このページの本文へ移動

ファイナンスライブラリー

評者 みずほリサーチ&テクノロジーズ理事長 中尾 武彦

津曲 俊英 著
貨幣の窮極にあるもの
金融財政事情研究会 2023年2月 定価 本体1,700円+税


財務省に長く勤務しながら、大学などで研究や教育にも携わり、現在は津田塾大学総合政策学部教授である津曲俊英氏による新たな貨幣論である。過去のさまざまな貨幣論や貨幣の歴史を引きながら、自身の思索を重ねている。津曲氏は、この本を書いた契機の一つとして、理財局の国庫課長として日銀券の改刷、偽札対策、貨幣の製造や回収の制度、記念貨幣の発行などに携わったことを挙げている。そのような実務の経験が、この本の考察に深みとリアリティを与えている。
貨幣は、資本主義、市場経済と表裏一体のものだが、そもそも貨幣はどのように発生し、いかにしてその信用は確保されてきたのか、なぜ人々はただの紙に印刷された貨幣をここまで尊び、また、それに縛られるのか。マルクス、ケインズから岩井克人氏まで多くの学者がこの謎を追いかけてきた。評者も、大学時代に必修科目だったマルクス経済学の原論にあった「貨幣の物神性」や「商品から貨幣への命がけの飛躍」といった言葉を懐かしく思い返した。
津曲氏は、人間は共同して集団、社会を形成し、分業と協業の仕組みを作り、贈与や貸借、交換、売買などの「広い意味の交換」を行ってきたと言う。まず、直接的な交換、すなわち物々交換が行われるが、お互いに欲しいものが合致することはまれであり、不便なため、一般的に受容されるものが次第に貨幣となってくる。貨幣は、何にでも、いつでも(異時点間)、どこでも、誰でも、という4つの次元で交換の触媒の役割を果たす。
貨幣の歴史は、古代メソポタミア、古代中国などにさかのぼることができるが、この本が取り上げるアメリカの貨幣の歴史はことのほか興味深い。アメリカでは、英国などからの入植者たちたちが先住民たちとの間で最初に行ったのは、必要物資の物々交換であった。そのうちに先住民たちがワンパムという貝で作ったビーズのようなものを交換手段に使っていることを知り、先住民との間であるいは自分たちの間でもワンパムを使うようになる。
独立革命以降も、それぞれの州が州法に基づく民間銀行に銀行券の発行を認めてきたが、南北戦争中の1863年には連邦議会により国法銀行制度が設けられ、通貨監督官の規制の下で国法銀行が銀行券を発行するようになる。一方、州法銀行券は10%の発行税が課せられたことにより、事実上発行が止まっていく。中央銀行機能を担う連邦準備制度(FRB)が設立され、国法銀行券に変わる紙幣を発行するようになるのは1913年のことだ。米国の国法銀行と州法銀行の併存や、財務省、州当局、FRBによる監督制度の複雑さは、このような歴史に起因するということがよくわかる。
統治権力と貨幣には大きな関係があるが、「貨幣は本質的に権力が定めなくてはならないわけではない」ということは、多くの国の歴史的な経験からも明らかだ。現在の貨幣のほとんどの部分は預金通貨であり、それは貸出に伴う預金(信用)創造により生まれるが、民間銀行も中央銀行と同様、通貨発行益(シニョリッジ)を得ているという指摘も的確だ。
最後に、現在の中央銀行券は会計上、中央銀行の債務ではあるが、それ以上償還されない(金や他の金融資産に交換できるわけではない)から、貨幣の窮極にあるものは中央銀行券そのものに尽きるのかという問いを立てたうえで、貨幣にも「商品や債務にも共通して認められる財産的な価値」が基礎として必要であるとしている。つまり、中央銀行の債権である民間銀行への貸し付けや保有国債、さらにはそのもとにある民間銀行の信用創造には、経済的価値が認められなければならない。「貨幣が貨幣となるのは、他人も受け取ってくれると予想するから、誰もが貨幣として受け取る」という自己循環論法が実現するのも、「貨幣の基礎を担保する価値と制度的な仕掛け・工夫が基底にあるから」という考察は示唆に富んでいる。
各国で中央銀行の金融政策に大きな注目が集まり、また、仮想通貨や中央銀行デジタルカレンシーなどが新たに議論となるなか、そもそも「貨幣」とは一体何かということについて、深い洞察を与えてくれる一冊であり、是非一読をお勧めしたい。