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「歴史」と「食」の宝庫から

横浜税関仙台塩釜税関支署 総務課長 野崎 圭吾


1.仙台塩釜税関支署について
仙台塩釜税関支署は、昭和9年(1934年)1月、塩釜港が開港に指定され、塩釜市内に塩釜税関支署が設けられたことから始まります。当支署の管轄区域は宮城県で(仙台空港税関支署の管轄区域を除く。*1)、県内には関税法上の開港である仙台塩釜港や石巻港、不開港である気仙沼港があります。当支署は2つの出張所を有しており、石巻港には石巻出張所が、気仙沼港には気仙沼出張所が置かれています。
天然の良港である塩釜港の歴史は奈良時代まで遡るとされ、後に述べる「国府・多賀城」の外港並びに製塩地として栄えたようです。その後、江戸時代には仙台藩の水運振興策により港の整備が進められました。現在の塩釜港は地域の基幹産業である水産加工業の原材料の輸送拠点であるとともに、LNGや石油製品など東北地方におけるエネルギーの供給基地としての重要な役割も担っています。
一方、仙台港区は東北のグローバル港湾を目指し砂浜を開削して陸側に大きく掘り込んで作られた堀込港湾で、外貿コンテナターミナルを核とした物流機能の充実化が進められました。昭和46年(1971年)には塩釜港に仙台港区が編入され、平成13年(2001年)4月、塩釜港が港湾法に基づく特定重要港湾に昇格し港名は仙台塩釜港に変更されました。当支署が機構改正により塩釜税関支署から仙台塩釜税関支署になったのは平成18年(2006年)7月のことです。
新たに設置された仙台塩釜税関支署は仙台市宮城野区に移り、支署長以下、総務課、保税部門、通関部門、検査部門が置かれ、調査部調査第14部門も同居しています。
なお、全国の税関では主要な港15か所に大型X線検査装置が配備されていますが、東北地方唯一の大型X線検査装置(仙台コンテナ検査センター)は当支署の検査部門が運用しています。
旧塩釜税関支署は塩釜事務所として、次長以下、取締第1部門、取締第2部門(船舶職員を含む。)、審理部門が置かれています。取締第2部門は監視艇「しおかぜ」の運航のほか、他官署が管轄する海空港取締の応援業務も行っています。


2.管内の観光スポット・グルメ
(1)歴史の街 多賀城
当支署が所在する仙台市宮城野区の東隣、多賀城市*2は宮城県のほぼ中央、太平洋岸に位置しており、面積は19.69平方メートル、人口は約62,500人と規模は大きくありませんが大変歴史のある街です。
多賀城には奈良時代から平安時代にかけて陸奥国の国府(統治機能を持った行政組織)や鎮守府(兵士の駐屯や監督など軍政を司る組織)が置かれました。
多賀城跡(政庁跡)は奈良県の平城宮跡、福岡県の太宰府跡とともに日本三大史跡に数えられています。市域の1/4が遺跡になっているなど、古代の多賀城は東北の政治、軍事、文化の拠点でした。
国府には国の長官である守(かみ)を筆頭に、介(すけ。守の補佐)、大目(だいさかん)・小目(しょうさかん。作成した文書を審査)、史生(ししょう。文書の整理など)等、多くの役人がいましたが、このような役職の人たちは都から派遣されていました。こうした役人以外にも国の運営のために多くの人々が働いていましたが、文書を作ることに関係する役割が多かったそうです。古の時代から役所にとって文書が重要なものであることを示していると言えるでしょう。
鎮守府には各地から多くの人や武器、物資が集められ、政庁の警備や中央政権に従わない異民族の討伐にあたりました。陸奥国の鎮守府には他の国よりもかなり多くの兵団が配備されていたという説もあります。鎮守府の長官は鎮守府将軍を任命され、そのほとんどが陸奥守との兼任だったようです。
多賀城は神亀(じんき)元年(724年)*3、大野東人(おおののあずまひと)という武人により創建されましたが、東人は後に鎮守府将軍として多賀城を拠点に活躍しました。
なお、この原稿が皆さんの目に触れる令和6年(2024年)は、多賀城創建から1300年という記念すべき年にあたり、復元された多賀城の正門である南門の公開なども予定されています。東人以降の鎮守府将軍には、万葉集に最も多くの歌を残した歌人、大伴家持(おおとものやかもち)や、180cmの長身で黄金のあご髭を持ち、怒れば猛獣も倒れると言われた猛将、坂上田村麻呂(さかのうえのたむらまろ)などがいます。

