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日本三景「天橋立」と宮津・与謝

宮津市
宮津税務署 総務課長
松岡 健

はじめに
宮津税務署は、明治29年に設置され、現在、京都府北部の宮津・与謝地域(宮津市、与謝郡伊根町・与謝野町)を管轄しています。
当署がある宮津市は、日本海の宮津湾に面し、日本三景の「天橋立」がある、海と山に囲まれた自然豊かな街です。
歴史は古く、奈良時代に丹後国府が置かれ、政治・経済・文化の中心として栄えました。
江戸時代に入ると北前船によって栄え、その栄華は南の祇園、北の宮津と称されるほどでした。
主要産業は農林水産業と観光業であり、年間300万人(令和元年)を超える観光客が訪れる地域となっています。

管内の名所
〔天橋立〕
天橋立は、6,000本を超える青い松並木と白い砂が幅20~170mで3km以上続くとても美しい景勝地で、その景観は「白砂青松」と呼ばれています。
両端にある展望台では、「股のぞき」で眺めることによって、空と海の景色が逆になり、海が空となって天にかかる橋のように見えると言われているため、訪れた際は是非、試してみてはいかがでしょうか。
天橋立は神話にも登場するなど、古くからその神秘的な地形そのものが信仰の対象となっていたようで、小倉百人一首に選ばれている和歌にも詠まれており、また、畳一枚分ほどの大きさで描かれた雪舟の「天橋立図」は国宝になっています。
〔伊根の舟屋〕
宮津市の北部にある与謝郡伊根町には、伊根湾の沿岸に約230軒の「舟屋」が軒を連ねています。「舟屋」は一階部分が船を収納するスペースとなっており、二階は漁具置き場や二次的な居住スペースになっています。
湾の入口にある青島が防波堤の役割を果たしているため風の影響を受けにくく、波が穏やかで日本の原風景を感じさせる美しさが今でも大切に残されており、最近では客室・民宿にも活用されています。
伊根町には浦島太郎伝説や徐福伝説が伝わり、有形・無形の文化財など多くの資源が残された魅力ある街で、「日本で最も美しい村連合」に加盟しており、2023年5月には「世界の最も美しい村連合会総会」が伊根町で開催されました。
〔丹後一宮元伊勢籠神社〕
籠(この)神社では、天照大神と豊受大神を「吉佐宮(よさのみや)」という宮号で4年間一緒にお祀りし、その後、それぞれが伊勢に遷られた故事により伊勢神宮内宮の元宮、更に外宮の元宮という意味で「元伊勢」と呼ばれています。
本殿は伊勢神宮と同様の神明造りで、高欄上の五色の座玉(すえたま)は、伊勢神宮と籠神社にしかないもので、神社建築史上特に貴重なものとされており、一の宮として地元住民からのなじみが深く、観光スポットにもなっています。

産業
〔織物〕
京都府北部の丹後地方は古くから絹織物の産地となっており、「丹後ちりめん」は生地表面にシボと呼ばれる凹凸のある丹後地方特有の後染め織物の総称で、着物などの和装品の生地として日本遺産にも認定されています。
従来は着物の素材として白生地のまま売られることの多かった丹後ちりめんですが、最近では、ネクタイ、小物、インテリア用品など、様々な商品が作られています。
〔漁業〕
日本海に面した丹後地方では漁業が盛んで、四季折々の魚介類を目にすることができ、食で季節を感じることができます。
中でも丹後ではトリガイがブランド化されており、通常よりも長く生育するため、大型の天然トリガイが漁獲される日本有数の優良漁場として知られています。
丹後地方ではこの大型トリガイを育成する技術が開発され、肉厚で独特の甘みがある大きなトリガイが「丹後とり貝」として6~7月にかけて出荷されています。
また、伊根町は日本有数のブリの漁場として知られ、出世魚であるブリを食することは縁起物として振る舞われる習慣があり、脂が乗った寒ブリの「ぶりしゃぶ」は絶品です。
このほか、伊根では養殖業も盛んで、ブリ、マグロ、岩ガキなどが養殖され、ブランド化されて出荷されているものもあります。

グルメ
宮津署管内では前述した魚介類のほか、オイルサーディン、焼き鯖すし、日本酒などが宮津市内の地域産品として、宮津商工会議所から「宮津遺産」として認定されています。
そのほか、「カレー焼きそば」がソウルヌードルとして宮津を代表するご当地グルメの一つとして人気があり、市内の複数の店舗でそれぞれの味を楽しむことができます。

