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「微笑みの国」タイ政治・経済のいま~人・車・活気があふれる国~

在タイ日本国大使館二等書記官 和田  直之


1. はじめに
はじめまして、サワディカップ。筆者は現在、バンコクにある在タイ日本国大使館に財務アタッシェとして勤務しています。2022年6月の赴任以来、約1年3ヶ月が経過しました。赴任時には、まだコロナ禍の入国規制が若干残っておりましたが、やがてすぐ撤廃。その他の行動規制もちょうど廃止され、幸いにも、自ら足を運び、政府・国際機関関係者や日系・非日系の企業の方々とネットワーキングする機会に恵まれています。
バンコク市街に出れば、多くのタイ人や観光客の活気であふれ、至る所で屋台が見つかり、道には常と言ってよいほど車の渋滞が発生しています。しかし、コロナ禍にはロックダウンも経験し、今では考えられないほど街はがらがらだったようです。経験者から聞くところ、現在の状況はコロナ前か、あるいはそれ以上のようで、「これぞタイ」ということなのだと理解するようになりました。また、タイ人は本当に笑顔で優しく、例えば、いつも挨拶では手を合わせて敬意を示したり、子供にも優しいのでどこへ行っても子連れを優先してくれる・・・。挙げたらきりがありませんが、そんなタイ人の明るさや人々の活気は、日本の生活では感じることがないものです。さすがの「微笑みの国」。こんなに過ごしやすい国はないと感じます。
そんなタイは、近年ぐんと経済成長を遂げており、首都バンコクでは高層ビルが建ち並び、世界中のあらゆるモノがほぼ入手可能、物価・地価は高めの水準。ASEANの優等生というイメージそのままに、都会での便利で高度な暮らしにも驚かされますが、他方で「中所得国の罠」から抜け出せずにいるなど、構造的な経済的課題を抱えています。また、今年5月には下院総選挙が実施されましたが、野党急進派が熱烈なタイ国民の支持を背景に、親軍政党による現行体制への挑戦を行い、大勝するという出来事となりました。しかし、本稿執筆中の8月下旬に親軍政党と連立を組んだ第2党から首相選出がなされ、社会・経済へ与える影響が懸念されている状況です。実は、まさに今がタイという国の今後が左右される、経済・政治両面の分岐点なのではないかと感じます。本稿では、タイの最近の政治・経済情勢に関するホットトピックスと現状をご紹介しながら、筆者がなぜそう感じるのか、ぜひお伝えできればと思います*1。もしかしたら、皆さんのタイのイメージが変わるかもしれません。


