評者 渡部 晶
辻廣 雅文 著
金融危機と倒産法制
岩波書店 2022年8月 定価 本体17,000円+税
本書カバーの裏扉には「バブル崩壊から20年以上に亘る日本の金融危機が、先進国間で突出して長期化した理由は何か。金融危機克服の過程はどのようなものだったか。そして明治期以来100年ぶりに行われた倒産法制の全面刷新はその要請に応えられたのか。金融機関、官僚、法律家、研究者等を直接取材して得られた生の情報を比較制度分析の手法によって体系化し、この時代の経済システムの転換の困難さを経路依存性の視点から捉えて、その全貌を明らかにした」とある。
本書の著者の辻廣雅文氏は、週刊ダイヤモンドを舞台に長らく活躍、同誌編集長等を務めたのち、2015年から帝京大学経済学部教授である。評者は公務出張中で参加できなかったが、本年4月5日の財総研のランチミーティングでは「倒産法制の歴史と課題~『金融危機と倒産法制』から~」(財総研HPに資料up有)と題して本書の概要のプレゼンがなされた。辻廣氏は、「完成までに8年を費やした結果、896ページの大部になってしまった」と振り返る。
社会時評としても著名な「hamachanブログ(EU労働法政策雑記帳)」(濱口桂一郎・労働政策研究・研修機構労働政策研究所長執筆)は、昨年8月18日付記事【辻廣雅文『金融危機と倒産法制』】
(http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2022/08/post-594a63.html)
で本書を取り上げている。
濱口氏の紹介にあるが、「金融論と倒産法という経済学と法学のそれぞれ難所をジャーナリズムの感性でもって切り結ぶという凄い本」である。
同記事では、「終章 1975年体制の克服」で、辻廣氏の「メンバーシップ型を木の幹として維持し、ジョブ型を加えて果実を得るには、どのような接合イメージがありえるのか」という問いに対しての、濱口氏の本邦初公開の日本の雇用の将来についての言及が835頁の注52で紹介されていることにふれる。
そこに曰く、「第1に、若年層から高度プロフェッショナルを採用して戦力化したいのであれば、新卒入社時からメンバーシップ型とジョブ型の入り口が分かれる“縦割りの一社二制度”、第2に、メンバーシップ型とジョブ型の境界線を、年齢で引く場合である。新卒は一括採用の『メンバーシップ型』で入社し、社内のOJTで人材教育が行われ、一定の年齢に達したら『ジョブ型』に移行する。職務の選択は多様であり、ハイエンドのジョブにアプライしてグローバルに活躍する者もいれば、ローカルなジョブに就いて、細く長い会社生活を送る者もあるだろう。いわゆる『40歳定年説』などは、この発想に類する。ただし、二つとも競争力や生産性の向上に役立つかどうかはわからない」というものだ。
この例示のような示唆深い言及が、「B5版で900ページ近い分厚さ」の本文の各ページの注にまでも余すところなく記されているという重厚な内容である。
本書の構成は以下のとおり。
序 章 認識と制度はいかに形成されるか
第Ⅰ部 平成金融危機の真相
第1章 プルーデンス政策における制度的無防備 問題の所在Ⅰ
第1節 長期不況の原因、第2節 金融危機長期化の論点、第3節 銀行の公共的機能と金融危機の概念、第4節 事前的プルーデンス政策、第5節 事後的プルーデンス政策、第6節 規制・監督当局と銀行界の“一体型行政組織”、第7節 時代制約論に対する本書の立場
第2章 制度構築の空白期間 寺村銀行局長の時代
第1節 日銀の破綻処理「四原則」、第2節 大蔵省銀行局、第3節 寺村の漸進主義、第4節 フォーベイランス・ポリシー批判
第3章 動態的不良債権論 日銀信用機構局の考察
第1節 “破綻処理法制”研究会の成果、第2節 日銀ペーパー、第3節 大蔵省銀行局の拒絶
第4章 金融システムの周辺に止まった改革 西村銀行局長の時代
第1節 東京二信組の破綻、第2節 「機能回復」と金融三法、第3節 大手銀行の不良債権の把握、第4節 住専処理
第5章 政策形成プレイヤーたちの認識ギャップ
第1節 金融仲介機能に対する感度、第2節 分析枠組みと認識形成、第3節1990年代前半における教訓
