、ブレーク・イーブン・インフレ率(BEI)は下記のように分解できます。
BEI=期待インフレ率+フロア・プレミアム
-流動性プレミアム+ターム・プレミアム*2(1)
本稿では、この中でもフロア・プレミアムと流動性プレミアムの説明を行います(ターム・プレミアムについては、紙面の関係上、筆者が記載した「日本国債入門」(服部, 2023)の10章をご参照ください*3)。本稿では、年金積立金管理運用独立行政法人(GPIF)による物価連動国債への投資に加え、日銀による国債買入、コロナ禍における経験、物価連動国債の会計処理なども取り上げます。
本稿では服部(2024a, b)を前提としているため、同論文で説明した概念は説明なく用いられる点に注意してください。また、本稿は日本国債に関する基礎的な知識も前提にしているため、日本国債の商品性の概要は、「日本国債入門」(服部, 2023)をご参照ください。筆者が記載してきた債券入門シリーズは、筆者のウェブサイトにまとめて掲載してあります*4。


2.フロア・オプション

2.1 物価連動国債の再発行と元本保証(フロア)

これまで強調してきたとおり、新型物価連動国債には元本保証(フロア)が付されている点が重要な特徴です。物価連動国債は、歴史的には2004年に発行が開始されましたが、2008年の金融危機により発行が停止されました。その後2013年に発行が再開された際に、元本保証が付されました。
物価連動国債の想定元本はインフレに依存しますが、フロアが付されることで、仮にデフレが進んだとしても、最低でも100円で償還されるという商品性になっています。服部(2024b)で説明した通り、物価連動国債の想定元本は「100×連動係数」で算出されますが(連動係数の定義は同論文を参照してください)、図表1 連動係数の時間を通じた動きに記載されているとおり、満期時点において連動係数が1より小さい場合、連動係数が1になる商品性になっています。これは満期において連動係数が1以下である場合、1になるというオプションが物価連動国債に付されていることを意味します(もっとも、図表1のように期中に連動係数は1を下回る可能性があることに注意してください*5)。
財務省は物価連動国債の再開にあたり、2012年から「物価連動債の発行再開に関するワーキング・グループ」を立ち上げるなど、市場参加者との対話を行っています。同ワーキング・グループ(WG)は、通算5回開催され、参加者は主にその販売を担う証券会社であり、物価連動国債の発行再開時の商品性や発行方法のほか、システム対応を要する点など、実務的な観点から検討がなされました。齋藤(2013)では、「諸外国の物価連動国債を見ると、元本保証がない(物価下落時には元本が発行時の額面を割り込むことがある)ものと、元本保証があるものの、どちらも存在する」、「わが国でかつて発行されていた物価連動国債は、元本保証がないタイプであったが、リーマンショック以降わが国の物価が継続的に下落する中、元本割れのリスクも意識されて投資家のニーズが急速に減退し、発行停止に追い込まれることとなった。このような経緯を踏まえ、発行再開時には元本保証を付すべきとの考え方で、WG参加者の意見の一致をみた」(p.34)としています。

2.2 フロア・オプションによるBEIと期待インフレの乖離

服部(2024b)で説明したとおり、BEIはフロアの価値(プレミアム)分、期待インフレ率から乖離します。その意味では、期待インフレ率の測定という側面だけみれば、元本保証がないほうが望ましいともいえます。一方、服部(2024a)で説明した通り、我が国では2008年の金融危機時に物価連動国債の暴落を経験したことから、発行の再開にあたり、元本保証が付されることになりました。
フロアが付されることにより、BEIがどのようなバイアスをうけるかを簡単な事例で確認します。例えば、現在の物価連動国債(残存1年)の価格が100円であり、投資家が向こう1年にわたり-1%のインフレ期待を有していたとします。この場合、もしインフレ期待とBEIが一致するなら、BEIは-1%とならなければなりません。今の物価連動国債の価格が100円であり、BEIが-1%であった場合、この市場参加者は、1年後に物価連動国債の価格が99円程度になるという予測をしていることになります。しかし、2013年以降に発行された物価連動国債は、フロアがあることから満期時に100円で償還されます。物価連動国債が100円で償還されるとすれば、この物価連動国債から算出される実質金利は0%であり、このことがBEIと期待インフレ率の乖離を生みます。したがって、仮にマイナスのインフレ期待が形成されたとしても、フロアがあることからBEIの低下は抑制されることとなります(BEIそのものはマイナスになることもあり得る点に注意してください*6)。

