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コミュニケーションは力なり

AMRO CMIMスペシャリスト 松谷  真人

はじめに
【本稿において、外国人、日本人との区別や、ステレオタイプな性格描写などがあるがそれらはあくまでわかりやすさを念頭に置き、敢えて使用している表現であり政治的志向その他偏見を含意しているものでは一切ないことをまずは申し上げたい】
現在在シンガポールに所在する国際機関であるASEAN+3 Marcoeconomic Research Office(AMRO)に勤務している。AMROは、2011年にシンガポールにまずは現地法人として設立し、2016年に国際機関のなった新しい組織である。AMROは、通貨危機を防止する観点からASEAN各国及び日中韓の経済状況を常時モニターするとともに、万が一ASEAN+3各国が危機に陥った場合には加盟国間で外貨を融通し合うスワップ網であるチェンマイ・イニシアティブの実施を支援すること、それらに関連する技術支援を行うことなどを任務としている。
自分が財務省の若手時代から設立に向け関与してきて、今実際そこで勤務できていることは本当に感慨深い。AMRO設立の経緯や業務内容など、言いたい/伝えたいことはたくさんあるが、それらついては敬愛する諸先輩方がファイナンスの昔の号で書かれているので、ここでは詳細は省かせて頂く(AMROの詳細にご関心の方はAMROホームページ:https://www.amro-asia.org/をご参照のこと)。
今回この執筆の機会を頂き、では何について海外ウォッチャーとして書くべきか、と思った時、自分が過去のファイナンスで印象に残っている記事を思いだした。もちろん、海外で勤務されている同僚の業務内容について詳しく知ることも興味深かったが、それ以上に、他言語、他文化の中で生活する際のノウハウなどについてカジュアルに書かれている記事を関心を持って読んでいたことが印象に残っている。特にファイナンスの読者には、過去の自分と同じように海外勤務に関心のある後輩達も多くいるので、今回は特に彼らに向けて、日本人が海外で勤務する際のソフトテクニックのようなものを伝達できればよいなと思い、そういう緩い側面から寄稿させて頂こうと思う。
とかく、国連などの国際機関が日本国内で議論される際、日本は各国際機関に対し資金的貢献などのハード面では世界有数の寄与国と言われる一方で、人的拠出などのソフト面がその資金寄与に伴わないとの批判がある。
国際機関職員となるためには、基本的に関係する分野の修士号以上が求められるため、特に文系においては修士号への進学率が諸外国よりも低い日本は相対的に適格性のある人材が少ないという理由もあるかもしれない。一方で、留学を含む3度の海外赴任をさせて頂いた経験から、国際機関で働く日本人が相対的に他国に比べ低いことは、典型的には私のような、日本人が持つ奥ゆかしい性格を持つ人が多いからではないかと思う。
そこで、日本人が国際機関で立派に生きていくため、専門知識を高め仕事に良いパフォーマンスを発揮する以外にどのようなことが重要かについて、(1)日本人の基本的パーソナリティ、(2)言語、(3)仕事の仕方・業務環境、から述べたい。

