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エイゴは、辛いよ。(2023年番外編)


大矢 俊雄


2020年9月号以来のご無沙汰です。人生は楽では無いので、あれから3年、いろいろなことがありました。1人で抱えるのは勿体無いということで、今回番外編でいくつかお届けしたいと思います。
項目建ては以下の通りです。お好きなものから読み始めてください。

1.飛行機は、ドラマ:(1)ジェームス・ボンド、ミュンヘン行きの特急に乗る。 (2)わ、私に構わず先に行ってください。 (3)アイスランドのシロクマ (4)魔法で消えたあのベルト (5)飛行機のドアの向こうは、橋だった。
2.リスク・テイカー:(1)ブルックリンの酒蔵にて (2)幽玄なる有言実行、Tomの“I told you” (3)ウクライナでリスクを取るとは、どういうことか(ロンドンで学んだこと)
3.私のハートは、イエロー・ブルー:(1)ヨコハマの、ビニールハウス (2)ヨコハマ行きのバスガイド
それでは、以下文体を変えていつもの調子で始めさせて頂きます。

1.飛行機は、ドラマ
前から思っていたことだが、私が出張で飛行機に乗るといろいろなことが起こる。同行者のせいにしようとしてきたが、どうも違うようだと最近気が付いた。
(1)ジェームス・ボンド、ミュンヘン行きの特急に乗る。
2022年6月、ミュンヘンでのグローバル投資家の会合に招かれたので参加した。コロナ禍のため直行便は無く、フランクフルトで便を乗り換え、ようとした。ラウンジで暫時休憩し、向かったゲートでミュンヘン行きがキャンセルになったと知る。なに?慌ててラウンジに戻りキャンセルを確認し、どうしたら良いか尋ねると、「3つのオプションがある」と告げられる。「明日まで待つか、車で行くか、電車で行くか。どれにしますか。」1泊3日の出張で前者2つは話にならないので電車にすると告げると、神業のような手際の良さで私の搭乗券を受け取るやミュンヘン行きの特急列車のチケットに替える。
「この空港の地下駅には15分くらい歩けば着きます。そこからミュンヘンまで4時間です。」私がやや呆然としていると、少しだけ不器用に微笑んで、告げる。「You can enjoy the local landscape.これでドイツの風景を楽しめますよ。」 その冗談は、こっちが言うものだ。キャンセルした方が言うんじゃない!(下の写真は、乗る筈でなかった特急列車)
問題の1つは、コロナの検査である。その当時は、行先の国で検査を受けて陰性証明を取らないと、帰りの飛行機に乗ることが許されなかった。そしてその検査を、ミュンヘン空港内の施設で受ける予約をしてあったのである。スケジュールの都合上、今日中に検査を受けないと間に合わない。ミュンヘン市内にも検査施設はあったが、検査方法などでまちまちで、日本政府が求める方法で無かったら帰国便に乗れない。喉か鼻か唾液か。医学にもエイゴにも自信が無い。情けない。
結局予約していたミュンヘン空港の施設に電話し、4時間ほど遅れる旨を告げ、中央駅到着後、検査を受けるためだけにタクシーで空港に向かう。本当は数時間前に飛行機で到着する筈だった、その空港に。(下の写真は空港の検査施設)
本番の会議は翌日だったが、その日の17時から主催者との事前打ち合わせが入っていた。主催者のカナダ人にはフランクフルトの空港から電話やメールをし、全ての状況を告げてあった。随分余裕を持ってスケジュールを組んでいたが、今やノリシロは完全にゼロである。
幸い、PCR検査場では手続き3分、検査は10秒で終わった。検査結果は今晩中にメールで来る。市内の打ち合わせ場所(宿泊先のホテル)に行くのに良い地下鉄を見つけてそれに乗った。駅から走り、打ち合わせ会場に現れたのは、16:59だった。主催者が私の顔を見て、両手を上げて、言った。「You are just like James Bond!」人生でジェームス・ボンドのようだと言われるのは初めてだ。悪い気はしない。フランクフルトからの平坦では無い道のりを全て分かっていた主催者からの、最大限の賛辞だった。
*  *  *  *  *  *
ところが試練は終わらない。翌日の会議後帰途につき、再びミュンヘン空港に向かい、恐る恐る確認すると、幸いフランクフルト行きの飛行機は飛ぶと言うのでゲートに向かう。しかし・・・・。搭乗時間になっても、ゲートに、客はいるのにドイツのL航空のスタッフがいない。まさか。。。すると出発時間直前にどたばたと走って2人のスタッフが現れ、システムを立ち上げるや鬼神のような速さで25分で搭乗案内まで持って行く。離陸後に機長から「搭乗時間になってもスタッフが来なかったことについてお詫びします」との異例のアナウンスがあった。
次はフランクフルトでトランジット。まだ嫌な予感がする。30時間前にここで起こった事がどうしても頭を離れない。しかし次に乗る飛行機は日本の航空会社だから大丈夫ではないかと、ふわふわした気持ちのままゲートに行くと、ゲートにスタッフはいた。しかし「ケータリングの搬入に時間がかかっております」とのアナウンスがあり、搭乗は45分遅れた。そして搭乗しドアが閉まっても飛行機が全然動かない。搭乗後30分が過ぎた時、異例だが機長の告白があった。「人出不足によりお客様の大事なお荷物の機中への搬入に時間がかかっています。大変申し訳ありません。」ケータリングの次は荷物か。結局ゲート前で50分待たされた後、ようやく動き出した。
ドイツの空港では、地上乗務員も、荷物運搬作業員も、手配出来ないのか。コロナ禍は、空の旅を難しくする。そして、ジェームス・ボンドを作るのだ。
(2)わ、私に構わず先に行ってください。