2.3 オプションという観点でみた元本保証

服部(2024b)で説明した通り、BEIは前述の式(1)のように分解可能です。「BEI=期待インフレ率+フロア・プレミアム」というシンプルなケースを考えれば、「期待インフレ率=BEI-フロア・プレミアム」という形で、BEIから物価連動国債が有するフロアのオプションを控除することで、期待インフレ率を算出できます。したがって、期待インフレ率を推定するにはフロア・オプションを推定する必要が出てきます。
証券会社などはフロア・オプションを計算する独自のツールを有しています。Bloombergもフロア・オプションを計算するツールを提供していますが、ブラック・モデルが活用されることが多い印象です(ブラック・モデルについてはハル(2016)や服部(2020)などを参照してください)*7。
物価連動国債のオプションが100円以上で満期に償還されるということは、直感としては、行使価格が100円であるヨーロピアン・オプションが内包されていると解釈できます(ヨーロピアン・オプションなどオプションの基礎はハル(2016)や服部・日本取引所グループ(2022)などを参照してください)。したがって、現在の価格が100円より高かったり(現在の価格と行使価格の乖離が大きかったり)、物価連動国債のボラティリティが低い場合、あるいは、満期までが短い場合、このヨーロピアン・オプションのプレミアムの価値は小さくなります。極端な例ですが、満期まで残り1か月にもかかわらず、現在の物価連動国債の価格が110円であればフロア・オプションはほぼ行使されないため、物価連動国債に含まれるフロア・オプションの価値は小さいと解釈されます。
物価連動国債のオプションの価値は、ボラティリティなどが変われば変化しますから、時間を通じてオプションの価値が変化することを理解するのが大切です。図表2 新型物価連動国債のフロア・オプションの推移は平木・平田(2020)から抜粋した図表ですが、プレミアムは時間を通じて変化していることが分かります。例えば、コロナ禍などボラティリティが大きい期間にプレミアムが上昇するなど、直感に合う結果が得られています。足元のプレミアムを知りたい場合は、Bloombergのツールを用いることなどが一案です(詳細はBloombergのマニュアル等を参照してください)。

2.4 先進国における物価連動国債の元本保証

先進国における物価連動国債をみると、元本保証(フロア)が付された物価連動国債が発行されていることは多く、日本の物価連動国債にフロアがあることが特殊なわけではありません。図表3 各国における物価連動国債の比較(2013年時点*8*9)が各国における物価連動国債の特徴を比較したものですが、米国やドイツ、フランスの物価連動国債には元本保証がある一方、英国にはないことがわかります。
齋藤(2013)では「デフレ時の元本保証については、歴史的に比較的物価上昇率が高い英国を除き、各国で元本保証が付されている。フロアが付されるのは償還時の元本だけで、利子についてはフロアがないのは、発行再開時に予定されている我が国の物価連動国債の新たな商品性と同様である」(p.37)と指摘しています。


