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ばらのまち、城のあるまち 福のまち 福山

神戸税関福山税関支署管理課


1. はじめに
福山市は広島県の東南端、瀬戸内のほぼ真ん中に位置し、人口約46万人(2023年3月31日現在)の穏やかな気候と豊かな自然に恵まれた中核都市です。
広島県にありながら、広島県中心部からは約100kmの距離があり、東に位置する岡山県と福山市は隣接していることで、福山はどちらかと言えば岡山に近い文化を持つエリアです。
福山市は、古くから地場の繊維産業を基盤としてきましたが、1961(昭和36)年、単一工場としては世界最大と言われた製鉄所の進出とともに、重工業主体の産業都市へと転換、今では「オンリーワン・ナンバーワン企業」が存在するモノづくりの拠点都市となっています。


2. 福山税関支署について
当支署は、福山港(昭和41年開港指定)、竹原港(昭和46年開港指定)、土生港(昭和43年開港指定)、尾道糸崎港(明治33年開港指定)の4つの開港を管轄し、尾道糸崎、土生、竹原港を管轄する「尾道糸崎出張所」を設置しています。
管轄区域は、広島県の福山市、府中市、三次市、庄原市、尾道市、三原市(広島空港を除く)、竹原市、神石郡、世羅郡、岡山県の笠岡市、井原市、愛媛県の越智郡であり、全国の税関支署の中でも管轄が三つの県にまたがるのは大変珍しく、当支署と他には1支署しかないようです。
尾道糸崎出張所の管轄からは、サイクリストの聖地、「しまなみ海道」が続いており、国内外から多くのサイクリストが訪れ、国際クルーズ船の旅客もサイクリングを楽しんでいます。
現在の福山税関支署は、1966(昭和41)年4月に尾道糸崎税関支署の福山出張所として発足し、2005(平成17)年7月に同出張所が福山税関支署に、尾道糸崎税関支署が尾道糸崎出張所に組織変更されました。
※旧尾道糸崎税関支署は、1899(明治32)年4月に神戸税関尾道監視署として設置された。
福山港は、福山城主水野勝成が築城に際し、壕と海とを結び1.4kmを開削したのが始まりで、製鉄所の進出とともに近年は鉄鋼を中心とした工業港として発展しています。平成8年にはコンテナ定期航路が開設されたことにより、現在では工業港と商業港の二つの顔を持った、瀬戸内有数の貿易港となっています。


3. 福山について
○ ばらのまち福山
1945(昭和20)年8月8日の空襲により、福山市は市街地の約8割を焼失しましたが、1956(昭和31)年、「荒廃した街に潤いを与え、人々の心に和らぎを取り戻そう」と住民によってばらの苗木約1,000本が植えられたのが始まりで、その場所は、今では280種5,500本のばらが咲き乱れる「ばら公園」となりました。
1985(昭和60)年、福山市は「ばら」を市の花に制定し、その後、福山を代表する都市ブランドと位置づけ、市民と行政の協働による「100万本のばらのまち福山」を目指しました。2016(平成28)年に達成、毎年5月には「福山ばら祭り」が開催されるなど、福山市では、ばらを通じて「思いやり 優しさ 助け合いの心」が育まれています。
また、2025年には「世界バラ会議」がここ福山で開催予定となっています。
※世界バラ会議・・・世界バラ会連合が3年に一度開催する、ばらに関する国際会議。ばらについての知識の啓発と普及、研究の促進、世界のばら愛好家の交流、情報交換の場として機能している。
写真:(美しいばら)

○ 築城400年を迎えた福山城
徳川家康の従兄弟にあたる譜代大名の水野勝成が1619(元和5)年に備後10万石の領主となって築城に取り掛かり、1622(元和8)年に福山城を完成、地名を福山と名付けました。日本100名城にも選定されている福山城は、昨年、築城400年を迎えました。
福山城天守閣は空襲で焼失、その後再建されましたが、「令和の大普請」では、往時、北側の防備として天守の北側壁一面に鉄板が張られていたものが復元されました。
新幹線の上りホームからは、かなりの至近距離でこの福山城を見ることができます。これはかつての城郭内に線路が建設されたからだそう。福山へ来られる方、出張で博多方面から東京方面へ移動される方、ぜひホームから日本100名城の一つ、福山城をご覧ください。
写真:(桜もきれいです)