第6章 “システムワイドな金融危機”の実際
第1節 財金分離と金融ビッグバン、第2節 金融危機前夜の破綻処理、第3節 1997年「魔の11月」、第4節 規制・監督当局が目指したプルーデンス政策、第5節 早期是正措置
第7章 金融国会と長銀破綻
第1節 官僚危機、第2節 公的資金の導入、第3節 金融再生法と長銀破綻、第4節 会計基準の変更と長銀裁判
第8章 不毛なる二者択一 柳澤から竹中へ
第1節 第二次公的資本注入、第2節 破綻処理法制の恒久化、第3節 柳澤金融再生相時代、第4節 竹中金融相時代
第9章 世界金融危機と国際的金融規制改革
第1節 世界金融危機の実相と教訓、第2節 破綻処理の国際標準、第3節 米国とEUの対応、第4節 日本の対応と公的資金再考、第5節 ベイルインvs.ベイルアウト
第Ⅱ部 倒産処理制度の改革
第10章 倒産処理制度の改革前夜 問題の所在Ⅱ
第1節 倒産処理制度の重要性、第2節 倒産処理の三流国、第3節 法的整理手続の機能不全、第4節 破産法への不信、第5節 和議法と会社更生法の欠陥、第6節 メインバンク・ガバナンスと私的整理手続
第11章 倒産法制改革の思想と民事再生法
第1節 司法界の始動、第2節 園尾プロジェクト、第3節 民事再生法の思想と構造、第4節 民事再生法の運用と定着、第5節 民事再生法の実績評価、第6節 民事再生法の今日的課題
第12章 事業再生市場と会社更生法改正
第1節 事業再生市場の勃興と更生手続の変化、第2節 新会社更生法の特徴、第3節 DIP型会社更生の相克、第4節 更生手続の制度としての危機
第13章 「企業価値の段差」の克服
第1節 私的整理手続の活況、第2節 「企業価値の段差」問題と商取引債権の保護、第3節 私的整理手続に発生した問題
第Ⅲ部 新たな相互補完的な制度体系を目指して
第14章 再び,危機へ 事業再生の今日的課題
第1節 事業再生制度の機能不全、第2節 金融行政による倒産の阻止、第3節 来たるべき倒産法再改正の課題、第4節 法的整理手続と私的整理手続の架橋、第5節 企業金融論と倒産法
終 章 1975年体制の克服
第1節 長期雇用制度とメインバンク・ガバナンス、第2節 高まる中小企業の生産性改革の必要性
結 語
あとがき、参考文献、索引。
「あとがき」は、2021年2月に逝去された池尾和人・慶應義塾大学名誉教授への謝辞と思い出が記される。次に、白川方明前日銀総裁(肩書きは、本書出版時のもの。)のガイダンスに深謝する。ちなみに白川氏は、本書の帯やカバー前扉の推薦の辞にも登場する。さらに、大蔵省関係者など本書に登場する人物も含め、様々な方々への謝辞が記載されている。
加えて、辻廣氏は、「危機を克服するための政策対応や制度措置が困難であることの原因の一つは、政策担当者ひいては社会が過去に拘束されていること、すなわち経路依存性にある。そうだとすれば、原因の追求は際限なく過去に遡ることになり、危機が発生し混乱が生じて以降の時々の政権、政策担当者たちの責任を問うことは見当違いなのではないか、という思いに囚われ続けた。その一方で、歴史とは人々の営みの積み重ねであり、時々の政権、政策担当者たちの選択と判断の集積であるのだから、その一つ一つの妥当性を検証することは意味のないことではない、という思いもあった。本書は、その二つの思いの揺れの中で書かれた。そうして書き終えて、確信していることが一つある。将来、私たちを国家的危機に陥れる重要な問題の萌芽は今、この社会に必ず潜んでいて、しかし、専門家も含めてほとんどの人々は認識すらしていないということだ。新たな危機は常に認識に先行する。そうであれば、私たちに必要なことは、無知を自覚し、『一つ前の戦争を戦う将軍』にならない、という謙虚ある決意であると思われる」とする。
上記にあるとおり、本書の叙述には、現在の金融庁の事業性評価政策にいたるまで、かなり手厳しい批判がいたるところで展開されている。それぞれの個別の指摘の当否にふれる能力も紙面もない。