2. タイ概観
まず、タイという国の基本情報について。タイはASEAN・メコン地域の中心部に位置し、カンボジア、ラオス、ミャンマー、マレーシアと国境を接しています(ミャンマーとの国境は2,400km以上)。国土面積は約51万km2(日本の約1.4倍、ASEAN10カ国ではインドネシア、ミャンマーに次いで3番目の大きさ)、人口は約6,609万人(日本の約2分の1)となっています。国土の約47%(約24万km2)が農地面積であり、これは日本(4.3万km2)の約5.5倍となっています*2。
タイの人口は、2021年に高齢者割合が14%を超えて「高齢社会」に移行、数年後には「超高齢社会」に突入します。また、少子化も進行しており、合計特殊出生率は1.33と日本と同水準です*3。生産年齢人口(15~64歳)は既に2018年に減少局面に入っており、慢性的な労働力不足が現在と今後の課題となっています。経済が回復し、海外旅行客が回帰するなど需要も回復していく中で、タイ政府としては、短期的には外国人労働者の確保、そして中長期的には人材の質の向上、すなわち労働力人口の伸びの減速を補完するだけの労働生産性向上が不可欠となっています。加えて、タイの産業別の就業者をみると、農業従事者が占める割合が約3割となっており、就労構造の転換も促していかなければなりません。地方や農村に労働者が一定割合存在することについて、世銀のカントリーエコノミストの方に話を聞くと、若者は地方から都市へ出てきて企業でいったん働くものの、やがて親の介護のために帰郷してしまうという実態があるとのことでした。タイには介護保険制度のような十分な公的制度がないため、高齢者介護システム=コミュニティで支えるというのが現実です。
タイで近年増加する外国人労働者については、2022年には約300万人が主に製造業、建設業、農業に従事しています*4。そのうち9割を近隣のミャンマー人・カンボジア人・ラオス人が占めており、また数字には表れていない不法労働者もいるといわれています。たしかに、バンコクでの日常生活において、高層ビルやコンドミニアムの建設現場が至るところにありますが、バスや車の荷台に多数乗り合い、現場に集合している出稼ぎ労働者をよく目にします。
タイの名目GDPは、5,362億ドル*5(インドネシア(13,188億ドル)に次ぐASEAN2位)、一人当たりGDPは7,651ドルとなっており、上位中所得国に位置付けられます。産業別では、GDPのうち約3割が製造業でトップシェアとなっています。これは、1980年代から日本企業をはじめとする外資企業が次々に進出し、自動車やエレクトロニクスの輸出拠点として、サプライチェーンを構築していることからも明らかであり、モノを作って輸出するというのがタイの産業の特徴です。
タイはASEAN諸国の中でも早期に経済成長を達成していますが、賃金上昇や少子高齢化の進展による労働力確保に課題が生じており、他の原因とも相まって経済成長が停滞する「中所得国の罠」に陥っています。プラユット政権(2014年8月~2023年8月)では、産業構造の高度化をはかり、先進国入りを果たすべく、2016年に「Thailand 4.0」という国家戦略を立てています。この目標は、自動車やエレクトロニクスなど既存の産業のいくつかを重点産業と位置づけ、高度先端技術・イノベーションを導入して産業高度化や国際競争力強化を行い、持続的成長を目指すというものです。タイは、高度な技術については日本を始めとする外資企業に依存する形で、付加価値の低い機能や工程を担ってきた側面があるため、人材育成や労働生産性向上を通じた産業高度化、高付加価値化を、タイの地場企業も担っていくことが重要になります。
なお、中所得国ではありますが、首都バンコクの一人当たりGDPは先進国並みの約16,744ドル*6となっています。バンコクは東京より密集しているのではないかと思うくらい、高層ビルが建ち並び、物価も高い印象です。ただ、これはバンコクのみで、第2の都市チェンマイだと、一人当たりGDPは約3,757ドルとなります。タイはバンコク一極集中の状況であり、バンコクから郊外へ少し車を走らせれば、のどかな田園風景や牛が飼育されている様子が広がっています。