おわりに
当署管内の一部を紹介させていただきましたが、海と山に囲まれた豊かな自然、地区ごとに開催される伝統あるお祭りなど、宮津・与謝地域には魅力的なスポットがたくさんありますので、是非一度お越しください!
(写真提供:海の京都DMO、宮津商工会議所)



国生み神話の地、
御食国の地、淡路島

淡路島
洲本税務署 総務課長
萬野 俊義


はじめに
洲本税務署は、瀬戸内海東部の島、淡路島の中央に位置しており、淡路島全域(洲本市、南あわじ市、淡路市)を管轄しています。
淡路島は、南北55km、東西28km、周囲約216kmの細長い島で、面積は約596km2、琵琶湖の面積の約90%に相当し、シンガポールとほぼ同じ大きさです。
署の沿革は古く、明治22年7月に兵庫県収税部洲本派出所として開設後、明治29年に洲本税務署と改称され、大正2年に現在地に移り、昭和49年に現在の庁舎が建設されています。
税務署が建設されている場所は、江戸時代、徳島藩蜂須賀氏の支城であった洲本城の政務御殿城跡で、現在見られる石垣や塀は洲本市の史跡に指定されています。
また、庁舎の正面には、樹齢100年以上の立派な松がある庭園を設けているほか、敷地への入口付近には、足湯温泉があるなど、珍しい立地に建設されています。

国生み神話
淡路島は、北は明石海峡大橋(平成10年完成)で神戸市と、南は大鳴門橋(昭和60年完成)で徳島県鳴門市と繋がっています。
古くは徳島藩に属していましたが、明治維新後の庚午事変をきっかけに現在の兵庫県に編入されています。
淡路島は、古事記や日本書記の神話によると、日本に最初にできた島であるといわれています。
神話には、国土創世のため、二柱の神である伊弉諾尊(いざなぎのみこと)と伊弉冉尊(いざなみのみこと)が、生まれたばかりの混沌とした大地を天の沼矛(あめのぬまほこ)でかき回すと、矛先から滴り落ちた塩の雫が固まって「おのころ島」ができ、そのおのころ島で夫婦となった二神は、大八州(おおやしま)の国、日本を作ったとあります。そのとき最初に生まれたのが淡路島であるとされています。
淡路島には、この国生み神話の中の「おのころ島」だとされる「おのころ島神社」、「絵島」、「沼島」など、島内のあちこちで神話の浪漫が漂っています。中でも、南あわじ市にある「おのころ島神社」には、京都の平安神宮、広島の厳島神社と並び、日本三大鳥居の一つがありますが、高さ22メートルの大鳥居は一際目を引きます。


写真:(おのころ島神社大鳥居)
写真:(絵島)


〔伊弉諾神宮(いざなぎじんぐう)〕
伊弉諾神宮は、古事記と日本書記に創祀(そうし)の記載がある日本最古の神社で、伊弉諾尊と伊弉冉尊の二神をお祀りする神社です。
「古事記」、「日本書記」には、国生みに始まるすべての神功を果たされた伊弉諾尊が、最初に作られた淡路島に、幽宮(かくりのみや)を構えて余生を過ごされたと記されています。
その御居住跡に御神陵が造営され、最古の神社として伊弉諾神宮が創祀されたといわれています。
格式は神宮を名乗ることができる全国24社の1社となります。神格は一品という極位、社格は官幣大社となっており、全国でも屈指のパワースポットとして参拝者が多い神社です。淡路島へお越しの際は是非お立ち寄りください。

御食国(みけつくに)
淡路島は、日本古代から平安時代まで御食国と呼ばれていました。御食国とは、皇室・朝廷に海産物を中心とした御食料を貢いだと推定される国のことです。若狭、志摩と並び、多くの食材に恵まれた淡路島も古くから数々の食材を納めてきました。
現在でも、淡路島ブランドは全国に名を轟かせています。