2022年12月に、ミュンヘンと同じ主催者のグローバル投資家会合に参加するため、ベルギーのブリュッセルに出張した。ミュンヘンは1人だったが、今回は私のスタッフのYさんという女性が一緒である。もはやコロナ禍は終わり、空の旅に波乱は無いかと思われた。しかし。
会議終了の翌日、ブリュッセルから次の目的地のロンドン行きの飛行機に乗るため空港に行き、チェックインを済ませゲートに行こうとすると、途中の廊下が封鎖されており、その向こうで大声が上がっている。何かのグループが騒乱を起こし、警官隊がゲートへの通路のアクセスを止めたのだ。そのうちに乗客が次々に押し寄せ、封鎖線の前が人で埋まる。搭乗時間が迫る客が警官の一人に何とかせよと大声をあげると、警官がその乗客を排除しようとする。するとその乗客は、「排除するのは俺じゃない。あの騒ぎを起こしている連中だろう!」と言い、拍手が上がる。最悪である。
そして事態は動く。騒乱者の排除を手短に諦めた空港管理者は、溢れる乗客を誘導し、重い荷物を抱えたままの客を非常階段経由で地上に下ろし、建物の外に用意されたシャトルバスに乗せ、ターミナルの遠方ゲートまで騒乱地帯を迂回して乗客を運ぼうという算段を組む。言われるがままに荷物抱えて非常階段を降りるとき、将棋倒しの恐怖を感じる。これは女性や子供には辛い。外でもバス待ちで身動きが取れず、焦る。我々は一歩出遅れた。(下の写真は建物の外に出され密な状況でバスに向かう人々)
そしてモニターを見ると、こんな苦労をしているのに、こういう時に限って我々の乗る飛行機は定刻に飛ぶという。間に合わない。
バスを降り、また重い荷物を転がしながら、建物に入り、走って我々のゲートに向かう。体力と持久力には自信はあるが、今回は1人では無い。完全に息が上がった同行のYさんが、悲鳴を上げる。
「わ、私に構わず、先に行ってください!」 しかし、そうも行かない。しかし、瞬時に思い直した。先にゲートに行って、飛行機を止めよう。走り来る同行者が視界に入っていれば、係官はゲートを閉じることはするまい。「先に行ってゲートを止めておく!」と後ろに叫んだが、彼女に届いたかどうかは分からない。もし走り出す私を見て瞬時に絶望していたら、申し訳ない。ゲートに着き、「後ろからもう1人走って来る」と告げると、即時微笑を浮かべ、係官は「OK」と言った。無事2人とも飛行機に乗れた。
こっちの方が、ジェームス・ボンドの本領発揮かもしれない。
(3)アイスランドのシロクマ
ロシアのウクライナ侵攻後、ロシア上空を飛べなくなった。フライトの時間が長くなったが、これは日本人として甘受しないといけない。そしてそのお蔭で、少しだけ良いことがあった。ロンドン行きの飛行機に乗ると、迂回するお蔭で、これまで人生で見たことの無いアイスランドの息を呑むような氷河と、流氷を見ることが出来るのだ。
白一色の世界を機上から飽かず見ていると、フライトアテンダントの方が声をかけてくれる。「流氷をご覧頂いてますか?」と。私も淡々と答える。「素晴らしいです。今日は良く晴れているから、あそこにシロクマも見えますよ。」それは彼女の冷静さを失わせ、「ええっ」と短く声が出る。彼女は私の指さす方向を見ようとやや身を乗り出す。こっちもシャープに告げる。「冗談です。」
すると、1秒の静寂の後、業務時間中とは思えぬ大声で、腰を曲げて笑ってくれた。こんなに笑いが取れたのは久しぶりである。
さすがに地上1万メートルでは、シロクマは見れない。ただでさえ、雪の上だし。
(4)魔法で消えたあのベルト
7月上旬にワシントンに出張した。用務を終え、ナショナル空港からNY行きの飛行機に乗るべく、チェックインし、セキュリティチェックを受けた。ジャケットを脱ぎ、PCを出し、ベルトを外し、靴も脱ぐ。無事スクリーニングを終え、またいろいろなものを回収し、バッグに詰め戻し、ゲートに向かおうとしたが、おなかの回りに違和感がある。ズボンが下がる。そう、ベルトが無い!慌てて5歩戻り、ベルトコンベアーの上の大きな箱を1つ1つチェックする。無い。係官に尋ね、探してもらうが、無い。既に積まれている箱も見たが、無い。
箱の内側側面にへばりついていたか、スクリーニングのブラックボックスの中で落ちたか。魔法のように消えたベルトは、こんなにも心と身体を惑わせるのか。その後のNYで、定期的にズボンを手で吊り上げながら、面会先の人々と話す自分がいた。
(5)飛行機のドアの向こうは、橋だった。
ワシントンからの飛行機の続きである。置いて行かれたベルトの祟りか、飛行機は1時間以上遅れ、更に、NYの空港で着陸後、ゲート前で、「少し飛行機を動かします」とパイロットが告げ、電車が駅でオーバーランしたときの対応と似たことをやる。それが終わっても、まだ15分以上機外に出れず待たされる。どうして下ろしてくれないのだろう。これから面会の約束があるのに。ドアは既に開いているが、機長が出てきて、焦った表情でドアの辺りで空港係官と話をしている。しばし経ってアナウンスがあり、「Bridgingに時間を要しました、申し訳ありません。これから注意して降りてください。」 は?ブリッジ?何に注意する?
行ってみて分かった。機体ドアと、ゲートから伸びるアクセス通路の間に、2mほどのギャップがあり、それを即製のブリッジが橋渡しをしている。こわごわとその橋を渡る。ハイテクが詰まった飛行機と、プラスチックと金属棒を急造で組み合わせたブリッジとのギャップが不思議な光景を造る。何故こんなことになったのか、様々な妄想が頭をよぎる。 その晩、コロンビア大学のT.I.教授と会食した際、その話をした。教授は大いにその話を楽しみ、こう言われた。「大矢君、飛行機は前後に動けるが、横には動けないからねえ。」
飛行機は、辛いよ。