3. 日本企業の存在感と立ち位置
日頃、日本企業の方々から現地や世界での活動状況についてお話を伺うことが多いのですが、タイ経済を語るにあたり、日本企業の存在感についてぜひともご紹介したいと思います。
まず、タイに進出する日系企業数は5,856社あり、この数は、海外では中国・米国に次いで3番目に多いです*7*8。内訳は、製造業40%、サービス業等の非製造業が55.6%ですが、タイでは従来、自動車や電気機械に代表される製造業が製造拠点・サプライチェーンを構築し、輸出や雇用面でタイの経済成長をリードしてきました。近年は、製造業は横ばい、非製造業の進出増加が目立ちます。
次に、日系製造業の代表的産業である自動車産業と、最近の同産業界の動きについてご紹介します。タイで道を走っている車に注目すると、日本車の割合が相当高いことにすぐに気付きます。タイは、自動車生産量が世界第10位*9と東南アジア最大の生産国で、その約半数を輸出しています*10。バンコクや近辺の工業団地には、日系各社の生産工場が所在しています。2022年タイでの生産(約188万台)における日系シェアは実に85%超え、2023年上半期の販売(約41万台)のうち、日系シェアは約79%に上ります*11*12。これら日系シェアの数字を見ると、やはりタイ自動車生産・販売市場における日本企業の存在感は大きく、日本にとっても重要な製造拠点かつマーケットであることが分かります。しかし、最近は電気自動車(EV)等の次世代自動車が、タイ政府のEV振興策の後押し(消費者向けには補助金・物品税軽減、メーカー向けには輸入関税軽減等)もあり普及が急速に進んでおり、日本がこれまで引っ張ってきた自動車製造・国内外での販売市場での変化の兆しがみえてきています。タイにおけるバッテリー式EV(BEV)四輪車の登録台数は、2022年に約1万台(前年比約5倍)、2023年は上半期が過ぎた段階ですが、さらにその3倍である約3万台となっており*13、乗用車販売台数の約10%をEVが占めるようになりました。なお、そのうち8割超は中国系です。タイ政府は、タイへのEV投資に関し、タイ投資委員会(BOI)による投資恩典付与で後押しをしており、中国自動車メーカーが生産拠点を構えることを次々に発表しています。このEV普及の波、タイ政府のEV振興策にどう対応していくのかが、日系自動車・自動車部品業界の懸案といえます。
製造業以外では、サービス業、特に日本食レストランの増加も特徴的です。コロナ禍においても減少することなく、2022年時点で5,325軒もの日本食レストランがあります。筆者は和食派ですが(本場タイ料理は最高です。でも毎日食べるにはカロリー・塩分がネック)、海外でここまで和食に困らないことに驚きます。同時に、タイ人や観光客にも大人気である様子を見ると、日本人であることが非常に誇らしいです。
タイは親日国とよくいわれますが、日本企業がタイの経済成長を支え、自動車や和食などタイ人の生活の中に日本が根付いていることが、日本への理解につながっているからではないかと感じます。

コラム1
日本食・酒類ブーム
バンコクには、日本人が多く暮らすスクンビットエリアに限らず、至るところに日本食レストランがあり、常にタイ人や観光客でにぎわっています。知り合いのタイ政府職員は「外食のプライオリティはまず日本食。タイ料理、イタリアン、中華はその次だ」と言っており、日本人でいう「イタリアン行くか」というような感覚で、日本食がよく選ばれている印象です。日本食のバラエティは日本とも遜色ないほど豊かで、定食屋や居酒屋、ラーメン屋、回転寿司から、焼肉やOMAKASEと呼ばれる高級寿司まで、各所得層のニーズ・シチュエーションに応じて見つかります。
財務アタッシェの業務として、日本酒類の販路開拓・輸出促進も担当しているところ、日本酒類のインポーターの方とお話することが多いのですが、日本酒や日本ウイスキーの人気も上々で、これらの輸入やレストランへの卸売も伸びていると聞きます。タイの若者は梅酒やリキュールなど、甘いお酒を好む傾向がありますが(試飲会では大人気)、日本酒や焼酎・泡盛等、他の酒類の若者層への知名度向上もどんどん図っていきたいと思っています。
写真: スシローの様子。タイ人家族連れが1時間待ちで並んでいるのを見ると、思わず笑ってしまいます。