ただし、1点だけ筆が走ったのではないかと思うのが、「金融システムはあくまで民間の努力によって守られるべきものだという主計局の“常識”」(205頁)と断じている箇所である。旧大蔵省が、財務省設置法の所掌事務の規定に「健全な財政の確保、国庫の適正な管理、通貨に対する信頼の維持及び外国為替の安定の確保の任務を遂行する観点から行う金融破綻処理制度及び金融危機管理に関する企画及び立案に関すること。」を規定するように政府・与党内のぎりぎりの調整に尽力した判断はなんだったのか、の説明が必要と思われた。評者には、金融の究極的な安定は国家財政に由来していると考えるのが素直で、主計局の「機関哲学」がそれを否定しているとは思わない。
いずれにしても、個人的には、小熊英二著『〈民主〉と〈愛国〉―戦後日本のナショナリズムと公共性』(新曜社 2002年)を読んで以来の、本の分厚さ・詳細な注に圧倒される読書であった。
著者のジャーナリストとしての圧倒的な筆力に支えられ、また、日本版ビッグバンの際の証券局課長補佐、97年金融危機をはさんだ時期の文書課課長補佐、その後の地域経済活性化支援機構や沖縄振興開発金融公庫勤務、2度の財務局担当の地方課長の経験などを踏まえて、本書を興味深く読み進めること自体は存外難しくはなかった。
旧大蔵省の組織・人事、金融規制、中央省庁改革、平成政治史などについての基本的な知識は他で補うことは前提とされているが、近時アメリカやスイスでの金融危機の発生も踏まえれば、本誌読者には一読の価値ありの労作である。
なお、『平成財政史 平成元年~12年度 6 金融(含む金融資料)』(財務省財務総合政策研究所財政史室編)が、2019年3月に発刊された。他の巻とは違い、金融庁発足の平成12(2000)年7月1日までを対象としている。監修者(林健久、石弘光、堀内昭義の各氏)は、「監修者のことば」(平成24(2012)年3月)の中で、平成元(1989)年から12(2000)年という対象期間について「この期間は、東西冷戦体制の崩壊とグローバリゼーションの急展開という外の世界の激動の中にあって、内ではいわゆるバブル経済とその崩壊、それに続く喪われた10年などと呼ばれる経済不況の継続と金融危機・財政難の時代であり、政治的には単独政権から多党並立の政治へと転回するなど、多事多難の年月であった」としていることを紹介しておく。
辻廣 雅文 著
金融危機と倒産法制
岩波書店 2022年8月 定価 本体17,000円+税
本書カバーの裏扉には「バブル崩壊から20年以上に亘る日本の金融危機が、先進国間で突出して長期化した理由は何か。金融危機克服の過程はどのようなものだったか。そして明治期以来100年ぶりに行われた倒産法制の全面刷新はその要請に応えられたのか。金融機関、官僚、法律家、研究者等を直接取材して得られた生の情報を比較制度分析の手法によって体系化し、この時代の経済システムの転換の困難さを経路依存性の視点から捉えて、その全貌を明らかにした」とある。
本書の著者の辻廣雅文氏は、週刊ダイヤモンドを舞台に長らく活躍、同誌編集長等を務めたのち、2015年から帝京大学経済学部教授である。評者は公務出張中で参加できなかったが、本年4月5日の財総研のランチミーティングでは「倒産法制の歴史と課題~『金融危機と倒産法制』から~」(財総研HPに資料up有)と題して本書の概要のプレゼンがなされた。辻廣氏は、「完成までに8年を費やした結果、896ページの大部になってしまった」と振り返る。
社会時評としても著名な「hamachanブログ(EU労働法政策雑記帳)」(濱口桂一郎・労働政策研究・研修機構労働政策研究所長執筆)は、昨年8月18日付記事【辻廣雅文『金融危機と倒産法制』】
(http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2022/08/post-594a63.html)
で本書を取り上げている。
濱口氏の紹介にあるが、「金融論と倒産法という経済学と法学のそれぞれ難所をジャーナリズムの感性でもって切り結ぶという凄い本」である。
同記事では、「終章 1975年体制の克服」で、辻廣氏の「メンバーシップ型を木の幹として維持し、ジョブ型を加えて果実を得るには、どのような接合イメージがありえるのか」という問いに対しての、濱口氏の本邦初公開の日本の雇用の将来についての言及が835頁の注52で紹介されていることにふれる。