日本人の基本的パーソナリティについて
パーソナリティについては、日本人はとにかく、おとなしい(reserved)、シャイ(shy)、几帳面(punctual)、まじめ(serious)、笑わない(poker-faced)など、よくあるステレオタイプで形容されるが、自分の感覚としてもまあその通りかなと思う。実際、自分もどちらかというとこれらのカテゴリーに属していると思うし、周りの日本人の同僚も、皆さん大変優秀であることは言うまでもないが、同様な印象の人々が多い。他方で、外国人はというと(もちろん色々な人がいるということを前提にあくまで大まかに言うと)、楽天的(optimistic)、フレンドリー(friendly)、細かいことを気にしない(laid-back)、話好き(talkative)、適当(half-hearted)、という感じのイメージになる。日本を出て外国人に囲まれて働いていると、何故こうもいつも誰かとつるもうとするのか、何故こうも長くメールの返信がないのか、何にそんなに簡単な作業に時間がかかるのか、どうしたらそんなに訳の分からないミスをするのか、なぜ文脈にそぐわないことを議論しているのか、と各種首をかしげることが本当に多い。これまでロンドン、ワシントンDC及びシンガポールでの駐在を経験したが、どこもそういったイメージを持ったので、我々日本人が持つ感覚はかなりグローバルには特殊なのだと思う。その観点から、日本人が真面目に仕事をしている限り、それなりに信用されるし、仕事を任せたら他の人に頼らず自分でせっせと努力して汗をかき、期限を守ってそれなりに仕上げてくれるという認識を持たれることが多いように思う。ただし、その反面、いや、だからこそ、上記に上げたステレオタイプ通り、やはりコミュニケーション下手ととられることも多いように思う。とかく自分でこつこつやる公務員タイプの人はこれが多い。これは良い悪いという話ではなく、一般的性質としての日本人の特質としての話である。また、とにかく外国人は日本人以上に話すことが好きなのである。路上を歩いていても、日本で見るより圧倒的に電話で話している人が多い。中華系は漢字なので打つのが面倒という理由もあるかもしれないが、なんせよく通話している。職場でも同じであり、日本では職場でたわいもない痴話話をしていると怪訝な顔をされるが、こっちでは隙あらばみんな廊下やエレベーターホールで話している(余談になるが、当地であまりに隣の職員が煩かった(中国語だったが、さすがに仕事の話ではないことは容易に理解できた)ので、「仕事以外の話ならオフィスの外でしてくれ」と文句を言ったら上司にチクられて、その上司から、僕が彼らに謝ったほうがよいと諭されたことがある。今でも自分は常識的なことを言ったと思っているし、なぜ謝ったほうがよいのかわからないが、私の意見は当該外国人にとっては意味の分からないクレームだっただけ、ということであろう)。この行動自体の良い悪いはさておき、その人のイメージというのはとかくそういった日頃の行動様式がどれほど目撃されるかによって判断されることが多い。逆説的に、あまり自分の執務室から出てこなかったりすると、やはりシャイね、と思われたりするし、自分もそう思うと思う。国際機関で働く日本人でうまくやっている人は、改めてその行為自体の是非はおいておいて、そういう自然発生的にある廊下での話や、適当に集まっていくランチに自然に入っていける人が多い。

言語について
上記に密接に関係するが、次は言語である。日本人の英語能力どうの、ではない。実際、どれだけ多言語での環境の中で自分の能力を発揮できるか、ということである。日本では、戦闘力は相当高いし、やたら攻撃的な人が海外に出て英語などの外国語で議論していると、あれ、この人こんなにいい人だっけ、もっとがつがつしてなかったかな、随分おしとやかだな、と思う場面に遭遇することがある。それはそれで大変良いことなのではあるが、本人は忸怩たる思いをしているのかもしれない。これは自分の経験であるが、多少過去に勉強した言語、例えば日本人にとっての英語であるが、これは本当に訓練でなんとかなる。ここでの訓練は、必ずしも職場でしかできないことではなく、特に外で外国人と飲む酒場やランチなどで積むのが大変効果的である。もっと言うと、仕事でのミーティングなどは、それが例え専門的な単語やややこしい議論を含むものであっても、案外なんとかなるものである。議題が決まっていたり、議論すべき内容も自分もよく理解しているイシューだったりするので、入っていきやすいからである。むしろ、議題のない、spontaneousな会話が要求されるランチや飲み会などの席のほうが、よっぽど難易度は高いのである。後で思い返して、あ、自分のあの時の英語は変だったな、と思うのはだいたい飲み会での席での発言だったりする。酔っぱらっていたからという可能性もあると思う。いずれにせよ、こういった機会において別に酒を飲む必要はない。訓練という意味ではそういうような自分の仲の良い人たちと囲める社交の場であればよいのである。関係性のある人なら、たとえ英語がダメでも性格と文脈で理解してくれるし、そういう友人・同僚に対して自分からどんどん発信しようとすることで、自然と自分が自分でいられるようなコミュニケーション能力が構築できるのである。あとは日本語でもそうだが、はったりでも自信をもって、相手の目をみながら、という通常テクが相当有効である。自分は特に英語での発言のときには下を見ず、例え目上だろうが、いやむしろ目上だったら尚更、まっすぐ目を見て話すようにしている。このようなことを社交の場でできるようになれば、公式な会議の場でより説得的に自分の意見を言えるような自信がつく。

