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令和5年度職員トップセミナー


講師
平田 オリザ 氏
(劇作家・演出家・青年団主宰
芸術文化観光専門職大学学長)

演題
芸術文化と観光
令和5年6月9日(金)開催


はじめに.自己紹介を兼ねた私の活動

平田です。よろしくお願いします。ご紹介いただいたように私は普段は劇作家、演出家で、作品をつくることが一番の仕事です。
私の代表作「東京ノート」は世界14か国で翻訳されて世界中で上演されています。
また、ドイツのハンブルグの州立歌劇場でつくったオペラは、福島が舞台になっており、最後に防護服を着て墓参りする場面で終わる作品です。このようにヨーロッパにおいてもオペラの制作などに携わってきています。
このような活動の一方で、私は2021年4月に開学した兵庫県立の芸術文化観光専門職大学の初代学長を務めています。
また、私は、小学校・中学校の国語教科書の作成に長年携わっております。現在でも年間30~40校の小学校・中学校を訪問し、授業を行っています。大学でも国内外でワークショップ形式の授業を行っています。
本日は「芸術文化と観光」についてお話します。私は今兵庫県豊岡に在住する移住者でもあります。地方創生、人口分散、人口減少対策は日本の最大の課題ですが、芸術文化がこれらの課題にどのように貢献できるかについてお話できればと考えております。

1.但馬での芸術文化観光を通じた地域づくり
(1)但馬地方について
私が住んでいる兵庫県但馬地方は、3市2町で構成されており、東京都とほぼ同じ面積ですが、人口は16万人弱です。中核市となる豊岡市は、1市5町が合併した大きな市で、城崎温泉があります。豊岡市は東京都23区とほぼ同じ面積を持ちながら、人口は8万人を切ってしまい、今は実質7万5千人となっております。
(2)コウノトリの再生・城崎温泉
但馬地方はコウノトリの再生で知られています。コウノトリが絶滅した最後の地であったため、人工繁殖から自然放鳥に取り組み、現在約300羽のコウノトリが飛んでいます。コウノトリのため無農薬の田んぼを広め、そこで収穫されたお米は「コウノトリ育むお米」としてブランド化され、大変高値で販売されています。
但馬地方で最も有名なのが城崎温泉です。大きなホテルは町外れにしか建設できず、木造三階建の旅館街が守られてきました。これが支持され、現在はインスタ映えするスポットとして、2~3月には関西の女子大生の卒業旅行先として人気があります。また、コロナ以前の5年間で、訪日外国人観光客が40倍に増加しました。
(3)城崎国際アートセンター
旅館街の一番外れにあった城崎大会議館という千人収容のコンベンションセンターをリニューアルしたのが「城崎国際アートセンター」です。世界でも珍しいレジデンス施設として、芸術家たちが滞在し、作品を制作する場となりました。
かつて年間20日間しか使われていなかった施設は、現在では年間330日稼働しています。滞在するアーティストには短期的な成果は求めず、教育普及活動を行ってもらっています。
(4)公教育の相当早い段階で文化体験を
お茶の水女子大学の浜野隆先生が作成した、小学校6年生の国語と算数の学力テスト上位25%のA層と下位25%のD層の家庭環境を比較した表があります。A層とD層の差が最も大きいのは「家には本がたくさんある」で、国語では24.6ポイントです。次に大きいのは「子供が小さい頃、絵本の読み聞かせをした」で、国語では17.9ポイントです。また、「博物館や美術館に連れていく」が国語では15.9ポイントで、「毎日子供に朝食を食べさせる」の10.4ポイントよりもずいぶん高い値となっています。
また「子供が英語や外国の文化にふれるよう意識している」が国語で17.5ポイントあります。
算数で10ポイントを超える要因としては、「絵本の読み聞かせ」「美術館、博物館」「家には本がある」「外国の文化に触れるよう意識」が挙げられます。これらは躾とか学問とは直接関係なく、体験に基づくものです。
私はこれを「文化格差」と呼んでずっと問題にしてきました。文化格差、体験の格差が非認知スキルの格差につながって、非認知スキルの格差が身体的文化資本の格差につながって、これが教育格差につながっていくのです。