〔淡路ビーフ〕
日本を代表するといわれる松坂牛や神戸ビーフの素牛は、淡路産の但馬牛にあります。
淡路島では優れた母牛ばかりを選定し、計画的な交配を行うことで生まれた優秀な資質を保存継承することで、肉質の向上に努めています。
その淡路の牛から厳選された牛肉が淡路ビーフです。厳しい審査基準から淡路ビーフの名を受けることができるのは、年間200頭前後と、幻の牛肉です。
淡路島へお越しの際は、淡路ビーフを是非、ご堪能ください。
〔淡路島たまねぎ〕
全国にその名を轟かせるブランドとなっている淡路島の特産品で,甘く柔らかく瑞々しいと3拍子揃っています。
現在では、淡路島全土で栽培されておりますが、明治21年に輸入した玉ねぎの種子を現在の南あわじ市賀集地域で試作したのがはじまりとされています。
淡路島の中でも特に南あわじ地域では、9月に種をまいて成長した苗を11月~12月に田んぼに植え替え、4月~6月に収穫後、米、レタスや白菜と同じ耕地で1年に3種の作物を栽培する三毛作が盛んです。
南あわじ市では「ほんまもん淡路島玉ねぎ」として販売されているところもあります。
〔淡路島の海産物〕
四方を海に囲まれた淡路島は、海の恵みを生かした塩や、魚、海藻といった海産物の産地として遥か昔から存在感を発揮してきました。
中でも淡路島の鱧(はも)は歴史が古く、安土桃山時代の1697年に発刊された本朝食艦での記載が始まりです。
淡路島で鱧漁が盛んな地域は、島南部の沖にある沼島です。この沼島の鱧は鳴門海峡近海で育つことで潮流に揉まれることから身が引き締まり、また、エサが豊富なため、肉質や色合いなどが良く、べっぴん鱧と呼ばれています。
夏のイメージが強い魚ですが、産卵を終え、秋になって脂がのり、歯ごたえ・旨みともに増した鱧を「名残り鱧」や「戻り鱧」と呼び、淡路島産の玉ねぎとともに味わう「鱧すき」は、格別の旨さです。
そのほかにも、鯛やサワラ、イカナゴ、シラスと豊富な海産物に恵まれていますが、近年では、通常2年で出荷されるところを3年かけてじっくり育てた「淡路島3年とらふぐ」やヤマメが海に下り育った幻の魚「サクラマス」の養殖なども盛んで、1年を通して旬の海産物が楽しめます。


写真:(鱧)
写真:(淡路島3年とらふぐ)


淡路人形浄瑠璃
およそ500年の歴史を持つ淡路島の伝統芸能である淡路人形浄瑠璃とは、三味線の澄んだ音色、情感溢れる太夫の語り、そしてまるで人の情念が宿ったかのような人形とが一体となって生まれる、日本独自の舞台芸術です。
18世紀のはじめ頃には、淡路島内に40を超える座元が競い合い、全国各地を巡業して廻りました。
現在では、淡路人形座が南あわじ市の道の駅福良にあるのみですが、淡路人形浄瑠璃は国指定の重要無形民俗文化財となり、海外公演や全国人形芝居サミットを淡路島で開催するなど、国内外に向けての文化発信に取り組んでいます。

明石海峡大橋
今年で開通から25年を迎えた明石海峡大橋は、総工費約5千億円をかけて、平成10年4月5日に開通しました。全長3,911メートル、主塔間の距離は1,991メートルで、昨年3月にトルコで開通した「チャナッカレ1915橋」に抜かれるまで、世界一の吊り橋でした。
明石海峡大橋は、昭和44年のルート決定から約30年、昭和63年の着工から約10年で完成しました。当初の設計では全長3,910メートルでしたが、阪神淡路大震災による地盤のズレで、約1.1メートル延長されています。
平成17年から、主塔内部を公開する見学会が始められていますが、道路下の管理路を歩いて主塔に向かい、高さ300メートルの主塔をエレベーターで一気に上昇します。主塔の上から眺める景色は圧巻です。

おわりに
近年、淡路島は、テレビや雑誌等でよく紹介されており、まだまだ魅力的な場所等がたくさんありますが、最後に、ここ数年で急速に開発されている「西海岸」について、紹介したいと思います。
淡路島の西側は、農業や漁業集落の美しい風景が広がりますが、冬場は、季節風が吹き付け荒涼としており、淡路島内では長年、「西浦」と慣れ親しんできた呼び方をされています。
しかし、近年は播磨灘の夕日など、「映えスポット」を売りにした島外資本の観光施設などが相次いで進出したことで、若い世代を中心に多くの観光客が訪れていることから、おしゃれなイメージの「西海岸」という呼び名が定着してきています。
このように、近年急速に開発されている西海岸を含め、様々な観光施設があり、美味しい食べ物や美しい自然に囲まれた、「国生み神話の地、御食国の地、淡路島」へ是非、遊びに来てください!