2.リスク・テイカー
飛行機の話が長過ぎ、飛行機リスクに食傷気味になられた方も多いと思うので、今の私の仕事の話も交えながら、前を向いてリスクを取って生きる人たちの話をしたい。
(1)ブルックリンの酒蔵にて
2023年7月7日に、NY市のブルックリン地区にある「Brooklyn Kura」という清酒(SAKE)を製造する企業を訪問した。これは米国で清酒を製造する数少ない米国企業の1つであり、新潟県のH醸造から技術面・出資面で支援を受けている。
まだ小規模だが、3か月後の完成を目指し、規模拡大工事中である。そして地元のデベロッパーの支援も受けて、ハード製造面だけでなく、試飲も出来、清酒の教育のために実地で講習会が出来る等、ソフト面での充実も図っている。
大きなリスクも抱えながら、創業者の2人の米国人の夢は果てしない。まだ米国の4州にしか出荷していないが、更に質の高い酒を造り、アジア市場にも事業展開したいと言う。日本企業も関与しているから、そして日本の酒をグローバルなものにすることはとても大事なことと思っているから、必要であれば支援を行いたい。「I can offer support to your unlimited dream. 」こうしたセリフを言うことは滅多に無いが、こういう仕事を自分がしていることは少し幸せだとも思う。(下の写真は、Brooklyn Kura拡張工事現場前での1枚)
(2)幽玄なる有言実行、Tomの“I told you”
次は取るべきリスクについて話をしたい。突然話はカルフォルニアに飛ぶ。これは私が40年以上前にTVで見ていた昔話である。この州のPebble Beachというゴルフ場で、1982年に全米オープン(男子)が開催された。(まさに同じ地で、今年7月に22人もの日本人ゴルファーが参加した全米女子オープンが開催された。)
1982年の全米オープンは、当時42歳の「帝王」ジャック・ニクラスと、32歳の「新帝王」トム・ワトソンとの一騎打ちとなり、最終日にニクラスは4アンダーでホールアウト。2組後の最終組を回るワトソンも4アンダーで、風が吹きつける中で海に向かって打つ17番209ヤードの長いパー3に向かう。
トーナメントの最終日は、グリーンの真ん中にピン(カップ)を置くことは無い。悪魔のラフやバンカーの近くにピンを切り、ピンを攻めるか、(ピンから遠くなるが)グリーン真ん中に安全に打つか、の決断を迫る。ここでワトソンはあくまでピンを狙い、2番アイアンを振りぬくが、風に少しだけ流されボールは左奥のくるぶし辺りまである深いラフに入る。カップに向かうグリーンはかなりの下り。誰もがここを「3」で上がるのは無理で、ワトソンがボギーを打ち1打ビハインドで18番に向かうと思った。球は草に沈んではいなかったが、クラブヘッドが球の下をくぐると達磨落としで空振りになる可能性すらある。長年キャディーを務めるブルースは状況を見て「ピンに寄せよう(Get it close)」と言う。しかしワトソンは、「寄せる?違う。俺はこれを入れるんだ(Get it close? Hell, I'm going to sink it)」と言った。そして、膝を流して、信じられないような優美なふわりと浮いた球を打ち、見事にそれを入れた。それを見届けつつ走り出したワトソンは、突然立ち止まり振り返ってブルースに言う。「I told you !!!」なんて格好良いのだろう。私はTVの前で拍手した。
そして海沿いの18番もバーディーとし2打差で勝ったワトソンは、優勝後のインタビューで語った。「あの17番のショットは、何百回も練習した。」 だからグリーンの真ん中でなく、ラフに行く覚悟で大胆にピンを狙うことが出来たのだ。
そう、大事なのは、事前に十分に備えた上で、calculated riskを取ることであり、それが単なる無謀さと違うのだ。これはどんな時でも心しないといけない。

