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職員トップセミナー


石渡 美奈 氏(ホッピービバレッジ株式会社 代表取締役社長)
演題
社長が変われば会社は変わる~ホッピービバレッジ3代めのブランディング戦略および人財教育~
令和5年8月25日(金)開催


1.ホッピーについて
ア)地ビールの免許がきっかけで3代目に
皆様おはようございます。石渡と申します。本日はお招きいただき、誠にありがとうございます。
私は3代目代表取締役社長としてホッピービバレッジに戻る前、広告代理店で3年ほどお仕事をいただいておりました。その時、官公庁の営業を担当しており、特に総理府と大蔵省を担当していました。そのため、この財務省の建物には頻繁に出入りしており、地下一階など大好きでしたので、今日はとても懐かしく感じています。
平成7年には、前年の酒税法の改正を受けて、創業2代目である父が国税庁から全国5番目に地ビール製造免許をいただきました。父は「ビール作りは男の浪漫。創業者である親父も本当はビールを作りたかったのだが、それができなかったのでホッピーを作っていた。これで親父の夢を叶えることができた。」と噛みしめるように言っておりました。その時に社名をコクカ飲料からホッピービバレッジに変更して、現在に至っています。
私が3代目を継ごうと本気で思ったのはこの地ビールがきっかけでした。「うちの会社はビールも作るようになるのか、それはおもしろそうだ。」と思いました。もし、この時地ビールの製造免許をいただかなかったら、私は別の人生を歩んでいたことでしょう。本当に感謝申し上げます。
本日はブランディングと人財教育を中心に、このパンデミック明けに、個人としても会社としても力を入れていることについて、お話させていただきます。

イ)ホッピーの惨憺たるイメージと高い知名度
私がホッピービバレッジに戻りました1997年当時、ホッピーを巡る状況は惨憺たるものでした。
書店で立ち飲み系の居酒屋さんに関する書籍を手に取って読んでみましたら、「絶滅危惧種だと思っていたホッピーがまだ生きていた」という内容の記事でした。これから後を継いでいくというタイミングでホッピーが絶滅危惧種だったことを知り、驚きました。
私はホッピービバレッジ入社後すぐに、ホッピーについて市場調査を行いました。その結果は本当に惨憺たる内容でした。「ホッピーというのは、お店で残ったビールを集めてきて薄めて出しているものだ」「ホッピーを飲むと腰が立たなくなる」「遺言にホッピーだけは飲むな、と書いてある」というようなお声ばかりでした。
しかし、調査会社の人が「石渡さん、調査結果は悲惨だけれど、この知名度の高さは宝です。飲んだことはない、好きではないけれども、とにかくホッピーのことは知っている、ということは生かせる財産だと思うから、これは大事にしなさい。」と言ってくださったことが、私の新たなスタートのきっかけとなったのです。

ウ)お客様にホッピーを知ってもらう:
Web活用
その当時、会社によくいただくお問い合わせは「ホッピーを飲みたいが、どこで飲んだらいいか分からない。買いたいのだが、どこで買ったらいいか分からない。」という内容でした。
当時はPRするには広告を使うしかなかったのですが、広告は非常にコストが高いですし、代理店を通すので時間もかかるのです。
また、ある量販店のバイヤー様からは「いくら良い商品であっても、広告してお客様に知っていただかないと、それは良い商品とは言えません。」と言われたこともありました。
お客様に知っていただくために何かをしなければいけない。そう考えていた時に、友人からインターネットのホームページを使った情報発信の可能性について教えてもらいました。「これはおもしろい」と思い、早速ホームページを作ることを学びはじめました。講師は「ホームページは作ればよい、というものではありません。見に来てもらうには、毎日情報が更新されていなくてはいけないのですよ。」とおっしゃいました。私が困った顔をしていると、「あなたの日常を書けばいいのよ。」と言われました。「え、日記ですか? 自分のプライベートを書いても読んでくれるのかしら?」とその時は思いましたが、その講師が立ち上げた、女性だけで作るサイトにある「日記マンション」の一部屋をもらって、とにかく日記を書き始めたのです。まだブログという言葉も定着していない時代でした。そうしたところ、意外なことに、私の日記は人気ランキングで上位に入ったのです。その経験を基に、自社のサイトで「看板娘ホッピーミーナのあととり修行日記」を書き始めたのです。こうして発信を始めたことから、私のブランディングと申しますか、絶滅危惧種扱いとなっているホッピーの、惨憺たるイメージの改善への取り組みが始まったのです。

