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ヘリコプターマネー批判のその先へ-現金給付政策をより良くするための制度設計について-

London School of Economics and Political Science 柄川 宥人*1


はじめに
私たちが日々生活している社会はしばしば深刻な経済危機に見舞われてきた。各国政府は経済危機が私たちの経済活動にもたらすショックを乗り越えるため、多様な経済政策を実施してきた。たとえば、2007年頃のサブプライムローン問題に起因する経済危機において、米国政府は需要を喚起すべくTax Rebateの形で現金給付措置を実施した。また、2020年頃に各国が直面した新型コロナウイルス感染拡大に伴う経済危機においては、日本で全国民へ10万円が給付された。このような現金給付政策は、経済危機に直面し、停滞した消費活動を喚起することで経済活動を動かすことができうる一定程度有効な手段である。他方、このような現金給付政策は、政府の債務状況に重い負担を強いることや、支給された現金が必ずしもすべて消費されないこと、各人の困窮状況に応じたきめ細かい給付ではないことから、いわゆる「ヘリコプターマネー」や「バラマキ」と揶揄されがちである。このように現金給付政策の効果が疑問視されてきたことから、給付措置が消費に与えた影響について途方もない数の研究が積み重ねられてきた。本稿では、2008年に米国で実施された給付措置についての研究と2022年にフランスで実施された経済実験を読み解きつつ、どのような制度設計をすればより良い政策になるのかについて考えてみる。


米国で2008年に実施された現金給付政策の仕組み
米国の現金給付政策を定めたEconomic Stimulus Actは2008年1月に議会を通過した(以下「2008年給付」とする)。2008年給付の大まかな内容は、2007年の確定申告の情報をもとに計算された所得税の金額に応じて、1人当たり300ドルから600ドルのBasic paymentのほか、子供1人あたり300ドルのSupplymental paymentを給付するものであった。この2008年給付は一般にTax rebate(税金還付)と呼ばれることが多いが、実質的には景気悪化に備えて投資や消費を喚起するために実施された現金給付政策である。一定以上の収入を有する国民は、収入額に応じて段階的に支給額が減じていく仕組みになっており、より打撃を受けていると想定される低所得者層に手厚い形で制度が設計されていた。米国全体で見たときの支給金額は1兆ドル弱(当時のGDP比では約2.6%)で、2008年第二四半期に788億ドル、第三四半期に150億ドルが支給された。
具体的な執行方法について、2007年の確定申告による所得税の還付金を銀行振込(direct deposit)で受け取った国民は2008年給付においても銀行振込で受けとることができ、そうでない国民は2007年の確定申告時に登録した住所に小切手(paper check)が送られてくる仕組みになっている。この銀行振込及び小切手の郵送は2008年5月から7月にかけて毎週実施されていったところ、各人が給付される具体的な日程は、受給者の社会保障番号(Social Security Number)の下二桁に応じてランダムに決定された。この給付の日程をランダムに決定する仕組みは、後に触れる研究のリサーチデザインを可能ならしめている。


Broda and Parker(2014)が行った検証
Broda and Parker(2014)は2008年給付がどれだけ消費に回ったかを検証したものであり、その後の同種の研究においてパイオニア的な研究*3である。Broda and Parker(2014)は受給者の消費行動を測定するため、2008年の21,760世帯のデータで構成されたNielsen’s Consumer Panel(NCP)を用いた。NCPは調査に参加している消費者が購入した商品のバーコードを自身で逐次読みとることで、どのような属性の消費者がどのような商品にどれだけの金額を消費しているか捕捉する調査である。NCPの調査の対象となる財は食料品等の非耐久消費財であり、これらの財は家計の消費額全体の約15%をカバーしているとされる。Broda and Parker(2014)は2008年給付が耐久消費財を含んだすべての財における消費活動に与えた影響を捉えるため、先行研究で提示されている複数の手法を使い、NCPを用いて得られた非耐久消費財の消費における政策効果をスケーリングすることで最終的な政策効果を導いた。
Broda and Parker(2014)は上記のデータをもとにDifference in Difference(DID)という手法を用いて消費に与えた影響を検証した。DIDの基本的な考え方は、政策効果を受けた人と受けなかった人を比べて、その差分が政策の効果によるものと推定する至ってシンプルなものである。他方、この方法が政策効果を識別するためには、政策効果を受けた人がランダムに選ばれていなくてはいけない。たとえば高等教育の効果を図るために高等教育を受けた人と受けなかった人の収入を無造作に比べても、高等教育を受けた人は概して両親の所得や教育水準が高いので公平な比較にならない。2008年給付においては社会保障番号の下二桁に応じて給付のタイミングが決定されたことを利用して比較の公平性を担保している*4。