[コラム]女子プロゴルファーの試合で学んだこと
話は更に2022年秋の静岡県に飛ぶ。三島近郊の東名カントリー倶楽部で開催された女子プロゴルフのトーナメントを見に行った。あるホールで、大里桃子さんと新垣比菜(あらかきひな)さんの同い年ペアが一緒にグリーンに来た。2人ともいわゆる黄金世代である。まずカップから遠い方の大里プロが8mほどのパットを見事に入れ、ナイスバーディー。その後、それよりずっと近い新垣プロの3mのパットは、カップに蹴られて入らない。。。聴衆から大きな溜息が漏れる。新垣プロはこの年調子が上がらず、シード落ちの危機に瀕していた。
その後が、素晴らしかった。新垣プロは、次のホールへの歩みを進める途中、大里プロの背中に向けて、はっきり聞こえる声で「ナイスバーディー、桃ちゃん」と声をかけた。大里プロははっとして振り返り、短く「ありがとう」と言った。そして次のホールの新垣プロのティーショットを、大里プロは祈るようにじっと見ていた。新垣プロがフェアウェイど真ん中にショットを放つと、間髪を入れず、大里プロから「ナイスショット!」の大きな声が飛んだ。
最近の若手プロは、実に清々しい。全員がライバルのプロゴルフの世界でも、競争相手にもこんなに優しくなれる。そうであれば、我々組織の人間は、もっと互いに優しくなって良いはずである。いつもそう思っているのだが、しかし、・・・・。