3.BEIと流動性の関係

物価連動国債には、流動性がないという指摘が市場参加者からよくなされます。そのため、式(1)に記載したとおり、BEIを算出するにあたり、流動性プレミアムを考慮する必要があります。アング(2016)でも、物価連動国債における「重要なファクターは、低流動性リスク」(p.441)としており、「TIPS市場は、TIPSの市場取引が開始した最初の数年間は流動性が低く、2000年代半ばまで続いた。今までも国債市場より流動性が低い」(p.441)としています(TIPSは物価連動国債を指しますが、物価連動国債の略称についてはBOX 1を参照してください)。
そもそも流動性そのものが捉えにくい概念ですが、ファイナンスの文脈では、流動性とはプライス・インパクトと解されます。すなわち、読者が金額の大きな取引を行った際、価格が大きく変動してしまうような資産は流動性が低い資産と見なされますし、逆に大きな取引をしても価格がさほど動かない資産は流動性が高い資産といえます。服部(2023)あるいは服部(2017)を参照していただきたいのですが、プライス・インパクトを測る指標(流動性指標)については、様々な指標が提案されています。
以下では、我が国の物価連動国債の流動性を把握するため、物価連動国債の売買データを用いて議論を進めます。流動性を測るうえで売買データを用いることに賛否両論ありますが*10、物価連動国債の場合、取得できるデータに制約があることに加え、売買データをみることでそもそも売買そのものがほとんどなされていないことが確認できます。図表4 物価連動国債の売買回転率が我が国における物価連動国債の売買回転率をみたものですが、米国債に比べて売買回転率が非常に小さいことがわかります。
図表4をみると、2008年の金融危機により流動性が低下したことが確認できますが、債務管理リポートでは、「物価連動債は海外ファンド勢の保有が多いと考えられており、リーマン・ブラザーズの破綻を機にリスク削減に伴う売りが集中して買い手不在となり、価格が額面を割って急落し、BEIのマイナス幅が急速に拡大したと推察されています」(p.10)と指摘しています。同リポートでは、さらに「これを受けた対策として、同年10月8日予定の物価連動債入札は、同年9月30日に減額(5,000億円→3,000億円)を発表し、更に同年10月7日には同入札の取り止めを発表しました」(p.10)としています。
再び図表4をみると、新型物価連動国債についても2013年や2014年という再開当初は売買が活発であるものの、その後、売買が低迷していることが分かります。物価連動国債の流動性は、2016年くらいからインフレ低下の懸念から売買が低下していき、2020年のコロナショックで本格的に流動性が枯渇したとされています。市場参加者からは「現状は国債市場の流動性の著しい低下や海外投資家のリスク許容度の低下等、物価連動債が発行中止となったリーマンショック時と市場環境が酷似しており、市場環境が回復するまで、発行減額や買入増額等の需給緩和策がとられることが望ましい」という指摘もなされています。コロナ禍における対応については後述します。

BOX 1 物価連動国債の略称

物価連動国債について実務家は様々な略称を用います。日本語では「物国」(ぶっこく)や「物連」(ぶつれん)、「物価」という表現が用いられますが、Treasury Inflation-Protected Securitiesの略称であるTIPS(ティップス)という表現も普及しています。英語では、Inflation Linked Bondの略称としてILBsと記載されることや、Linkという表現から、Linker(リンカー)やLinkers(リンカーズ)と呼ばれることもあります。Bloombergの表記を用いて、JGBIやJBIという略称が用いられることもあります。

