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齋藤通雄氏に聞く、日本国債市場の制度改正と歴史(後編)


前理財局長 齋藤  通雄/東京大学 服部  孝洋


本インタビューの目的

我が国の国債市場の重要な制度の多くは、主に2000年前後に形作られています。もっとも、その際の議論については意外と文献がないのが実態です。そこで、本稿では、国債を専門とする経済学者である服部が、国債の制度改正に深く携わった齋藤通雄氏にインタビューし、それを活字化することで、2000年前後の制度改正の歴史を将来の世代に残すことを目的にしています。
本インタビューは、「齋藤通雄氏に聞く、日本国債市場の制度改正と歴史(前編)」の続編であり、まずはそちらをご一読ください。なお、本インタビューの活字化等にあたり、東京大学経済学部の安斎由里菜さんと新田凜さんの協力を得ました。

新商品の導入について
服部 齋藤様は、15年の変動利付国債の導入も担当されたということですが、どういった経緯で導入されたのか覚えていらっしゃいますか。
齋藤 15年変動利付国債は、1999年、私が課長補佐の時に商品設計されました。でも、遡ると、15年物の変動利付国債は、1982年度から出していたことがあるんです。1982、1983年度以降くらいに、最初の15年変動利付国債の「直接発行」、要するに入札を経ないで、農林中金や生命保険会社、信託銀行といった機関投資家に対して直接、市場外で発行していました。昔の15年の変動利付国債がどういう商品設計になっていたかというと、名前の通り変動金利で半年毎に金利を見直すんですけど、半年ごとに10年国債の金利を払うという商品性だったんです。
服部 これは後程の設計と比較すると、αがないということですね(2000年に導入された変動利付債の商品性は図表1 1999年から2001年における主な国債制度改革を参照)。
齋藤 その通りです。理論上、これは金利を払い過ぎていますよね。半年ごとに金利を見直すのだったら、半年ごとにその時その時の6ヶ月物の金利を払うのが、本来の変動金利の払い方です。イールドカーブが右肩上がりであることを前提にすると、半年ごとに10年の長期金利をその都度の市場実勢で支払うという商品は、買い手にとってはものすごく有利で、国債発行側からすると、あまりに高コスト、つまり金利を払い過ぎていて、サービスしすぎな商品ですよね。昔発行していた15年変動利付国債は、1982年度以降、しばらく出ていたんですが、それが一旦全部満期が来てなくなるくらいのタイミングが、1998、1999年ぐらいだったんですよ。
服部 そういう背景があったんですね。15年変動利付国債の発行が開始されたのは、1983年2月ですね。
齋藤 そうです。それで99年頃、最初の15年変動利付国債を購入していた機関投資家の一部から、また同じような商品を出してほしいという要請が来たんです。じゃあ我々としてはどうしようかということを考えた時に、昔出していたものと極力同じような商品性のものを出そうということになりました。当時は、運用部ショック後で、発行が増える国債の安定的な投資家を探していましたので。しかし、昔と全く同じ商品で、10年金利をフラットに払うと、それはさすがに金利を払い過ぎなので、長短金利差だけアルファで引いて、「10年金利-α」という商品設計にさせてくださいというところに落ち着きました。
また、このαをどれぐらいにするのかというのは、我々が一方的に決めないで、マーケットの皆さんに決めていただければよいと考えました。それで、αは入札で決めることにしましょうということになりました。また、特定の投資家さんに相対で個別に出すのではなくて、入札で誰でも買える商品性にしませんかという話にもなり、それで再発行を要望した投資家も納得したんです。そういう訳で、15年変動利付国債の金利は、「10年金利-α」という形になりました。当時は今と比べると、イールドカーブが立っていて長短金利差があったので、αがそこそこ大きくても、投資家からすると魅力がある商品だということで、割と人気が出たということです。
服部 15年という年限も、かつてあったものの年限を踏襲したわけでしょうか。