(3)ウクライナでリスクを取るとは、どういうことか(ロンドンで学んだこと)
6月21―22日にロンドンでウクライナ復興会議が開催され、自分も参加した。総勢1000名が参加する大会議であり、ウクライナの首相や主要国の首脳や閣僚、国際機関の幹部が多く参加した。日本からは林外相と林JBIC総裁がスピーチを行った。
この会議は欧州主導の色が濃く、本会合以外の分科会セッションでも壇上に欧州企業が参加し、ウクライナでの事業展開につき積極姿勢を示す。
聴衆もウクライナ支援一色であり、厳しい質問も飛ぶ。あるセッションのパネリストとして参加したドイツの製薬企業は、ロシアからは撤退しているのかと聞かれ、まだ撤退していないが、事業は縮小していると答えた。それに対し聴衆から非難めいた意見が出る。それに対しその企業代表は、自らの方針を臆することなく述べる。
リスクを取るとは、こういうことも含むのだ、と思う。こういう質問が来ると分かっていながら、あえて参加し、自らのポジションを明確にし、かえってウクライナへの支援の姿勢を印象付けることに成功している。こういうことをエイゴでしっかり説明できる企業は強い。翻って、日本の企業は、どうだろう。

[コラム]Comparative advantage
本年7月の出張でワシントンの世界銀行に行った。そこでウクライナでの水素生産の将来性の話になり、当方から「グリーン水素の生産には再エネ電力が必要だが、今はウクライナでの太陽光・風力の活用は僅少、他方で電力の半分は原発に依存。旧ソ連製の原発に依存したグリーン水素というのは将来性の点からどうだろうか?」と世銀のスタッフに聞いたところ、「その分野でComparative advantageがウクライナにあるとは思っていない」との回答。
このComparative advantageというのは、日本語で言うと「比較優位」なのだろうが、極めて切れるエイゴである。是非使ってみて欲しい。いわゆる「勝てる」分野であることを示すために使う。
貴方の、Comparative advantageは、何ですか?

