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ハーバード大学研究生活と社交ダンス部体験記


前ハーバード大学国際問題研究所 客員研究員 森山 茂樹

本文は、個人の体験や伝聞によるものであり、文中の意見に関する部分はすべて筆者個人の見解です。

はじめに
コロナがある程度落ち着き、3年ぶりにほぼ正常化したハーバード大学国際問題研究所で経験したり、感じたりしたことをご紹介したいと思います。

ハーバード大学国際問題研究所について
ハーバード大学国際問題研究所には、様々なプログラムがあり、私が属したのは、「日米関係プログラム」です。1980年、同プログラムは、日米の相互依存関係が深化し、直面する問題解決にはお互いの協力が必要であるとの考えから、エドウィン・O・ライシャワー教授(当時)*1と小和田恒客員教授(当時)*2によって設立されました*3。初代所長は、エズラ・ヴォーゲル教授*4。前年の1979年に「ジャパン・アズ・ナンバーワン」が出版されたところでした。今年度の参加者は、官庁、民間企業、ジャーナリスト、内外の大学関係者等でした*5。同プログラムの研究員のメインの課題は、研究テーマについて英文で論文を作成することです*6。専門分野に関する論文作成だけでなく、自身が持つ知識や経験を還元することも期待されています。具体的には、同プログラムが主催する様々なセミナー等に出席し、質問やコメントをすることが求められ、また、日本について研究している学生とパートナーを組み、お互いに能力を高めることを期待されました*7。毎月開催された日本語を学ぶ学生との昼食会もその一環です*8*9。
このような知的交流の他に、コロナも落ち着いたことから、今年から徐々に対面での社交行事も開始されました。ハーバード大学国際室と国際問題研究所等により、歓迎レセプション、年末パーティー等も開催され、世界各国の、様々な分野の研究者と触れ合う機会も多く、研究室に閉じこもるという生活ではありませんでした。


ボストン生活について
ボストンに限らず、この時期、米国に滞在している日本人にとって共通なのは、円安と物価高でしょう。住宅事情も悪化し、コロナ中は空き家も多かった大学内のアパートは満室でした。家賃水準も、地域にもよりますが、昨年に比べ1割程度上昇したようです*10。私のアパートは大学から少し離れた場所の築100年を越えるアパートでしたが、それでも、月額40万円程度でした。ボストンは、ニューヨーク、サンフランシスコに次いで、家賃の高い地域だそうです。外食費も高く、大学内のカフェテリアのランチでも1500円はかかります。レストランですと、サンドイッチランチでも、食後にコーヒーまで飲むと5000円程度かかりました。毎日の円ドル相場の動きが気になる1年間でした*11。留学とは異なり、長期派遣制度の場合、配偶者は就業可能です*12。大学では、英会話、日本文化などの配偶者プログラムや語学交換プログラム*13もあり、様々な異文化も経験できました。
次に、大学の授業の様子をご紹介したいと思います。日米プログラム参加者は、毎期、2~3つの授業を聴講することが勧められています。実際に政権に関与した教授による講義も多く、財務省関連では、サマーズ元財務長官の講義がありました。講義では、授業への参加も評価されるためか、生徒は授業中に積極的に発言します。毎回同じ席に座り、名札を出しますので、時には先生から指名され、発言を求められることもあります*14。シラバスは詳しく、事前に読むべき論文も掲載されており、時にはその分量が100ページを超えることもありました。そのため、講義に参加することは論文作成に大変役立ちましたが、学期中は、授業についていくのが精一杯で、論文を書いている余裕はありませんでした。

社交ダンス部入部体験について
オーストリア勤務を契機に始めた社交ダンス*15を通じて、米国の学生の生活を知ってみたいと考え、社交ダンス部に入部しました*16。まずは、寮生活についてです。学部1年生は、大学内にある寮に住むこととなっており、食事も共にします。2年生になると、大学の外ですが、隣接する寮に移り、寮生の一体感は強いとのことです*17。どの寮も立派で、広々とした中庭、ジム、ビリヤード、ラウンジなども併設されています。ダンスを踊れる多目的室もあり、卒業発表会の前で、追加の練習が必要な時に利用しました。近代的なマンションタイプの寮もありますが、ダンスの練習に使用した寮の食堂は、小説「ハリーポッター」の寮を思わせるような古風な雰囲気でした。大学主催の競技会や卒業発表会後の打ち上げ会で寮の居住スペースにも入りました。居住部は4室程度の個室に共用スペースがあるといった構造で、特に男女別にはなっていませんでした。お酒はウォッカなど、値段の割に早く酔えるお酒でした。また、アメフトの交流戦で来ていた他大学の学生が、宿泊費を浮かすため共用スペースで雑魚寝をしていました。その辺りは、日本の大学生とも似ていると思いました。
ハーバード大学社交ダンス部は、1990年に設立された学部生のサークルです。様々なスタイルの社交ダンスの振興や競技会の支援を目的に、練習会などを開催しています。初心者向けと中級者向けの講習会と自由練習があり、ほぼ毎日、練習ができます。練習場所は、大学、学生寮と体育館です。大学と学生寮は食堂を利用しているためか、開始時間が午後9時以降と遅く、深夜まで続きました。日本とは異なり、大学別の団体戦はありませんが*18、競技会で入賞すると大学名と合わせて名前が呼ばれます。また、大学主催の競技会や卒業発表会に向けての練習などで、チームの一員としての参加意識を感じました*19。