齋藤 この15年変動利付国債に限りませんが、新しい国債を出す場合は、例えば日銀のシステムとか、色々と新しいものが必要になるんです。商品設計こそ変えましたけど、15年変動利付国債は昔1回出したことがあるので、変動利付国債を15年で出すのであればシステムの構築も割と簡単にできるということもあって、年限は15年のままとなりました。
服部 物価連動国債には当時関わっていらっしゃったのでしょうか。
齋藤 物価連動国債の1回目の導入の時は、私は関わっていませんでしたが、1回止まっていたものの発行を再開した新型の時は、私がまさに担当課長でした。
服部 2回目の新型の物価連動国債の時ですね。物価連動国債と変動利付国債は金融危機時に発行が停止されていますが、変動利付国債は再開しないで、物価連動国債だけ再開されました。どういう背景があったのでしょうか。
齋藤 投資家から見た時に、15年変動利付国債は、受取金利が「10年金利-α」であり、これはある種デリバティブを組み込んだような商品設計になっていたんです。αは発行された瞬間に決まっていましたので、イールドカーブがスティープニングする、つまり長短金利差が拡大すると、発行時に買った人からすれば受取利息が多くなって有利ですし、逆にイールドカーブがフラットニングしてしまうと、αが多く引かれて受け取れる利息が短期金利よりも減ってしまうので、不利な商品になってくる。イールドカーブの形状から言うと、もうフラットニングしてしまった後なので、商品性としてそもそも魅力がなくなっていて、投資家からすると誰も欲しいと思わなくなっていました。
服部 変動利付国債に対して、物価連動国債は再発行してほしいというニーズがあったのでしょうか。
齋藤 当時はデフレ環境下でしたから、物価連動国債もそこまでニーズが強かったわけではないですね。ただ、国債の基本的な品揃えとしてあった方がいいということになりました。マーケットの物価上昇に対する予想というか期待インフレ率、いわゆるブレーク・イーブン・インフレ率(BEI)を計測するという意味でも、物価連動国債があった方がいいですし。
服部 確かにどこの国にも、物価連動国債はラインナップにありますね。
齋藤 我々発行当局は、品揃えの観点で物価連動国債をなんとか再開、復活できないかなと考えました。その結果、フロアをつけるという形になりました。昔の物価連動国債は、インフレになれば額面が増えますし、デフレになれば額面が減って、投資家からすると額面割れになるようなリスクを伴うものになってたわけです。なので、額面割れしないように、言い換えれば、フロアをつけて、損はしない商品にしました。もちろんその分だけ、マーケットのインフレ予想を計測するという意味では不正確になる部分が出るわけですけど、それでも商品としてあった方がいいし、海外の物価連動国債を見てもフロアをつけている国があるわけですから、別に日本だけが特殊なことをするわけではありません。そういう訳で、フロア付きで物価連動国債を出そうということになりました。
服部 国債市場懇談会(市場懇)が始まったのも、変動利付国債再発行のすぐ後ですね。
齋藤 そうですね。市場懇を立ち上げた時はまだ私は課長補佐でした。
服部 現在、国債投資家懇談会(投資家懇)はありますが、市場懇はないですよね。市場懇はどういったものだったのでしょうか。プライマリー・ディーラー(PD)制度ができたのは2004年ですが、PDも含め、市場懇にはもっと幅広い投資家がいたのでしょうか。
齋藤 当時はPD制度ができる前でした。国債市場懇談会は、マーケット関係者と定期的に集まるような会議としての第一号です。今の会議体でいうと、PD会合と投資家懇と、今はちょっと変わってしまいましたけど、国の債務管理の在り方に関する懇談会(在り方懇)という有識者との会議がありまして、その3つを兼ね備えているような側面がありました。金融マーケットの重鎮と見られていた方にも、メンバーとして入っていただいていました。
服部 この辺りからオフィシャルに会議体作りが始まって、投資家懇があって在り方懇ができて、という中で、市場懇が発展的に今の国債市場特別参加者会合に代替されたというイメージですね。PDの制度については、ご担当の時にも議論があったんでしょうか。
齋藤 ありました。