3.私のハートは、イエロー・ブルー
今、私の仕事の時間の半分以上をウクライナに割いている。これはもともとの本業では無い。本業は、日本企業の海外ビジネス投資を促進することであり、ウクライナの場合、本格的なビジネス投資の検討はまだハードルが高いと考える企業が大半である。
他方で、戦闘状態の終結まで手をこまねいていて良いものか。ウクライナの現状を見るに、日本の技術を使って、今、役に立てることは無いものか。
そう思って、リモート技術を使った農家への助言による農作物の生産性向上、遠隔地からの専門医療の提供、ポータブル浄水器の提供などの可能性を検討している。その一環として、ウクライナ政府の人々に様々な技術を直接説明して、有用性を検討してもらおうというアウトリーチ活動を続けている。
(1)ヨコハマの、ビニールハウス
本年4月のある日、ウクライナ農業省のDeputy MinisterのD氏が訪日中であり、数日後に横浜にあるリモート農業の試験農地を訪問するとの情報を得た。瞬時にしてその農地に行ってD氏と面談することを決意し、当日横浜に向かう。
その日本企業のリモート技術を活用すれば、農地に据え付けたセンサーが気温や地中水分を計測しAIに送り、AIが最適な収穫日や農薬散布時期を助言し、収穫が2-6割増える。そういう説明を聞いてD氏は、視察中に既に「この技術をウクライナでテストしたい」と言った。
期待通りの展開に、私はD氏をビニールハウスに誘い、パイプ椅子での面談を始めた。この技術の事業者であるS社はウクライナでの実証事業を行う用意があり、日本政府も支援する用意があることを告げ、今後の段取りについての当方の考えを述べた。
唐突な申入れだったが、D氏は真摯に対応し、今後話を進めて行くことにつきビニールハウスで合意に達した。
そしてその後、ビデオ面談とメールのやり取りで、現地での実施パートナー等につき順調に話を進めている。暖炉の傍での談話はFireside Chatと言うが、ビニールハウスでの面談は、エイゴで何と言うのだろう。

[コラム]一期一会
ウクライナの方々と話をする機会は、滅多にあるものではない。まさに一期一会と、気合を入れて話をするようにしている。本当に特別な状況に置かれている国の人々であるから、エイゴで話すという多少の高揚感を伴う状況であれば、「My heart is always with you and the whole Ukrainian people」ということも気持ちを込めて言える。(困った事には、日本語ではなかなか言えない。。。)
何かの弾みで瞬間瞬間を大事にしようという気持ちが強くなってくると、一期一会の気持ちの「対象」が広がる。相手が人でなく物であっても、写真でなく自分の目に焼き付けておこうと思い、時間がかかることがある。しかしこれが行き過ぎると支障が生ずる。海外出張で宿泊するホテルの部屋は99.99%二度とそこに戻ることは無いが、最近、その思いが突然生じチェックアウト前に名残を5秒惜しんでから部屋のドアを閉めることがある。ああもうこの部屋には戻ることはないのかと。こんなことを至る所でやっていると人生も出張も先に進めないが、1つ1つ折り合いをつけていくのも人生の楽しみかもしれない。
(2)ヨコハマ行きのバスガイド
不思議な話は続くもので、次は本年5月、ウクライナのインフラ担当の政府関係者や自治体の副市長等の来日の情報を得た。
是非時間を頂いて面談したいと主催者側に依頼したが、多くの面談が既に予定され、「どうしても、どうしても時間の空きが無く・・・大変申し訳無いのですが、時間が取れるのは一行が東京の宿泊先から横浜に移動するバスの中だけで・・・。」
またヨコハマ?これも何かの縁か。即時OKし、当日品川のホテルに向かい、バスに乗った。既に何故か気分は高揚し、マイクを持つと人生初のバスガイドの気分になる。
見ると、やはり乗客のウクライナの人たちは、硬い。一流のバスガイドとしては、雰囲気を柔らかくしないといけない。短く自己紹介をし、日本の技術でウクライナに貢献したいので技術内容を説明したい、と告げ、だんだん関心を示してきた頃合いを見計らい、こう述べた。
「This is a once-in-a-lifetime experience for me, to explain Japanese technologies in a BUS(バスの中で日本の技術を説明するのは、恐らく私の人生で最初で最後でしょう。)」
どうしてか分からないが、これは受けた。私のスタッフがその瞬間を撮った写真がこれである。
お蔭様で、ウクライナの人たちを笑顔にすることが出来た。それだけでも、バスに乗った甲斐もあったというものだ。
この時のエイゴは、間の取り方も含め、「切れた」と思う。一期一会を大事に出来た。
エイゴは、むずかしい。だけど、悪くないよね。
また、お会いしましょう。

(おわり)