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路線価でひもとく街の歴史


第42回 特別編
新幹線は街をどう変えたか


北陸新幹線と地価上昇
先月、令和5年の路線価が公表された。都道府県庁所在地の最高路線価をみると、福井市の「福井駅西口広場通り」が前年を6.1%上回る35万円/m2となった。上昇率は岡山、札幌、埼玉に次ぐ第4位である。平成29年(2017)から上昇しこの7年で約3割増となった。背景には北陸新幹線の延伸開業がある。2024年3月、金沢-敦賀間が開通し、福井駅の新幹線ホームが開業する予定だ。駅の東西で再開発が進んでいる。
福井市の最高路線価の上昇は新幹線フィーバーによる一過的なものか、それとも新幹線の開通で街に構造変化が起きたからか。他都市の例を振り返り、路線価を切り口に新幹線が街をどう変えたかを考えてみたい。路線価に着眼するのは地価水準が立地の収益力を意味するからだ。最高路線価地点の移動は人の流れの変化ひいては街の構造変化をうかがわせる。
さて、北陸3県の県庁所在地とこれに次ぐ拠点都市の最高路線価の推移を図1.北陸3県主要都市の最高路線価に示した。目に入るのは北陸新幹線の開業前後で大きく伸びた金沢市だ。延伸5年前の平成22年(2010)、最高路線価地点が「香林坊大和前百万石通り」から「金沢駅東広場通り」に移った。延伸を見据えて駅周辺の再開発が進み、高層ホテルや大型店が集まってきた。延伸開業後に対する期待が街の中心を動かした。その後、平成27年(2015)の延伸開業を挟む10年で路線価は約2倍になった。
金沢市に比べテンポは穏やかだが富山市の最高路線価も平成25年(2013)から上昇傾向を辿っている。その後10年で2割増の水準となった。なお富山市は平成4年(1992)から最高路線価地点が駅前である。

新幹線効果は一過的か
次に長野市をみる。金沢に延伸する前の北陸新幹線の終点は長野駅だった。長野駅が開業したのは平成9年(1997)10月だ。長野駅の開業は路線価にどのような影響をもたらしたか。1990年代はバブル崩壊後の地価の下落ペースが急で長期にわたるグラフ表現が難しい。そこで、図2.北陸新幹線沿線の県庁所在地の最高路線価ランキングではランキング形式で都道府県別の最高路線価の動きを示すことにした。
長野市は昭和61年(1986)から、すなわちグラフの左端の平成5年(1993)の時点で最高路線価地点が長野駅前である。路線価自体は平成5年から約20年にわたって下落傾向にあったが、他都市に比べれば抑制的だった。そのため、ランキングにすることで新幹線等による上昇要因を抽出することができる。長野市の最高路線価は平成6年(1994)に30位だったが、翌年から順位を上げ、新幹線長野駅が開業した翌年の平成10年(1998)には18位となった。冬季五輪が開催された年でもある。新幹線の延伸は長野五輪に向けたインフラ整備の一環だった。こうしたことが長野市の最高路線価を押し上げたとうかがえる。
もっとも、押し上げ効果は五輪終了を機に減衰した。最高路線価は平成11年(1999)から急減し、平成12年(2000)と平成14年(2002)には全国で最も大きい下落率となった。その後長野市の最高路線価は30位前後で推移しており、五輪開催を見据え急上昇する前の水準に戻っている。平成30年(2018)には福井市に追い越され、直近は31位である。長野市の例を見る限りにおいて、新幹線の開通が最高路線価を押し上げる効果は一過的なように思える。なお、北陸新幹線の延伸は長野駅が終着駅でなくなったことでもある。金沢延伸で長野市の最高路線価は変わらなかったことから、長野市において終着駅であることの効果はなかったようだ。

