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ファイナンスライブラリー


評者
斎藤 次郎
日下部 元雄 著

若者の貧困を拡大する5つのリスク
その原因と対応策
晃洋書房 2023年3月 定価 本体3,800円+税

本書は、若者の貧困について、CCS調査という極めて斬新な調査分析手法を駆使して、従来の類型的学説による常識的な要因分析とは異なる画期的な結論を導き出した睦目すべき一冊である。
著者の日下部元雄氏は、世銀副総裁等を歴任された財務省きっての国際派であるが、同時に東大数学科大学院修士課程修了(修士)、エール大学経済学部博士前期課程修了(経済学修士)の学究である。現在、オープン・シティ研究所を設立し、充実した調査研究活動を継続している。
著者は、世銀、欧州復興開発銀行勤務時代に遭遇した様々な貧困削減分野での経験を基に、退職後、英国ロンドン大学LSE校客員教授としてロンドンに居住していた2011年、英国の15の都市で若者の暴動が起こり、日本でも若年無業者やホームレス問題が顕在化した事実に着目し、「どうして多くの若者が希望を失い、孤独・孤立・貧困になってしまうのだろうか」という問題意識の下で、オープンシティファウンデーション(英国法人)を設立し、日本学術振興会から助成を受けて、ロンドン、リバプール、新宿の3か所で、初めて後に詳述する「コミュニティー・カルテ・システム」による実態調査(以下CCS調査という。)を実施した。
具体的には、これまでの貧困や格差研究が所得や消費などのマクロ的な分析や社会階層による分析を主体としていたのに対し、3年間に渉り、個人の生活史と家族・社会関係を通じ、どのような人がどのような経路をたどって貧困になるかという多次元・時系列なデータ(パネルデータ)を蓄積し、複合的・総合的な要因分析を行った。これにより、貧困や格差の問題は、経済的な要因のほか、幼児期からのメンタル・ヘルス面を含めた親子や友人・近隣関係などの社会的要因が大きく関係していること、家族や地域コミュニティーが持つ強み要因を活用した早期の予防対策が有効であることを初めて明らかにした。
画期的な分析結果である。
2013年帰国した著者は、厚労省社会援護局から研究委託を受け、英国における調査研究を更に重層的、多元的に発展させた大規模のCCS調査を行った。

(注)従来の社会調査の通常の手法である「無作為抽出方式」では、回答率20%程度、回答者の殆どが問題の無い高齢者であり、調査の目的としている社会的に排除されている人は全く回答していない。という事実が新宿区で試行した調査で判明している。



1 調査都市の選定
CCS調査の対象となる都市では、市内の調査協力団体20~40団体に対し、調査の趣旨を説明後、総計1,000通以上の調査票を配布してもらい、有効回答数を800程度確保してもらうことが望ましい。そこで、その能力のある都市を大都市圏、近郊都市、地方の中核都市のように都市の性格や地域の異なる都市がなるべく多く含まれるように慎重に選定した結果、川崎市、新宿区、瀬戸内市、各務原市など9都市が選定された。

2 斬新な調査分析手法の確立
(1)これまでの社会調査では、回答を得ることが大変難しかった(例えばホームレスのような)社会的排除を受けている人が正当に調査に組み入れられるようこれらの人が最も信頼を置いている地元の相談・支援機関の協力を得て調査趣旨の説明と質問票の配布を行うという方式により、200以上の協力団体の支援のもと、平均回答率80%という回収率を達成している。これが、このCCS調査の信頼性の基礎となっている。
(2)これまでの社会調査では、「不登校」などのリスク要因として問題が起きた時の直接的要因だけを取り上げる例が多かったが、この調査では、幼児期から現在迄の主要な生活上の出来事を含む生活史上の因果関係を求める方式を採用しており、貧困等のリスク要因の根源的な要因迄遡って連鎖関係が明らかになるという画期的な分析を行っている。これにより、貧困等のリスクへの予防的な対応が可能となったという点が重要である。
(3)この調査分析では、リスク分析だけではなく、人々が持つ強み(Risilience)によるリスク低減効果を含め統合的な分析を行っている。子供を育てていく上で、個々のリスクに対応するよりも、それらの根源的なリスク要因に遡り、それを解決するために子供の持つ「強み要因」を育てることがより効果的であるという新しい視点を提供している。
(4)同一人物の生活史データを約7,000人の方々からの回答を基にパネルデータに集約し、これを用いて多重回帰分析を行った。これにより、従来の機械的学習分析では、ブラックボックスとなっていた貧困への因果関係の流れを初めて具体的なデータに基づき理解可能な形で導き出している。
画期的な成果である。
(5)この調査では、若者世代で何が変わってきているかを明らかにするため、バブル崩壊後の「停滞の30年」に生まれ育った世代:「若者世代」とその親の世代であるバブル期に成長し、就職氷河期に就職した「団塊ジュニア世代」を比較し、その結果、両世代の人々の行動・生活・価値観に大きな違いが起きていることを包括的に明らかにしている点も注目に値する。

3 画期的な分析結果
これまで述べてきたような過去に例を見ない斬新な調査分析の結果、画期的な分析結果が明らかになった。
(1)発達期リスクの急増
若者の発達期の代表的リスクである「仲間遊び苦手」、「授業理解困難」等のリスクを経験した人の比率が若者世代では、彼らの親の世代である「団塊ジュニア世代」より急増している。
(2)幼児期の社会性の発達の阻害要因
「しかるしつけ」「父・母との接触少」「虐待」等の幼児期の社会性の発達を阻害する要因が「子供の貧困」以上に学齢期、青年期、就労期における問題に影響を与えている。
(3)将来への波及
幼児期の発達リスクが、将来のリスク例えば雇用リスク、心の健康リスク、ひいては貧困や要介護のリスクに大きく連鎖をしており、更には、母親の精神的ストレス(特に子育て不安)を通じて次世代の子供の発達期リスクにも大きな影響を与えている。
(4)貧困の最大の増加要因
最大の要因は、幼児期の親子関係である。「しかるしつけ」や「父接触少」の親子関係が「少年期貧困」以上に大きな要因となっている。
このようにこの調査では、幼児期の子育て支援が最も重要な政策課題であることが示されている。
一方、強みの要因では、幼少期の近隣の友人や大人等との接触(社会関係資本)がこれまで言われていたように若者世代で弱まってきているのではなく、逆に、不登校、引きこもりなどの発達期リスクを大きく低下させていることが明らかになり、コミュニティーの絆作りの重要性が示されたことも重要な点である。
最後に、この調査は「子育て」政策を含む広範な社会福祉政策の多方面から見た政策効果測定の基礎ともなるポテンシャルを持っていると考えられる。本書が広く読まれ、CCS調査による膨大なデータを含め、今後この研究が多方面で進化、活用されることを心から期待している。