非認知スキルは小学校低学年までに、身体的文化資本はティーンエイジャーまでに、それぞれ身に付くとされています。格差が生じる前に、格差が生じにくい教育システムを整備することで財政支出も少なくて済みます。
豊岡市では、公教育の早い段階から文化体験を豊富に取り入れています。また、豊岡市内の美術館や劇場は、ひとり親世帯に対して無料で利用できるようになっています。
(5)芸術文化観光専門職大学
(ア)但馬に四年制大学が誕生
こうした取り組みの末に芸術文化観光専門職大学が開学いたしました。但馬地方には、これまで四年制大学は一つもありませんでした。四年制大学の誘致は、地域にとって長年の悲願でした。本学は、1学年80名、全学年で320名の小さな大学ですが、毎年全国から若者が集まり、豊岡市にとって非常に大きな人口インパクトをもたらしています。
私は東京藝術大学の教授も長く勤めていましたが、東京藝術大学でも音楽学部と美術学部しかありません。演劇学部はないのです。このような国は他にありません。他の先進国では、国立大学に演劇学部があったり、国立演劇学校を持っていることが多いです。
また、他の先進国では、高校の選択科目に演劇がありますが、日本の高校には演劇の科目はありません。
韓国は8年前に全ての高校の選択科目に演劇を導入し、台湾やシンガポールでも演劇の科目を持つ高校が多くあります。日本は、アジアの先進国の中でも、演劇教育において完全に後れを取っているのです。
(イ)芸術文化観光専門職大学のいろいろな特色
大学の話に戻りますと、1年次は全員が寮に入居します。個室ですが、4人が1ユニットとなります。北海道、東京、兵庫、沖縄、そして留学生など、様々な地域から学生が集まり、ネットワークを構築できるのも本学の特色です。
本学のもうひとつの特色は、完全クォーター制であることです。春学期と秋学期の間の夏休みと冬休みには、集中講義や実習が行われます。800時間の実習が課せられており、公共ホールなどの運営実習や城崎温泉、JR西日本、京丹後鉄道などで実習が行われます。企業から課題を出してもらい、10日間程度の実習を行い、課題解決に取り組みます。これは1年生が行います。2年生になると、城崎温泉の老舗旅館や神戸のホテルオークラ、ネスタリゾート神戸などのリゾート施設や高級ホテルで1~2か月間の実習が行われます。学生にとっては、バイト代が支払われ、キャリアアップにつながり、単位も取得できるため、非常に人気のある実習となっています。
地域初の大学として、各市町からの期待も大きく、行政と連携して取り組んだり、商品開発なども行い、初年度だけで19の地域連携事業を行いました。
(ウ)高い志願倍率、全国から学生がやって来る
本学は初年度にも関わらず、全入試合計の志願倍率が7.8倍と、公立大学でトップになりました。倍率だけでなく、全国の様々な地域から学生が集まり、85%が本学を第一志望としています。また、8割以上が女子学生であり、地方都市からすれば喉から手が出るほど欲しい20歳前後の活発な女性が全国から集まるということで、将来的に人口減少対策に貢献出来ると考えています。
本学の特徴は、「日本で初めて演劇とダンスの実技が本格的に学べる公立大学」という点です。ダンスにも力を入れており、スェーデンの王立バレエ団のプリンシパルダンサーであった木田真理子さんが専任教員として在籍しています。木田さんは、日本人で唯一「ブノワ賞」というバレエ界のアカデミー賞に相当する賞を受賞した実績を持つ方です。

2.文化観光政策とは何か
(1)アジア諸国は文化政策と観光政策を一体化
本学のもうひとつの特徴は、「日本初の観光という名称の入った公立大学」という点です。「なぜ、観光と芸術なのか?」とよく聞かれますが、アジア諸国では文化政策と観光政策は一体で行われています。日本でも自治体レベルでは統一しているところがあります。沖縄県がその一例で、沖縄県には「文化観光スポーツ部」があります。日本だけでなく韓国のサッカーや野球も、観光オフシーズンの2月に沖縄でキャンプを行います。これにジャーナリストやファンも付随して訪れます。スポーツ観光は、沖縄にとって非常に重要な要素となっています。