仕事の仕方・業務環境について
ここまでは、私のような典型的ステレオタイプの日本人のコミュニケーションの点での改善点、というような視点で書いてきたが、最後は日本人の特質を生かす重要性についても書いてみたい。冒頭でも若干触れたように、日本人の真面目さ、几帳面さ、というのも日本人を形容するよくある性質であるが、これらはかなり評価が高い。これまでの海外勤務では、多くの海外の同僚も有名な学校を卒業し、素晴らしい専門的キャリアを積んでこられら方が多く、尊敬できる方にもたくさん会えた。他方で、仕事の中身(サブ)ではなく、仕事の進め方(ロジ)については圧倒的に日本人に分がある。なぜなら、日本人はきくばりをするからである。
よく言われるように、日本文化は他者との共存、自分本位を排除することを美徳とし、それを実践しようとする。それは仕事に如実に表れるのである。いくつか例を挙げてみる。1つ目は、何か一つのフォーマットに皆で各自自分の担当イシューについてインプットをしあうような仕事はどこの業界でもあると思うが、そういった場合、日本人は、デフォルトのフォーマットの大きさ、自分の業務の他者と比較しての重要性、他の人がどれくらいの量を記載しているか、など、とりあえず様々な要素を勘案して、取りまとめる方が苦労のないようにインプットを慎ましく提供する。他方、外国人は、もちろん全員ではないが、多くの人は自分の書きたいことを書こうとする。勝手に他者の作成したフォーマットの様式を自分の都合の良いように変えたりもする。他の例は仕事の締め切りにも表れる。とにかく多くの外国人にとっては、締め切りは目安なのである。締め切り超えて数回のリマインドしてやっと回答、ということがざらにある。日本人は締め切りは“Dead”lineという認識が強く、それに間に合わせることが重要と考える。メールの返信にしてもそうである。自分は認識していないが、よく返信が早いとお褒めの言葉を頂く。本人的には、時間があるときに返信しているし、自分の部署はミーティングも多く秒速で返信をしているつもりはないが、そういう印象らしい。さらに、日本人は行間を読むのが上手である。何かアクションをする前に、相手が何を望んでいるのかを、把握しようと努力するのである。そういったことから、日本人が他人を思いやり、あたり前にしていることはかなり重宝され、結果的にそれがよい業務成績にも貢献することになる。

結論:期待される日本人
これまで述べてきたように、典型的な日本人である自分を含め、我々日本人には他国の人には代えがたい、比較優位があるのである。慎ましく、勤勉で、実直な性格は、必ず評価されるし、そうあるべきである。そのような側面は、コミュニケーション能力を高めることで更にプレゼンスを高めることができるのである。あの人はおとなしくて何考えているかわからない、では勿体ないのである。
これを見ている若者の中には、海外に行くことに二の足を踏んでいる人もいるかもしれない。自分はこれらの機会を持たせてもらえ、本当に良い経験をさせてもらっていると感じる。自分の知り合いにも、言葉の面では改善の余地が多くても、積極的なコミュニケーションと勤勉さで信頼を勝ち取っている人がたくさんいる。自分も、同僚とのコミュニケーションを大事にしつつ、自信のない自分と戦いながら、自分ならできる、大丈夫、大丈夫、と日々自分自身を鼓舞しながらなんとかここまでやってこれたように思う。日本人と外国人の違いを書いてきたわけではあるが、結局、話せばわかるし、もちろん理解できない部分も多くあるが、最終的には結局全員地球人なのである。同じ人間なのである。日本より生きていくのは楽だなと思う時も多々ある。
人生そんなものである。

写真:IMF勤務時代(筆者前列一番右)
写真:現在のAMROの同僚と(筆者左から4番目)

筆者プロフィール
2002年東京税関入関。2005年より財務省国際局。
2009年-2010年 イギリス長期派遣(ロンドン大学東洋アフリカ研究学院(SOAS)修士)
2013年-2015年 国際通貨基金(IMF:米国ワシントンD.C.)
日本理事室
2015年-2017年 国際通貨基金(IMF:米国ワシントンD.C.)
能力開発局
2021年-2023年 ASEAN+3マクロ経済リサーチオフィス(AMRO:シンガポール)技術支援チーム
2023年現在    ASEAN+3マクロ経済リサーチオフィス(AMRO:シンガポール)CMIMチーム