服部 海外の事例について学んで、それを輸入するというような形でしょうか。
齋藤 その通りです。特に、アメリカの事例を参考にしました。
服部 課長補佐時代は、国債課に3年間いらっしゃって、その後次に異動されると思うんですが、この時は理財局の財政投融資をやられているんですね。
齋藤 財政投融資を2年やって、その後総務課に異動しました。総務課にきた時が、丁度まさにPD制度を具体的に設計していた頃ですね。
服部 その意味では、PDの制度設計にも関わっていらっしゃったんですね。
齋藤 そうですね。当時の国債課の担当補佐は、私のところに相談に来ていました。
服部 PD制度が入る前は、入札はしているけど応札義務を持った人たちはいないという状況だったんですね。2002年に国債の未達が起こったのも、そのことと関係があるのでしょうか。国債の未達が起こってから、2004年にPD制度が導入されましたが、PDの一つの良さは、応札義務が生じるので、未達が起こりにくいということだと思います。
齋藤 当時は、10年債でいうとまだシ団制度が残っていました。シ団が固定シェアで引き受ける部分がどんどん減って、入札で買い手が決まる部分の割合が高まっていった時期です。一方で、PDが入る前で応札義務とか落札義務がない時代ですから、シ団引受の10年債の入札部分にしても、それ以外の年限の単純な入札で出しているものにしても、入ってくる札が少なければ当然未達になります。それで10年債の入札の札割れが起きたということだと思います。
国債の安定消化ということを考えた時に、そもそもシ団が引き受ける分の年限の国債しかなかった時代は、シ団が全額引き受けてくれるのであれば、それで全額消化がある種約束されていたわけです。その後、シ団の10年債も入札で決まる部分が次第に増えていきましたが、シ団債の分は、入札で未達が生じたときの募残引受義務はシ団側にあるので、本当に資金調達不足が生じることにはならない仕組みだったんですよね。
それに対して、中期国債とか超長期の国債等の完全公募入札の国債は、札割れになったときに、誰かが引き受けてくれる保証は全然ありません。札割れが生じ得ますし、実際中期国債の札割れは起きていたと思うんですよね。私が担当していたときは札割れはありませんでしたが、それよりも前に、実際に発生した事例が何度かあったと思います。こういった時に、じゃあ安定消化の仕組みをどう設計していこうかと考えると、いつまでもシ団に頼るのではなくて、やっぱり諸外国がやっているように、応札・落札義務を伴うPD制度を入れた方が良いということになりました。
服部 確かに、PD制度が入った1年半後ぐらいにシ団は廃止されていますね。このあたりから、今の2、5、10、20、30年という年限が形作られて、PD制度もできたので、2023年の今ある形がこのタイミングで形成されたということですね。
ざっくりとした質問になってしまうのですが、当時3年間日本の国債制度改革を担当されていた時に、政策担当者としてどういう思い、思想で取り組まれていたのかということをお聞きしたいです。
齋藤 元々国債課の課長補佐として着任して当時の幹部・上司から与えられた宿題が、日本の国債のマーケットをちゃんとグローバルに通用するマーケットにしろという宿題でした。なので、それを一生懸命やっていましたね。
服部 海外の事例の分析もそういう観点でされていたんですよね。
齋藤 そうです。といってもアメリカの事例研究がほとんどです。OECDに、国債発行当局者が集まる会議・ワーキングパーティが年に何回かパリであって、私はそこの会議にも出ていました。なので、各国の発行当局者がどう考えているのか、直接意見交換する機会がありました。安定的な資金調達のためには、入札のテクニックだけではなくて、セカンダリーマーケットの流動性を高めることにつながるような発行をやっていかなければいけなくて、それこそ銘柄統合、リオープンを行うことが大事です。私が課長補佐の時、2001年だったと思いますけど、その時にいわゆるリオープン方式に変わりました。
服部 それまで、銘柄統合そのものはありましたよね。
