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国の危機管理最前線~工学、法学、そして経済学の出番~

財務省大臣官房財政経済特別研究官・名古屋大学客員教授 佐藤  宣之
 
 
1. はじめに
国の危機管理とは、内閣法において「国民の生命・身体・財産に重大な被害が生じる(おそれがある)緊急事態の対処と発生防止」と規定される。そうした緊急事態は様々な内容がありうるが、実務上は(1)武力攻撃事態、(2)自然災害、(3)原子力災害、(4)感染症の4つに分類されることが多い。
国の危機管理体制は、緊急事態の内容に応じ、5つの「実動機関所管省庁」(警察庁、消防庁、国土交通省、海上保安庁、防衛省)、原子力規制委員会及び各府省庁の危機管理担当等がそれぞれの所掌に関して分担して対応しつつ、内閣官房(事態対処・危機管理担当、本年9月発足の内閣感染症危機管理統括庁)及び内閣府(防災担当)が政府全体の見地から総合調整等を行う、という体制となっている。
本稿では、先ず財務省の危機管理担当の概要を紹介し、次に首都直下地震と首都風水害を題材として国の危機管理の現状と課題をできる限り具体的に論ずることとしたい。なお、本稿は筆者の財務省大臣官房審議官(危機管理担当)、NEXCO東日本監査役等としての職務経験を踏まえたものであるが、意見にわたる部分は筆者の私見であり、また事実誤認等の不備不足は筆者の責めに帰する。
 
 
2 財務省の危機管理担当
「危機管理ライン」
財務省の危機管理担当は、大臣官房総合政策課政策推進室の「危機管理ライン」(現行は室長、課長補佐1人、係3人の計5人)で構成され、危機管理ラインを大臣官房審議官(危機管理担当)が束ねる。
緊急事態はいつどのように発生するかわからないので、危機管理ラインは緊急事態の発生や内閣官房など財務省内外からの連絡指示に備え、24時間365日即応態勢を交替で採らざるを得ない。緊急事態の内容も様々あり、財務省が深く関わることもある。例えば新型コロナウイルス感染症の拡大当初の令和2年春には、中国武漢市からの帰国者や大型客船ダイヤモンド・プリンセス号の乗客乗員の健康観察期間中の宿泊施設として、税務大学校和光校舎の学寮を貸与した。
危機管理ラインの財務省職員向けの業務として、防災の日(9月1日)前後の財務省災害対策本部訓練及び安否確認訓練、職員階層別コンプライアンス研修の一メニューとしての危機管理研修などがある。
危機管理ラインの企画立案面の業務となるのが財務省業務継続計画(以下「財務省BCP」)の見直しとなる。政府業務継続計画(首都直下地震対策)(以下「政府BCP」)は、首都直下地震発生時における「非常時優先業務」(非常時でも中断することが許容されない政府業務)の考え方など政府全体の業務継続の骨格を定める。財務省BCPは政府BCPに基づき、財務省の非常時優先業務(代替庁舎立ち上げ、輸出入通関、金融市場対応など)を選定しこれに必要な執行体制、執務環境等を定めている。令和2年6月には、激甚化する豪雨災害を踏まえて財務省BCPとは別個に財務省業務継続計画(風水害等版)(以下「財務省風水害等版BCP」)を策定した。
財務省BCPの直近の改正は本年4月に行われ、内容面では幹部・管理職員の主体的関与、帰宅困難者等の受け入れ、女性・障害者等の参画・意見反映、テレワークを踏まえた初動体制精査など、また形式面では財務省風水害等版BCPの財務省BCPへの統合など、多数の重要な修正を施した。
過去の改正は軽微な修正も含め1年~3年ごとに行われているのに対し、平成30年6月の前回改正から今回改正まで5年弱も空いた。今回改正に時間を要した理由としては、新型コロナウイルス感染症への対応が錯綜・長期化して改正に対応する人員を割けなかったことに加え、テレワーク対応のように新型コロナウイルス感染症対応から得られた教訓をも改正に反映する必要があったことが大きい。
厳しい予算・定員事情のもと、危機管理ラインは少数精鋭で使命感に静かに燃えて日々任務に当たっている。1年間の感謝を込めて。
 