エ)ミキサードリンクのパイオニアとして
おかげさまで、今年の夏にホッピーは発売75周年を迎えました。「ミキサードリンク」、これは創業者である祖父及び二代目である父が、これこそ我々の矜持である、として使った言葉で、とても大切にしています。
実は、祖父たちはビールを作りたかったのです。当時、滝野川にありました醸造試験所で、祖父の弟である初代工場長が学び始めるのですが、免許の関係でビールを作ることができなかったので、アルコール度数が低い原液を作り、そこに焼酎の代わりにアルコールを混ぜて合成ビールを作ろうとしたようです。でも、うまくいきませんでした。
私は、祖父たちができなかったことを、やろうと思いまして、入社後、最初に試みたのが既にアルコールを混ぜた「ホッピーハイ」という商品の開発でした(後述)。しかしうまくいきませんでした。
やはり我々はミキサードリンクのパイオニアで行く、ホッピーと何かを混ぜていただき、そこで唯一無二の、お客様にしかできないお味を作って楽しんでいただくことこそが、ホッピーの最大の魅力、他にないところかな、と思っています。

オ)低糖質、低カロリー、プリン体ゼロ
近年、ホッピーが復活するきっかけとなりましたのが「低糖質、低カロリー、プリン体ゼロ」です。
実は、プリン体ゼロについては、私たちは知りませんでした。「ホッピーのプリン体はどうなの?」というお問い合わせを多くいただきまして、ホッピーを(一財)日本食品分析センターに出したところ、プリン体になる成分は検出されないことが分かったのです。その後、「プリン体ゼロ」という表記をしたところ、これが健康志向とも相まってホッピー復活に繋がっていったのです。

カ)創業者である祖父石渡秀
創業者は祖父の石渡秀でございます。祖父の父親である石渡五郎吉は九十九里生まれのまじめな大工だったそうですが、自分の結婚式当日に近所の魚屋のお嬢さんに一目ぼれして駆け落ちをして、知り合いがいる赤坂に逃げてきたそうです。
そんなことで赤坂に居を構えました。次男として生まれた秀に商いの才覚があって、1905年には10歳で石渡五郎吉商店を立ち上げ、当時、歩兵第一連隊駐屯地、現在では赤坂ミッドタウンがあるところですが、そこに餅菓子を納めておりました。ある時、海軍を通じてラムネが入ってくるというお話を聞き、餅菓子の原料(砂糖)を使ってやってみないかと言われた祖父は、10歳そこそこでラムネづくりの研究を始めます。自分の名前から一字とって秀水舎という会社を立ち上げてラムネ製造を始めたのが1910年で、祖父が15歳の時のことです。これが清涼飲料の世界でお世話になるきっかけとなりました。
その後、終戦直後にホッピーを発売します。社名も秀水舎からコクカ飲料に変更します。コクカは桜のことです。そうした経緯があって弊社のホッピーの瓶には桜のマークが入っています。

キ)本物(天然もの)へのこだわり
私どものものづくりへの思いは創業者の思いであり、本物(天然もの)へのこだわりです。お客様に自信を持ってお売りできる製品を作る、お客さまが安心して召し上がることができる製品を作るべく、祖父は本物(天然もの)にこだわっておりました。ホッピーという名前も「本物のホップから作られた、本物のノンビア」という思いで付けた名前でございます。

