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ファイナンスライブラリー


評者 廣光 俊昭*1

齊藤 誠 著

財政規律とマクロ経済

紀律の棚上げと遵守の対立をこえて

名古屋大学出版会 2023年10月 定価本体4,500円+税


マクロ経済学のフロンティアへ

マクロ経済学を勉強したことがある読者なら、名古屋大学大学院の齊藤誠教授の『新しいマクロ経済学』(有斐閣、新版2006)を読んだことがあるかもしれない。東日本大震災後、原発事故の原因を探り一般の話題にもなった『震災復興の政治経済学』(日本評論社, 2015)を読んだことがある方もいるだろう。齊藤教授は数学を含む言葉の力を大切にしておられ、その著作には論理の道筋を丹念に辿ることで事の真相に迫る醍醐味がある。
その齊藤教授が、この三十年ほどの日本のマクロ経済の難問と格闘したのが、本書『財政規律とマクロ経済』である。本書は、日本で財政規律の棚上げが可能になってきたのは、貨幣(日銀の借金)や国債(政府の借金)の受け皿があるから、物価も金利も上がらずにきたからであるという。そして、その受け皿が用意できたのは、家計が消費を抑制しながら、貨幣や国債を積極的に保有してきたからだとする。この場合、家計は、生涯所得を消費に使い切らず、貨幣や国債(統合政府の債務)を、銀行などを通じて「貸しっぱなし」の状態で資産として保有していることになる。このような政府債務は将来の税収に裏付けられていない「借りっぱなし」の状態の債務であり、これは家計消費を犠牲にすることで実現されているとする。どれほど経済対策をしても、総需要拡大(家計消費の拡大)の形で政策効果が表れてこないのも当然の帰結であると指摘する。
本書はどのような政策を勧告しているか*2。財政規律の効く経済へと漸進的に正常化を図ることであろうか。齊藤教授の答えは否である。現状維持の政策から離れるべく蛮勇を奮う政策が不用意に行われれば、現在の(ベストではないが、静謐な)マイルドなデフレ過程を一挙に破壊してしまうと警告する。本書の推奨するのは、財政規律回復の試みを、財政破綻が起きるか起きないかという議論から分離し、財政民主主義の原点に戻り、財政支出の中身と財源を厳格に監視することである。その上で、危機管理マニュアルの作成を提言する。数年分の国内貯蓄を食いつぶし、家計の「貸しっぱなし」を吹き飛ばしてしまう、外生的ショック(首都直下地震等)の発生により、デフレ過程が覆される事態に備えることを提案するのである。
「借りっぱなし」と「貸しっぱなし」が四つに組んだ状況は、標準的なマクロ経済学のモデルの設定上の決まり事に反する。本来、所得は使い切らねばならない(横断性条件)。このため、この状況は十分にモデル化されないままできた。齊藤教授が本書で取り組んだのが、このような非標準モデルの設計である。経済学のモデルが、常に世界の真の姿を捉え、経済の動きを正しく予測するとは限らない。しかしながら、本書でのモデル化は誠実におこなわれており、日本経済のデータとの照合もおこなわれている。おまけに補論ではモデルの数学的記述までも与えられている。本書は、日本のマクロ経済を考える者が一度は格闘しなければならない一書となるであろう。