4.その他の話題

4.1 GPIFによる物価連動国債の投資

物価連動国債の市場でしばしば話題になるのは、運用規模が約200兆円を誇るGPIFの存在です(GPIFによる国債運用の概要は、服部(2023)の6章を参照してください)。GPIFによる物価連動国債の購入が、新型物価連動国債の再開とほぼ同時に始まったこともあり*11、GPIFの動きは、市場参加者で大きな注目を受けてきました。他の年金基金もGPIFの運用を参考にしていることから、GPIFの運用スタンスを理解しておくことは有益です。
そもそも物価連動国債は、インフレヘッジという観点から、退職後の資産形成において望ましいという意見が少なくありません。GPIFはその性質上、退職に備えた年金を運用する主体であることから、GPIFが物価連動国債に対して積極的に投資することには一定の合理性があるともいえます*12。アング(2016)は、「TIPSは、個人投資家にとって理想的な退職貯蓄のメカニズムを有しているようである。投資マネジメントと年金専門家であるボストン大学教授ツヴィ・ボディは、個人投資家は引退後のポートフォリオでTIPSを100%近く保有すべきであると主張している」(p.432)と指摘しています。
図表5 GPIFによる物価連動国債保有割合の推移がGPIFにおける物価連動国債の保有割合ですが、2014年度から物価連動国債の投資を開始し、当初、増加傾向にありました。GPIFが物価連動国債の運用を始めた当時は、将来的に円債ポートフォリオのうち、物価連動国債で20%程度保有するという議論もありました*13。もっとも、図表5からわかる通り、GPIFによる物価連動国債の購入が顕著に増加したのは2016年までであり、それ以降はほぼ横ばいで推移し、コロナ禍以降、その保有割合はむしろ減少傾向にあります。その背景には、物価連動国債の流動性が低下したことや、BEIが低下基調にあった(=名目債対比のアンダーパフォーム)ことなどに加え、物価連動国債の発行そのものが増加しなかったこともあります(コロナ禍における物価連動国債市場については後述します)。
GPIFが物価連動国債を購入するときの問題の一つは、その規模が大きいため、GPIFの購入がマーケットにインパクトを与えてしまう可能性があることです。そもそも物価連動国債に流動性がないとされているため、この問題はより深刻になりえます。そのため、GPIFが物価連動国債を購入するにあたっては、プライス・インパクトを軽減するなどの観点で、セカンダリー市場でトレーディングするのではなく、入札で購入して満期まで保有する傾向があると解釈されています(GPIFの議事録によれば、低流動性を考慮し、シ団方式的な方法を通じて購入できるよう財務省とかつて交渉した経緯もあります)*14。
なお、一般的な円債ファンドとの関係でいえば、服部(2023)で記載したとおり、野村BPI総合指数には物価連動国債が含まれないため、インデックス対比での保有が必要ないという特徴があります。したがって、円債ファンドの場合、BEIが上昇(低下)すると見込めば、名目債対比で組み入れる(減少させる)という投資行動が予測されます。その一方で、これまで説明してきた通り、日本の物価連動国債は流動性が低いとされており、投資家からすれば入札がなければまとまった量を購入することができないなどの特徴も重要です。

4.2 日銀による物価連動国債の購入

GPIF以外の物価連動国債の保有者として、日銀のプレゼンスも看過できません。日銀は定期的に国債買い入れオペを実施していますが、物価連動国債についても、他の国債と同様、いわゆる「オペ紙」で購入量が示されています(「オペ紙」については服部(2023)の9章を参照してください)。図表6 長期国債買入れ(利回り・価格入札方式)の四半期予定(2024年1~3月)が「オペ紙」を示したものであり、物価連動国債の欄も確認できます。
図表7 日銀による物価連動国債の購入額の推移は、日銀による物価連動国債の購入額の推移を示したものです。歴史的には、2008年の金融危機時に物価連動国債が暴落したことを契機に、日銀による物価連動国債の購入が始まりました。具体的には、2008年12月の金融政策決定会合において、物価連動国債と変動利付国債の購入を検討するよう指示がなされました*15。その後、2009年1月の決定会合で、「国債売買基本要領」を一部改正し、これらの国債を買い入れる場合、価格較差入札方式を用いることになりました。図表7の通り、2009年から2か月に1回、400億円の物価連動国債を購入しています。
2011年に、日銀は物価連動国債の購入額を400億円から200億円に減少させています。これは物価連動国債の価格が金融危機時から回復に至っていたことに加え、日銀の購入および財務省の買入消却が続いていたことから、物価連動国債の市中残高が減少したことを踏まえたものとされています*16。
その後、2013年には日銀による量的質的金融緩和が始まり、それに続いて物価連動国債の発行が再開されますが、2016年6月から日銀による購入額が再び増加しています。当時は原油価格の低下により物価が低迷しており、物価連動国債市場の流動性の低下が議論されている時期でした。このタイミングで、財務省も物価連動国債に対する買入消却を導入しています*17。物価連動国債の流動性低下の一因として需給関係の悪化がある場合、日銀のオペも流動性を改善させる効果が見込めますが、日銀は2016年6月からオペをそれまで2か月に1回(奇数月)実施していたところ、月2回の実施へ変更しました。
再び図表7をみると、2016年6月から月2回のオペを実施していたところ、コロナ禍に金額を増加させたのち、2021年4月からは月1回に変更しています。これは2021年3月に実施された「金融緩和の点検」後です。「点検」では国債市場における市場機能の回復の必要性が指摘されたことから、その一環として、物価連動国債についても、オペレーションの実施回数を月1回に変更したと解されます(1回あたりの金額を2倍にしています)。