 
3. 首都直下地震
国の地震調査委員会は令和5年1月時点で、首都直下地震で想定されるマグニチュード7程度の地震の30年以内の発生確率は70%程度と予測している。
こうした中、首都中枢機能の維持を図り、国民生活及び国民経済に及ぼす影響を最小化するための鍵は何か。ここでは国土交通省東北地方整備局「東日本大震災の実体験に基づく災害初動期指揮心得」(以下「指揮心得」)でも「基本のキ」とされている「道路啓開(けいかい)」に焦点を当てる。
道路啓開とは、大規模災害時に道路の応急復旧を実施する前に、自衛隊や救急医療チームが被災地に入れるよう、最低限の瓦礫処理や簡易な段差修正等により救援ルートを確保することを指す。
東日本大震災での道路啓開は、国道を管理する国土交通省と東北道を管理するNEXCO東日本との連携により、南北方向の東北道と国道4号から、沿岸部に向けて東方向に伸びる何本もの国道を、救援ルート確保に向けて切り開く作戦が採られた。
この「くしの歯作戦」も現在は有名だが、当時道路啓開は道路に関わる職員にとっても稀な活動ゆえ日常意識されず、東日本大震災発災当時の東北地方整備局防災業務計画にも道路啓開への言及はなかったという。要は道路啓開も十数年前は「想定外」だった。
東日本大震災の経験を受けて、全国で道路啓開作戦を策定することとなった。首都圏の道路啓開作戦である「八方向作戦」とは、首都直下地震が発生した場合、都心部では幹線道路の深刻な渋滞等が発生し、緊急車両の移動が阻害されるおそれがあることから、関係機関が連携し、八方向(北、北西、西、南西、南、南東、東、北東)毎に発災後の迅速かつ的確な道路啓開を実施する作戦である。
八方向の道路啓開はどれも重要であるが、特別な意味を持つのが西方向の道路啓開と言えよう。政府BCPは、総理大臣官邸が使用できない場合、(1)中央合同庁舎第8号館、(2)防衛省、(3)立川広域防災基地の順序に従い移転すると定めるからである。
都心から西方向に適度な距離があり都心との同時被災が考えにくい立川広域防災基地は映画「シン・ゴジラ」のロケ地にもなった。総理大臣官邸機能が立川広域防災基地に移転すると、各省庁機能も庁舎の使用可否を問わず一斉に立川広域防災基地周辺に移転することが決まっており、財務省本庁舎機能は立川税務署等が入居する立川地方合同庁舎に移転する。
政府機能の立川広域防災基地への現実的な移転シナリオを立てなければならないのはなぜか。硬い地盤と耐震工事により総理大臣官邸及び各省庁庁舎の耐震性は確保され、また非常用発電機の燃料確保の取組により行政中枢機能の継続可能性は向上したとされる。他方で、庁舎の出入口閉塞、非常用発電機の故障など何らかの「原因事象」により都心部の庁舎が使えなくなるなどの「結果事象」にも備えなければならない。
さて、西方向の道路啓開は中央道、首都高4号新宿線、国道20号を組み合わせて発災後48時間以内に最低1ルート確保することを目標としているが、ここでネックとなるのが「火災」と「自動車」である。
先ず火災について。国土交通省の公表資料では全八方向について「木造密集地域が(広く)分布し大規模火災発生のおそれ」とし、特に西方向は「木造住宅密集地域を通過するため、火災の状況によってはどのルートも啓開できない可能性あり。」とあり、政府機能の立川広域防災基地への移転に不可欠な西方向の道路啓開ができない可能性を政府自らが公にしている。
次に自動車について。「指揮心得」は「東日本大震災では道路上に残された自動車の大半が海水に浸かり、ほとんど廃車状態であったため、その撤去は大きな問題にならなかったが、首都圏などの震災では、無傷の状態で放置された財産価値のある自動車が道路を塞ぐことになる。早期に交通確保を図る上で、その処理についての研究が必要である。」と指摘する。
この教訓は生かされ、平成26年災害対策基本法改正によって、緊急車両の通行を確保する緊急の必要がある場合、(1)道路管理者は区間を指定して緊急車両の妨げとなる車両の運転者等に対して移動を命令すること、(2)運転者の不在時等は、道路管理者自ら車両を移動しやむを得ない限度での破損を容認し補償も整備すること、(3)やむを得ない必要がある時、道路管理者は他人の土地の一時使用、竹木その他の障害物の処分が可能になることが措置された。
このように緊急車両の通行を確保するための法整備は進んだものの、首都圏の大量の自動車を想起すると、現実の実効性は果たしてどうだろうか。加えて、普及進行中の電気自動車が現行のガソリン車より大きく・重くなる傾向にあることも気になる。
 