ストロー効果と一極集中はあったか
新幹線の開通のネガティブ面としてストロー効果による東京一極集中が挙げられる。万有引力と同じように都市の吸引力は規模に比例し、都市間距離に反比例するという説がある。新幹線の開通で都市間の時間距離が短縮し、大都市の吸引力に小都市が飲み込まれてしまうことに対する懸念だ。
ただ、この論については慎重に考えるべきだ。遠距離通勤の範囲に組み込まれるほどならともかく、長野駅と東京駅は1時間20分で8,140円(指定席eチケット予約7/24調)。東海道新幹線なら浜松駅と同じくらいだ。時間距離はともかくコスト距離はそれほど近くない。たしかに、地方百貨店から都市百貨店の本店で買い物をするようになる一部の富裕層はいるだろう。とはいえ地方百貨店の経営悪化の要因は郊外大型店との競争によるものが大きい。インターネット通販の普及拡大で買い物行動に距離が関係なくなった要因はなお大きい。地方都市の商圏の縮小に新幹線が与えた影響は相対的に小さい。
次に地域圏の変化について考えてみる。着眼したのは進学流動である。富山、石川および福井の北陸3県は歴史的に関西との関係が深かった。時間距離でいえば新幹線開業前は富山駅から東京駅と大阪駅がほぼ3時間半。乗り換えの手間がない分大阪駅のほうが近かった。それは地元高校生の大学進学先にも表れており、図3.高校の所在県別にみた大学進学先で示したように北陸3県は滋賀県を含めた京滋阪神4県の大学への進学割合が高かった。平成14年度(2002)、それでも富山県は1都3県への進学割合が京滋阪神より高かったが、石川県では1都3県が19.7%、京滋阪神で18.4%とほぼ同じ。関西により近い福井県は京滋阪神のほうが高かった。
北陸新幹線が金沢駅まで延伸して以降、時間距離の中間点は富山駅から金沢駅に西進した。首都圏に近くなったことから進学流動も首都圏優位になると思われたが、令和4年度(2022)時点ではそうでもなかった。石川県から1都3県に進学する割合が12.6%なのに対し、京滋阪神はそれを上回る16.3%となった。北陸3県内、つまり広義の地元進学が増え、その分1都3県への進学が減少した。富山県、福井県でも1都3県と京滋阪神との差に特筆すべき変化は見当たらない。世代交代レベルの時間が経てば別の結果が出るかもしれないが、少なくとも進学流動においては、東京駅発着の新幹線が開通したからといって首都圏への流出が大きく増えるということではなさそうだ。

新幹線の開通で街の中心が移った例
街の構造変化における本連載の前提は、徒歩と舟運、鉄道そして自動車へ主要交通手段が変わるにつれ、街道や河岸、駅前、バイパス沿いに中心地が移転するという「交通史観」だ。この中で新幹線はどのように位置づけられるのか。
新幹線の開通で最高路線価地点が移動した例は、冒頭の金沢以外にもいくつかある。古くは埼玉県の大宮の例がある。昭和57年(1982)に東北新幹線が開通。これに伴う再開発で新幹線ホームがある大宮駅西口の風景が一変した。ペデストリアンデッキが縦横に広がり、丸井やダイエー、そごうが進出した。開通10年後の平成4年(1992)には最高路線価地点が大宮駅東口の銀座通りから大宮駅西口広場に交代するに至った。
新幹線をきっかけに駅前の商業開発が進み、明治以来の伝統的な中心街の天文館を激しく追い上げた例が鹿児島市だ。平成16年(2004)、九州新幹線の部分開通を機に西鹿児島駅が鹿児島中央駅に改称。リニューアルに伴い県内最大規模の商業施設のアミュプラザ鹿児島が開店した。駅前の路線価が上昇に転じる一方、天文館の下落傾向は変わらず、次第に駅前との差が縮まってきた。平成21年(2009)には天文館にあった三越鹿児島店が閉店した。
次は北陸新幹線の起点の高崎市とその県庁所在地の前橋市である。前橋市の最高路線価地点は「本町2丁目前橋東邦生命ビル前本町通り」で、駅前ではない。1ページ目の図2を見ると、北陸新幹線が開通した翌年からランキングを落とし直近で45位となった。仮に前橋市と高崎市を入れ替えて都道府県ランキングを作った場合、群馬県は新潟県と同ランクの25位となる。街の規模を考えればこれが妥当だ。街の構造変化を考える上では、駅の機能が新幹線駅に置き代わり、その結果、前橋・高崎両市を合わせて地域を代表する駅が高崎駅に充てられたとすれば説明がつく。
元のJR駅前から新幹線新駅に街の中心が移転したケースが高岡市だ。千保(せんぼ)川にも近い旧街道沿いの小馬(こんま)出町(だしまち)、木舟町(きふねまち)から戦後は御旅屋町(おたやまち)、末広町(まち)という具合に最高路線価地点が駅に近づいていった。北陸新幹線の新高岡駅が開業して5年後の令和2年(2020)、当地の最高路線価地点が「京田県道57号線」になった。新高岡駅の南側には平成14年(2002)に開店したイオン高岡SCがあった。現在のイオンモール高岡である。規模は御旅屋町と末広町の商業エリアにも匹敵する。いきおい御旅屋町や末広町はシャッター街化が進んだ。令和元年(2019)8月には唯一の百貨店だった大和高岡店が76年の歴史に幕を下ろした。新幹線の新駅に最高路線価地点が動いた他の例としては福島県白河市がある。