4. 経済・財政概況
(1)経済
タイ経済はコロナ禍からの回復基調が続いています。コロナ禍の2020年の実質GDP成長率は前年比▲6.1%と落ち込みましたが、2023年Q2は1.8%(前年同期比)と、コロナ禍前の水準まで回復しています。これは、コロナ禍の行動制限緩和等による民間消費回復、農業部門の成長、観光業界の回復、海外需要の回復による輸出増等が寄与しています。GDPを産業別にみると、コロナ禍で壊滅的なダメージを受けた「宿泊・外食」、「交通・運輸」がコロナ禍前の約9割まで回復しています。もっとも、GDPの3割を稼ぐ製造業の生産額は伸び悩んでいます。また、GDPの2割を占める観光業に目を向けると、2022年10月に入国規制を完全に撤廃して以降、着実に外国人観光客が戻ってきており、2023年の予想では約4,000万人と、コロナ禍前水準にほぼ近くなっています。他方、輸出では、主要輸出先国である米国と中国の需要に強く影響され、例えば米国経済が鈍化した2022年後半には低迷、中国向けは中国がリオープンしてからは急速に回復しました。先述のようにタイの産業はモノの輸出が非常に重要なため、全体的に持ち直しているものの、今後も世界経済の先行きに注意する必要があります。
こうした状況・要因を踏まえ、タイ中央銀行は2023年のGDPを3.6%と予測しています。
タイのインフレの状況はどうでしょうか。タイのインフレ率(消費者物価上昇率)は、2022年にオミクロン株の流行、ロシアのウクライナ侵攻による燃料価格の高騰等を要因として、約8%に到達することがありました。他のASEAN諸国も同じ傾向がみられましたが、他国よりも早く収束し、本年7月には0.38%をつけるなど、現在は低水準となっています。これは、インフレがエネルギー価格や食品価格の高騰というコスト・プッシュ要因で生じており、これらの収束に従っているためです。昨年インフレ率が上昇してきたタイミングで、タイ中央銀行はコロナ禍で過去最低の0.5%まで下げていた政策金利の引上げを開始しています。直近(本年8月)まで7会合連続で引き上げてきていますが(2.25%。過去9年間で最高)、インフレ率については、まだエネルギー価格・食料品価格の低下を一時的要因と見積もっており、今年後半の上昇を警戒しています。
タイへの直接投資については、累積投資額で日本がトップを維持していますが、単年ベースでみると、BOIの承認額が近年中国に追いつかれてきています。先述のEV関連の中国からの投資のスピード・勢いが感じられます。
さらに、最近のタイ経済においては、家計債務の問題がよく話題に挙がります。すなわち、住宅ローンや自動車ローン、家計消費といった個人向けローンの債務負担が年々増え続け、家計債務残高は約16兆バーツ、対GDP比で90.6%という高まりを見せています。これは、コロナ禍の収入低下のほか、デジタル・ローン普及で消費者の資金アクセスが容易になっていることが原因といわれています。また、先述の金利上昇の影響により、債務者が返済に苦しみ続ける悪循環も生まれています。家計債務の高まりも理由に、金融機関の与信審査が厳しくなってきており、その結果、今年上半期の新車販売市場が前年同期比で5%減少するなど、人々の暮らしへの影響が出始めています。タイ中央銀行はこの点を非常に問題視しており、商業銀行に対して債務の再構成を求めたり、「責任ある貸付けガイドライン」の策定を行っているところです。公的債務比率より家計債務比率が大きいという状況にありますが、家計債務が経済の足を引っ張っていくのか、またタイ政府が今後この問題にどう対処していくのか、個人的には注目しています。

(2)財政状況
タイの財政状況について。公的債務残高は、コロナ禍の歳入減少及び歳出拡大への対応のため、国債発行や借入れが増加し、2010年代には40%台で推移していたのが、2022年には60%台まで上昇しました*14。また、タイは15年以上の財政赤字が続いており、今後は少子高齢化による歳出増加や歳入減少に備える必要が世銀エコノミスト等から指摘されています。紙幅の関係で詳しく紹介できませんが、タイ税制において、個人所得税の税収全体に占める割合は低めです。13~21年度の税収に占める個人所得税の割合は12.2~13.7%で推移していますが、これはアジア・太平洋諸国平均(16%)、OECD加盟国平均(24.1%)と比べて低い水準です。税制改革を含めた税収拡大のための方策も必要との指摘を受けやすく、また今後重要な課題となる可能性があります。
そのような状況の中、後述する今般の下院総選挙では、多くの政党からばらまき政策がマニフェストとして出てきて、現地のシンクタンクや財務省、タイ中央銀行からも厳しい指摘がなされるほどでした。