そこに曰く、「第1に、若年層から高度プロフェッショナルを採用して戦力化したいのであれば、新卒入社時からメンバーシップ型とジョブ型の入り口が分かれる“縦割りの一社二制度”、第2に、メンバーシップ型とジョブ型の境界線を、年齢で引く場合である。新卒は一括採用の『メンバーシップ型』で入社し、社内のOJTで人材教育が行われ、一定の年齢に達したら『ジョブ型』に移行する。職務の選択は多様であり、ハイエンドのジョブにアプライしてグローバルに活躍する者もいれば、ローカルなジョブに就いて、細く長い会社生活を送る者もあるだろう。いわゆる『40歳定年説』などは、この発想に類する。ただし、二つとも競争力や生産性の向上に役立つかどうかはわからない」というものだ。
この例示のような示唆深い言及が、「B5版で900ページ近い分厚さ」の本文の各ページの注にまでも余すところなく記されているという重厚な内容である。
本書の構成は以下のとおり。
序 章 認識と制度はいかに形成されるか
第Ⅰ部 平成金融危機の真相
第1章 プルーデンス政策における制度的無防備 問題の所在Ⅰ
第1節 長期不況の原因、第2節 金融危機長期化の論点、第3節 銀行の公共的機能と金融危機の概念、第4節 事前的プルーデンス政策、第5節 事後的プルーデンス政策、第6節 規制・監督当局と銀行界の“一体型行政組織”、第7節 時代制約論に対する本書の立場
第2章 制度構築の空白期間 寺村銀行局長の時代
第1節 日銀の破綻処理「四原則」、第2節 大蔵省銀行局、第3節 寺村の漸進主義、第4節 フォーベイランス・ポリシー批判
第3章 動態的不良債権論 日銀信用機構局の考察
第1節 “破綻処理法制”研究会の成果、第2節 日銀ペーパー、第3節 大蔵省銀行局の拒絶
第4章 金融システムの周辺に止まった改革 西村銀行局長の時代
第1節 東京二信組の破綻、第2節 「機能回復」と金融三法、第3節 大手銀行の不良債権の把握、第4節 住専処理
第5章 政策形成プレイヤーたちの認識ギャップ
第1節 金融仲介機能に対する感度、第2節 分析枠組みと認識形成、第3節1990年代前半における教訓
第6章 “システムワイドな金融危機”の実際
第1節 財金分離と金融ビッグバン、第2節 金融危機前夜の破綻処理、第3節 1997年「魔の11月」、第4節 規制・監督当局が目指したプルーデンス政策、第5節 早期是正措置
第7章 金融国会と長銀破綻
第1節 官僚危機、第2節 公的資金の導入、第3節 金融再生法と長銀破綻、第4節 会計基準の変更と長銀裁判
第8章 不毛なる二者択一 柳澤から竹中へ
第1節 第二次公的資本注入、第2節 破綻処理法制の恒久化、第3節 柳澤金融再生相時代、第4節 竹中金融相時代
第9章 世界金融危機と国際的金融規制改革
第1節 世界金融危機の実相と教訓、第2節 破綻処理の国際標準、第3節 米国とEUの対応、第4節 日本の対応と公的資金再考、第5節 ベイルインvs.ベイルアウト
第Ⅱ部 倒産処理制度の改革
第10章 倒産処理制度の改革前夜 問題の所在Ⅱ
第1節 倒産処理制度の重要性、第2節 倒産処理の三流国、第3節 法的整理手続の機能不全、第4節 破産法への不信、第5節 和議法と会社更生法の欠陥、第6節 メインバンク・ガバナンスと私的整理手続
第11章 倒産法制改革の思想と民事再生法
第1節 司法界の始動、第2節 園尾プロジェクト、第3節 民事再生法の思想と構造、第4節 民事再生法の運用と定着、第5節 民事再生法の実績評価、第6節 民事再生法の今日的課題
第12章 事業再生市場と会社更生法改正
第1節 事業再生市場の勃興と更生手続の変化、第2節 新会社更生法の特徴、第3節 DIP型会社更生の相克、第4節 更生手続の制度としての危機
第13章 「企業価値の段差」の克服
第1節 私的整理手続の活況、第2節 「企業価値の段差」問題と商取引債権の保護、第3節 私的整理手続に発生した問題
第Ⅲ部 新たな相互補完的な制度体系を目指して
第14章 再び,危機へ 事業再生の今日的課題
第1節 事業再生制度の機能不全、第2節 金融行政による倒産の阻止、第3節 来たるべき倒産法再改正の課題、第4節 法的整理手続と私的整理手続の架橋、第5節 企業金融論と倒産法
終 章 1975年体制の克服