 
4. 首都風水害
首都風水害は首都直下地震に比べ議論されていないきらいがあるが、首都機能への現実の脅威である。以下のカスリーン台風、流域治水の記述は内閣府(防災担当)発行の広報誌「ぼうさい」に多くを負う。
終戦直後の昭和22年9月に関東・東北地方を襲った「カスリーン台風」は、関東北部では土石流等の土砂災害を、東北地方と関東南部では河川の氾濫による大規模な浸水被害をもたらした。死者1000人超、行方不明者800人超、負傷者1500人超、住宅損壊約9300棟、浸水約38.5万棟、罹災者数40万人超の甚大な被害を記録している。
首都圏の浸水エリアは、埼玉県の東部から東京都の足立区東半分、葛飾区全域、江戸川区ほぼ全域に及んだ。この浸水エリアは、江戸の洪水対策と舟運発展とを目的とした利根川の東京湾方面から太平洋方面への付け替え前の旧利根川流域そのものである。
カスリーン台風を契機に法制やインフラの整備が進むに従い、大規模な水災の頻度は減少しているものの、ダムや堤防に守られていることで浸水リスクが高いエリアも住宅地として開発されるようになった。また、大都市近郊では地面はアスファルトやコンクリートで覆われるようになり、雨水は地中へ浸透せず、下水道と河川に集中している。
加えて近年では、気候変動の影響もあり、豪雨災害の激甚化・頻発化が目立つ。首都直下地震の場合と同様、首都中枢機能の維持を図り、国民生活及び国民経済に及ぼす影響を最小化するため、想定外の過酷な豪雨災害こそ想定しなければならない。
こうした状況に対応すべく新たに始まった「流域治水」とは、従来の河川管理者や下水道管理者による水害対策にとどまらず、河川の流域全体を俯瞰して、「集水域」(雨水が河川に流入する地域)から「氾濫域」(河川等の氾濫により浸水が想定される地域)にわたり、流域に関わる自治体や企業、住民など、河川流域に関わる者すべてで行う水害対策を指す。
流域治水の具体例として、集水域のダムや氾濫域の堤防の整備だけでなく、集水域の遊水地や雨水貯留施設の整備、氾濫域の住宅地の水害リスクに関する情報共有や移転促進などがある。政府も、関係省庁が垣根を越えて緊密な連携・協力を進めるべく「流域治水の推進に向けた関係省庁実務者会議」を立ち上げた。
しかしながら、氾濫域に比べ、集水域の動きは遅いといわれる。直接浸水被害を受けるわけではない集水域の大多数の居住者に、下流の氾濫域での浸水を自分事と捉えて対策を行うことをいかに理解してもらうのか。流域治水の普及に向けては、様々なルールづくりは勿論、集水域と氾濫域との交流や話し合いにより信頼関係を築くことも重要になる。
本稿の準備も兼ね、最近、利根川下流域の佐原エリアを視察した。満々と水を湛えた水面は大変に美しいが、危機管理の観点からは風水害の予兆と映る。
 