写真: (多賀城跡)
写真: (復元南門(CG))

(2)門前町 塩釜
当支署の塩釜事務所は塩釜市内の合同庁舎に入居しています。塩釜は古くから塩釜神社の門前町として、また、世界三大漁場の一つ「三陸沖漁場」を抱える塩釜港を有する港町として栄えました。
〇塩釜神社
塩釜神社は陸奥国一之宮、主祭神は塩土老翁神(しおつちのおじのかみ)で、この地に製塩の技術を授けたと伝えられています。創建の正確な年代は明らかではありませんが、平安時代初期の文献にはその名前が確認されており、1200年以上の歴史があります。先にご紹介した多賀城の北東の方角(鬼門)に位置していることから、古代多賀城の鬼門除けの役割を担っていたのかもしれません。本殿などの建物は国の重要文化財に指定されていますが、表参道を通って参拝する場合、202段の石段を上ることになります(緩やかな坂道の東参道を上るルートもありますのでご安心ください)。
なお、塩釜神社の末社、御釜神社の御神体である「四口の神釜」は日本三奇*4の一つとされています。釜には水が張られ四方を壁で囲われていますが、屋根はなく吹きさらしになっています。ところがどのような天候でもその水が溢れることも干上がることもないそうです。また、世に異変があるときに水の色が変わるとも・・・。

写真: (鳥居と202段の石段)
写真: (塩釜神社)

〇グルメ
先ほど述べた通り、塩釜港は世界三大漁場の一つである三陸沖漁場を抱えています。水揚げされる魚種も量も非常に豊富ですが、生のマグロについては日本有数の水揚げ量を誇ります。クロマグロやメバチ、キハダ、ビンチョウの4種類が水揚げされていますが、塩釜では今、メバチマグロに力を入れています。
塩釜で水揚げされる生のメバチマグロのうち、秋口から初冬にかけて三陸東沖で延縄船によって漁獲され、目利き人(仲買人)により「鮮度」「色つや」「脂のり」「旨み」に優れているものとして厳選されたものだけが「三陸塩竈ひがしもの」というブランドで出荷されますが、その希少性は100本に1本だそうです。
メバチマグロ以外でも様々な魚種が水揚げされる塩釜は寿司の街としても知られており、数多くの寿司店が独自の技と味で競い合っています。
なお、塩釜港にある塩釜水産物仲卸市場は一般の人も入ることができ、様々な食材を卸価格で買うことができます。また、好きな魚介類を購入し、市場内の食事処で温かいご飯にのせて食べる「マイ海鮮丼」も人気です。
塩釜は酒蔵の街としても有名で日本酒鑑評会では多くの金賞を受賞しています。日本酒のお好きな方はご存じかもしれませんが、「浦霞」の醸造元である「佐浦」や「於茂多加男山」の醸造元である「阿部勘」は塩釜の酒蔵です。この2つの酒蔵は塩釜神社の御神酒酒屋として江戸時代に始まり、どちらも300年以上の歴史がありますが、今も塩釜神社の門前町地域に蔵を構え御神酒を奉納しています。

写真: (三陸塩竃ひがしもの)
写真: (寿司)
写真: (塩釜水産物仲卸市場(外観))
写真: (塩釜水産物仲卸市場(場内))
写真: (佐浦)
写真: (阿部勘)


3.カスタム君
最後に税関のイメージキャラクター「カスタム君」*5をご紹介します。カスタム君は、麻薬探知犬をモデルとした税関イメージキャラクターです。着ぐるみもあり、各地の税関展などでは子供から大人気です。
税関は令和4年(2022年)に発足150年を迎えましたが、これを機に横浜税関では、管内各地区を管轄する税関支署などでご当地カスタム君を作りました。
当支署は宮城県を管轄していることから、宮城が誇る大スター、仙台藩初代藩主「伊達政宗」公をモチーフにした「まさむねカスタム君」を作製しましたので、これを皆さまに紹介して筆をおきたいと思います。

写真: (カスタム君)
写真: (まさむねカスタム君)
・参考資料
多賀城市ホームページ
志波彦神社・鹽竈神社ホームページ
・写真提供
宮城県観光プロモーション推進室
仙台塩釜税関支署有志職員