○ 観光スポット「鞆(とも)の浦(うら)」
福山駅から南へ約14km、バスで約30分。沼隈半島の南端にある鞆の浦は、1934(昭和9)年に日本で最初の国立公園の一つとして指定された瀬戸内海国立公園を代表する景勝地です。
鞆の浦は、瀬戸内海のほぼ真ん中に位置し、関門海峡、豊予海峡、鳴門海峡、紀淡海峡を流れる潮は、干潮から満潮まで鞆の浦へ向かって流れ込みます。
また、満潮から干潮にかけては鞆の浦から潮が4つの海峡に向かって流れ出ます。
鞆の浦を境にして潮の流れが逆転することから、往時、大阪に上る船も、九州に下る船も、満潮に乗って入港し、干潮に乗って出港することができ、「潮待ち」に適したことから、「潮待ちの港」として最も栄えた港といわれています。
湾の最奥部には、石造りでは日本最大である常夜燈、その他には雁木(※)・波止場・焚場跡(※)・船番所跡があり、江戸期の港湾施設が今も揃っているのは非常に珍しいとのこと。歴史的には坂本龍馬率いる海援隊の「いろは丸事件」の舞台となり、近年では宮崎駿監督がスタジオジブリの社員旅行で訪れ気に入り、その後約2か月滞在して「崖の上のポニョ」を構想した鞆のまち。
文化庁の「日本遺産」、「重要伝統的建造物保存地区」、ユネスコ「世界の記憶」に登録、一つの地域で3つの評価を受けている、ここ鞆の浦にぜひ訪れてみてはいかがでしょうか。
※雁木(がんぎ)・・・潮の満ち引きに関係なく積み荷の揚げ降ろしができるよう工夫された階段状の船着き場
※焚場(たでば)・・・木造船を長持ちさせるため、貝類や海藻が付着した船底を燻したり修理したりする施設
写真:(常夜燈)


4. 福山の話題
○ 福山市章とバットマン
福山の市章は、コウモリと山をかたどったものですが、これは福山城が位置する場所が、もとは蝙蝠山(こうもりやま)と言われており、「蝠」の文字が「福」に似ていることから、福山となったとも言われています。(諸説あり)
この市章が市民の間でもバットマンのマークとよく似ていると話題になっており、福山城築城400年となった昨年、バットマンの舞台であるゴッサム・シティと福山市が、世界で初めて友好都市提携を結んだそうです。
写真:(イベントで配布されていたコラボステッカー)

○ 福つまみ
福山特産の食材である、「ねぶと、ちいちいいか、くわい、ガス天、鯛ちくわ」を使った「おつまみ」の総称です。中でも、「くわい」は福山市が日本一の生産量を誇っています。「芽が出る」縁起物としておせちには欠かせない食材ですが、福山では素揚げが人気です。「くわい」は福山市環境イメージキャラクターにもなっています。
※ねぶと・・・一般的にはテンジクダイと呼ばれ、瀬戸内でとれる小魚
※ガス天・・・食感がガスガスしていることから名づけられた、小魚とごぼうの天ぷら
写真:(ガス天&地元のお酒)

○ 艮(うしとら)神社
福山城の鬼門(北東)である艮(うしとら)の方位を守るこの神社は、某テレビ番組で「2022年一番オススメの開運神社」として紹介されました。令和4年1月の放送当時は全国から参拝者が訪れ、お守りや神札がなくなるほどだったとか。筆者も落ち着いた頃を見計らい、参拝しました。
福山駅から徒歩圏内にありますが、同名の神社が複数あるようですので、ご注意を。
※所在地・・・福山市北吉津町1丁目5-24(福山駅北口より徒歩10分)