(2)増大するインバウンド:コンテンツが重要
今後も、日本は訪日外国人観光客によって大きな経済効果が期待されます。訪日外国人観光客による消費は、ほぼ現金で行われるため、経済効果が大きいとされています。
訪日外国人観光客については、観光業界の大変なご努力もありますが、円安と東アジアの経済発展が外的要因として大きく影響しています。今後、中国や東南アジアには約10億人の中間層が生まれるとされています。彼らが初めて訪れる海外として、安くて近くて安心安全な日本を選んでくれるものと期待されます。しかし、一度だけでなく何度も訪れてもらう必要があります。そのためには食べ物やスポーツなどを含めたコンテンツが重要になってきます。このようなコンテンツ重視の観光を観光学では「文化観光」と呼んでいます。日本人の観光も参加体験型に変化しており、中国や東南アジアの人々のニーズも同様に変化することが予想されます。
文化観光の中でも、特に日本が弱いのが芸術文化だと言われています。ブロードウェイのように家族が安心して楽しめるミュージカルや、初老のご夫婦がカクテルを飲みながらジャズを楽しめるお店などは、まだまだ少ないと言われています。
(3)ウィーンの観光政策
ウィーン国立歌劇場は、小澤征爾さんが音楽監督を務めていた、世界最高峰のオペラハウスのひとつです。ここは毎日異なる演目を上演することが定められています。オペラは、演劇と異なり、毎日同じ演目を上演することができません。ソリストの喉を休ませる必要があるためです。しかし、劇場を閉館してしまうと、海外から来た音楽好きの観光客は翌日ローマやパリに行ってしまいます。しかし、ウィーンで毎日異なるオペラが鑑賞できるのであれば、昼間はザルツブルクに行きモーツァルトハウスを見学し、夜にはウィーンに戻りオペラを鑑賞することができます。オペラを鑑賞するような富裕層は、良いホテルに宿泊し、良い食事をし、お土産も購入します。最低でも一泊あたり5万円相当は消費するでしょう。ウィーン国立歌劇場は2,000人収容できますから、直接消費だけでも1億円相当、年間250ステージあれば250億円相当の経済効果があります。さらにホテルやレストランの雇用や消費も生まれます。そのため、税金を使って毎日オペラを上演しても十分にペイする、というのがオーストリア政府の考え方です。
(4)ハンブルクの取り組み
冒頭で、ハンブルクの州立歌劇場でオペラをつくったお話をしました。ハンブルク市長は、すすけた港湾都市のイメージを変えるために、最初はオリンピックを誘致しようとしたのですが、住民投票で否決されてしまいました。そこで、代わりにオペラハウスを建設することにしたのです。ヨーロッパの都市にとって、オペラハウスを建設することは、オリンピックを誘致することと同じくらいの大イベントなのです。
そこに、ケント・ナガノという現在ヨーロッパで最も人気のある日系アメリカ人指揮者を音楽監督として、ミュンヘンから引き抜いてきました。彼が指揮者となる記念事業において、彼が日系人であることから、日本関連の企画をすることとなり、私に依頼が来たのです。観光や文化、経済などを含めた戦略の中で、アーティストの起用が決定されるのがヨーロッパの特徴です。こうしたものを「ナイトカルチャー」や「ナイトアミューズメント」と呼んでいます。
昔は、男性だけが旅行することが多かったため、観光地の近くに歓楽街をつくっておけばよかったのですが、現在は家族で旅行することが多くなり、財布の紐は奥さんが握っていることが多いです。そのため、家族で楽しめるもの、子供と楽しめるもの、参加体験型のもの、そしてハイカルチャー・ハイスペック型のものが求められるようになりました。
(5)シンガポールの取り組み