第1節 長期雇用制度とメインバンク・ガバナンス、第2節 高まる中小企業の生産性改革の必要性
結 語
あとがき、参考文献、索引。
「あとがき」は、2021年2月に逝去された池尾和人・慶應義塾大学名誉教授への謝辞と思い出が記される。次に、白川方明前日銀総裁(肩書きは、本書出版時のもの。)のガイダンスに深謝する。ちなみに白川氏は、本書の帯やカバー前扉の推薦の辞にも登場する。さらに、大蔵省関係者など本書に登場する人物も含め、様々な方々への謝辞が記載されている。
加えて、辻廣氏は、「危機を克服するための政策対応や制度措置が困難であることの原因の一つは、政策担当者ひいては社会が過去に拘束されていること、すなわち経路依存性にある。そうだとすれば、原因の追求は際限なく過去に遡ることになり、危機が発生し混乱が生じて以降の時々の政権、政策担当者たちの責任を問うことは見当違いなのではないか、という思いに囚われ続けた。その一方で、歴史とは人々の営みの積み重ねであり、時々の政権、政策担当者たちの選択と判断の集積であるのだから、その一つ一つの妥当性を検証することは意味のないことではない、という思いもあった。本書は、その二つの思いの揺れの中で書かれた。そうして書き終えて、確信していることが一つある。将来、私たちを国家的危機に陥れる重要な問題の萌芽は今、この社会に必ず潜んでいて、しかし、専門家も含めてほとんどの人々は認識すらしていないということだ。新たな危機は常に認識に先行する。そうであれば、私たちに必要なことは、無知を自覚し、『一つ前の戦争を戦う将軍』にならない、という謙虚ある決意であると思われる」とする。
上記にあるとおり、本書の叙述には、現在の金融庁の事業性評価政策にいたるまで、かなり手厳しい批判がいたるところで展開されている。それぞれの個別の指摘の当否にふれる能力も紙面もない。
ただし、1点だけ筆が走ったのではないかと思うのが、「金融システムはあくまで民間の努力によって守られるべきものだという主計局の“常識”」(205頁)と断じている箇所である。旧大蔵省が、財務省設置法の所掌事務の規定に「健全な財政の確保、国庫の適正な管理、通貨に対する信頼の維持及び外国為替の安定の確保の任務を遂行する観点から行う金融破綻処理制度及び金融危機管理に関する企画及び立案に関すること。」を規定するように政府・与党内のぎりぎりの調整に尽力した判断はなんだったのか、の説明が必要と思われた。評者には、金融の究極的な安定は国家財政に由来していると考えるのが素直で、主計局の「機関哲学」がそれを否定しているとは思わない。
いずれにしても、個人的には、小熊英二著『〈民主〉と〈愛国〉―戦後日本のナショナリズムと公共性』(新曜社 2002年)を読んで以来の、本の分厚さ・詳細な注に圧倒される読書であった。
著者のジャーナリストとしての圧倒的な筆力に支えられ、また、日本版ビッグバンの際の証券局課長補佐、97年金融危機をはさんだ時期の文書課課長補佐、その後の地域経済活性化支援機構や沖縄振興開発金融公庫勤務、2度の財務局担当の地方課長の経験などを踏まえて、本書を興味深く読み進めること自体は存外難しくはなかった。
旧大蔵省の組織・人事、金融規制、中央省庁改革、平成政治史などについての基本的な知識は他で補うことは前提とされているが、近時アメリカやスイスでの金融危機の発生も踏まえれば、本誌読者には一読の価値ありの労作である。
なお、『平成財政史 平成元年~12年度 6 金融(含む金融資料)』(財務省財務総合政策研究所財政史室編)が、2019年3月に発刊された。他の巻とは違い、金融庁発足の平成12(2000)年7月1日までを対象としている。監修者(林健久、石弘光、堀内昭義の各氏)は、「監修者のことば」(平成24(2012)年3月)の中で、平成元(1989)年から12(2000)年という対象期間について「この期間は、東西冷戦体制の崩壊とグローバリゼーションの急展開という外の世界の激動の中にあって、内ではいわゆるバブル経済とその崩壊、それに続く喪われた10年などと呼ばれる経済不況の継続と金融危機・財政難の時代であり、政治的には単独政権から多党並立の政治へと転回するなど、多事多難の年月であった」としていることを紹介しておく。