2008年給付はどれくらい消費に回った?
Broda and Parker(2014)は、2008年給付が各人に到達した後3ヶ月の間に、給付された金額のうち平均して50%から74%が消費に回るという見解*5を示した。この見解は直感的には比較的高い割合であるように思える。なお、「50%から74%」という幅の広さは、先述したNCPを使って測られた非耐久消費財における効果を全体の財についてスケールする際にどの手法を用いたかによって生じたものである。また、本研究では取り崩せる貯金が十分にある世帯とない世帯をアンケート*6によってグループ分けし、十分な貯金を持たない世帯は十分な貯金を持つ世帯の2倍以上の金額を消費に回すことを示した。このように、どのような世帯が現金給付の効果を大きく受けるのかについて理解を深めることは、現金給付の対象世帯を一定の条件を満たす世帯に制限するなどのアイデアにつながる。
以上の通り、Broda and Parker(2014)は2008年給付について比較的高い政策効果の存在を示唆した。他方、Borusyak et al(2023)は、従来の手法がはらむ統計的な問題点を指摘し、実際は同研究が示唆した政策効果の半分程度しかなかったと指摘した。Borusyak et al(2023)は、まず2008年給付のような政策の効果が政策の実施時点から時間の経過に従って変動することを改めて指摘した。確かに、直感的にも実証研究の結果を見ても、現金給付の直後が最も消費に与える効果が大きく、時間が経つにつれて効果が小さくなっていく傾向にあることは共通見解といえよう。次に、Staggered DIDを用いてこのような性質を持つ政策の平均的効果を計算すると、短期的な政策効果に強くバイアスのかかった平均的効果を計算してしまうことを示した。つまり、Broda and Parker(2014)の提示した「50%から74%」という検証結果は、正しい値より高い方向にバイアスがかかっているのではないかということである。
上記の点を踏まえ、改めてBroda and Parker(2014)が使用したものと同じデータを用いて2008年給付の効果を再検証した結果、2008年給付が各人に到達した後3ヶ月の間に消費に回った金額は平均して24.8%から36.6%に過ぎないという元の研究結果を大きく下回る結果*7を示した。2014年と2023年の両研究から得られる示唆として以下の2点が挙げられる。1点目は、単純に現金を給付するだけではそのうち半分も消費されないということ。統計的・技術的な手法によって検証結果はそれなりにブレるものの、給付後3ヶ月間の政策効果の相場感は現時点で30%程度であろう。2点目は、質の高いデータを用いた事後検証を実施することが継続的な批判的検証につながるということ。Broda and Parker(2014)が示した検証結果は不正確であることがBorusyak et al(2023)で明らかにされたものの、見方を変えれば当時信頼性の高いデータを収集したおかげで検証の手法を発展させることができたとも言える。他方、現金給付政策の効果は薄いと結論つけることは早とちりであり、給付政策の制度をうまく設計することで現金給付の効果を大きく向上させることができることを示したフランスの経済実験を見てみよう。