新幹線効果を活かしたまちづくり
日本政策投資銀行の見通しによれば、北陸新幹線の敦賀延伸による経済波及効果は年間309億円である。その源泉は観光やビジネス目的の旅客流入である。前提が若干異なるので単純比較はできないが、開通後の経済波及効果として石川県が678億円、富山県は304億円と試算されている。実際は移動時間が短縮されることによる効率化効果も大きいが説明に足る計算が難しい。本稿では最高路線価を活性化指標とみなしているが、旅客流入でホテルや物販の収益性が高まり、それが地価に反映する前提がある。
北陸新幹線の沿線では金沢駅前の地価上昇が目立つ。これまでの例をみると新幹線の開業による周辺再開発の影響が大きそうだ。それが一過性か構造変化を伴うものかはケースによって異なる。金沢の地価上昇の背景には観光客の増加がある。図6.金沢地域の観光入り込み客数から、新幹線の延伸を機に宿泊客、日帰り客ともに観光入り込み客数が増えていることがわかる。兼六園、3つの茶屋街など元々コンテンツに恵まれている点もある。他方、加賀百万石の城下町の外縁をイメージできる形で惣構(そうがまえ)遺構の復元を進めている点も挙げたい。金沢城址には元々金沢大学があった。大学の郊外移転を機に公園化が進んだ。他の地方都市と同じように金沢も中枢機能の郊外移転が相次いだ。石川県庁や地元銀行の本店が金沢駅西側の新都心に移転した。一見空洞化したように思えるが、旧県庁を近代建築遺産として観光資源(しいのき迎賓館)に改修するなど、歴史を活かした街の修景を進めているのが金沢の特長だ。「空洞化」は戦後復興から高度成長期にかけて上書きされた都市のコンテクストを剥がし、歩いて楽しむ城下町のコンテクストを復元する好機でもある。
金沢は外国人観光客、特に欧米人の人気が高い。このようなインバウンドの振興に対する新幹線の貢献度が高い。2023年1月、米ニューヨーク・タイムズ紙の「2023年に行くべき52カ所」に岩手県盛岡市がロンドンに続く2番目に掲載された。見出しには「東京から新幹線でちょっと行ったところにある、人込みとは無縁の、歩いて観光できる魅力的な場所」とある。紹介文には、西洋と東洋の建築美学を融合させた大正時代の建物、古い旅館、城址公園(盛岡城跡公園)、そして蛇行する川が挙げられている。外国人観光客は日本に何回も来られるわけではない。重要なのはコストより時間だ。東京を拠点に日帰りできることがインバウンド集客の決め手となる。東京駅から盛岡駅まで乗り換えなしで2時間12分、14,810円(はやぶさ指定席eチケット予約)。これが外国人旅行者が感じる「ちょっと行く」だ。金沢駅まで2時間28分、14,180円(指定席eチケット予約)。新幹線開通前は4時間弱で乗り換えもあったと考えれば短縮効果は大きい。
金沢と盛岡の共通点は戦災を受けていないことだ。市内の道幅が狭いことが課題となっていたが、これが歩いて楽しむ観点ではむしろ強みになっている。城址公園が充実していること、近代建築を残していることも共通している。新幹線効果を地域活性化につなげるためにできることは、駅前に移転した後の元・中心地を歴史と公園のコンテクストで再構築することではなかろうか。戦略的に都市観光の地力を育てることだ。


プロフィール
大和総研主任研究員 鈴木 文彦
仙台市出身、1993年七十七銀行入行。東北財務局上席専門調査員(2004-06年)出向等を経て2008年から大和総研。近著に「公民連携パークマネジメント:人を集め都市の価値を高める仕組み」(学芸出版社)


図4.鹿児島の路線価
図5.高岡の最高地価の変遷