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ファイナンスライブラリー

評者 財務省大臣官房財政経済特別研究官 名古屋大学客員教授 佐藤 宣之

ダレル・ロウボトム 著/佐竹 佑介 訳/一ノ瀬 正樹 解説
確率
岩波書店 2019年6月 定価 本体2,400円+税


(数学書コーナーの非数学書)
「財政経済研究に確率論の理解は必須に違いない」後出の合理的信念ではなく一時的情念の赴くまま、本年7月に都心の大型書店を訪ねて「数学書」コーナーの「確率論」の棚に猪突猛進したところ、周りの数学書とは毛色の異なる本書と目が合った。
本書は、英国ケンブリッジの出版社ポリティプレスの「現代哲学のキーコンセプト」シリーズの一冊で、物理学徒から哲学徒に転じた著者曰く、あらゆる確率学習者の興味をそそる入門書を目指したとのこと。
「訳者あとがき」の通り、記述は簡潔、平易で、多くの具体例を用いて説明され、また要所で著者と学生との対話形式を採って確率論の各学説の動機や思考過程、問題などが批判的に追えるようになっている。
著者は確率の知識を使ってサイコロで大勝した実体験を紹介し「確率を知らないと人生で良くない決断を下す」と語る。誰もが本書に無関心ではいられない。
(確率論の系譜と多彩な学説)
確率論は、哲学、数学、経済学、統計学、物理学等様々な学界で議論され、多彩な学説が生まれた。ただし違う学界での議論には無関心・不寛容な傾向があり、学界横断的な検討は必ずしも進んでいないようだ。
著者の見立てでは、確率論の多彩な学説は「人間が保有する情報の状態」に即した学説と「人間が所在する世界の状態」に即した学説とに分れる。
「人間が保有する情報の状態」に即した学説として「ファイナンス」読者には経済学者として有名なケインズの論理説(確率とは命題同士の論理的関係に基づく客観的な合理的信念の度合で、確率値は一定に決まる)を始め、主観説(確率とは各人各様の主観的な合理的信念の度合で、確率値は各人で異なる)、客観的ベイズ説(主観説に客観的要素を加味することで、確率値は一定に決まる)が主張された。著者の見解では客観的ベイズ説は論理説と余り変わらないとされる。
「人間が所在する世界の状態」に即した学説として頻度説(確率とは物事の頻度で、確率値は一定に決まる)、傾向性説(確率とは物事の頻度自体ではなく、物事の頻度を決める安定的な傾向性で、確率値は一定に決まる)が主張された。
多彩な学説を巡って、特に哲学界では「正しい学説はどの一つか」的な論争が行われがちだが、著者は特定の学説を支持する一元論ではなく、課題に応じて関連深い学説の知見を動員する多元論を採る。
例えば有名問題で見ると、「基準率の誤謬」は頻度説で、「逆転の誤謬」は論理説で、そして本年5月に民放テレビの深夜番組で扱った「モンティ・ホール問題」は傾向性説で考えれば理解し易いと著者は言う。同じく著者曰く、現代物理学は確率論と密接に関わり、しかも確率論の様々な学説と整合的であるとのこと。

(財政経済のために研究された確率論)
本書に書かれていない点も含め、ケインズの確率研究を紹介しておく。元々数学徒だったケインズの著書「確率論」は、確率の理解は推理過程を体系化し、曖昧な知識を明瞭な知識に変化させると主張する。
最新のケインズ研究によれば、ケインズは学界(母校ケンブリッジ大学教員)と官界(大蔵省職員として第一次世界大戦後のパリ講和会議に参加)とを行き来する中で、個人が不確実な状況下でも合理的に行動しうることを論証すべく確率研究に励んだという。
ケインズが「確率論」と同時期に著した「平和の経済的帰結」はパリ講和会議がドイツに課した高額すぎる賠償を批判し、公共投資によるドイツを含めた欧州各国の共存共栄こそ重要であると説く。景気低迷時に公共投資による合理的個人の「気」の刺激の重要性を説いたケインズの主著「一般理論」がこうした研究・実践の延長線上にあることは想像に難くない。