(●印写真提供:一般社団法人淡路島観光協会)



世界遺産、温泉、パンダ、
梅、偉人…魅力満載 田辺
田辺市
田辺税務署 総務課長
今竹 明子


はじめに
田辺税務署は、明治29年11月に設置され、現在の庁舎は昭和49年に新築されました。
管轄は、和歌山県第2の都市「田辺市」と「西牟婁郡」(白浜町・上富田町・すさみ町)であり、管内面積は約1,459km2です。田辺市は平成17年に大合併し、関西で最も広い面積となりました。それに伴い、田辺税務署の管轄も、隣接する御坊税務署管内の「龍神村」と、新宮税務署管内の「本宮町」を編入・拡大しました。
当署がある田辺市は、紀伊半島の中央から南西部を占め、平安時代から熊野詣で賑わった世界遺産「熊野古道」を擁し、江戸時代には、田辺領3万8千石、経済・文化・政治の中心地として繁栄しました。最近では、和歌山のウユニ塩湖として人気急上昇中の「天神崎」など、新たな賑わいを見せています。
お隣の白浜町は、日本書紀にも登場する日本三古湯「白浜温泉」、白砂輝く「白良浜海水浴場」、パンダ4頭が暮らす「アドベンチャーワールド」などで有名です。
数多くの名所、温泉、グルメなどがあり、バリエーション豊かで魅力満載の「田辺」を、紙面の許す限りご紹介します。

世界遺産・紀伊山地の霊場と参詣道
紀伊山地には、「熊野三山」、「吉野・大峯」、「高野山」の三つの霊場と、そこに至る参詣道が生まれ、平安時代以降、京の都をはじめ全国から多くの人々が訪れました。中世には、上皇や貴族のみならず、庶民に至るまで最も頻繁に利用され、「蟻の熊野詣」と称されるほど賑わいました。
紀伊山地の霊場と参詣道には、国宝4件、重要文化財23件の建造物をはじめ、多種多様な文化財があるほか、それらが自然を神とし仏としておそれ敬う精神を表していることなどが評価され、平成16年に世界遺産に登録されました。
参詣道は「熊野古道」と呼ばれ、熊野の御子神を祀った「王子」が点在する「中辺路」、太平洋を望むことができる「大辺路」、高野と熊野を結ぶ「小辺路」などがあります。
熊野詣の人々が最初に目指したのが「熊野本宮大社」です。「大斎原」と呼ばれる聖地には、高さ約34mの日本一の大鳥居がそびえ立っています。
熊野では「八咫烏」が熊野権現の使いとして崇められており、3本足の鳥は日本サッカー協会のシンブルマークとしてもお馴染みです。

源泉掛け流し温泉
熊野には400を超える源泉があり、いずれも多量の温泉水が古くから湧き出しています。
活火山の無い関西の地でなぜ温泉があるのか長らく不明でしたが、和歌山県南部は海のプレートが沈み込む地点にあり、地下にしみ込んだ雨水が、熊野カルデラの岩脈を伝って地上に湧き出していることが分かりました。
古湯・名湯をほんの一部ですが、ご紹介します。
〔白浜温泉〕
日本三古湯の一つです。飛鳥時代から「牟婁の温湯」で知られ、日本書紀にも記載があり、斉明天皇をはじめ多くの宮人も来訪しました。
外湯の中でも「崎の湯」は、海岸にある露天風呂で眺望抜群。白浜温泉のシンボル的存在です。
〔龍神温泉〕
日本三美人の湯の一つです。平安時代に弘法大師が難陀龍王の夢のお告げによって開いたと伝えられ、ナトリウム炭酸水素塩泉の湯は、一度入れば肌がツルツル、しっとりとします。
江戸時代には、初代紀州藩主徳川頼宣が上御殿・下御殿を作らせ、温泉を堪能しました。
〔湯の峰温泉〕
熊野本宮温泉郷にある湯の峰温泉は、熊野詣の旅人が旅の疲れを癒し、また、湯垢離を行い熊野本宮大社へ参拝する前の禊とされていました。
日によってお湯の色が7回変化することから「七色の湯」とも呼ばれる「つぼ湯」は、熊野古道の一部として世界遺産に登録されました。世界でも珍しい、入浴できる世界遺産として広く知られています。
〔川湯温泉〕
「川湯温泉」も熊野本宮温泉郷にあります。川底から73度の温泉が湧き出てきますので、川の水で温度を調整しながら、マイ露天風呂を作ることができます。冬になると、川の一部をせき止めて作られる巨大な露天風呂「仙人風呂」でも有名です。
パンダ
白浜町には、動物園、水族館、遊園地が一つに集まったテーマパーク、「アドベンチャーワールド」があります。令和5年2月までは国内最多の7頭のパンダが暮らしていましたが、残念ながら3頭は中国に返還され、現在はのびのびと元気に暮らす4頭のパンダをじっくりと堪能することができます。
また、町内には、関西屈指の美しいビーチ「白良浜海水浴場」があります。総延長620mの白砂が続くビーチは、ハワイの「ワイキキビーチ」の姉妹浜です。