4.3 コロナ禍の経験:発行減および買入消却

2020年から始まったコロナ禍の影響により、物価連動国債の流動性が低下し、2008年の金融危機時と似た状況がうまれました。財務省はこれに対応するため、(1)国債の供給量そのものを減らすとともに、(2)買入消却を増やすことで、物価連動国債の市中残高を減らすことで流動性を改善させる対策を講じました。
(1)については、令和2年度(2020年度)の国債発行計画で予定されていた発行額を2020年3月に、4,000億円(年間1.6兆円)から3,000億円に減額すると発表しました。その後、国債市場特別参加者会合(PD会合)などを経て、5月における1回あたりの発行額をさらに2,000億円まで減額しました(図表8 物価連動国債発行額の推移)*18。財務省は供給量を減らすべく、当分の間、第Ⅱ非価格競争入札を取り止めるなどの対応も行いました*19(第Ⅱ非価格競争入札については服部(2023)を参照してください)。
一方、(2)の買入消却の増加については、2020年3月に3,000億円の追加の買入を実施しました(図表9 財務省による買入消却の推移)。この金額は、その後における(物価連動国債の)入札一回分の発行額を上回る規模に及びます。これは、コロナ禍という特殊な環境下で、流動性が枯渇した物価連動国債を有する市場参加者に配慮した施策といえます。この買入消却は、その金額が大きいだけでなく、入札方式として、一定価格以上では購入しないというルールを設けており、流動性危機時における対応として大変興味深い事例といえます(その詳細はBOX 2を参照してください)。2020年4月以降の買入消却額についても、それまでの毎月200億円から500億円に増額させました。
図表10 物価連動国債の発行額、日銀購入、財務省による買入消却の推移は物価連動国債の発行額に加え、日銀の購入額及び財務省の買入消却額を比較したものですが、発行減および買入消却の増加により、市中発行額という観点でみた物価連動国債の供給量はマイナスになりました。2008年の金融危機以降は財務省による買入消却の金額が大きいことが確認できますが、2016年から日銀の購入額がそれを上回ります。コロナ禍では財務省による買入消却も増えていたことから、日銀及び財務省による買入総額は、物価連動国債の供給量を上回りました。

コロナ禍以降の試み

財務省は、「現在の発行額及び買入消却額については、新型コロナウイルス感染症の感染拡大を契機とした市況の大幅な悪化を受けた異例・臨時の措置であり、これが常態化することは望ましくないと考えている」*20と指摘しており、コロナ禍に発生した低流動性が改善する中、コロナ禍以前の状況に戻していく努力をしてきました。図表10に記載しているとおり、2022年以降、物価連動国債の発行量が徐々に増えるとともに、日銀及び財務省による買入総額が減少傾向にあることが確認できます。
前述のとおり、そもそも物価連動国債市場には流動性の問題がありましたが、特に、コロナ禍以降、原油高や世界的なインフレを背景に、我が国の物価が上昇する期待が生まれたことから、BEIが上昇しています(図表11 BEIの推移を参照)。財務省は、「銘柄別の動きをみても、バラつきは引き続き大きいものの、全ての銘柄でBEIが大きく上昇している」と指摘しており*21、物価連動国債の発行量をこのタイミングで2,000億円から2,500億へ増加させています。また、コロナ禍により500億円へ増額していた買入消却の金額を従来の200億円へ戻しています。

4.4 会計処理

物価連動国債は会計処理にも特徴があります。アモチ・アキュムの概要については、服部(2023)の第6章のBOXを見ていただきたいのですが、通常の国債の場合、100円で償還されるところ、物価連動国債の場合は、インフレの度合いによっていくらで償還されるかが変わります。図表12 物価連動国債におけるアモチ・アキュムの計算のイメージが物価連動国債のアモチ・アキュムを計算するイメージですが、(1)その時点におけるインフレ予測(BEI)を用いて、満期における償還額を計算し、(2)満期時に、その償還額になることを前提にアモチ・アキュムを計算します。
なお、物価連動国債の会計処理は、満期に受け取る金額が確定していないことなどを背景に、満期保有目的債券という区分が活用できない点も特徴です*22。物価連動国債に含まれるデリバティブに相当する部分については区分処理をする必要がないとされています*23。物価連動国債は金融危機時に会計処理の変更についての議論がありましたが*24、筆者の理解では、会計処理の変更はなされませんでした。