(財政経済の言説における確率表現)
本書を読んで改めて振り返ると、定性表現の中に隠れている場合も含め、およそ言説は確率表現を含むことが多く、特に将来予測に関わることの多い財政経済の言説は尚更そうである。
実例を見よう。「国債の評価は政府のガバナンス、つまりは財政の健全性で決まる」との言説は断定表現なので確率100%の言説である。「コロナ禍が終わっても財政赤字の拡大を容認することは、国債の格付けに影響しかねない」との言説は断定表現ではないので確率100%未満の言説であるが、「しかねない」に込められた確率は、書き手と読み手の間で、或いは異なる読み手の間で理解が一致しているのだろうか。
理解の一致のために定量的な確率表現が良さそうだが、文脈を離れて数字が一人歩きする危険もある。人口、労働力、経済の動向を踏まえて5年毎に年金財政の健全性を診断する「財政検証」を例に考えよう。
最新の「2019年財政検証」は、経済成長率の方向性を決定づける全要素生産性上昇率(技術進歩や生産効率化など質的成長要因の上昇率)の2029年度以降の長期の見通しとして、ケースⅠ(全要素生産性上昇率1.3%以上)からケースⅥ(同0.3%以上)まで6ケースを設定した。例えばケースⅢ(同0.9%以上)は過去30年間の全要素生産性上昇率の実績値の63%をカバーする。頻度説に立てば、ケースⅢが確率63%で「各年度に」実現すると考えるのは正しい一方、ケースⅢが確率63%で「継続的に」実現すると考えるのは正しくない。ケースⅢが5年度続けて実現する確率は、各年度の全要素生産性上昇率が互いに独立なら、(63%)⁵=10%となるからだ。

(「確率」か「確からしさ」か)
評者の年代は小学6年時と中学2年時に確率を学習したが、小学6年時は「確率」の代わりに「確からしさ」と称された。当時の評者は「仮名交じりにわざわざ言い換えなくても確率でわかるのに!」と生意気な態度だったと記憶するが・・・実は「確からしさ」は明治初期の数学者による原語(英語のプロバビリティ)の翻訳に由来するようである。遅すぎる反省を込めて言えば、「確率」は「率」を含むため数字のニュアンスが強い一方、「確からしさ」の方が原語のニュアンスにも、確率論の議論の実態にも近いのではないか。

基準率の誤謬
あなたは生命保険加入時の検査で1万人に1人しか罹患しない病気の陽性反応が出た。検査で偽陰性は出ないが、偽陽性は1%の割合で出る。あなたの罹患率は100%-1%=99%…は正しくない。即ち、罹患者1人、非罹患者9999人。偽陽性者=非罹患者×1%=99.99人。陽性反応者=罹患者+偽陽性者=100.99人。陽性反応者の罹患率=罹患者÷陽性反応者=0.99%と1%未満なのだ。
条件つき確率、逆転の誤謬
条件つき確率は命題Xが真(=成立確率100%)である時の命題Yの成立確率を指し、逆転の誤謬は条件つき確率をその逆の条件つき確率(=命題Yが真である時の命題Xの成立確率)と混同することを指す。例1は混同の余地はなさそうだ。他方、米国の実際の陪審員裁判に基づく例2は、ゾッとする結論だが、評者は混同の沼から暫く脱出できなかった。
例1 命題A「全ての猫は黒い、かつ彼は猫である」が真である時の命題B「彼は黒い」は真。命題Bが真である時の命題Aは真偽不明。
例2 被疑者のDNAと犯罪現場の毛髪のDNAとが一致した。犯罪科学者は「毛髪が被疑者のものでない場合、DNAが一致する確率は100万分の1未満」との科学的知見を披露した上で、法廷尋問を進めたところ、同じ犯罪科学者は「DNAが一致する場合、毛髪が被疑者のものでない確率は100万分の1未満」といつの間にか主張していた。

モンティ・ホール問題
テレビのクイズ番組で、1番~3番の三つの扉のうち一つの扉の裏に賞品の車を、二つの扉の裏にハズレの山羊を無作為に置く。ゲストが1番を選ぶと、扉の裏を見られる司会者は裏に山羊を置いた3番を開く。司会者から「2番に変えますか?」と問われたゲストは選択を変えるべきか? 正解はイエスでその理由は、1番の裏に車を置いた確率は1/3⇒2番の裏又は3番の裏に車を置いた確率は1-1/3=2/3⇒3番の裏に山羊を置いた情報を加味すると2番の裏に車を置いた確率は2/3となる。正解したゲストはIQの高い数学の素人だが、多くの数学者は「1番の裏に車を置いた確率も2番の裏に車を置いた確率も同じ1/2」と反論し、更には「数学を一から学べ」と正解者に説教する数学者も現れた。「数学界の常識が数学の非常識」になりうることを示す出来事である。