5. 政治情勢
(1)下院総選挙と混迷する新政権樹立の動き
タイの政治における大きなイベントとして、今年5月に下院議員総選挙が実施されました。結果は、軍の影響力が強い与党・保守政党が敗れ、野党政党が大きく勝利。印象的だったのは、投票率75%(過去最高)と、若者を含め国民の関心が非常に高かったことです。それもそのはず、直近の政権が2014年にプラユット陸軍司令官(前首相)のクーデターにより成立して以来、いわば親軍政党内閣であったところ、政治家の汚職増加やコロナ禍の経済対策への不満、反政府・反王室の社会改革を掲げるデモの発生など、現行体制への不満が拡がっていたため、与党敗北の結果が大方予想されるタイミングでの総選挙でした。話題の中心は、タクシン元首相の地盤と影響力を背景とする貢献党にありましたが、タブーである王室に対する不敬罪改正や徴兵制廃止など、タイに深く根付く古い体質の刷新を掲げた前進党が、不満を持つタイ国民の幅広い支持を得て第1党(151/500議席)となりました。貢献党の大勝利ではなく、より急進派である前進党の躍進は誰もが予想していませんでした(貢献党は141/500議席となり、第2党)。もっとも、筆者の周りでは、例えば大使館タイ人スタッフは皆、カリスマ性がありタブーに斬り込んでいくピター党首を支持していましたし、住居アパートの若いタイ人スタッフも「ピターならこの国を変えてくれる」と言っていました。バンコクの小選挙区の結果は、前進党が驚異の32/33議席獲得でしたが、周囲の状況をみると納得です。同時に、ここまで熱狂的な支持を獲得したピター党首の手腕に感銘を受けました。
しかしながら、下院第1党が首相の座に就くことが約束されないというのも、タイの首相選出のしくみです。選挙後、前進党は貢献党ほか旧野党連合を結成し、連立政権を目指しましたが、上院も参加する両院合同会議において、ピター党首が首相選出に必要な過半数賛成票を得ることができませんでした*15。その後もピター氏のメディア株式保有による憲法違反の疑い(憲法裁判所で審理中)や、一度否決された議事は再度上程することが許されない(一事不再理)との国会規則適用の結果、ピター氏の再度の首相選出馬が不再理として許されず、この扱いの合憲性が憲法裁判所に請求される等、様々な事態が生じて首相選出が延期されました。結局、一事不再理の適用について憲法裁判所が訴えを却下し、違憲判断を下さなかったため、第2党の貢献党に首相選の出番が回っています。これらの動きは、最初の首相選が行われた7月13日以降の1ヶ月余りで次々に報道され、連日めまぐるしく状況が変わっていきました。そして、本稿執筆中の8月22日、前進党との連立を解消し、新たに保守派・親軍政党との連立を発表していた貢献党から、セター氏が上院の支持を得て首相に選出されました。現行体制からの脱却を望んだ多くのタイ国民からすればがっかりする結果となりましたが、今後の政治運営において、タイ国民の支持をどれほど引き寄せられるかが重要になりそうです。今後タイ政治がどのような方向に進んでいくのかは、まさに分岐点の瞬間であるといえると思います。
なお、平和な国であるというイメージがあったので意外だったのですが、タイではクーデターが近年に何度も発生しており、軍勢力が政権を握ることが繰り返されています。直近の政権は、2014年のクーデターに始まり、2019年に下院総選挙で勝利した親軍政党による連立内閣です*16。過去には、反軍の国民大規模デモと軍が衝突して血が流れるという事態もありましたが、クーデター自体にはタイ国民は慣れていて、クーデター政権であるか否かというよりは、物価や賃金など、生活に直結する経済面での成果を(良くも悪くも)率直に評価しているように思います。

コラム2
タイにおける選挙運動
タイでは日本のようなポスター掲示の指定場所があるわけではなく、選挙期間中は街中で無造作に立て看板が現れます。一応、車がよく止まる交差点ではたくさん置かれていたりするので、注目ポイントを選んでいるように思います(「こんな路地に設置する意味ある?」というものも多々あり)。有権者の投票方法は、選挙区における候補者と政党自体に対して行いますが(小選挙区比例代表並立制)、各候補者の選挙区内における番号と、各政党の共通番号が割り振られており、有権者は2つの番号を記入します。そのため、各政党・候補者は自分(たち)の番号を覚えてもらうよう、政策とともに看板や演説でアピールします。
また、今回の下院総選挙で勝利した前進党は、SNSでのアピール戦略が功を奏したといわれています。ピター党首は42歳と若く、インスタグラムやTikTokを巧みに操り、若者(Y―Z世代)の支持をうまく獲得しました。
写真: 選挙看板で政策や自身・政党の番号をアピール。
写真: ピター前進党党首のインスタグラム投稿