齋藤 ありました。昔の銘柄統合も、既に発行されている銘柄について、翌月もう一度同じものを出すという点では、リオープンと同じです。ただ、銘柄、すなわち第何回債という回号は一緒なのに、第1回目の利払いまでは、既発行分と翌月の追加発行分で、事実上別銘柄扱いされていたんです。
なぜなら、1回目の利払い日がくるのは大体発行日から半年後になります。そうすると、その国債の第1回目の利払い日に受け取る利息の金額は、6ヶ月分の利子ですよね。そして、翌月も同じ銘柄で発行する場合、昔の銘柄統合だと、1ヶ月後の発行日から起算した5ヶ月分で第1回の利払いをする形になっていました。だから同じ回号がついていても、前月分か今月分かで、初回の受取利息が6ヶ月分か5ヶ月分か違うので、別のものとして管理しないと、おかしなことになってしまいます。利払い日が来た時に、何ヶ月分の利子を払えばいいのか分からなくなってしまうんです。
一方、リオープン方式というのは、1ヶ月後に同じ銘柄で発行する場合、発行のタイミングで1ヶ月分の経過利子を最初に投資家が国に払い込みます。それで、国は、6ヶ月分の利子を利払日に払います。結果、国も投資家も損得なしになるわけです。そうすると、6ヶ月分の利払いがつく同じ回号の国債が、先月と今月発行されることになる。発行された瞬間から、完全に同じ国債としてマーケットで流通するわけで、流動性向上に寄与します。発行の事務を担う日銀からすると、国債発行する時に、経過利子分のお金のやり取りが発生するので、システム的な整備が必要になって面倒になりますが。
服部 リオープンが始まったのは、債務管理リポートをみると、2001年3月ですね。これをみると3年の割引債の導入についても記載がありますが、これはもう今は残っていないですよね。
齋藤 残っていないです。これは、5年の利付国債を始めるのに伴って、5年の割引国債をやめた時に、代わりに個人の人が買いやすいような、中期の割引債を出そうということで、3年の割引国債を出すことになったんです。
服部 金融機関のアナリストなどは現在と同様、こういった制度について分析していたのでしょうか。
齋藤 そうですね。今ベテランの域に達しているような国債のアナリスト達が、当時は中堅の働き盛りで分析していました。
写真:齋藤通雄 前理財局長
写真:服部孝洋 特任講師
図表2:2000年に導入された15年変動利付国債の商品性

東日本大震災の経験
服部 お聞きする内容を課長時代にうつしていきたいです。2011年に東日本大震災、3.11があったと思います。そのときに国債課の課長でしたよね。
齋藤 そうです。国債課には課長としても3年間いました。
服部 震災が起きて、復興が必要になる中で、復興債という新しい国債を出すことになったと思います。当時そこに至った背景を教えていただけないでしょうか。
齋藤 東日本大震災からの復興のための国債を新しく出すというか、それ以外の国債と切り分けることになったのは、理財局というよりは主計局の管轄です。最近でいえば、脱炭素のための国債であるGX債とかもそうですが、財政支出のためにどういう国債を出したらいいかを決めるのは、実は理財局ではなく主計局なんです。公共事業のために建設国債を出していい、というのは主計局の法律だし、建設国債だけだと足りません、なので赤字国債を出します、という赤字国債のための特例法も、主計局の管轄です。
復興のためのお金をどうまかなうかということですが、多額のお金が必要になる中で、その必要な多額のお金を復興で日本経済に負荷がかかる中で一度に税負担としてとるわけにはいかないですよね。でも、復興のためにはある程度まとまったお金をすぐに投入していかないといけない。そこで、国債で一旦資金調達するけど、その国債を長年かけて、復興のための税を通じて少しずつ税負担をしていただいて、国債を返していくことになりました。ただ、このような制度を考えるのは主計局です。東日本大震災復興のために復興債ができ、復興債の償還財源として復興特別税ができ、これらのお金を分けて管理する仕組みとして特別会計がつくられています。
服部 どういう目的の国債を出すかは、主計局が決めるわけですね。復興債は、国債としては、普通の国債と区別されずに出てきますね。でも実は裏では、復興債として整理されているというイメージですよね。
齋藤 その通りです。
服部 財政投融資で対応するということは考えなかったのでしょうか。
