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世界遺産をつくる仕事


海岸線の美術館 館長・プロデューサー 髙橋 窓太郎

僕はいま「海岸線の美術館」という50年後?の世界遺産を作っている。
宮城県石巻市(いしのまきし)雄勝町(おがつちょう)に震災後建設された高さ最大10m、長さ3.5kmの町を囲う防潮堤に、巨大な壁画を描き連ねていくという野外美術館だ。
「大きな壁によって見ることができなくなった東北の美しい海岸線沿いの風景」や「見えづらくなった町に息づく文化・風習」を、芸術の力で取り戻すように壁画を描いて新しい風景をつくっていくというめちゃくちゃシンプルなことをしているのだけれど、全財産と全時間を燃やして、懸命に生きながらそのプロジェクトを推進している。
今僕が生きている中で、「生きている」という感覚はすごく重要なもの。
一昨年、8年間勤めていた会社を辞めた。
東京藝大の建築科に入学して、自分がなぜ生きているのかという問いをし続ける特殊な環境から、なんの社会的な武装もせずただピュアな状態で世に出た。生きていく上で必要なお金という安心を得る一方で、藝大の時に確信していたピュアな価値観が揺らいでいくのを肌に感じながら、それでも自分の価値観をどうにか守り、社会人として生きていくというバランスの綻びにつねに悩み続けていた。
それに抗うように、僕個人としての表現活動(表現にもなっていないけど当時の自分にとっては重要な抗い)や、大学の仲間との活動をとおして、そこに折り合いをつけていこうとしていた。
社会で働く中で、辛そうに働く人を数多く見てきた。
自分もその一人だったし、自分が生きている意味や実感を持つ、というめちゃくちゃ難しい難問が日本全体を覆っていると錯覚するくらいだった。でも、あながち錯覚でもない気がしている。
大きな社会システムの中では、自分ひとりの胸にある理想はどこまでも小さく、そのシステムには抗えないのだという諦めと妥協を日常の中で、繰り返していた。
そしてそんなある日、偶然雄勝町で巨大な壁に出会った。
その壁の大きさにたじろいだものの、その壁に抗わなければ、というか抗わないと自分が大切にしてきた価値観を捨てることになると、確信した。その旅の1日は僕の人生を変えるのに、十分だった。
学生の頃から、当たり前とされている既成概念にどう抗うかということについて考え続けてきた。そして防潮堤はその抗うべき対象なんだと壁の前にたった瞬間、一瞬で理解した。
そこから美術館をつくるという企画書を作り、色々な人に話し、色々なアクシデントがあり、嬉しくて泣きそうな夜などもありながら、仕事と両立できなくなって会社を辞めて、今に至る。
なぜ海岸線の美術館を、やっているのか。
現時代に生きる人の人生や社会に立ちはだかるめちゃくちゃ大きな壁だったり、どうしようもないことへの新しい抗い方をつくっていきたい、という思いが根底にある。
そして、それに共感してくれる人と一緒に起こし続ける革命運動にしていきたいと思っている。
アーティストを呼んで、毎年壁画を描き続けていく。
描く壁画のモチーフを住民と話して決め、壁画の下地を住民や応援してくれている人たちと一緒に作る。
完成した壁画を洗う水かけ祭りや、壁画の完成を祝う雄勝壁画祭りを毎年開催して地域に根付かせていく。
そうやって壁画を描くというプロセスに様々な人が参加して、一緒に美術館をつくるという革命運動にしたいと思っている。
あなたは世界遺産を作ったことがありますか?
僕はありません。でも作れると思っています。
ぜひ、一緒に世界遺産をつくりませんか?