このページの本文へ移動

ファイナンスライブラリー


評者 渡部 晶

前田 裕之 著
データにのまれる経済学 薄れゆく理論信仰
日本評論社 2023年6月 定価 本体2,200円+税


本書は、著者曰く、「経済学の実証分析を概観した本で、経済理論を概観した『経済学の壁』(白水社、2022年8月刊)の姉妹編の位置づけ」とする。そして、「2021年6月末に日本経済新聞社を退社した後、自主研究の土台を作る目的で経済学の理論と実証について勉強し直し」て、2冊の本になったという。著者は、東京大学経済学部卒で、現在、学習院大学客員研究員、川村学園女子大学非常勤講師、NIRA総合研究機構「政策共創の場」プロジェクト・パートナー。主な著書に『ドキュメント銀行 金融再編の20年史―1995-2015』、『実録・銀行』『経済学の宇宙』などがある。
日経新聞在籍時の読書欄コラム『活字の海』での数々の名コラムが記憶に残る本誌読者も多いと思う。個人的には、2018年9月29日付朝刊に掲載された「ケインズ経済学を再構築、大瀧雅之氏が死去~『学者の説明責任』貫いた生涯」が記憶に残る。本年1月から日経BOOKプラス(読書をテーマとする日経グループの無料サイト)で、「経済学の本棚」(https://bookplus.nikkei.com/atcl/column/122100175/)を連載中である。
本書の構成は、はじめに、序章データの波にのまれる経済学界、第1章ノーベル経済学賞と計量経済学、つかず離れずの歴史、第2章主役に躍り出た実証分析、第3章因果推論の死角、第4章RCTは「黄金律」なのか、第5章EBPMの可能性と限界、第6章消えゆくユートピア、おわりに、となっている。
「はじめに」で、著者は「理論と実証」のはざまで苦闘してきた経済学者たちの足跡を追いつつ、経済学の草創期から現在に至るまでの実証分析の全体像を描く、と述べる。
序章では、世界の経済学の潮流の変化(理論から実証へ、マクロからミクロへ)の波が日本にも押し寄せている状況を描く。第1章・第2章は本書のほぼ半分の分量を費やす。理論経済学、計量経済学、応用経済学の3本柱の位置づけを整理し、「ルーカス批判」による伝統的なケインズ経済学の退場、マクロ計量経済学の隆盛が終わりを告げたことが叙述される。そして、その中で、実物的景気循環(RBC)理論から「動学的確率的一般均衡」(DSGE)モデルへ発展したが、改良を重ねるマクロモデルについて、岩井克人氏は「プトレマイオスの天体論」と表現したことにふれる。マクロ時系列分析という新たな手法の台頭、カリブレーションという計測手法をもとに、理論構築とデータ分析に邁進しているとする。
また、ミクロ実証分析の動きを追うが、キーワードは「信頼性革命」である。これは、RCT(ランダム化比較試験)や統計的因果推論の興隆を指す言葉だが、これにより、理論を実証によって検証するという「理論と実証」の関係も大きく変わったとする。
第3章は、ギリシア哲学に遡り、「因果推論」が哲学と密接にかかわる問題であることを丁寧に叙述する。そして、ヒュームに由来する論理実証主義の興隆にふれる。どんな仮説や方法論を打ち出せば、推論を正当化できるか、という問題意識なく、データ分析や機械学習が行われていくことに警鐘を鳴らす。
第4章は、RCTに取り組む人々(ランダミスタ)について詳しく検討を深めている。医療での実績から各分野への応用が進んでいる現状を解説する。ここで、RCTにより、マイクロクレジットの有効性に問題があることが判明したこと、貧困対策のモデルとしての「プログレサ」の紹介などが目を引く。また、デュフロらの既存の成長理論への不満なども興味深い。そして、経済成長のような抽象的な話ではなく、貧困の撲滅のような身近なテーマの解決に努めるべきとの主張にはかなりの説得力を感じる。第5章では、EBPMの先進国である英米の動向を紹介した上で、浸透しない「付け焼刃」的な日本の現状を批判する。ここでは行政データの活用が論点としてあげられる。第6章では、経済学界の中心にある新古典派経済学の根底にある市場に対する信頼という価値観から遠い、統計的因果推論、RCTや機械学習が新たなパラダイムを形成できなければ、経済学は漂流してしまう可能性があることを著者は指摘している。
財総研のランチミーティング(11月2日開催)で、演題「経済学はどこに向かうのか~理論と実証の250年史」で著者の講演が行われた。主流である新古典派経済学から「政府の介入」について実用的な理論を見出すことは難しく、政府・中央銀行の様々な取組みの必要性が示唆された。最近の「経済学の変貌」について一定の理解を得るために非常に有益な1冊である。関係者へ一読をお勧めする。