政策をうまく“設計”すれば効果が上がるかも?
Boehm et al(2023)は、2022年5月から10月にかけて、フランスの商業銀行であるクレディ・ミュチュエル・アリアンス・フェデラルに口座を保有する約1000人をランダムに選択し、300ユーロのプリペイドカードを実際に配布する実験を行った。なお、このカードの配布対象者の抽出にあたっては、フランス国民からランダムに選ばれたと言えるようにするため、居住地や年齢などの属性を加味している。このカードの使用履歴や配布対象者が保有している銀行口座の出入金記録、配布対象者へのアンケート結果を通じて、カードの受領からどれだけの時間経過で、どれだけの金額が何に消費されたかを計測した。この実験において配布されたプリペイドカードは3種類*8あり、1つ目はカードの配布から3週間経つとカードを使った決済ができなくなるもの、2つ目は週ごとに10%の「金利」が差し引かれるカード、3つ目はこれらの仕組みがないカードである。Boehm et al(2023)は、これらの3種類のカードを受領した個人がどのように消費行動を変化したかを観察し、比較することで、政策の制度設計が大きく政策効果を高めることができることを示した*9。
実験の結果、各カードの配布後4週間以内に消費に回った金額は、消費を後押しする仕組みを施していないカードを受領した場合は70ユーロ(23%*10)、使用期限を付したカードを受領した場合は183ユーロ(61%)、マイナス金利を付したカードを受領した場合は106ユーロ(35%)であった*11。この結果は、現金給付政策の実施にあたって給付金に使用期限を付することで政策の効果を2倍以上高めることができることを示唆している。
また、各カードの配布後3ヶ月後に消費に回った金額について世帯の特徴別に見ると、資産が少ない世帯・直近の所得が少ない世帯・生涯所得*12が少ない世帯・高齢世帯・男性が現金給付後に消費をより大きく伸ばすことを示した*13。その上で、これらの特徴のうち世帯の年齢や受給者の性別といった特徴がより大きい説明能力を有することも示した。例えば男性が消費した平均額は40%に及ぶにもかかわらず、女性はほぼ0%に留まる。最も高齢のグループが消費した平均額は60%に及ぶが、最も若年のグループは0%に留まる。論文内で指摘されているように、現金給付の対象世帯を性別や年齢を用いて制限することは公平性の観点から問題があるが、広報や手続的な面での重要なヒントであると言える。
さらに、Boehm et al(2023)では、いずれかの仕組みを施したカードを受領した場合、衣服などの半耐久消費財や家具や電化製品といった耐久消費財の購入に対して多く消費されていることも明らかにした。短期間に給付金を消費しきるインセンティブがある中では、日用品のような比較的安価な財以外のものを買う方向に流れやすいと解釈できる。従来から現金給付政策をめぐる議論において、日用品の消費に使われるだけでは貯蓄に回っているのと変わらないという問題意識のもと、給付金の用途を限定するべきという主張があるが、3週間程度の使用期限やマイナス金利を付与することで、日用品の買いだめやランニングコストへの充当に対して一定の歯止めをかけることができることを示唆している。
Boehm et al(2023)の示した上記の結果を2020年に日本で実施された10万円一律給付政策に思い切って応用してみることで、政策の制度設計によるインパクトを共有することができるかもしれない。本研究が2020年の日本の経済情勢において支給金額に問わず妥当すると仮定すると、日本全体で給付された約12兆円のうち、23%である2.76兆円が実際に消費に回ったと考えることができる。仮に、同様の規模の消費を喚起することを政策目標として設定するならば、給付金に対して3週間の使用期限を付することで、2.76兆円/0.61=4.52兆円(1人あたり3.76万円)だけ給付すれば同様の政策効果を達成できると試算できる。受給者が消費するインセンティブに働きかける仕組みを実装するためには給付システムの整備や民間企業との協調が必要となりうるが、およそ数兆円が浮いて他の政策に使えると考えれば安いものだろう。