BOX 2 価格上限を設定した入札の事例:財務省によるコロナ禍の買入

本文で説明したとおり、2020年3月25日に、財務省は物価連動国債について、3,000億円という大規模な買入消却を実施しました。その背景には、市場参加者から「新型コロナウイルス感染症の感染拡大に伴うリスクオフ地合いに加え、原油価格の下落に伴って、グローバルに物価連動債が売られ、需給が大幅に悪化していることから、4-6月期における物価連動債の発行を減額すること、あるいは、買入額を大きく増額することが望ましい」などの指摘がなされたことがあります*25。
もっとも、発行当局が高値で購入することを防ぐため、この3,000億円の買入を実施するうえで「買入最大価格較差の上限は+62銭とし、価格較差が+63銭以上の応札は無効とする」という条件が付されました(図表13 国債整理基金による買入消却に係る国債の買入れのための入札が入札の応札前に業者に通知された情報ですが、「入札の方式」にその点が記載されていることが確認できます)。なお、ここでの62銭はカレント銘柄の買入価格が100円となる水準として設定されています(カレント以外は買入価格が100円とはならない点に注意してください)*26。これは流動性が枯渇した時に、入札方法も工夫しつつ対策を行った大変興味深い事例だと考えています。
図表14 国債整理基金による国債の買入れのための入札結果が入札の結果ですが、買入最大価格較差が+55銭であり、上限の+62銭にはヒットしませんでした。応札倍率は約1.25倍です。図表15 物価連動国債の単価の動き:2020年3月25日に実施された買入消却後が買入消却後の単価の動き(前営業日比)を示していますが、おおよそ20銭程度、価格が上昇していることが確認できます。