○ 地元スーパー、そっくりスイーツ
福山には多くの地元スーパーがあり、低価格で新鮮、しかもおいしいものが販売されており、物価高の昨今ですが、非常に助かっています。24時間営業の店、福山出身の有名DJさんがCMや店内放送のナレーションをしているお店、福山で育った野菜や果物、お肉を販売しているお店などなど。全国的に有名なスーパーの看板はあまり見かけませんが、地元のスーパーに活気があります。また、創業1618(元和6)年の老舗和菓子店が作る、「たこ焼きにしか見えないシュークリーム」、「チョコっと餃子」など、本物そっくりの「そっくりスイーツ」が話題です。

○ おわりに
福山は、瀬戸内の中央に位置し、新幹線「のぞみ」「さくら」が停車する利便性がある土地でありながらも、少し北に行けば古墳群があったり、蛍が群生する清流があったりと山の自然が感じられ、少し南に行けば歴史ある鞆の浦や真っ白な砂浜が三日月状に広がる「クレセントビーチ」があったりと、瀬戸内海の美しい風景を見ることができる、魅力たっぷりなところです。
また、毎年5月頃と10月頃には街中に美しいばらが咲き誇ります。「ばらのまち福山」にぜひお越しください。
参考文献
・知っとる?ふくやま(中国新聞社)
・福山港案内(広島県)
・鞆の浦、ばらのまち福山(福山観光コンベンション協会)
・福山市ホームページ
写真協力
 福山市

南九州の重要港湾「志布志港」~いっどどま志布志に来っくいやい~(ぜひ志布志に来てください)

長崎税関鹿児島税関支署 志布志出張所長 平川 敏則


1. はじめに
志布志港は、九州南東部の太平洋に面した地理的優位性を有し、また国内有数の農畜産地域である南九州地域を背後地に持ち、南九州における国内外の物流拠点、飼料供給基地として背後地域の産業を支えています。
志布志港の港湾区域は、南北約6kmにおよび、北から本港地区、外港地区、若浜地区、新若浜地区の4つの地区から構成され、中国、台湾、韓国などを結ぶ定期コンテナ航路が複数就航しています。
国内航路は、東京や阪神、沖縄などを結ぶ内航RORO船や、大阪南港とを結ぶフェリー「さんふらわあ」が就航しています。
志布志港における木材の輸出は12年連続で全国1位となっており、日本の木材輸出量の30%以上を志布志港から輸出しています。
また令和3年度の外国貨物コンテナ取扱量は、博多、北九州に次いで九州3位となっており、志布志港は南九州地域の重要な国際及び国内の物流拠点となっています。
写真:志布志港全景


2. 志布志の地名由来
志布志の地名は、天智天皇遷幸の伝説の中で、天皇に布を献上した妻女の優しい心にならい、召使いの女性もまた布を献上したところ、天皇は大変感激され、「上下より布を志す誠にこれは上下の志布志である」といわれて高濱の郷中すべて志布志と呼ぶようになったと伝えられています。
平安時代この地域は救仁院(松山・志布志・有明東部)と呼ばれ、前川の河口部は、国内最大の荘園「島津壮」の水門(みなと)としての役割を果たしていました。
志布志の地名が、文献上に初めて現れるのは鎌倉末期の1316(正和5)年宝満寺再興の折、志布志津の一角を宝満寺に寄進すると表現された文書に見ることが出来ます。
志布志城を居城としていた島津氏六代氏久は1374(応安7)年に明国に使いを派遣しており、当時から、中国や東南アジアと交易のあったことは山城の出土品からもうかがえます。
写真:志布志市ロゴマーク
写真:「志武士(しぶし)ししまる」志布志観光特産品協会公式キャラクター


3. 志布志港の歴史等
(1)歴史
志布志港は古くから海を糧に栄え、中世期の志布志は島津氏庄園唯一の水門(港)として、この地の発展に大きな足跡を残しています。海上交通が盛んになった江戸時代には、海外交易で発展し、「志布志千軒のまち」と、うたわれるほどの街並みを形成し、活況を呈していました。
近年の志布志港の整備は、鹿児島県東部地域の流通拠点港湾として、1969(昭和44)年4月、国の重要港湾の指定を受け、1987(昭和62)年4月には開港指定を受けCIQ※が設置されました。