伝統文化と国際色豊かなまち

沖縄地区税関 沖縄税関支署 統括審査官 佐久川 忠


1. はじめに
当支署は、1972(昭和47)年5月の本土復帰時に旧コザ市にコザ税関支署として設置され、その後、1974(昭和49)年に旧コザ市と美里村が合併して沖縄市となったことから、現在の沖縄税関支署と改称され現在に至っています。
管轄区域は、設置後、沖縄本島の宜野湾市、北中城村以北の4市、4町、9村であったが、2023(令和5)年度機構改正で7月1日より、沖縄市(キャンプ瑞慶覧を除く)、うるま市、国頭郡のうち金武町、中頭郡のうち嘉手納飛行場となっております。
管轄区域には、極東最大の米空軍基地である嘉手納飛行場のほか、米海兵隊基地であるキャンプ・ハンセンなどが点在しており、駐留米軍に関する業務(非公用軍事郵便物の検査及び犯則事件処理、米軍物資の譲受貨物の通関等)が大きなウエイトを占めています。また、東海岸には、リサイクルポートとして指定された中城湾港や、石炭火力発電所が点在している金武湾港があり、輸出については、鉄鋼、金属くず等が、輸入については、火力発電所用の石炭が、輸出入総額の大半を占めています。

写真: (管轄区域図)


2. 新庁舎への移転
当支署は、沖縄市胡屋十字路沿いに庁舎がありましたが、沖縄県の都市計画事業の一環として、隣接する道路の拡張工事が着手されることとなり、敷地面積の約半分が道路用地となっていたことから、庁舎があった場所から斜め後方の道路から少し離れた代替地に新庁舎を建設のうえ移転することとなったため、2020(令和2)年に民間施設内に一旦仮移転した後、2022(令和4)年12月新庁舎が完成したことから、2023(令和5)年1月に移転しました。なお、仮移転前から別庁舎で業務を行っていた監視部門も新庁舎に移転し、支署創設以降初めて審査部門及び審理部門と同一庁舎内へ集約し、真新しく快適な環境において業務を行っています。

写真: (沖縄税関支署新庁舎)


3. 管内の見どころ・話題
〇 エイサーのまち
沖縄市はエイサーのまちとして知られています。エイサーは旧盆の時期に踊られる本土の盆踊りに当たる伝統芸能のひとつですが、沖縄県内の各地域でそれぞれ地域伝統の踊りを継承しており、旧盆の時期に各地域内を練り歩きます。
エイサーが最も盛んな地域である沖縄市では、毎年旧盆の翌週末に県内最大のエイサーイベントである「沖縄全島エイサーまつり」がコザ運動公園内陸上競技場及び胡屋十字路周辺を会場として3日間に渡り開催され、延べ30万人あまりの観客動員数を誇ります。県内各地から選抜された青年会や団体のエイサーは踊り方や衣装も違っていて、見ていて飽きません。新型コロナウイルスの影響で4年ぶりの開催となった昨年のまつりには過去最多の36万人の観客が訪れ、本場のエイサーの醍醐味を存分に味わい、大いに盛り上がっていました。

写真: (沖縄市のエイサーキャラクター(エイ坊とサーちゃん))
写真: (沖縄全島エイサーまつり)

〇 沖縄アリーナ
プロバスケットボールBリーグB1西地区所属の琉球ゴールデンキングスのホームアリーナとして知られる沖縄アリーナは、コザ運動公園内に2021(令和3)年2月に完成した多目的アリーナです。プロスポーツやコンサートなどで約1万人が収容できる施設で、すり鉢状に配置された観客席はどこからでもコートやステージが見やすく、近くに感じられるのが特徴となっており、また、天井からは510インチの大型ビジョンが吊り下げられ、多種多様なイベントでの演出に活用できるようになっています。
昨年、フィリピン・インドネシアとの共催で開催された「FIBAバスケットボール・ワールドカップ」の日本の会場として使用され、男子日本代表チームがフィンランドと対戦し、大逆転勝利を収め、ワールドカップで17年ぶり、欧州勢からは初勝利を挙げる活躍を見せた大会は、パリオリンピックの予選も兼ねていたことから、日本がアジア勢の最上位国となり、48年ぶりに自力での出場権を獲得しました。日本に興奮と感動を与えた大会はテレビ中継され、映像や音響、照明設備が充実したアリーナの素晴らしさも伝わったのではないでしょうか。

写真: (沖縄アリーナ)
写真: (FIBAバスケットボール・ワールドカップ)