シンガポールは、かつては日本人観光客がショッピングを楽しむ街でしたが、シンガポールの経済が発展し、シンガポールドルが上昇するにつれ、ホテル代も高くなり、ショッピングの魅力が薄れていきました。そのため、シンガポール政府は観光政策を大きく転換し、ターゲットを日本人観光客から華僑の富裕層に変更し、彼らに何度も訪れてもらえる街にしようと考えました。例えば、国立のシンガポールオーケストラは東南アジア最高峰の技術を持います。良いプロデューサーさえいれば、「今回はヨーヨー・マ(チェロ奏者)を呼びましょう、今回は指揮者に大野和士を呼びましょう」とプログラムを書き換えていけば、バンコク、ジャカルタ、クアラルンプールのクラシック音楽好きのお金持ちは何度でもシンガポールに来ます。しかも家族で来ます。お父さんはカジノに行って、お母さんと子供はクラシック音楽を聴きに来るのです。これが文化観光の強みです。
こういうサイクルを企画したり運営したり実践できる人材を育成しようというのが芸術文化観光専門職大学の狙いです。
(6)豊岡の観光課題:国際リゾートへの脱皮
豊岡市では、城崎温泉が観光のエンジンとなっています。周辺には天空の城竹田城や、おそばで有名な出石など、様々な観光地がありますが、大阪や神戸からの観光客は、朝に竹田城を見学し、出石でおそばを食べ、城崎で蟹を食べて1泊2日で帰ってしまうことが多いです。一方で、城崎の1泊2食で2万円の旅館モデルも限界に来ています。蟹は海洋資源であり、無限にとれるものではありません。
最終的に狙うのは、海外からの富裕層による長期滞在です。つまり、城崎、豊岡、但馬が関西の一観光地から国際リゾートに脱皮できるかどうかが問われます。そのためには、昼間のスポーツと夜のアートが必須条件です。
(7)豊岡の文化政策における水平分業
豊岡市の特徴のひとつとして、1市5町が合併したことにより、施設が余ってしまったことが挙げられます。そこで、私たちは水平分業、すなわち機能を分化することにしました。城崎国際アートセンターは作品を作る場として、ワークショップや教育目的の機能は駅前の市民プラザに、鑑賞事業は市民文化会館や永楽館という歌舞伎小屋が担うこととしました。旧日高町には何もありませんでしたが、町役場だった施設を私が私費で購入し、140名収容の劇場に改装しました。
(8)国際演劇祭開催へ
(ア)豊岡演劇祭
2020年から、新しく劇場ができたことを受けて、豊岡演劇祭が始まりました。この演劇祭は、フランスのアビニヨン演劇祭やイギリスのエジンバラ演劇祭のような、世界的に有名な国際演劇祭を目指しています。
アビニヨン演劇祭は、正式招待された演目が約30ありますが、フリンジと呼ばれる自由参加型の大道芸なども含めると、世界中から約2,000の演目が集まり、1か月間にわたって開催され、世界中から観光客を集めます。この期間中、世界中からプロデューサーや芸術監督などが集まり、様々な演目を上演します。アビニヨン演劇祭は、見本市的な性格も持っている大きなフェスティバルとなっています。
豊岡演劇祭でも、このような見本市的な性格を持った、アジアのハブとなるような演劇祭を目指しています。
(イ)成功のための3つの要件
アジアのハブになるためには、成功するための3つの要件があります。1つ目は、正式招待された演目を開催できる施設があることです。これは先ほど申し上げたように、豊岡市には、1市5町が合併したことにより、様々な施設が整っています。
成功するための2つ目の要件は、様々な宿泊施設があることです。豊岡市には、神鍋高原があります。ここは冬のスキー場として、またスポーツ合宿のメッカとしても知られています。4,000円から5,000円で雑魚寝できるような民宿から、城崎温泉の1泊5万円から10万円のVIPクラスが泊まる宿まで、様々な階層の宿泊施設が人口8万人の町に揃っているのです。
3つ目はネットワークです。これは私個人のネットワークや城崎国際アートセンターのネットワークを活用して、演劇祭を成功させることができると考えています。
(ウ)アジアのハブの演劇祭へ
私が予想していなかったことのひとつは、東南アジアのアーティストたちが、自国の助成金を受けて日本に来るようになったことです。シンガポールはもちろんのこと、タイ、マレーシアなどの国々が、自国の文化予算を活用して日本に来ることができるようになりました。ただし、彼らには「城崎国際アートセンターのレジデントアーティストに選ばれた」という証明が必要なのです。「日本で選ばれたの? すごいね!」という評価を受けるものです。私たちもかつて、「アビニヨン演劇祭に正式に招待されたの? すごいね!」と言われました。その証明を得て、私たちは国際交流基金から助成金を受け取り、ヨーロッパで活動を始めたのです。