産業・農業
〔日本一の梅の里〕
江戸時代、初代紀州藩主「徳川頼宣」の付家老「安藤直次」が、やせ地を利用した梅の栽培を奨励し、田辺市とその周辺地域は日本一の梅の産地を形成しています。毎年梅の花が咲く頃には、標高300mの眼下に鉢状の梅畑と里山を望むことができる「紀州石神田辺梅林」が開園します。
なお、梅とミツバチ、梅林・薪炭林が相互に関係し合う「みなべ・田辺の梅システム」は、平成27年に世界農業遺産に認定されました。
果肉が厚く柔らかい「南高梅」が盛んに栽培されている田辺では、梅加工業やその関連業が集積しており、GI指定を受けた「和歌山梅酒」も多く作られています。
〔紀州備長炭発祥の地〕
田辺の炭問屋「備中屋長左衛門」は、火力が強く、長く燃える「紀州備長炭」を開発し、江戸などに卸しました。その評価は広く世に知れわたったのですが、その名は、「備中屋長左衛門」が自らの屋号を取って付けたと言われています。
発祥の地にある「道の駅紀州備長炭記念公園」内にある「紀州備長炭発見館」では、備長炭技術が日向や土佐に伝ぱしていった歴史を学ぶことができます。
グルメ
JR紀伊田辺駅の西側には、約200m×150mのエリアの中に、200店舗以上もの飲食店が軒を並べる和歌山県随一の飲食街「味光路」があります。
初めて食べるとその食感に誰もが驚く「モチガツオ」のほか、見た目はグロテスクですが味は秀逸の「うつぼ」や、全国でもごく限られた海域でしか取れない稀少な海藻である「紀州ひろめ」、など、新鮮な海産物をリーズナブルに味わうことができます。
夜の帳が下りる頃、通りを歩くと賑やかな声があちらこちらから聞こえてきます。

偉人
田辺にゆかりのある人物はたくさんいますが、外せないのが世界的博物学者「南方熊楠」です。
欧米から帰国後、明治37年に田辺に居を定め、粘菌学、民俗学などの研究をしました。25年を過ごした邸宅は当時のまま保存され、遺されていた25,000点以上の資料を収蔵している隣の「南方熊楠顕彰館」とともに田辺の観光スポットとなっています。
その他、合気道の創始者「植芝盛平」、世界三大行進曲として有名な軍艦マーチの作詞家「鳥山啓」、様々な伝説を残す「武蔵坊弁慶」などの偉人を輩出しています。

自然
紀伊半島は、プレートの沈み込みで生み出された「火成岩体」、「前弧海盆堆積体」、「付加体」の3種類の大地から成る特異な景観が見られ、平成26年に「南紀熊野ジオパーク」に認定されました。
特に、すさみ町にある「フェニックス褶曲」は、大地を押し合う力でぐにゃっと曲がった世界的にも有名な岩です。
また、白浜町には観光客で賑わう「千畳敷」、「三段壁」、「円月島」などのほか、知る人ぞ知る「鳥毛洞窟」などの穴場もあります。

おわりに
今回紹介しきれませんでしたが、田辺には、450年余の歴史を持つ「田辺祭」や、職員も参加するゲタ踊りで有名な「弁慶祭り」などのイベントも開催されます。また、珍しい水門跡が残る「田辺城」(別名「錦水城」)と、世界遺産「鬪鶏神社」を結ぶ税務署界隈は、昭和の雰囲気が今も香る、どこか懐かしい、ホッとできるエリアです。
1日3便の飛行機が発着する「南紀白浜空港」を利用すれば東京から約1時間、大阪からは特急「くろしお」で約2時間の地にあり、歴史、文化、自然、様々な面を備えている「田辺」に是非一度、足をお運びください!!

(写真提供:田辺観光協会、南紀白浜観光協会)