おわりに
以上、個人的な経験に基づく主観的な感想を述べましたが、今後、ハーバード大学国際問題研究所に勤務する機会があれば、ご参考にしてください。更に個人的意見ですが、社交ダンスを試してみてください。性別、年齢を問わず楽しんでいただけると思います。
それでは、Happy Dancing!(Harvard Ballroom Dance Teamのあいさつです)

*1) 1961年から66年まで、駐日大使。
*2) 外交官。外務次官、国連大使を歴任。筆者が外務本省に出向していた際、小和田教授は丁寧な指導をされる教育者で、ハーバード大学の学生の評判が高かったとお聞きしました。
*3) 残念ながら、日本からの米国留学生は減少しています。このような事態を憂いて、日系三世のフランシス・フクヤマ元米国通商代表補代理は、100万ドルの奨学金を寄付しました。
*4) ボーゲル教授は、所長ご退任後も2020年にお亡くなりになるまで、私邸で「ボーゲル塾」を開催し、本プログラム参加者だけでなく、ボストン滞在日本人の育成を続けられました。ボーゲル教授がお亡くなりになった後、現所長のクリスティーナ・デイビス教授、藤平新樹事務局長に引き継いでいただき、「ボーゲル塾」は継続しています。ボーゲル教授の薫陶を受けた塾生から、「『君たちに日本の将来がかかっているんだ』とボーゲル教授に鼓舞されたことが印象に残っている」と伺いました。
*5) トロント大学からの研究者で難民問題等の専門家は、同プログラム在任中、日本のテレビからのインタビューを受け、その模様が報道されました。
*6) 研究中に論文を掲載した防衛問題の研究者は、その後、講演のコメンテイターなどの依頼があったそうです。英文掲載の影響の大きさを感じました。
*7) 現所長のクリスティーナ・デイビス教授は、新井ゆたか消費者庁長官とパートナーを組みました。新井長官は農水省出身で、その後も農業貿易自由化等を専門とするデイビス教授が訪日した際お世話になったそうです。
*8) ハーバード大学で日本語を学ぶ学生の何人かが、この夏、インターンや留学のため来日する予定です。日本で再会するのが楽しみです。
*9) 野球観戦も企画され、大谷翔平選手を生で見る機会もありました。
*10) アパート契約の場で、1割以上の値上げを言われ、しぶしぶ契約した人もいました。
*11) 昨年、為替介入によって大きく円高に振れたとき、研究室で歓喜の叫び声が上がりました。
*12) ハーバード大学勤務のため同行した医療資格を持つ配偶者で起業した方がいました。
*13) 民主党の政策スタッフで日本のバスケットボールチームのコーチ、ハワイ出身の日系三世、フランスからの研究者の配偶者と日本語・英語の交換レッスンをしました。
*14) 「連邦予算政策」の授業で、日本の予算制度について説明を求められました。
*15) 社交ダンスは、ペアで踊るダンスで、二人の息が合うことが重要です。このような社交ダンスの特徴を生かし、社交ダンスを教えることで、荒れた学校を立て直したという実話に基づいた2007年の映画「レッスン」があります。不良生徒を魅了した情熱的なタンゴ、生徒たちの楽しげなダンスが見られますので、ぜひご覧ください。
*16) 剣道部に参加した研究員もいました。ハーバード大学主催の全米大学剣道大会は、橋本総理(当時)より優勝杯が寄贈され、「昇龍杯」と命名されています。
*17) 東京大学でも教授を務める今井耕介教授は、両大学の学生の最も大きな違いとして、この寮生活を挙げていました。
*18) 日本の大学での競技ダンスについては、二宮敦人著、「紳士と淑女のコロシアム『競技ダンス』へようこそ」が面白かったです。
*19) 私たちも、タフツ大学の競技会で入賞することができ、ダンス部のジャンバーを着せてもらいました。また、競技会にもプロ選手も参加する米国東部ダンススポーツ競技会複数のペアで踊るフォーメーションダンスのアマチュア部門で優勝し、卒業発表会でも披露しました。