おわりに
以上で紹介した一連の研究が示すように、現金給付がどれだけ消費に回るかを特定することは難しい問題であり、統計的に厳密になればなるほど、高い政策効果が存在することを主張することは困難になっていく。他方、現実的に考えれば、今後私たちが生活する社会が経済危機に見舞われた際、政策効果が薄いという理由だけで、いかなる形でも現金給付政策は実施しないということはあり得ないことも事実である。ということは、支給された現金がより消費に回りやすくなるような制度設計を考え、マイナンバー制度の普及や中央銀行デジタル通貨の研究が進んだ暁に実装できるようなインフラ作りを今日から進めておくのが、長い目で見た最適な解であることを昨今の研究結果が示唆しているといえよう。

参考文献
Boehm, J., Fize, E., & Jaravel, X.(2023). Five Facts about MPCs:Evidence from a Randomized Experiment.(under review on Nov 26).
Borusyak, Jaravel, X., & Spiess, J.(2023). Revisiting Event Study Designs:Robust and Efficient Estimation. arXiv.org. https://doi.org/10.48550/arxiv.2108.12419
Broda, & Parker, J. A.(2014). The Economic Stimulus Payments of 2008 and the aggregate demand for consumption. Journal of Monetary Economics, 68, S20–S36. https://doi.org/10.1016/j.jmoneco.2014.09.002
Crandall-Hollick, M. L.(2020). COVID-19 and direct payments to individuals:how did the 2008 recovery rebates work?([Library of Congress public edition].). Congressional Research Service.
Miller, D. L.(2023). An Introductory Guide to Event Study Models. The Journal of Economic Perspectives, 37(2), 203–230. https://doi.org/10.1257/jep.37.2.203
Parker, Souleles, N. S., Johnson, D. S., & McClelland, R.(2013). Consumer Spending and the Economic Stimulus Payments of 2008. The American Economic Review, 103(6), 2530–2553. https://doi.org/10.1257/aer.103.6.2530
内閣府.(2023).特別定額給付金が家計消費に与えた影響 -リアルタイムに記録される家計簿アプリデータを活用した分析-.政策課題分析シリーズ第22回.

図表1. 給付のタイミングの決定方法*2
図表2. カードタイプ別の平均消費割合

*1) 本稿内の意見に関する部分は筆者の個人的見解であり、筆者の所属する組織の見解を表すものではありません。本稿の記述における誤りは全て筆者によるものです。また本稿は、本稿で紹介する論文の正確性について何ら保証するものではありません。本稿執筆につきご助力いただいたXavier Jaravel氏に感謝申し上げます。
*2) Broda and Parker(2014)Table 1を参照
*3) Parker et al(2013)も2008年給付に関する類似の研究であり、米国政府のBureau of Labor Statisticsが実施しているConsumer Expenditure Surveyを利用している。
*4) 2008年給付のような政策が順々に実行されるため政策効果を受けていない人が最終的に存在しなくなる場合、staggered DIDやEvent studyと呼ばれる種類のDIDを用いる。
*5) Broda and Parker(2014)Table 5 Panel Aを参照。
*6) 2ヶ月分の収入に相当する現金あるいは現金化可能な資産があるかという二択式のアンケートを実施した。約36%の世帯がないと回答。
*7) Borusyak et al(2022)Table 3の2行目を参照。
*8) いずれの種類も受領後6ヶ月後に使用不可となり、使い切らなかった残高は、期限付きのカードを除いて、自身の口座に移る。
*9) 類似の政策として、2021年に北アイルランドで100ポンドのプリペイドカードが約2ヶ月の使用期限付きで給付された。
*10) 日本のコロナ給付金に関する内閣府(2023)の研究結果と近い数値である。
*11) Boehm et al(2023)Figure 5 Panel Aを参照。
*12) 生涯所得の指標として、受給前1年間の平均月間消費額を使用していることに注意。
*13) Boehm et al(2023)Figure 5 Panel 9,10を参照。