ク)売上高推移
弊社の売上高の推移を見ますと、1997年に12億円あった売上が、2001年には8億円まで落ちています。
その後、いろいろな方のお力添えで売上が伸びていきまして、満を持して2012年に父から3代目のバトンを受け継ぎましたが、その途端に売上が2年連続で落ちていきました。この原因についてはよく分からないのですが、組織として次の段階に入っていたのかな、と今になって思うところです。
そのあと組織の第2フェーズとしての作り直しをいたしまして、そこから上昇気流に乗っていきます。2018年度、父が会長として出席できた最後の経営計画発表会で発表した数字がホッピービバレッジ史上、初の売上40億円半ばの数字でございました。父と一緒にくす玉を割りまして、さあ次は売上50億円を目指して頑張ろう、と言った途端にパンデミックが始まりまして、売上はガンと落ちました。
パンデミックは勿論大きな影響がありましたが、社員全員が元気でこの3年間を乗り越えられたこと、調布にある弊社唯一の工場にもトラブル等が発生しなかったことについて感謝して、ここからまた新しい市場を作っていこうと考えています。


2.ホッピーを何とかしなくちゃ
ア)女性向け美容雑誌VoCEがホッピーを特集
では次にホッピーを生き返らせたことについてお話いたします。先ほども申し上げたとおり、私の入社当初売上は本当に地に落ちていたのですが、VoCE(ヴォーチェ)という女性向けの美容雑誌に外務省の女性職員が投稿してくださったことがありました。お仕事が終わると、霞が関、虎ノ門界隈でホッピーを飲んでいます、という内容の投稿でした。今でこそ居酒屋で女性がホッピーおいしいのよね、という声を聞くようになりましたが、90年代の終わりに、それも外務省で働く女性がこの界隈でホッピーを飲んでいるというのは青天の霹靂みたいなお話でありました。VoCEの方もびっくりして、弊社に問い合わせがあり、それがきっかけでその雑誌でホッピーの特集をしていただきました。このようなこともホッピーが変わっていくサインでした。

イ)瓶のラベル見直しとホッピーハイの失敗
ホッピーを何とかしないといけない、ということで最初に瓶のラベルを何とかしようと思いました。ホッピーと黒ホッピーは一対の商品なのにもかかわらず、ラベルが全く違ってよく分からないですし、またホッピーの方は、これから女性が市場の主役だという時代に、どう考えても女性が手を伸ばすようには思えないデザインでした。
先ほどご紹介した市場調査で「ホッピーはダサすぎる」「もっとオシャレなものにしてほしい」「割って飲むのが面倒なのであらかじめ割った商品を作ってほしい」という声があったので、お客様の声をそのまま守って、広告会社勤務時代に友達になったデザイナーとコピーライターにお願いしてホッピーハイという商品を作ってもらいました。
しかしこの商品が世の中に出た瞬間、「ホッピーがこんなにオシャレであるはずがない」というお客様からの声がありました。こいつはホッピーという名を被った偽ものに違いない、ということです。
また、ホッピーハイは焼酎で割っているわけではないので、いつもの味にならないのです。結局のところ、居酒屋で飲むホッピーと違うじゃないか、割らないとつまらないじゃないか、ということになり、大失敗でした。スティーブ・ジョブス氏が「多くの場合、人は形にして見せてもらうまで、自分は何が欲しいのか分からない」という名言を残していますが、本当に彼の言う通りで、実はお客様も本当に欲しいものはお分かりになっていない、ということを知る経験になりました。

ウ)宝は自分の手の中にあった
実は父もホッピーのイメージを時代に合わせて変えていく、より良くしていく、より訴求力の高いものに変えていくことを考えていたようです。
私は父が現役時代に使ったファイルを今でも宝物として持っていますが、父のファイルの中には、ちょっと太くしたらかわいいロゴや、縦組みを横組みにするだけで生まれ変わるロゴ、同じ赤でも今時の赤や、今時の黄色にするとパキッと映えたり、ちょっとかわいらしい、逆にレトロ感があって今新鮮に見える王冠のイラスト等が沢山ありました。「なんだ、他からデザイナーを呼んでくる必要はなかった、宝は自社にあったのだ。」ということで、ご覧いただいているようなラベルに変えまして、これで随分イメージが変わっていきました。これが現在に至るまで続いています。