(2)新政権の動きに対応するタイ財務省物品税局
「日本の酒造はなぜ小規模で品質・経営を維持できるのか教えて欲しい。」総選挙後、タイ財務省物品税局から突然入った連絡がきっかけで、日本の酒税・関連規制と国税庁の実施する海外販路開拓を含めた日本酒類の振興策について、同局幹部の方に講演する機会を得ました。
経緯を聞いてみると、前進党を筆頭とする政党連合が「酒類等あらゆる業界における独占排除・公正な競争促進」という公約を掲げていることから、酒類税制・規制を担う同局が日本の例を参考に検討を始めたいとのことでした。タイの酒業界は財閥の寡占状態であり、中小企業の参入が難しい規制となっているため、これを打破するとともに徴税基盤拡大も見込めるということで、物品税局も新たな規制のあり方を考え始めています。日本の酒造はほとんどが中小企業ですが、商品のクオリティ・ブランドを維持していること、また中小規模ならではの経営面の課題があるにもかかわらず、国税庁を中心に振興策を講じて業界全体を守っていること、等がお手本として物品税局の目に映っているようです。質問が多く寄せられ、問題意識が特に高いと感じたのは、規制緩和により中小事業者が参入することによるデメリット、つまり、違法品や模倣品の流通阻止等の酒のクオリティ管理です。日本では、国税局がサンプル調査や酒蔵への技術支援を行ったり、酒税調査において科学的分析を行いながら違法な酒との見分けを行うなど、クオリティ管理のための体制が整っています。
先述のとおり、公約を掲げた政党連合は解消しており、新政権の動き次第にはなりますが、講演後も質問は継続しており、お酒の規制という面からタイ政府への協力を続けていきたいと考えています。


6. デジタル決済環境
最後に、タイの暮らしの中で根付いている、便利なデジタル決済の普及についてご紹介します。最近は、日本でも電子マネーを利用したキャッシュレス決済が普及してきていますが、タイではもっと早くから、統一規格のQRコード(Promptpay)を用いた決済・送金が主流になっています。Promptpayは、銀行口座番号や相手の名前が分からなくても、電話番号又はIDナンバーのいずれかが分かれば、誰でも瞬時に無料で送金できるシステムです。銀行口座ごとに紐づいているところ、スマホの銀行アプリの中には、自分のQRコードや他人のQRコード読み取り機能が搭載されており、操作も非常に簡単です。導入費用が不要で、街中の屋台やレストランでもQRコードがぶら下げられているので、ほぼどこでも利用できます。
このPromptpayは、2015年にタイ中央銀行が「国家電子決済マスタープラン(National E-Payment Master Plan)」を策定し、電子決済の推進を国家プロジェクトとして開始したことに端を発します。タイ銀行協会や商業銀行が出資する開発組織(National ITMX)が新たなモバイル決済プラットフォーム「Promptpay」を開発し、これが国家の定めた統一規格として、2017年に運用開始、現在まで普及しています。もちろん、日本でいう電子マネーに当たる、民間決済事業者が提供するe-walletも複数存在するのですが、登録者数は圧倒的にPromptpayに軍配が上がります。普及状況については、PromptpayのID数は2021年末で約6,900万ID、2021年のデジタル決済総額にPromptpayはじめモバイル・インターネットバンキングが占める割合は78%となっています。
また、Promptpayは2021年4月よりシンガポールの即時リテール決済システムPayNowと連携することで、クロスボーダーでの送金にも対応しています。国内決済と同様に、相手の電話番号と送金金額を入力するだけで、即時に送金が可能となっています(手数料は若干生じます)。他にもベトナム、マレーシアなど、ASEAN諸国内での決済の連携も増えてきており、ASEAN内での人の出入りが頻繁にあることを考えると、ニーズにかなう重要な取組みであるように思います。
もう一点、モバイル決済普及に一役買ったのが、タイ政府がコロナ禍における生活費補助の手段として、モバイルアプリを活用したことです。タイ政府は、コロナ禍の家庭支援策として、支払額の半額を政府が負担するCo-payという政策を実施しました。その際、政府保有のクルンタイ銀行アプリ上で作成される専用QRコードを、補助対象の規格としました。結果として、多くのタイ国民が同アプリのユーザー登録を行い(IDがあれば口座開設が比較的容易)、現在約4,000万ユーザーの登録がされています。スマホを所有できない低所得層にはすぐに届かないことなど課題もありますが、コロナ禍に迅速に、簡便に補助金を届けるという点で非常にメリットがあったと、アーコム財務大臣から伺いました。コロナ禍以前の段階で既にデジタル決済の普及が進み、タイ国民の抵抗がないという下地が整っていたからこそ、成功した例でもあるといえます。
写真: 屋台でもPromptpayの支払いがメジャー


