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ファイナンスライブラリー

評者 渡部 晶

田中 秀明 著
「新しい国民皆保険」構想 制度改革・人的投資による経済再生戦略
慶應義塾大学出版会株式会社 2023年9月 定価 本体2,700円+税


本誌の読者であれば、表題の「国民皆保険」という文言については、日本が1961年に達成したという高らかな解説を何度となく目にしていることだろう。これについて著者は、1955年のスウェーデンに始まった北欧諸国の国民皆保険体制が単一制度で包括的に一律に国民の健康を保障しているが、日本のそれは似て非なるものであり、八つの医療保険からなる「分立型国民皆保険体制」であることを指摘し、原理的に無理があるという。
また、詳細な国際比較の中で日本が位置づけられるのは、「ビスマルク型社会保障」である。これは、(1)被用者と一部の自営業者を対象とする社会保険、(2)社会保険へのアクセスは保険料の事前拠出に基づく、(3)給付は原則として過去の拠出額に比例して現金で提供される、(4)サービス給付は限定的、(5)実施面では、政府というより準公共が中心であり、社会的パートナーが資金の管理に責任を有する、などが伝統的な特徴としてあげられるという。この社会システムは、男性の産業労働者に対して、労働者としての地位や所得を保障することを主な目的としていて、基本的には保険原理が重視され、所得再分配を目指すものではないのだ。福祉国家の新しい機能や役割(新しいリスク)に関する拠出は、「社会保険料の引上げは比較的容易であるものの、新しいリスクに対応するためには一般財源が必要であり、増税は政治的に難しいから」全体的に脆弱なのだ。本書では、ビスマルク型社会保障に分類されるドイツ、フランス、オランダに特に焦点を当て、新しいリスクに対する伝統的なモデルの軌道修正を詳細に論じている。日本においても、一般財源の投入により少子化対策や非正規対策などが拡充されているが、フランスなどと比べると見劣りすると指摘する。
著者は、現在、明治大学公共政策大学院教授。1985年に大蔵省に入省し、予算・財政投融資・自由貿易交渉・中央省庁改革等に携わり政府部内で様々なキャリアを経たのちに現職についた。本誌ライブラリーでは、単著『日本の財政』(中央公論新社 2013年8月)を2013年10月号にて紹介した。最近では、2022年2月号にて、著者が監修をした『破たんする?まだいける? ニッポンの財政(元財務官僚が本当のことわかりやすく教えます)』(スタンダーズ株式会社 2021年8月)を紹介している。
本書の構成は、まえがき、第1章 先進国が直面する社会保障の問題、第2章 社会保障制度の発展・改革過程と現状、第3章 ビスマルク型社会保障の変容、第4章 社会保障制度改革の国際比較、第5章 社会保障制度の改革―「新しい国民皆保険」構想の基盤、第6章 人的投資の拡充、第7章 税・保険料の一体改革と財源の確保、終章 少子高齢化を乗り切るための戦略、あとがき、などとなっている。
今回本書で提起された社会保障に関する改革案は、人的投資も含めた包括的な問題提起である。詳細は本書に譲りたいが、基礎年金、医療保険、介護保険、雇用保険・労災保険、社会的投資、所得税、財源の確保、の8項目について具体的に行われている。著者が各国の制度を詳細に丁寧に分析して、日本との比較を行った上でのものであり、その提言には説得力がある。まえがきで「日本の社会保障制度や税制は複雑であり、専門家でもわかりにくい」と感じたとし、しかし、「社会保障は国民の生活にかかわる問題であり、どの国でも改革は難しい。しかし、われわれが理解できないことは改革できない」というのは至言だ。さらに、著者は日本の問題を政策形成過程にあると喝破する。第4章第3節政策形成のガバナンス、第4節主要国のガバナンスの比較での日本における「コンテスタビリティ」のあまりの低さをはじめとする著者の洞察・指摘についての読後感は極めて苦いものだ。「良薬口に苦し」という。この問題に関心のある方々に広く一読をお勧めしたい。