齋藤 財投は、補助金とか渡し切りのお金とは違って、お金を貸して、最終的には返してもらうという性質のお金です。なので、復興のように、例えば津波の被害を受けた部分をもう一度整備するといった目的だと、お金を貸し付けて、いつか返してもらうというスキームではうまくいかないんです。
服部 復興債に関しては、60年償還ルールも適用されないですよね。
齋藤 適用されないです。結局、なんのために国債を出すのかという意思決定は国債課でやるわけではなくて、予算の関係であれば主計局、財投改革後、財投のために国債を発行する場合は財政投融資の部署と主計局がやります。その上で、こういう国債を新しく出すからよろしくねと、調達する金額が伝えられて、どうやったらできるだけ低いコストで調達できるかを考えるのに特化しているのが国債課です。
そういう意味で言うと、復興国債も、マーケットで国債として出す分には、建設国債・赤字国債といった一般会計の国債あるいは財投債と区別せずに出していて、最終的に発行した国債の収入金のうち、一般会計の収入としてはいくら、財投特会の収入としてはいくら、復興特会の収入としてはいくら、とこちらが分けるだけです。
ただ実は、個人向け国債で、復興国債を出しているんですよ。個人向け復興国債とか、復興応援国債とかです。これは一般の個人向け国債とは別に、復興のためだけに資金使途を特定した個人向け国債として出していて、買ってくれた投資家の方には、当時の安住財務大臣からの感謝状をお渡しするとか、そういうこともやっていました。個人向け復興応援国債の宣伝にも、震災の復興支援ということで、横綱白鵬関、澤穂希選手やAKB48が極めて低い価格で広報のポスターなどに出演してくれました。
服部 2011年度の国債発行計画補正(復興財源確保の前倒債減額対応)について印象に残っていることはございますか。国債発行増を抑え、前倒債による対応がメインだったと理解しています*1。
齋藤 東日本大震災からの復興に対応するための本格的な予算対応がなされたのは、2011年10月に編成された第3次補正予算でした。
この補正で、11兆円を超える復興債を発行することとなり、国債発行計画も修正することになったわけですが、カレンダーベースの発行で入札を増やした部分は限定的で、半分以上は前倒債の減額など年度間の調整で飲み込みました。これは、2011年度が既に半分以上進行していて、機関投資家の購入も年度の運用計画に従ってそれなりに進捗している状況だったので、入札による月々の発行額を増やすのに限界があったためです。入札を増やしたのは、相対的に吸収余力のあるやや短めの年限、2年と5年だけでした。
ただ、年度間の調整は、増発のタイミングをずらすだけですので、次の2012年度当初の発行計画では、国債発行総額が前年度の補正後よりも7兆円減るにもかかわらず、10年債、20年債の入札規模を増額せざるを得ませんでした。
国債増発に前倒債減額で対応することは、増発のマーケットインパクトを抑える効果はありますが、時点をずらすだけで本質的な解決ではないことは押さえておく必要があるでしょう。
図表3:2011年における国債発行計画(第三次補正時)

個人向け国債
服部 ところで、個人向け国債はどういう意図で導入されたのでしょうか。色々な人に投資してもらった方が国民の理解が得られるということでしょうか。
齋藤 もともと個人向け国債を導入したときの意図としては、国債を安定的に保有してもらえるような主体の確保ということがありました。市場性の国債の買い手である機関投資家、金融機関は、金融環境やマクロ経済環境の変化に応じて、売ったり、買ったり、色々なことをするので、大きい金額が常に動く訳です。買ってくれる分にはいいんですが、売られることもあって、相場が不安定になるリスクが切っても切り離せないわけです。
対して、個人はそこまで頻繁に売ったりするわけではない、という印象です。銀行に預けて預金に置いておくのと同じように、個人向け国債を安定して持っていてもらえるのであれば、国債の安定的な保有層として期待できるのではないかと。商品性としても、元本割れしないような仕組みをつけることで、解約の手続きは面倒かもしれませんが、預金で置いておくよりは少し高い利息がつくし、他方で株などの純粋な投資をする場合に比べるとリスクが少ないので、低リスクで安定的な運用商品として、一定程度個人の購入が期待できるのではないかということで導入しました。残念ながら、もともと狙っていたところまでは売れていないというのが現状です。