(2)港湾取扱貨物
志布志港では畜産飼料や、ゴム製品の原材料が輸入され、輸出では原木、ゴム製品などの貨物が取り扱われています。
※CIQとは、税関(Customs)、出入国在留管理(Immigration)、検疫所(Quarntine)の頭文字を取った略称。


4. 志布志港の魅力
(1)豊富な航路ネットワーク
志布志港は、九州南東部の太平洋に面しており、充実した港湾施設を有しています。
東アジアに近いという利点を生かし、中国、台湾、韓国への定期コンテナ航路が就航しているほか、神戸、釜山等でのトランシップにより、アジアをはじめ、北米、豪州、欧州等の世界各国と結ばれています。

(2)国内定期航路、幹線道路ネットワークの充実
国内の定期航路が東京・阪神・沖縄方面へ就航しており、大阪航路が毎日、東京・沖縄航路が週3便、阪神・奄美・沖縄航路が週4便、沖縄航路が週1便合計で4航路週15便が就航しています。
幹線道路ネットワークは、九州縦貫自動車道に繋がる都城志布志道路や東九州自動車道の整備が進められています。東九州自動車道の志布志ICから九州縦貫自動車道まで高規格幹線道路が繋がり、九州一円へのアクセスが向上しています。(令和5年5月末現在)


5. 九州で唯一の「国際バルク戦略港湾(穀物)」
飼料原料の一括大量輸送による物流コストの削減を見据え、最大級の輸送船舶(ポストパナマックス船)の満載での入港に対応するために、志布志港は九州で唯一「国際バルク戦略港湾(穀物)」に選定され、新たな岸壁等の整備が行われており、数年後の完成に向けて工事が行われています。
岸壁を整備することにより大型船舶で効率的な輸送が可能となり、安定的かつ安価な飼料原料の輸入が可能となります。


6. 志布志出張所の沿革等
(1)沿革
志布志出張所は1987(昭和62)年4月に志布志港が開港指定されたことに伴い、鹿児島税関支署志布志分室が前進であり、同年7月に出張所に昇格し現在に至っています。
志布志出張所の業務は外国貨物コンテナ、飼料原料であるとうもろこし等の穀物の輸入、また木材(丸太)の輸出等により、船舶の入港隻数も多く、通関及び監視業務は繁忙を極めています。

(2)管轄
志布志出張所は志布志市のほか3町(大崎町、東串良町、肝付町)も管轄しており、志布志国家石油備蓄基地、JAXA内之浦宇宙空間観測所のロケット基地も所在しています。また養殖魚等の輸入もあり、不開港の取締りや情報収集も重要な業務の1つとなっています。

(3)志布志が5つ
志布志出張所の宛先は、「鹿児島県志布志市志布志町志布志3259 志布志港湾合同庁舎 長崎税関鹿児島税関支署志布志出張所」と志布志の地名が5つつくため1度聞いたら忘れることのできないユニークな住所名です。
写真:志布志港湾合同庁舎


7. 志布志のみどころ、グルメ
おすすめの志布志の見どころ、グルメについて、筆者の主観で紹介します。
(1)国指定史跡「志布志城」
前川の河口近く、沢目記川との合流点北側にあり、築城の時期は不明ですが、1365(貞治4)年頃、島津氏久が日向守護畠山直頭を追放して志布志城に入り、その後新納氏、豊州家島津忠朝が城主となりました。1562(永禄5)年には肝付兼続が当城を攻略して、同7年隠居所としました。
1577(天正5)年以後島津氏領となり、南西麓の館跡に地頭仮屋が置かれました。内城は南北600m、東西300mと規模も大きく、空堀、土塁、虎口などが良好に残っています。
また志布志市教育委員会監修の「志布志城 御城印」が作成され、お城の東城記念として発行されており、丸十紋と十字紋の2種類の御城印があります。
写真:志布志城跡