このように、東南アジアと日本の関係は、かつての日本とヨーロッパの関係と相似形をなすようになったのです。
(エ)演劇祭とリンクした様々な取り組み
豊岡演劇祭は9月に開催されます。本学の1年生は全員、この演劇祭に参加します。2年生、3年生になると、企画段階から参加することができます。学生の半分が参加するとしても約150名のボランティアを見込めることになります。
豊岡演劇祭に参加する学生たちは、地域通貨で支払われる有償のボランティアとして働くので、彼らが得たお金は、地域内で使われることになります。地域通貨はKDDIのリストバンドや携帯電話を通じて提供され、消費や移動のデータが得られます。このデータはビッグデータとして、トヨタモビリティ財団によってモビリティのシステム開発に活用されます。最終的には、自動運転につながると考えられますが、自治体がゼロからこのような実験を行う場合、大変な費用とリスクがかかりますが、演劇祭という期間限定で個人情報も限定しやすい環境では、実験が容易に行えます。そのため、KDDI、トヨタ、JALなどが最初からスポンサーとして参加しているのです。
豊岡演劇祭の開催にあたり、空き店舗の活用も重要な課題です。経済的な問題だけでなく、地域の活性化にも関係してきます。「面倒くさいから貸さない。固定資産税も大した負担でもないから」と言っている方でも、地域の活性化には関心があるものです。「演劇祭の期間中だけ貸してください」とお願いすると、「貸してもいいよ」という方が出てきます。そうすることで地域に賑わいが生まれ、「ほら、やはり若い人が使った方がいいよね、折角なら活用した方がいいよね」と、地域の人々の意識を変えていくのもひとつの戦略です。おそらく豊岡でも、空き家や空き店舗の活用が相当進むのではないかと考えています。
(オ)演劇祭一色になるのに適した人口規模
世界最大の演劇祭を持っているアビニヨンが人口9万人、世界最大の映画祭を持っているカンヌが人口7万人です。豊岡の人口は8万人です。この規模でないとダメなのです。この規模でやることで、その期間中、町が演劇祭一色になり、そこに魅力を感じて世界中から観光客が集まってくるのです。

3.私が関わった地域づくりの事例
(1)岡山県奈義町の例
他の地域づくりの事例として、岡山県奈義町をご紹介いたします。こちらは、先般岸田総理が訪問され、「特殊出生率2.95の奇跡の町」と話題になりました。報道では、子育て支援金やお祝い金の額ばかり取り上げられていましたが、実際には、10数年間にわたるきめ細かい子育て支援と教育改革が行われ、その結果として子供の数が増えているのです。
私は奈義町の「教育・文化のまちづくり監」を長くやっておりまして、教育・文化政策をアドバイザーというよりむしろ中核で担ってまいりました。成功の秘訣は簡単です。隣に人口10万人の津山市があります。岡山県北部は完全なクルマ社会ですから、津山で働く若い夫婦は車で30分圏内であればどこに住んでも同じなのです。そこで、子育てや教育に力を入れている奈義町が結婚や出産や子育ての場として選ばれるようになりました。奈義町は、若い人たちに特化した町営住宅なども用意しており、多くの人々が移り住んできます。さらに、子育て支援の様々な施設が整っており、ソフトが充実していて、相談などもしやすくなっています。休業中のガソリンスタンドを利用して、町がシール貼りなどの雑務をアウトソーゾングし、子育て中の主婦たちが子供を連れて1時間から働ける「しごとスタンド」を設置しました。お母さんたちからは、「千円、二千円が欲しいわけではなく、仕事ができて社会と繋がっている方がうれしい」という声が聞かれます。このような細かい取り組みを10数年続けてきたのです。
それだけではありません。奈義町は、農村歌舞伎をずっと守ってきました。そのため、小学校3年生が全員学校で歌舞伎をやります。希望すれば、幼稚園から高校まで、歌舞伎か太鼓を無償で習うことができます。奈義町の町民でないと参加できないため、これがやりたくて移住してくる家族もいるほどです。