7. おわりに
本稿では、タイが先進国入りを目指す上で、ネックとなるであろう経済・財政面での課題、また現行体制からの変革を願うタイ国民の熱い思いなど、経済・政治両面での様々な課題について紹介しました。また、これらの課題が、これまでタイ経済の発展に貢献してきた日本企業に対しても、今後の投資判断や国際競争への影響を生じさせています。まさに今が、タイの発展の歩みが今後も進むのか止まるのかという、分岐点の時期にあると感じるところです。
他方で、「微笑みの国」タイでは、人々が常に笑顔で迎えてくれ、(良くも悪くも)小さいことは気にしない、人を明るく元気にしてくれる活力であふれています。この素晴らしい文化はこれからも変わらずにいて欲しいと強く願います。
タイの魅力を本稿で語り尽くすことは不可能ですが、皆様にタイという国について、少しでも興味・関心を持っていただけましたら幸いです。コップンマーカップ。

コラム3
最強のモビリティ=バイク?
バンコクでは(東南アジア諸国ではあるあるですが)、中心部の渋滞が日常茶飯事です。経済成長に伴い、タイ人の自動車保有率が高まっている反面、必要な道路整備や公共交通機関が十分でないことなど、原因は様々あるようですが、通勤時間帯や雨が降っている時は特にひどく、用務先に遅れてお詫びする、あるいは先方の待ちぼうけを食うという事態がままあります。渋滞時の救世主は、オレンジ色のジャケットを着たバイクタクシーです。一定の距離ごとに“バイタク”たちが集合しており、お願いすると動かない車の間を縫いながら、安価にかつスピーディに運んでくれます*17。また、バイタクはGrabアプリでも呼び出すことができ、同アプリでは他にも食品・日用品のデリバリーも便利で、筆者も重宝しています*18。雨季の長いタイで、雨が多いことを考慮すると、救世主バイタクでも「最強のモビリティ」の称号までは渡せないですね。
写真: バンコク市街の渋滞の様子