エ)あの手この手で発信→じわじわと復活へ
(1)Webの活用、ラジオ番組
あの手この手で発信するということで、先ほどご紹介させていただいたブログも始めさせていただきました。それから2006年から現在に至るまでニッポン放送で3分間の帯番組をやらせていただいており、こちらでもいろいろ発信しています。
(2)ホピトラ
ホッピーのイメージを大きく変えるのに貢献してくれたのが、「ホピトラ」でございます。これは弊社のロジスティクス部門を担当する運送会社のトラックです。トラックに描かれているのはペイントではなくシールです。簡単に張り替えられるシールでデコレーションしているのです。問屋へのホッピー納品後、翌日のための荷物を積むまでの3~4時間の空き時間を利用して3台、4台連ねて渋谷、池袋といった繁華街を販促運行させました。これがものすごくインパクトがあり、ホッピーのイメージが大きく変わっていきました。
当時はマネをする企業も出てきました。東京都の広告条例に抵触するということで、今はやめていますが、この取り組みは面白かったと思っています。
このようにあの手この手で発信したことが一本の幹になっていき、新聞、テレビ等に取り上げていただくことで、「ホッピーまだ元気らしいよ」ということにつながっていきます。

オ)近年の取り組み
(1)カレンダーポスター
現在でもいろいろな取り組みをしておりまして、そのいくつかをご紹介させていただきます。
まずは、毎月変わるカレンダーポスターです。私どもの業界には「めくる、めくり返す」という言葉があるのですが、飲食店の限られた壁に自社商品のポスター掲載場所を確保すべく、大手メーカーと熾烈な戦いを繰り広げています。一度いただいた場所を奪われるわけにはいかないのですが、弊社はマンパワーの面では大手にはかないません。それなら何とか武器を駆使して、ポスターの場所を取られないようにしようと考えたのがこのカレンダーポスターなのです。
カレンダーポスターなので毎月変えないといけません。弊社社員もサボっていられず毎月飲食店に出向かないといけないのです。毎月変えるならそのポスターも汚くなることがないので、飲食店も場所を確保してくださいます。
いろいろなカレンダーポスターを作りましたが、一番社内外で人気があり、長く続いている企画は、ニューヨークで活動しているアーティストに焦点を当てたものです。全世界の「未来のアンディ・ウォーホル」、「未来のジャン=ミシェル・バスキア」になり得る新進気鋭のアーティストにホッピーをプレゼンテーションして、それぞれの得意分野で思い思いにホッピーを描いてもらっています。
このカレンダーポスターを毎月月末にお持ちすると、飲食店も楽しみにしてくださって、「先月のものは良かったが、今月のものは今一つ」というようにそこから対話も生まれるのです。全世界の人が描くことで私たちが知らないホッピーの魅力を発見することができるので、面白い取り組みだと感じています。
(2)SUPER GT参戦
SUPER GTには2003年から参戦しています。ご興味がある方でしたら、3週間前に発生した大事故のことを知っていらっしゃることかと思います。SUPER GT第4戦において弊社がスポンサーとなっている土屋武士監督率いる「つちやエンジニアリング」のレーシングカーが富士スピードウェイで炎上しまして、今期は参戦がかなわなくなってしまいました。
いろいろなことをやってきて、父に褒められたことは本当にないのですが、その昔テレビ東京でSUPER GTの実況放送番組があって、それをたまたま父が見ていましたところ、実況放送中に「ホッピー、ホッピー、ホッピー、ホッピー」と連呼されたそうで、「これは効果あるね」と父から珍しく良かった、と言って貰ったことがございました。
SUPER GTへの参戦は、車とお酒の部類に入るホッピーとの異色の取り組みということで関心を持っていただいていますし、弊社がスポンサーとなっている「つちやエンジニアリング」というガレージも下町工場ですし、我々も同じなので、下町工場がタッグを組んで大手のレーシングチームに戦いを挑むところが皆様に喜んでいただけるようで、こういったことを通じてホッピーを応援いただいています。
(3)「発幸レシピ」
弊社は、2018年から五反田の心療内科の姫野友美先生と組んで、全社員にオーソモレキュラー栄養療法(orthomolecular medicine)を取り入れた健康経営に取り組んでいます。そこからの進化系として、2020年ちょうどパンデミックが最もひどかった時に、日々の食事を通じて免疫力を上げましょう、ということで「発幸レシピ」というものを発表しています。