服部 個人向け国債は、発行額も少ないし、市場よりも少し高い金利を払っていて、途中で解約できるという商品性ですよね。しかも借換債でしか発行しないということなので、主軸ではないものの、継続して発行するラインナップの1つとしている、ということですね。
齋藤 たしかに個人向け国債は発行額が少なく見えますが、もとの国債残高が大きいですから、比較すれば小さくなってしまう面はあると思います。購入単位も普通の国債の市場での取引だと1億円以上からですが、個人向けなら1万円から買えます。個人の方は人数も多いですから、ちりも積もれば山となるではないですが、一人当たりは少額でも合計ではそれなりの金額になります。
個人向け国債という商品は、日本だけのものではないんです。アメリカはTreasury Directといって、財務省による国債のインターネット直販があって、個人向けに国債を売ったりしているんですよね。日本もそこまでやろうかという話もあったんですけど、システム構築コストなどを考えて、そこまでやらずに今のような、商品性としては普通の市場性国債とは違う一方で、販売チャネルとしては市場性国債と同様に、一般の金融機関の窓口を通じて売ってもらうという形に落ち着きました。
各国それぞれ何かしら個人向けに特化した国債を出していて、市場で売買される国債だけではなくて、安定的な保有層として個人投資家・家計部門に期待しています。日本も品揃えとして、個人投資家をターゲットとするような商品を出しています。

危機時における日銀からの一時借入制度の導入
服部 齋藤様が課長時代に、日銀から財務省が短期的に借りられる制度改正がなされたと思います。それについては当時、財務省内ではどういった議論が起こっていたのでしょうか。
齋藤 そうですね。財務省はかつて、国債や借入金の償還を行う国債整理基金特別会計で10兆円を超える基金を持っていたんですよね。残高を積んでおいたら、それは埋蔵金じゃないかという批判が起こりました。なので、それを圧縮すると同時に、日銀から財務省が短期的に借りられる仕組みを作ったのです。
服部 日銀サイドとしても、日銀から貸し出すなんてことはできるのかと、色々な議論があったと聞いています。
齋藤 先進国では一般に、中央銀行は政府に対し直接ファイナンスをしません。例外として、為替介入のときに、日銀がFB(政府短期証券)を引き受けたりはします。短時間で何兆円かのお金を手当しなければいけない緊急時に、マーケットで資金調達して、みたいなことをやっている余裕はないですから。ただ、それはものすごい例外というか、法律でやって良いケースが限定されているわけです。
服部 昔は、日銀がFBを直接引き受けていたわけですよね。
齋藤 そうです。介入以外のFB、つまり国庫の資金繰りのFB等も日銀が引き受けていたんです。それが、円の国際化の文脈で、短期市場を拡大させようということになって、FBは全部マーケットで出しましょうという方向に変えることになりました。
服部 一般会計の資金繰りのために出す短期ものは、全部マーケットで出そうということになったんですね。たしかに国債課の人は、FBは国債じゃなくて、TBは国債だという言い方をしますが、実際国債ではないわけですね。T-Billという形で出てくるものには、TB(割引短期国債)と、FBの2種類がありますが、その違いは投資家には認識されていないわけです。
齋藤 そうです。あくまでも国の予算制度上の整理であって、投資家の方には違いは認識されていないと思います。国債発行計画に出てくる国債は、国の資金調達のなかでも、年度をまたぐものなんです。予算上、歳入としてカウントされるものが国債です。一方、FBは、年度の中のお金の過不足をまかなうためのものなので、FBは年度内に償還することが原則です。したがって、そもそも性質が違うんです。
もっとも、日本の財政制度は更にややこしく、それは会計によって定義が違うことが一因です。一般会計の資金繰り証券は、当該年度の歳入をもって返さないといけません*2。外為特会のFBは1年以内に返せばよくて、年度をまたげます。