コラム4
サッカー人気と日本人監督の偉業
タイ国民の最近の人気スポーツであるサッカーにおける日本との接点を少しだけご紹介します。サッカータイ代表は、現在FIFAランキング113位(日本は20位)、ワールドカップ出場経験はなく、2018年ロシアワールドカップ予選で日本と同組の最終予選進出が最高で、国際大会の本戦に出てくることはなかなかありません。ですが、「タイのメッシ」ことチャナティップ選手のJリーグ移籍をきっかけに、タイ人選手がJリーグで活躍する例が出てきており、タイ人からのサッカー人気も、サッカーのレベル自体も着実に高まってきています(Jリーグを見ているタイ人も多いです)。Jリーグのクラブが春季キャンプをタイで行ったり、また「Jリーグアジアチャレンジ」としてJリーグとタイリーグのクラブが対戦するなど、日本サッカー界との関係が結構あります。
また、実は日本サッカー界の貢献も大きいです。昨シーズン、2年連続でリーグ優勝を果たしたブリーラム・ユナイテッドの監督は、鹿島アントラーズで実績ある石井正忠監督ですし、ベガルタ仙台やオリンピック代表監督を歴任した手倉森誠監督が、チームを替えて2年連続でタイのクラブで指揮をとります。さらに、西野朗元日本代表監督はロシアワールドカップ後にタイ代表監督を務められました。有名な日本の監督たちがタイサッカー界のレベルアップに貢献されています。
次のワールドカップでは参加国もアジア枠もともに増加するので、悲願のワールドカップ出場に向けてタイサッカーはさらに盛り上がっていくでしょう。日本人監督たちがレベルの底上げに貢献しているタイにも注目です。
写真: 日タイの相互理解と友好親善の功績に鑑み、石井監督へ梨田大使より在外公館長表彰を行いました。
写真: タイ外務省とのサッカー交流の様子(筆者は後列右から2番目)

グラフ1 タイの少子高齢化の状況
グラフ2 日系企業・日本食レストラン数
グラフ3 タイGDPの状況
グラフ4 産業別GDP水準のコロナ前からの回復
グラフ5 観光客数
グラフ6 インフレの動向
グラフ7 タイへの直接投資
グラフ8 Promptpay利用状況

図1. Thailand 4.0

*1) 本稿は全て筆者の個人的見解であり、筆者の所属する組織を代表するものではありません。
*2) 農業大国であることを示す指標として、最近の食糧自給率の数字がないのですが、穀物自給率はアジアではカザフスタンに次いで高い121%。ちなみに日本は28%(FAO、農林水産省)。
*3) 世界銀行(2021年)
*4) タイ労働省雇用局
*5) IMF World Economic Outlook(2023年4月)
*6) Gross Regional and Provincial Product (GPP)(NESDC)(2021年)
*7) 外務省「海外進出日系企業拠点数調査」(2022年調査結果)、JETRO「タイ日系企業進出動向調査2020年調査結果」
*8) 日本人駐在員数も相当高く、在留邦人数は約7.8万人(中国、米国、豪州、に次ぐ4番目)(外務省(2022年10月))
*9) 国際自動車工業連合会(OICA)
*10) 1997年のアジア通貨危機時の国内需要の縮小(生産能力余剰)、バーツ下落による輸出競争力の高まりにより、以降タイの輸出拠点化が進行
*11) JETROバンコク作成資料、タイ国トヨタ自動車
*12) ちなみに、二輪車(バイク)の登録はホンダ(約8割)とヤマハ(約1割)2社だけで9割超(タイ運輸省陸運局)
*13) タイ運輸省陸運局
*14) 「国家財政金融規律法」により公的債務残高GDP比の上限が定められているところ、タイ政府は2021年に従来の上限60%を70%へ引き上げました。
*15) 上院は非公選で、ほとんどが親軍派です。上院は250議席のため、上下両院合同会議において首相選出されるためには、両院合わせた議席の過半数(376議席)が必要で、ピター党首が選出されるためには一定数の上院議員の賛成が必要。不敬罪改正への嫌悪を示す上院議員が多く、ほとんどがピター氏不支持という結果に終わりました。
*16) 厳密には、貢献党が第1党となりましたが過半数に達せず、親軍政党連合が政権を担うことになりました。
*17) バンコクには5,556拠点、80,657名が登録(タイ運輸省(2022年12月末))。この公的に把握されるバイタクとは別にGrab等のバイタクも存在。
*18) いわゆるギグ・ワーカーですが、遠藤環教授(埼玉大)によると、都市化の進展と渋滞の悪化に伴い、公的部門だけでは対応できない、ニッチ市場を狙ったサービス職種創出の成功例。自営業職種の重要な生計手段になっています。