私は慶應義塾大学で幸福学を教えておられる前野隆司教授の教え子なので、ホッピーの「発酵」と「幸福を発する」を掛け合わせた「発幸」という言葉を選びました。ひめのともみクリニックの管理栄養士の先生に監修いただき、コンビニでも買える食材を使ってお家で簡単に作れる、季節や社会状況に合わせた、身体に良い、やさしいレシピをご紹介しています。それに合わせたホッピーカクテル等で免疫力を上げていきましょうということをご提案しています。
(4)ホッピーハッピーシアター
次の取り組みは「HOPPY HAPPY THEATER(ホッピーハッピーシアター)」です。コロナ期のひとり飲みを楽しくするにはどうしたら良いかを考えました。25年前にロサンゼルスから日本にショートフィルムという文化を持ってきた俳優の別所哲也さんとご一緒させていただきまして、スマートフォンで無料で見ていただける「HOPPY HAPPY THEATER」を作りました。1本5分から25分の長さのショートフィルムを常時16作品ご覧いただくことができまして、毎週木曜日に新しい作品が展開される仕組みとなっています。それと同時に毎年一本、弊社でもホッピーのブランディングにつながるショートフィルムを制作しており、その第一作目にはホッピーファンである俳優の國村隼さんに出演していただきました。
これと連動してYouTubeの「ホッピーチャンネル」を作りました。こちらでは、毎週発表されるショートフィルムに合わせたホッピーのカクテルと簡単なおつまみをご紹介して、週末を楽しんでいただく企画となっています。
(5)ホッピー75周年の取り組み
a.ユニクロ浅草店のUTme!のコラボ
今年の夏、ホッピーは販売75周年を迎えました。その一つ目の取り組みとして、開店2周年を迎えたユニクロ浅草店のUTme!とのコラボレーションがあります。
ユニクロ浅草店には全国のユニクロの中でも数店舗しかない特別なプリンターがあります。こちらのプリンターにはホッピービバレッジのオリジナルスタンプ9種類をインストールしておりまして、来店されたお客様がiPadを操作して好きなスタンプを選んで世界でたった一枚のTシャツやトレーナー、トートバックを作れる、という取り組みでございます。弊社は浅草とは祖父の代から縁が深く、ユニクロ浅草店とコラボレーションさせていただき、大変賑わっています。
b.東宝ミュージカル「SHINE SHOW!」とコラボ
二つ目として現在日比谷シアタークリエで公演中の東宝ミュージカル「SHINE SHOW!」とコラボレーションさせていただいています。主演は宝塚宙組の元トップスターで大変活躍されている朝夏まなとさんです。この「SHINE SHOW!」は三井住友三角ビルのテナントだけが参加するカラオケ大会の実話を基にしたものです。ありがたいことに東宝関係者の方でホッピーファンの方がいらっしゃって、一緒に仕事をしたいとオファーをいただき、カラオケならホッピーだよね、ということで、このような取り組みになりました。
隣の日比谷シャンテでは飲食店5店舗が手を上げてくださいまして、「SHINE SHOW!」のためのオリジナルカクテルを各店舗に合わせて作りました。その企画会議に朝夏さんにも来ていただいて、会議の模様を番組にしてYouTubeで流して、さらに日比谷シャンテでスタンプラリーをしていただき、ファンの方に限定ラベルのホッピーを差し上げるという取り組みをいたしました。
宝塚ファンの方はホッピーを飲んだことがない方ばかりでしたが、自分たちの推しである朝夏さんがこうしてYouTube番組に出て企画会議をやっているのなら飲もうということで、日比谷シャンテで飲んでもらい、これがきっかけでホッピーが好きになりましたというお声もいただくようになりました。
パンデミックの影響は大きいのですが、このようなことで新しい市場を作る扉が開き始めたな、と感じています。
(6)ニューヨークでの挑戦
ホッピーが日本で、東京で皆様に知っていただいているのは大変ありがたい一方で、日本では、新しいことに挑戦したいとき、既存の固定概念がどうしても足を引っ張ってしまいます。先ほど申し上げたとおり惨憺たるイメージを持たれておりましたので、このままではいけない、ホッピーの可能性を狭めてしまう、と考えました。それなら、「あの国でホッピーが好かれたらいいなあ」と思う場所で挑戦しよう、そうなると世界三大都市のどこかになるよね、ということで私はニューヨークを選びました。「mina-chaya(ミーナ茶屋)」という、日本が世界に誇る居酒屋文化、和の食、和のおもてなしをホッピーと共に表現する茶屋をやろうと思いました。いよいよ物件を探そうとなった段階で、パンデミックのため911日間渡航できなくなってしまいましたが、またここから再開してまいりたいと考えています。東京では芽を出しにくいけれど、ホッピーの魅力発揮につながっていく何かをニューヨークで育てて、それを逆輸入することで東京の市場、日本の市場に刺激を与えることができればと思っています。