服部 昔は別々だったのが、統合されることになって、今ではその違いは認識されていないということですよね。そもそも、FBがまず市場で取引されていなかった時代があって、その理由は日本の円の国際化と結びついているのがポイントですよね。面白いところです。
齋藤 1998年くらいに、円の国際化に関する報告書が出されていて、そこにはFB市中公募とか、国債の非居住者向け非課税制度の創設も、提言に入っていたはずです。
服部 2013年に特別会計法の改正がなされていますが、それと同時に、日銀による貸し出しに係る制度もつくられていますね。それらは並行して行ったんでしょうか。
齋藤 特別会計法の改正は、タイミングとしては私が課長を離れた後だったと思います。この法律の改正は、財務省全体でいうと主計局の法規課の担当ですが、当時の法規課長とは色々相談して、いわゆる前倒債の発行収入金の計上の仕方などを改正したわけです。それに加えて、私の国債企画課長最後の年にやったことは、日銀と話をして、BCP(Business Continuity Planning、事業継続計画)という、市場から資金調達できないような不測の事態が起こった緊急時には、日銀から一時的にファイナンスしてもらえるような仕組みを作った上で、10兆円以上抱えていた国債整理基金特会の積立金の残高を3兆円まで減らす、ということです。3兆円というのは、多くの国債の入札1回分を賄える規模で、入札1回分くらいは日銀に頼らず財務省が自力で何とかできるようにしているということです。
国債整理基金特会については、その残高や剰余金が埋蔵金だと言われ、事あるごとに国債の償還以外の用途に使ってしまおうという圧力にさらされがちでした。しかし他の目的で使うというのは不健全ですし、また素直に考えれば、不測の事態に備えて手元に持っている10兆円も、元をたどれば国債の発行で調達した10兆円なので、金利負担が発生しています。他方で、その10兆円はもしもの時には使えるようにしておかなければならないお金なので、長期固定で運用もできず、どうしても短期で運用することになります。長期金利で借りたお金を短期金利で運用するので、イールドカーブが右上がりだと考えると、長短金利差分だけ損してしまうわけです。そこにはやはり無駄があることは確かで、手元資金はできる限り減らして、資金繰りは効率化したいわけです。
先ほどの話に戻りますが、FBは日銀が制度的に引き受けられるんです。外為の介入資金以外にも、一般会計の資金繰りのFBも昔は日銀引受でやっていたわけですから、いざという時にはFBを出すことで賄える部分については、最後日銀に助けてもらえるわけです。ただし国のお金は会計によって分かれているので、例えば特別会計でお金を借りていて、満期が来て借り換えなければならない時に、お金がなくその特会はFBも出せないとなった時に、余裕資金として国債整理基金の側がお金を持っていないと、万が一災害などが発生した時に入札が行えず、借換のお金が調達できずデフォルト、ということになりかねず、それは避けたいわけです。そのために整理基金にお金を余分に持っていたということです。
それを日銀に一時的に融通してもらって、危機が去ったら国がマーケットから調達して日銀に返すということであれば、財政ファイナンスではないでしょうというロジックで、緊急時には、日銀から一時的にファイナンスしてもらえるような仕組みを作りました。しかし、たとえ非常時であっても日銀は政府に対してファイナンスをするべきではない、という厳格な人もいたようで、日銀の中でも相当議論はあったと聞いています。最終的には、日銀としてそこまでは応じましょうということになりました。
服部 貸出、借入という文脈でいえば、今は財務省も借入金がありますよね。
齋藤 あります。そもそも会計によって、債券形態で資金調達できるところと、借入金や一時借入金としてしか調達できない会計と両方あるんですよ。というより、国債が出せる特会はむしろ限られています。色々な特会に国債発行を認めてしまうと、債券の方が流動性が高くて資金調達がやりやすいので、特会の方で野放図に資金調達をするということになりかねません。なので、財政制度的に、国債を出せる特会がものすごく厳格に縛られているんです。財政投融資のための国債、東日本大震災の復興債、今度で言えば脱炭素のためのGX債など、特会で国債を出せるところは非常に限られていて、それ以外の特会は借入金はできても、債券は出せないです。