また、建築家の磯崎新さんが設計した奈義町現代美術館や奈義町立図書館もあります。
このような複合的な政策により、次第にアートのまちづくりが進み、特殊出生率2.95を実現したのです。
(2)北海道東川町の例
北海道東川町は、奈義町と非常に似ており、隣にある旭川市から多くの人々が移住してきています。東川町は、「写真甲子園」を30年間続けており、また家具の町としても知られているので、家具のデザイナーが多く移住してきています。今の旭川市の若者たちは、東川町でデートするのです。東川町には、おしゃれなカフェなどがあるからです。東川町の人口は、1950年に1万人を記録した後、1990年代には6千人台まで減少しましたが、現在は8千人台まで回復しています。V字回復と言えるでしょう。東川町は強気で、人口はもう増やさない、と言っています。過疎でも過密でもない「適疎」を目指す、ということなのです。
4.文化による社会包摂
(1)強固な共同体から緩やかなネットワーク社会へ
今、子育て世代の5割から6割が「移住を考えたことがある」と言われています。しかし、実際には移住しません。移住しない理由として、雇用や経済などが挙げられますが、実際にはどこも人手不足なので雇用はあるのです。移住を決断する上で重要なのは、教育、医療、そして広い意味での文化、それらが揃っていないと移住しないものなのです。奈義町や東川町の例からも、このことが分かります。
移住を考える人々にとって、もうひとつ大きいのがマインドの問題です。「田舎は面倒くさそう」「人間関係が厚すぎるのではないか?」という不安があります。日本は稲作文化の宿命で、全員で田植えして、全員で草刈りして、全員で稲刈りしなければいけない、という強固な共同体を形成してきました。しかし、現在では青年会や消防団、夏の盆踊り、秋の祭りなど、全ての行事に参加しなければならないような強固な共同体には、もううんざりなのです。しかし、高度な芸術文化活動、スポーツ、環境保護運動、ボランティア活動など、強制ではなく、自分から積極的に参加したいアクティビティについては、人々は車で30分圏内であればストレスなく移動すると言われています。
今後、日本社会は、強固な共同体から少し緩めて、緩やかなネットワーク社会に移行していく必要があります。その網目の接点に演劇があったり、音楽があったり、美術があったり、読み聞かせがあったり、農作業体験があったり、フットサルがあったり、そういうアクティビティを通じて人々がつながっているような社会に編みかえていかなければならないということです。
(2)ヨーロッパでのホームレスプロジェクト
ヨーロッパでは多くの都市が80年代以降、文化による都市の再生に取り組みましたが、その取り組みの中で必ずアートセンターを作ってきました。それも社会的弱者が参加しやすいような場所に作るのです。一番象徴的な例は「ホームレスプロジェクト」でしょう。ヨーロッパの多くの美術館やコンサートホールで行われている、ホームレスの人々を支援するためのプロジェクトです。ホームレスの人々が月に1回程度、コンサートや美術展、スポーツ鑑賞などに招待されます。これらの活動を通じて、生きる意欲や労働意欲を取り戻してもらうことが目的です。このようなプロジェクトは、非常に安価なホームレス対策とされています。
日本でも、大阪の西成地区では、大阪市立大学などがアートによるホームレス支援を行っています。その中でも一番面白いのは、元ホームレスの人たちによる紙芝居劇団です。彼らは4~5人で、保育園や老人ホームなどを回り、紙芝居を演じます。何かの役に立つと感じることで、彼らは朝きちんと起きるようになり、前の晩お酒も控えるようになるのです。これは「自己有用感」と呼ばれます。教育学の世界でも、最近は「自己肯定感」から「自己有用感」へと移行しており、「自分が誰かの役に立っている」という感覚が重要だと言われています。
失業に関しては、雇用がないことではなく、自分に合った仕事が見つからないことが問題だと思うのです。
例えば、黙々と仕事をしてきた製造業の人が失職するとハローワークに通うことになりますが、求人の多くがコミュニケーション能力を求める接客業であった場合、自分に合った仕事がなかなか見つからないことがあります。そんな時、自分が必要とされていないと感じてしまうそうなのです。まさに自己有用感の欠如が生じるのです。