三つの質疑

本書をこれから手に取る読者が抱きやすい疑問を三つ挙げ、これらに本書が与えている解答を明らかにしておくことが、読者の便に資するものと考える。

(1).マイルドなデフレ過程から脱却し、正常化を図る政策が功を奏しないのはなぜか。

本書はこれまで正常化を図る取り組みは上手くいかなったし、今後も成功する見込みは低いとみる。それどころか、そのような試みを強行すれば、マイルドなデフレ過程を破壊してしまうとまで警告する。その理由を本書は正常化が孕む矛盾に求める。正常化に際しては、政府債務を引き受ける家計側は、物価や金利の上昇を視野に入れる。一方の統合政府の側は、金利と物価の低位安定が永続することを期待するため、両者の期待が両立しないのだとする。
このような観方に対しては異論もあるだろう。国民の良識と政治の賢慮が結託すれば、漸進的な正常化を期待してもよいはずではないのか。齊藤教授は、そのような期待には望みがないと考えているようである。本書によると、実質国債残高を足元のGDP比203.5%から1990年代の31.0%に戻すのに30年かけるとしても、その間5.5%の基礎的財政黒字を毎年続ける必要があるという(p. 151)。このような試算は本書に限ったものではない。財政制度等審議会・起草検討委員会(2018)は、国・地方の債務を安定させるため2020年度に一挙に収支改善を図る際に必要な収支改善幅を試算し、GDP比6.26-7.19%の改善を長期間維持する必要があると結論づけている(図1 上記グラフにおける実線は、2060年度以降に債務残高対GDP比を安定させるように収支改善を行った場合の基礎的財政収支対GDP比(財政制度等審議会・起草検討委員会, 2018)。なおこの試算はコロナ禍以前に実施されたもの)*3。そして、齊藤教授がリアリティのあるシナリオとみるのが、外生的ショックを引き金とする一度限りの物価高騰(3-4倍の物価調整, 第5章)を経ることで、実質債務を圧縮するというシナリオなのである。財政を預かる者がこの見解に同意することは決してないだろう。ただ、経済学者として齊藤教授が国全体を見渡した時、漸進的な正常化の遂行は至難であるとの見解に至った、ということなのだと解する。

(2).経済刺激が効果を発揮せず、日本経済の不振がつづくことは宿命なのか。

本書は1990年代以降の経済対策が効果を挙げなかったことを繰り返し指摘している。ひとつ読者が注意すべきことは、本書のいう対策が供給側に関わるものではないことである。日本の産業競争力は明らかに問題をかかえており、独立して考察する価値があるが、本書が問題とするのは、あくまでも需要側の対策である。では、需要喚起策はなぜ功を奏しないのか。その理由として本書が挙げるのは、究極のところ、家計や企業が消費や投資をせずに資金を国内銀行に預けつづけることが、マイルドなデフレ過程を持続させる前提となっていることにある。消費の低迷と、皆が活発に政府債務を持とうとすることはコインの裏表の関係にあるというわけである。

(3).そもそも家計や企業は、なぜ消費や投資をしないのか。

「コインの裏表」という解答は、この三つ目の疑問へと読者を導く。企業は家計に所有されているから、究極の問いは、家計はなぜ生涯所得のすべてを消費せず、使い残すのかという問いとなる。ここで議論は一巡し、「貸しっぱなし」という、マクロ経済学が通常は想定しない事態がどうして起きているのかという根本に戻ってくるのである。この点への本書の解答は、ゼロ金利で貨幣需要が高まるとともに、国債についてもマイルドなデフレでその実質な価値が維持されるため、政府債務への需要が旺盛になるというものである。
それでも、なおも読者は問いつづけることができる。使い残しをする家計とは不可解な存在である。とりわけ現実の家計には寿命と世代交代があり、無限に消費を先送りできるわけではないことが重要である。本書のモデルは無限に生きる家計を前提に構築されており、この地点にまで到達すると、この先は読者が自力で考える必要がある。遺産動機は説明の一端にはなりうる。残りの部分は消費する高齢者を考える限りは、高齢世代が政府債務を取り崩した分を若年世代が補うという線によるほかない。問題は、この説明が不安定を内蔵したものになるほかないことである。いずれデフレ過程が覆るのなら、先行世代が手放した政府債務を引き受けた後続世代は損する。後続世代へと政府債務を押し付ける機会を逸した、先行世代が損をすると言っても同じことである。誰が損をするのか分からない状況は、異なる世代間に戦略的関係を生み出す。デフレ過程の反転が、分配上の不均等を帰結することも明らかであろう。本書のいう危機管理マニュアルは、この手の分配上の考慮を含まねばならない。