そのあたりになってくると、借入金規定は様々で、この特別会計は借入してもいいとか、あるいは借入金規定がそもそもない特会だってもちろんあるわけです。借入金の入札は国債課がやりますけど、ある特会に借入金規定を設けるのかどうか、なぜこの特会に借入金規定があって、こちらにはないのか、といった制度を作っているのは主計局なんです。その主計局で作った制度に基づいて、国債課は淡々と「この特別会計は借入金ができることになっていて、これだけ借りないといけないね」という感じで、資金調達の手続きだけをやっているので、国債課の人になぜこの特会には借入金があるのですか、と聞いてもおそらく答えられないですね。「それは財政制度なので主計局に聞いてください」となるだけでしょう。
服部 この特会の借入金の金利は、オークションで決めていますよね。
齋藤 そうですね。コンベンショナル方式です。
図表4:国債整理基金残高の圧縮

債務管理政策について
服部 最後の質問になりますが、補佐時代に多くの制度改革をご経験されて、債務管理政策についてはどういう印象をお持ちでしょうか。
齋藤 さっきちょっとお話ししたことの繰り返しになりますが、国債管理政策というか、国債課でやっている国債発行を通じた資金調達って、国として必要な資金をどういう風にできるだけ安いコストで調達するかに尽きるんです。これは、一般の個人の人が住宅ローンを借りるときに、固定で借りるか、変動で借りるかを悩むのと、ある種似ています。これから10年、20年で金利が上がるか、それとも下がるとどうなるのかな、みたいなことを考えるわけです。そういった個人の場合と、国の場合とで若干違う点は、個人の場合は金融機関ごとに出されている商品、住宅ローンを選ぶことしかできないが、国は新しい調達手段を作れるわけです。固定利付とか、変動利付とか、どういう年限のものを出して、どう調達するかを考えて、どういう品揃えで、かつそれぞれの商品ごとにどれくらいの金額を配分するのが、資金調達のコストを一番安く抑えられるかをひたすら考えます。
ただ、そうはいっても、運用部ショックの直後とか、国債の発行額が増えているときは、その増える分をどうやればちゃんと調達できるのかがまず優先になります。安く調達する前に、まず必要な額を調達しきることが最優先です。そのためにはどうすればいいのかを考えるところから始まって、全額出せる目途がついたなら、年限の長短とか、コストを下げる方法を考えることになります。
服部 市場参加者とのコミュニケーションは、当然、当時から重視されていましたよね。
齋藤 もちろんです。国債をどういう品揃えにすればいいのかは、結局、それぞれの商品にどのくらい買い手が付きそうかを考える必要があります。どの年限の国債を増発できそうなのか、あるいは、今はない商品にどれだけのニーズがあるのかを、市場参加者から聞くことが大事です。そういった市場関係の話は、ディーラーや最終投資家に聞かなければわかりませんし、それをきちんと行わないと実際の国債発行もうまくいきませんから。

おわりに
服部 この度は、前理財局長であり、国債の制度作りに深く関わってきた齋藤通雄氏にお話を伺いました。2000年前後の制度改正について、大変詳しくお聞かせいただきました。齋藤様、お忙しい中、貴重なお話をありがとうございました。
齋藤 ありがとうございました。
参考文献
服部孝洋・稲田俊介(2021)「国債整理基金特別会計および借換債(前倒債)入門」財務総研スタッフ・レポート


*1) 前倒債については服部・稲田(2020)を参照。
*2) 財政法 第七条 国は、国庫金の出納上必要があるときは、財務省証券を発行し又は日本銀行から一時借入金をなすことができる。
(2) 前項に規定する財務省証券及び一時借入金は、当該年度の歳入を以て、これを償還しなければならない。
(3) 財務省証券の発行及び一時借入金の借入の最高額については、毎会計年度、国会の議決を経なければならない。