北欧の雇用政策では、雇用保険を最長3年間まで延長することができます。失業者は、最初のうち演劇やダンスのワークショップを受講したり、ボランティア活動を経験したりすることができます。これらの活動を通じて、他者の笑顔が自分の幸福につながることを体験することができます。その後、時間をかけて自分に合った仕事を見つけるのです。
一方で、未だに日本は「エクセルとワードができないと再就職できません」と言われるのです。手に職をつければ食っていけるという発想自体が、昭和の発想だと思います。それよりも「自己有用感」を高める方向に、考え方を変えたほうが良いと思うのです。
(3)中高年の引きこもり、孤立、孤独死
中高年の引きこもり、孤立、孤独死は日本にとって深刻な問題です。先日の長野の立てこもり事件、京都アニメ放火事件、大阪の心療内科放火事件も、全て社会的孤立の問題です。
江戸川区が昨年行った大規模調査で、ショッキングな結果が出ました。40代の女性が人口比で引きこもりが最も多かったのです。これは就職氷河期の影響だと考えられます。その女性たちは、とても優秀で四年制大学を出ているのですが、就職活動の時に100社受けて100社落ちた人たちなのです。その結果が現在の40代女性の引きこもり増加につながっているのです。
(4)文化による社会包摂
引きこもり、孤独死、孤立死は社会全体にとって大きなリスクとコストです。
そのため、私たちは考え方を変える必要があります。失業者が平日の昼間に劇場に来ることを奨励し、「社会と繋がっていてくれてありがとう」「引きこもらないでいてくれてありがとう」「無料で結構ですので、楽しんでください」と考えた方が、身体的文化資本の負の連鎖を断ち切ることができる。これを「文化による社会包摂」と言います。
日本はかつて地縁血縁型の社会でしたが、戦後崩壊し、企業社会が台頭しました。しかし、90年代以降のグローバル化に伴い、企業は労働者を守る必要がなくなってしまいました。振り返ると地縁血縁型社会もない。これが今の「無縁社会」の正体です。
日本は最後のセーフティネットである宗教も弱いため、先進国の中でも最も人が孤立しやすい社会なのです。孤立が進むと、社会全体のリスクとコストが増大します。だからこそ、孤立を防ぐことが重要なのです。
社会学では「ゲゼルシャフト」と「ゲマインシャフト」、つまり利益共同体と地縁血縁型共同体という概念があります。その中間に、私が「関心共同体」と呼んでいる、出入り自由で、ふわっとした、何らかのアクティビティでつながっている共同体が必要ではないかと思うのです。例えば、失業者でも、子供にサッカーを教えるのが上手だったり、コーラスが上手だったりすることで、社会と繋がっていることができます。これが無意識のセーフティネットになるのではないかと考えております。
ご清聴ありがとうございました。(以上)


講師略歴
平田 オリザ(ひらた おりざ)
劇作家・演出家・青年団主宰
芸術文化観光専門職大学学長
劇作家・演出家・青年団主宰。芸術文化観光専門職大学学長。江原河畔劇場 芸術総監督。こまばアゴラ劇場芸術総監督。豊岡演劇祭フェスティバル・ディレクター。
1962年東京生まれ。国際基督教大学教養学部卒業。1995年『東京ノート』で第39回岸田國士戯曲賞受賞。1998年『月の岬』で第5回読売演劇大賞優秀演出家賞、最優秀作品賞受賞。2002年『上野動物園再々々襲撃』(脚本・構成・演出)で第9回読売演劇大賞優秀作品賞受賞。2002年『芸術立国論』(集英社新書)で、AICT評論家賞受賞。2003年『その河をこえて、五月』(2002年日韓国民交流記念事業)で、第2回朝日舞台芸術賞グランプリ受賞。2006年モンブラン国際文化賞受賞。2011年フランス文化通信省より芸術文化勲章シュヴァリエ受勲。2019年『日本文学盛衰史』で第22回鶴屋南北戯曲賞受賞。
京都文教大学客員教授、(公財)舞台芸術財団演劇人会議理事、日本演劇学会理事、(一財)地域創造理事、豊岡市文化政策担当参与、宝塚市政策アドバイザー、枚方市文化芸術アドバイザー。