(2)県指定文化財「宝満寺跡」
宝満寺跡は律宗秘山密教院宝満寺の遺跡で、奈良時代の神亀年間(724年~729年)に聖武天皇が皇国鎮護のために各地に建立した勅願寺(天皇命令により建立された寺)のひとつと伝えられます。その後、1316(正和5)年に信仙上人英基和尚が、院宣を受けて勅願所として再興し、1320(元応2)年には西大寺より如意輪観音像を下向し本尊としました。
1869(明治2)年の廃仏毀釈で廃寺となりましたが、歴代住職墓地、仁王像、下馬札などが往時を偲ばせています。
写真:宝満寺跡

(3)お釈迦祭り
仏教の開かれた「お釈迦様」の誕生を祝って開催される「お釈迦まつり」は、志布志地区で古くは江戸時代から行われている伝統行事です。
また、花嫁を乗せたシャンシャン馬や、踊り連パレードなど多くの市民が参加しており、大勢の観光客でにぎわう県下三大祭りのひとつです。旧暦の4月8日に行われていたことから「しがつようか」がなまり、「しがっじょか」とも言われ、現在は4月29日(祝日)に行われ、宝満寺内にある仏像に甘茶をかけて洗い清める習わしがあり、歳の数だけかけて一年の無病息災を願います。
写真:開催日:前夜祭4月28日 本祭4月29日場 所:宝満寺公園、志布志市街

(4)ダグリ岬
ダグリ岬にはダグリ岬遊園地や国民宿舎ボルベリアダグリ等があり、岬の突端にむけて遊歩道を歩くと5分で展望台が見えてきます。
そこからは志布志湾を一望することができます。志布志港の方に目を向けると、ガントリークレーンがキリンのように見えます。また、沖には国の天然記念物に指定されている枇榔島(びろうじま)が目の前に見えます。夕日に照らされる志布志湾もまた絶景です。

(5)背白ちりめん三昧丼
黒潮がそそぐ志布志では、ちりめん漁がさかんです。苦みが少なく、生でもおいしいのが特徴で「背白(せじろ)ちりめん」と言われています。背白ちりめんを釜揚げ・かき揚げ・きんぴらの3種類の方法で調理し、温かいご飯にのせて味わうのが、名物の「背白ちりめん三昧丼」です。
写真:背白ちりめん三昧丼

(6)鹿児島茶(しぶし茶)
鹿児島県は、静岡県に次ぐお茶の生産が盛んな地域で、2019(令和元)年には、お茶の産出額(生葉と荒茶を合わせた額)が静岡県を抜いて全国1位になりました。
志布志市は、鹿児島県のなかで2番目の茶面積、荒茶生産量を誇る全国でも有数のお茶の産地です。
志布志市は、早世品種から晩成品種と様々なお茶の品種が栽培されています。多様な品種を栽培することで良い時期に収穫がしやすいうえに、品種を調合することで色・味・香のバランスの取れたお茶を生産することができます。
写真:志布志市内の茶畑

(7)その他のグルメ(黒豚、うなぎ)
鹿児島といえば黒豚、2017全国どんぶり選手権でグランプリを獲得した志布志黒豚三昧丼、黒豚丼です。黒豚の角煮、炙り角煮、角煮入り出汁巻き玉子の3つが入っているボリュームたっぷりの一品です。
また志布志市のある大隅半島は、うなぎの養殖生産量が日本一で、温暖な気候と良質な地下水に恵まれており養殖に適しています。肉厚で柔らかい究極の一品をぜひご賞味ください。
写真:志布志黒豚三昧丼
写真:志布志のうなぎ

8. 終わりに
鹿児島県では、今年10月に「燃ゆる感動かごしま国体」をスローガンに特別国民体育大会が開催されます。当初は2020(令和2)年に開催予定でしたが、新型コロナウィルス感染拡大により延期となり、今年開催されることになったものです。
志布志市ではサッカー(成年男子)、デモンストレーションスポーツとして「歴史探訪ウォーク」が開催されます。多くの方に志布志を訪れて頂き、志布志の自然や歴史、食を楽しんで頂くことを願っています。

(画像提供、参考資料)
・国土交通省九州地方整備局志布志港湾事務所
・鹿児島県
・志布志市
・一般財団法人志布志市観光特産品協会
・一般社団法人鹿児島県茶生産協会