5.終わりに

今回は物価連動国債について説明しました。これまで3回にわたり物価連動国債について取り上げてきましたが、物価連動国債の理解に繋がれば幸いです。



参考文献
[1].安達孔・平木一浩(2021)「インフレ予想の計測手法の展開:市場ベースのインフレ予想とインフレ予想の期間構造を中心に」Research LAB No.21-J-1.
[2].齋藤通雄(2013)「物価連動国債について」『証券アナリストジャーナル』51(9),32–40.
[3].服部孝洋・日本取引所グループ(2022)「日本国債先物オプション入門」
[4].服部孝洋(2017)「市場流動性の測定―日本国債市場を中心に」『ファイナンス』,67–76.
[5].服部孝洋(2020)「ボラティリティ・スマイルとスキュー日本国債市場における正規分布から乖離した動きについて―」『ファイナンス』,47–55.
[6].服部孝洋(2023)「日本国債入門」金融財政事情研究会
[7].服部孝洋(2024a)「物価連動国債入門-基礎編-」『ファイナンス』,31–39.
[8].服部孝洋(2024b)「ブレーク・イーブン・インフレ率(BEI)入門-物価連動国債から算出する期待インフレ率-」『ファイナンス』,45–54.
[9].平木一浩・平田渉(2020)「ブレークイーブン・インフレ率から抽出される日本の市場参加者の長期インフレ予想」日本銀行ワーキングペーパーシリーズNo.20-J-6.
[10].アンドリュー・アング(2016)「資産運用の本質 -ファクター投資への体系的アプローチ」きんざい
[11].ジョン・ハル(2016)「フィナンシャルエンジニアリング〔第9版〕―デリバティブ取引とリスク管理の総体系」きんざい
*1) 本稿の作成にあたって、様々な方に有益な助言や示唆をいただきました。本稿の意見に係る部分は筆者の個人的見解であり、筆者の所属する組織の見解を表すものではありません。本稿の記述における誤りは全て筆者によるものです。また本稿は、本稿で紹介する論文の正確性について何ら保証するものではありません。
*2) ここでは安達・平木(2021)に則れば、ターム・プレミアム較差と書くべきところですが、アング(2016)では「ブレーク・イーブン・インフレ率(BEI)=期待インフレ率+リスク・プレミアム」とするなど、「プレミアム」と記載することも多いことから、ここではシンプルに「流動性プレミアム」、「ターム・プレミアム」としています。
*3) アング(2016)では物価連動国債のリスク・プレミアム(ターム・プレミアム)に関して、「仮にリスク・プレミアムが一定であれば、BEIは、期待インフレと1対1で変動する。しかし、リスク・プレミアムが時間と共に変化するので、BEIは将来の期待インフレの指標として直接には使えない」(p.440)と注意を促しています。
*4) 下記をご参照ください。
https://sites.google.com/site/hattori0819/
*5) 満期において100円で償還される元本保証があるとしても、例えば、105円で購入したものが100円で償還されるということが起こりえる点に注意してください。
*6) 例えば、2019年8月に第17回債のBEIがマイナスになった事例もあります。金融ファクシミリ新聞(2019/8/27)「BEIが初のマイナス=物価上昇期待はく落」などを参照してください。
*7) 例えば、カレント銘柄を指定して、YASN<GO>とするとフロア・オプションを確認することができます。フロア・オプションを計算する上でモデルが必要になりますが、詳細はBloombergのドキュメントを参照してください。
*8) ここでは日本において新型物価連動国債が再発行された時点の比較を行っています。
*9) 下記を参照。
https://dl.ndl.go.jp/view/download/digidepo_11380561_po_201311b.pdf?contentNo=1
*10) 売買データを流動性指標として解釈することへの批判としては、例えば、流動性危機とされる2008年の金融危機時に取引量が増加していたことなどが指摘されます。もし売買量が大きいことが流動性が高いことを意味するのであれば、金融危機時に流動性が改善したということになりかねません。
*11) 2013年11月の公的・準公的資金の運用・リスク管理等の高度化等に関する有識者会議において、「今後、我が国経済がデフレを脱却することを見据えて、金利上昇に備えたリスク管理や資産評価の在り方について十分に検討し、速やかに対応策を講じるべきである。こうした観点から、例えば、最近発行が再開された物価連動国債を運用対象とすることについても検討すべきものと考えられる。」(p.8)との問題提起がなされたことを踏まえ、運用対象の多様化の観点から、2014年度に国内債券のアクティブ・ファンドとして運用を開始しました。パッシブ・ファンドではなく、アクティブ・ファンドであるがゆえ、ベンチマークに対してオーバー・ウェイト(アンダー・ウェイト)になりえる点に注意してください(物価連動国債を買わないという選択肢もある点に注意してください)。
*12) GPIFは、厚生労働大臣が定めた中期目標において、物価上昇率ではなく名目賃金上昇率に対する運用目標(名目賃金上昇率+1.7%)が与えられており、物価上昇率と名目賃金上昇率の関係次第で、物価連動国債によるヘッジ効果が変わりうる点には注意が必要です。