 
5. 工学、法学、そして経済学の出番
話は変わるが先日、名古屋大学の法学・経済学・工学研究科合同のSDPs(Super Degree Programs:明るい未来社会を創る「名大からの人」育成プロジェクト)の一コマを受け持って国の危機管理について講義する機会に恵まれた。
SDPsの趣意書は「人類が地球で暮らし続けていくために、2030年までに達成すべき17の目標としてSDGsがあります。その先に続く未来を考えた時、例えばエネルギー問題であれば、単に工学的な技術開発だけでなく環境学・経済学・法学・社会学・哲学など様々な学術分野を取り込んで問題解決を図る必要があります。そこでSDPsでは、2030年目標であるSDGsの視点を踏まえつつ、2050年のエネルギー・社会問題を見通せる眼力と問題抽出・解決能力の基礎スキルを備えた人財を育成します。」と謳っている。様々な学術分野を取り込んで問題解決を図ろうとするSDPsの理念が地震、風水害でも活用できないだろうか、つらつらと考えた。
地震も風水害も、すでに見た通り工学、法学のアプローチは行われている。経済学のアプローチとして、近年流行の「サステナブルファイナンス」(新たな産業・社会構造への転換を促し、持続可能な社会を実現するための金融:金融庁のサステナブルファイナンス有識者会議第三次報告書より)を活用できないか。
サステナブルファイナンスの一般的な特徴は環境・社会・ガバナンスへの配慮にあるが、サステナブルファイナンスの中でも最近特に注目されている「インパクトファイナンス」は、環境・社会・ガバナンスへの配慮にとどまらず、環境・社会・ガバナンス面の具体的な効果(インパクト)の創出を目的とする。また、収益を全く目的としない一般的寄付はインパクトファイナンスに該当しないが、収益が一般的な収益率を下回る(場合もある)ことは許容されるという。「首都中枢機能の維持を図り、国民生活及び国民経済に及ぼす影響を最小化する」ことがインパクトの名に値することは疑いないと信じる。
先ず首都直下地震について。住宅の耐火工事は現に進められているが一朝一夕には木造住宅は減らない。他方、首都圏の中でも東京23区では、バスを含めた公共交通機関のみで出勤・通学など生活上必須な移動は基本的に可能なので、特段の事情のない限りはマイカー保有者の心一つでマイカーを減らせそうである。議論のたたき台としての一案となるが、東京23区を対象に、マイカーの購入ローンの抑制と駐車場の無い・少ない住宅の購入ローンの促進とをセットにしたインパクトファイナンスを検討できないだろうか。
次に首都風水害について。諸外国では水関連のサステナブルファイナンスの実例もあるようなので、流域治水の推進を目的とするインパクトファイナンスの検討が進むことに期待を寄せる。また、集水域と氾濫域との交流や話し合いの方法として、地震、風水害のリスクに長期間にわたって直面することとなる若い世代同士の議論が重要であり、そうした議論が冷静かつ自由闊達に行われるためにも、SDPsを含め大学教育での動きに注目したい。なお、大学教育については、金融庁のサステナブルファイナンス有識者会議もサステナブルファイナンス普及のための人材育成の観点から関心を有しているようである。
想像するに、地震や風水害は頻度が少ないのでファイナンスの案件になりにくく好事例が蓄積していないと思われるが、頻度の少ない、いつ起こるかわからない大災害こそ正真正銘深刻な社会課題であり、関係者の英知結集を切に願いたい。
 
 
6. おわりに
昨今の人手不足、物価上昇で、道路、公共交通、医療といった生きるために不可欠な社会基盤からも「このままでは持続できない」と悲鳴が上がる。最近参加したNEXCO東日本OB会での社長挨拶も「人材」一色だった。最近視察した羽田空港は2010年に新管制塔を供用したが、バックアップのために旧管制塔も新管制塔と同一の最新設備を維持しているとのことで、人材・金銭面の負荷が大きいことが窺われる。
一方で、伝統文化・産業の衰退が懸念され、人材育成や財政的支援が叫ばれることも増えてきた。筆者は日本の伝統文化・産業の重要な一分野である日本酒・焼酎を愛好するものの、道路、公共交通、医療といった生きるために不可欠な社会基盤と対比すれば「酒は飲まなくても、すぐに生死に影響しない」ので、突き詰めると社会での優先順位は高くないと言わざるを得ない。今のままでは酒の消費が減り、酒造りの担い手も確保できず、酒の文化・産業が一層衰退する恐れさえある。従来の思考、行動では未来予想図は描けず、「ぜひ飲み続けたい」、「ここで、ぜひ働きたい」と思わせる酒造りへ転換しないと生産者・販売者にとっても消費者にとっても未来は明るくないと思う。
最後に「指揮心得」に戻ろう。「指揮心得」の巻頭に太字で大書された二つのメッセージは危機管理のマニュアル本や講演で引用されることも多い。
「備えていたことしか、役には立たなかった。」
「備えていただけでは、十分ではなかった。」
筆者としては、「指揮心得」の各章にちりばめられたメッセージも滋味に富んでいると思うので、そのいくつかの内容を本稿の結びに代えて紹介したい。
● 幹部個室はロッカー、プリンタが少ないので地震の被害が少なく、幹部は負傷者の可能性に気づかなかった。そのため初動指示で負傷者把握等が抜けた。
● 情報が上がってこないことも深刻な被害発生を示唆する貴重な情報。
● 東北地方整備局長は首に携帯3つ(私用、公用、PHS)つけてどこでもつながるようにした。
● 泊まり込む習慣を止めよ。部下を休ませるのも指揮官の仕事。中年の指揮官の最大の敵は疲労。