3.人財教育
ア)社会から必要とされる企業文化創造のために
ここからは弊社の人財教育についてお話いたします。日本のビール業界は世界でも特殊だと思うのですが、弊社以外はみな大手で、大手の中で弊社のような蟻んこが共に戦わないといけないのです。それではどうしたら永続的に経営できるだろうかと考えた時に、真似できないものを作っていくしかないとの思いに至りました。では真似できないものとは何か? それは企業文化であり、そして企業文化を作る人なのです。愛され続ける、社会から必要とされ続ける企業文化を作っていくためには人財教育しかない、と私は考えました。

イ)自分を知る、他人を知る、心磨き
では人財教育とは何をするのか? 私が創業百年の3代目を承継する時に、弊社のお客様からこんな言葉をいただきました。「石渡さん、ホッピーが何でこんなロングセラーになったと思う? 戦略とか戦術ではないのだよ、ホッピーの人柄が良いからだよ。恐らく創業者のおじいさんは人柄が良い人だったのだろうね。お父さんもそうだった。人柄が良いトップのところには人柄が良い社員が集まって、結果として人柄が良い企業文化が生まれる。人柄が良い企業文化から生まれた製品は人柄が良い、だからホッピーは愛され続けるのだよ。なので、あなたが3代目を継ぐことは、この人柄が良い企業文化をきちっと継承して育てていくことだよ。あなたを筆頭にあなたたち社員が心を磨いていくことが大事だよ。」
私も祖父、父を見てきましたので、そこは腑に落ちました。そういうことで私の人財教育の肝は「自分を知る、他人を知る、心磨き」です。

ウ)ホッピー3代目の主戦略:新卒採用・育成
2006年に経営コンサルタントの方から「中小企業は会社が小さいので、社員一人一人が社長の思いを具現化する具現者になることが大事だ。そのためには社会のことを何も知らない新卒を採用して社長自らが教育していくこと、つまり心を躾けていくことが将来この会社を支える力になる。だから新卒採用をやれ。」と言われまして、私は新卒採用の取り組みを決定しました。こうして私の3代目としての主戦略は新卒採用と新卒社員の人財育成ということになりました。

エ)プロになるための10年構想
弊社では、プロになるまでに10年はかかると考え、「プロになるための10年構想」を作り、取り組んでいます。特に内定の時代を含む最初の5年が大事であり、弊社では「丁稚時代」と呼んでいます。学生気分を撤廃して社会人としての基礎、考え方、ホッピービバレッジの社員としての考え方を身に付ける段階だ、ということで基礎教育を徹底して、そのあと「守」「破」「離」としていきます。
実は最近入社してくる学生や弊社を受けに来てくれる学生がどうも幼くなっているように感じることがあります。私は上智大学地球環境学研究科に今年入学して学んでいますが、一昨日環境教育の先生とお話したところ、今の学生は学力が落ちている、とにかくものが書けないし、本も読めないし、思考力も落ちている、というようなことをおっしゃっていました。この彼ら彼女らが3年後社会に出てくるわけです。企業教育のあり方も一から見直しになるし、非常に力を必要とする課題だと思っていますが、彼ら彼女らを社会人として育成できるよう成長あるのみと考えています。