*13) 第108回運用委員会議事録では「有識者会議の中で、物国を運用対象とすべきだというお話があった後に、当法人のほうで、国内債券の中でのシャープレシオの最大化を目的として、国内債券の2割を保有するということで進めております。今、基本ポートフォリオは35%でございますので、その2割ということですので、7%を目指すということでございます」(p.13)としています。
*14) 第74回運用委員会議事録によれば、GPIFの三谷理事長(当時)は「流通市場は現在ほとんどないような状況です。流通市場で購入しようとすると、たまたま出てきたものが、いい値段であったら購入するというような形にしかならない。私どもの希望としては、財務省に対し、一旦入札で決まったその条件で、入札とは別枠で一定額を購入させてもらえないかと、シ団方式的なものを打診したのですが、財務省は、すぐにはそれに踏み切れないということなので、入札の都度、入札参加者を通じて購入するということしかないわけです」(p.12)、「基本的には満期保有を念頭に置いています」(p.12)と指摘しています。
*15) 日銀決定会合(2008年12月18,19日開催分)の議事要旨によれば、白川総裁(当時)は、「買入れ増額に併せて、買入対象国債を追加することとし、30年債、変動利付国債及び物価連動国債を加えることが適当ではないかということであった。また対象国債を追加する場合、買入国債の残存期間が極端に短期化あるいは長期化する可能性がある。これを避けるため、残存期間別の買入れ方式を導入することが適当とのご意見だった。ただ、これらの措置については、実務的な検討が必要なので、できるだけ速やかに検討を行うよう、執行部に対し検討を指示したいと思う」(p.178)としています。また、「金融調節手段に係る追加措置について」では「買入対象国債の追加、残存期間別買入れの実施」と記載され、その中で、「買入対象国債に、30年債、変動利付国債および物価連動国債を追加する。また、買入国債の残存期間が極端に短期化あるいは長期化することを避けるため、残存期間別の買入れ方式(残存1年以下、1年超から10年以下、10年超区分)を導入する。これらの措置については、実務的な検討を行い、できるだけ速やかに成案を得るよう、議長から執行部に対し指示した」とされました。
https://www.boj.or.jp/mopo/mpmsche_minu/minu_2008/g081219.pdf
*16) ファクシミリ新聞(2012/5/25)「日銀オペ、物国減額、変国減額」などを参照しています。
*17) 例えば、国債市場特別参加者会合(第65回)議事要旨(平成28年3月23日)において「今回の買入消却の導入は、物価連動債市場の流動性が高まらないという状況において、臨時的な措置として実施するもの。逆に、流動性が向上すれば、できるだけ早期に買入れを止めることが望ましいと考えており、今後、入札や流通市場の状況をこれまで以上に注視し、本会合等の場で、買入消却入札の継続の必要性を議論していくこととしたいと考えている」としています。
*18) 国債市場特別参加者会合(第87回・第89回)の議事要旨によれば、理財局は、「皆様から事前に御意見を伺ったところ、新型コロナウイルス感染症の感染拡大に伴うリスクオフ地合いに加え、流動性の低下や原油価格の下落に伴って、グローバルに物価連動債が売られ、需給が大幅に悪化していることから、5月の物価連動債の発行入札が3,000億円の規模となると、供給が需要を相当程度上回る恐れがあるとの御意見が聞かれた」、「4-6月期の発行額については、3月の本会合後に決定した1回の入札当たり3,000億円から、更に1,000億円減額し、2,000億円としてはどうかと考えている」としています。
*19) ここではPD会合などの表現を参照しています。
*20) 下記を参照ください。
https://www.mof.go.jp/about_mof/councils/meeting_of_jgbsp/proceedings/outline/210323.html
*21) 国債市場特別参加者会合(第100回)の議事要旨を参照。
*22) 企業会計基準適用指針第12号に、「なお、物価連動国債は、償還金額及び総受取利息金額のいずれも確定していないため、満期保有目的の債券として計上することはできない」と記載されています。
*23) 「物価連動国債について、組込デリバティブのリスクが現物の金融資産の当初元本に及ぶ可能性が低いといえるものとして区分処理せず、その他有価証券とした場合には、他の債券と同様に、まず償却原価法を適用し、その上で償却原価と時価との差額を評価差額として処理する」(金融商品会計実務指針第74項)とされています。
*24) 日本経済新聞「投げ売り価格≠時価、金融資産算定で会計基準委指針、先行欧米と足並み」(2008/10/29)などを参照。
*25) 国債投資家懇談会(第82回)議事要旨を参照。
*26) 国債投資家懇談会(第82回)議事要旨では「まず、3月中に、3,000億円の追加の買入を、買入最大価格較差の上限を設定した競争入札の形で1回実施したいと考えている。この上限の具体的な値は、オファー時に正式にお伝えすることとなるが、買入価格が100円となる水準とする。ただし、銘柄ごとに基準価格が異なることから、買入価格が100円とならない銘柄もある。なお、実施にあたっては、事務の関係上、結果公表時刻を通常の12時35分から14時に変更することとする」としています。なお、2020年3月25日付の売買参考統計値(平均値の単価)は当時カレントである24回債は99.38円でした。もっとも、例えば23回債は99.63円などであり、価格較差である+62銭を適用した場合、単価が100円とはならない点に注意してください。