発展的論点-社会保障と人口

最後に本書が必ずしも十分に扱っていない発展的論点を挙げ、マクロ経済論議にいくばくかの貢献をおこなう。本書は、特に2000年代以降の予算編成の焦点でありつづけてきた、社会保障やその背後にある高齢化と人口減少の問題を主題的には扱っていない。しかしながら、財務省(2023)によると、1990年度から2023年度末にかけての普通国債(建設国債+特例公債等)残高の増加額約897兆円のうち、社会保障関係費の増によるものは約445兆円を占めている(図2 普通国債残高増加の要因分析(財務省, 2023))。他には地方交付税交付金等が92兆円あり、地方費に福祉関係支出が含まれているから、財政悪化の過半が社会保障関連に由来することになる。「借りっぱなし」と「貸しっぱなし」が四つに組んだ状況と本書が形容する、日本のマクロ経済の姿に、この財政の姿は別の角度から光を当てることを要求する。
人口がいずれ元に復するのであれば、一時的な人口動態のショックを借金で均霑することは取り得る政策である。高齢世代(世代1)に続く後続世代(世代2)の人口が減少した時、社会全体の生産物は減らざるをえないが、もし後続世代(世代2)が消費を減らすことを受け入れるなら、高齢世代(世代1)の消費(社会保障)を減らす必要はない。後続世代(世代2)が消費を減らす見返りに証書(生産物と交換可能な国債)を受け取り、自らが年老いた時、その証書をさらなる下の世代(世代3)に渡す代わりに生産物を得ることができるのなら、後続世代(世代2)もひとり当たり生涯消費を維持することができる*4。この仕組みは証書がより若い世代に受け取ってもらえる「かのうように」人々が振る舞いつづける限り、まわりつづける。高齢世代の消費削減(社会保障改革)も、証書なしの後続世代への消費削減の強制(増税)も必要ない。
問題が起きるのは、人口が復するという予想が外れる時である。そして、厄介なことは、この状況になっても、その先の未来の世代(世代t+2)も証書を受け取るだろうと後続世代(世代t+1)に信じ込ませ、自身は手つかずの社会保障制度のもとで人生を終えることが、先行世代(世代t)の利益になることである。社会保障は「世代間での支え合い」の仕組みともいわれる。賦課方式の利点は、ポール・サミュエルソンが1958年の論文(Samuelson, 1958)ですでに明らかにしている。それでも、「世代間での支え合い」が成立する条件がどのようなものであるか、先行世代(世代t)は考える必要がある。
本書『財政規律とマクロ経済』は、日本経済の来し方行く末を論理の道筋に沿って考える用意のある、すべての人に手に取ってもらいたい書物である。

(参考文献)
Samuelson, P. (1958)“An Exact Consumption-Loan Model of Interest with or without the Social Contrivance of Money”Journal of Political Economy, 66(6), pp. 467-482.
財政制度等審議会・起草検討委員会(2018)「我が国財政に関する長期試算(改定版)」.
財務省(2023)『日本の財政関係資料』.
廣光俊昭(2022)『哲学と経済学から解く世代間問題-経済実験に基づく考察』, 日本評論社.
廣光俊昭,佐藤栄一郎,中井智己,矢野智史(2016)「長期推計から見る財政の将来」『ファイナンス』51(12), pp.50-57.

*1) 財務総合政策研究所客員研究員、在米国日本国大使館公使
*2) 本書は、2020年代はじめに日本経済を襲った物価上昇を一時的な要因によるものとし、日本経済の構造的変化をもたらすものではないとの認識に立つ。
*3) 当該試算の仕組みについては、廣光ほか(2016)が、ひとつ前の版の試算に基づいて解説している。
*4) 数式を交えた、簡便な分析は廣光(2022, pp.179-182)を参照。