オ)HOPPY EARTH PROJECTなど
パンデミックの最中、都内ではいわば禁酒法のような状態に陥ったことも怖かったのですが、それ以上に怖かったのが、企業として今後どう在るべきかです。3年間という時間をかけて、全世界共通してパンデミックを経験させられると、人の価値観は絶対に変わりますよね。経営者としても企業としても、求められるものが必ず変わるはずで、それに応えられなければ存在が許されない、それをキャッチしないと大変なことになる、と思っておりました。
そこでいろいろな方とお話して、経営者として世界の課題に取り組むことにいたしました。貧困問題や少子高齢化問題などいくつか候補はあったのですが、祖父・父がずっと無駄にしない、もったいないという精神で製品づくりを進めておりましたので、地球環境問題に取り組むことといたしました。そして昨年の2月26日10時13分に始動いたしましたのが「HOPPY EARTH PROJECT」です。まずはご家庭でもできる簡単なこと、それからホッピービバレッジの取り組み46項目をWebに上げました。それを漫画にして書籍化いたしました。今後これを英語、中国語、スペイン語にも訳して全世界に発信していく予定です。
このほか、黒字の中小企業が事業承継者不在のために倒産し、これが年間に22兆円もの損失をもたらすという事実を知り、事業承継の魅力についても発信しています。

カ)思考を変える
やはり最終的には思考を変えないといけないと思っています。虎ノ門、愛宕周辺もそうですが、我が家のある赤坂周辺でも再開発が進んでいます。1985年から86年に建てられた、まだまだ新しい建屋がいとも簡単になくなりました。そのあとに40階の建物が建つそうですが、取り壊された建屋の廃棄物はどこに行くのだろうか? 都心にはもう人が来ないのにこの40階建はどうなるのだろうか? などと思ってしまいます。これからの時代に求められるものと違うことが世の中で進んでいるようで、私たち一人一人が思考を変えなければ地球沸騰化は進むのみと考え、企業として・個人としてできることに今後も一つ一つ取り組む所存です。
最後に
昨夏、パートナー企業として関わりを持たせていただいている瀬戸内国際芸術祭の繋がりの中で、公益財団法人福武財団の福武理事長から「人生、仕事、生き方に感激は必須だ。感激こそが推進力なのだ。だから、石渡さん、初心を忘れるなよ。」と教えられました。まさしくそうだなと思います。初心を忘れずにお隣の地赤坂でホッピー頑張ってまいりますので、どうか今後ともよろしくお願い申し上げます。
ご清聴ありがとうございました。(以上)

講師略歴
石渡 美奈(いしわたり みな)
ホッピービバレッジ株式会社 代表取締役社長
立教大学文学部卒業後、日清製粉(現:日清製粉グループ本社)に入社。人事部に所属し、1993年に退社。広告代理店でのアルバイトを経て、1997年に祖父が創業したホッピービバレッジに入社。広報宣伝を経て、2003年取締役副社長に就任。2010年より現職。
早稲田大学大学院商学研究科修士課程修了(MBA)、慶應義塾大学大学院システムデザイン・マネジメント研究科修了(SDM修士)。
ニッポン放送『看板娘ホッピーミーナのHoppy Happy Bar』パーソナリティ、2015-2016年度東京愛宕ロータリークラブ会長、一般社団法人新経済連盟 幹事、さわやか信用金庫総代、学校法人立教学院評議員、早稲田大学商議員、Super GT 300クラスHOPPY team TSUCHIYAチームオーナー、一般社団法人全国清涼飲料連合会 企画委員会所属。
著書に、『社長が変われば会社はかわる!』(阪急コミュニケーションズ)他多数。