〇 闘牛が最も盛んなまち
うるま市は、沖縄県で「闘牛が最も盛んなまち」として知られています。「闘牛」と聞くと「スペイン」を思い浮かべるかもしれませんが、日本における「闘牛」はスペインのように人と牛が闘うのではなく、牛同士を闘わせる競技です。円形の闘牛場で重量1トン以上もある牛と牛がぶつかり合う、まるで格闘技を観るような迫力のある勝負で、どちらかの牛が戦意を失い、逃げ出したほうが負けとなります。
沖縄では闘牛のことを「ウシオーラセー」と言い、大衆娯楽として多くの人々に親しまれてきたイベントで、うるま市石川多目的ドームは、2007(平成19)年5月に県内初のドーム型闘牛場として完成し、県内最大規模の「全島闘牛大会」を含め年間約20回の闘牛大会が開催されています。

写真: (闘牛大会)

〇 美らヤシパークオキナワ・東南植物楽園
1968(昭和43)年3月、沖縄市に開園した日本最大級の屋外植物園で、日本では珍しい約1,300種類の以上の貴重な植物が鑑賞できる植物園です。見どころの一つとして、長い歴史の中で作り上げられたユスラヤシの並木通りで、天空に向かって一斉に伸びるヤシ並木は圧巻です。また、毎年10月下旬から5月下旬までイルミネーションを開催しており、昨年第1回インターナショナルイルミネーションアワード「イルミネーションイベント部門」で全国2位を受賞した「輝く南国の花たち」をテーマにしたイルミネーションを楽しむことができます。

写真: (ユスラヤシの並木通り)

〇 海中道路
うるま市の東側にある勝連半島から平安座島を全長約5kmで結ぶ道路が海中道路です。海中道路とは言っても、海の上にある道路で、1972(昭和47)年4月、米国の石油会社が平安座島に石油基地を建設した見返り事業等として、勝連半島と平安座島との間の海域の浅瀬に堤防(土手)を築き、その上に造られた道路として開通しました。その後、地元に譲渡された後、県道となり、改良工事が進められ、1999(平成11)年3月に現在の4車線化と道路の中ほどにロードパークが完成し、海水循環のための橋も長いものに架け替えられました。
海中道路は、目線とほぼ同じ高さで両側に遠浅の海を見ることができ、より海を近くに感じることから、勝連半島から平安座島、その先の宮城島、伊計島と続くルートは、人気のドライブコースとなっており、筆者もよくドライブを楽しんでいます。
写真: (海中道路)

〇 グルメ
沖縄県民のソウルフードであるタコライスは、タコスの具である甘辛く調味されたミートと、千切りのチーズ、レタス、トマトをご飯の上に乗せたもので、ピリ辛のソースをかけていただきます。
金武町には、元祖タコライスのお店があります。現在は、県内に数店舗展開していますが、本店は米海兵隊基地キャンプ・ハンセンの向かい側の飲食店街の中にあり、地元客のほか、観光客や米軍人がひっきりなしに訪れます。タコライスはフードパックで提供されていますが、溢れるほどの「てんこ盛り」でボリュームがあり、食べきれない方もいらっしゃるほどですが、大食漢な筆者は、ピリ辛のソースに食欲が刺激され、美味しくいただくことができました。また、かつて米軍基地の門前町として栄えた飲食店街は、アメリカンでレトロな街並みが広がっており、その雰囲気を味わいながら、散策することもおすすめです。

写真: (元祖タコライス)


4. おわりに
管内の各地域は、伝統芸能が盛んなまちで、エイサー文化等の更なる発展に取り組んでいます。一方、米軍基地を多く抱える事情などから、国際色が豊かであり、那覇市とは違い、独特の雰囲気があるまちです。今回紹介した以外にも魅力的な場所や祭りが沢山ありますので、沖縄にお越しの際は、足を運ばれてはいかがでしょうか。

(写真提供、参考資料)
・沖縄市役所
・うるま市役所
・一般財団法人うるま市観光物産協会
・株式会社東南植物楽園
・沖縄アリーナ株式会社

*1) 仙台空港税関支署は、当支署の仙台空港出張所が平成13年(2001年)7月に支署に昇格し独立した。
*2) 多賀城市には公務員宿舎がある関係でこの街に住んでいる職員は多い。
*3) 平成10年に国の重要文化財(古文書)に指定された多賀城碑(高さ248cm、最大幅103cmの石碑)には140の文字が彫られており、多賀城が神亀元年(724年)に完成したことが記されている。日本全国に68か所あったとされる国府のなかで唯一創建年が明らかな国府である。
*4) 日本三奇は諸国を旅した江戸時代の医師、橘南谿(たちばななんけい)の著書。この書物で3つの奇跡を紹介しており、残りの2つは兵庫県高砂市の「石の宝殿」と宮崎県高原町の「天の逆鉾」。
*5) 英語で税関をCUSTOMS(カスタムス)ということから名付けられた。