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小さな芽が出たカーリングの大きな未来

一般社団法人ロコ・ソラーレ代表理事 本橋 麻里


広島県にご縁をいただきお邪魔した時、現地で名刺を交換した方、タクシーの運転手さん、食事をしたお店の大将。みなさんがカープの話を家族の話題のように感情豊かに教えてくださったことが忘れられません。
「昨日は負けちゃったけれど、ルーキーにプロ初ヒットが出たからいい夜だった」
「明日はスタジアムに行って孫と一緒に観戦するんだ」
私はそこまで野球に詳しくはないですが、それでもみなさんの表情からは野球というスポーツへの愛情と、カープという球団への期待や誇りが十分に伝わってきました。
野球という超メジャースポーツと比べるのはおこがましくもありますが、私がカーリングというスポーツを愛して誇るきっかけとなったのは、街と日常とスポーツが溶け合っている様子を見たからだと思っています。
カーリング王国・カナダに初めて行ったのは、14歳の時です。カナダは世界2位の国土を持つ広い国ですが、どんな田舎町にも「教会と銀行とカーリング場はある」と言われていて、実際にどの地方にもカーリングホールは建っています。
そこには老若男女が競技レベルに関係なく平等にプレーを楽しんでいて、併設されているカフェやバーで勉強をする学生の姿もあれば、ビールを飲んでいい気持ちになっているオジサンもいます。「あの奥で投げているのは何年前のカナダチャンピオンだぞ」などと教えてくれたりもして、どのホールもウェルカムでフレンドリーです。そしてそれは今でもまったく変わりありません。
その後、私は青森市の「チーム青森」というチームでプレーしますが、当時も何人もの大人が「青森をカーリングの街にしよう」という情熱を持って私たちをサポートしてくれ、チーム青森は2度のオリンピックを経験しました。国内屈指の豪雪地帯でスポーツに対してはどうしてもビハインドがある青森という街でも、明確なビジョンと大きな情熱があれば世界に挑むことができる。それを体感できたことが、私の人生でポジティブに働きました。
その経験を抱いて地元の北海道北見市に戻りロコ・ソラーレを結成したのが2010年です。以後のすべてをここに書くことはできませんが、いいことも悪いことも本当にたくさんありました。ただ、それでもロコ・ソラーレは理解と応援をくださるスポンサーさんやファンのみなさまに後押しされ、オリンピックで2色のメダルを獲得することができました。今では「カーリングって何?」という人は北見にはほとんどいらっしゃらないと思います。
街を歩いていてもスーパーで買い物しても「この前の大会をテレビで観たよ。惜しかったね」ですとか「またカナダに行くんでしょ。身体に気をつけてね」などの声をかけてくれる方も増えました。逆に若者が都市部に行って「北見出身です」と自己紹介をすると「あーカーリングの~」と応じてくれる方もいると聞きます。
ほんの少しだけ、広島カープの何万分の1かもしれませんが、私の故郷でもカーリングがコミュニケーションツールとして小さな小さな芽が出たのかなと嬉しく思っています。
その一方で私は欲張りなので、さらに先をイメージし始めたところでもあります。この道東地区にアリーナができないかなと願っています。
もちろんそれはカーリングだけのものではなく、冬季競技の複合施設であり、アスリートやスポーツを通した研究機関でもあり、そこには高いレベルでの医療も付随してくるでしょう。北見だけでなく、少子高齢化の日本に即した道東のシンボル。理想ばかり、しかも財務省さんの機関紙で好き勝手に言って、何百億円、場合によってはそれ以上の費用がかかるのか想像もつきませんが、もし知恵と力をお貸しいただける方がいたらぜひともよろしくお願いします。