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コラム 経済トレンド108


トラス・ショックを踏まえた経常収支・国債の海外保有・安全資産の関係

大臣官房総合政策課 細江 塔陽/楠原 雅人


本稿では、英国で起きたトラス・ショックを振り返りつつ、経常収支や国債の海外保有比率、国債の安全資産としての位置づけについて考察する。

トラス・ショック
英国では、2022年9月にリズ・トラス首相(当時)が打ち出した一連の財政政策「ミニ・バジェット」により、通貨・国債・株式市場が混乱した(図表1. トラス・ショックについて)。ドル/ポンドレートが過去最低の1.035ドル/ポンドまで下落した他、10年債金利は14年ぶりに4.5%まで上昇(債券価格は下落)、株価も1年半ぶりの水準まで低下し、トリプル安となった(図表2. 2022年下半期のドル/ポンドレート 図表3. 2022年下半期の英国債利回り(10年) 図表4. 2022年下半期の英国株式(FTSE100))。
こうした市場の反応を受けて、沈静化のために英中央銀行は国債買入を実施し、トラス政権は大幅な方針の変更を迫られ、その後退陣することになった。その後、市場は落ち着きを取り戻したものの、IMFによる2023年の成長率予測は、トラス・ショックを挟んで大きく下方修正されている(図表5. IMFの世界経済見通し(WEO)による2023年の成長率予測)。

LDI(債務連動型運用)
トラス政権による「ミニ・バジェット」を受けて長期金利が急騰したことで、英国の企業年金基金に代わってLDI※を運用していたファンドが巨額のマージンコール(追加証拠金の請求)に直面した。これに応ずるための資産売却によって、更なる金利の上昇が発生した。
※LDI(Liability Driven Investment)とは、主に企業年金において、年金基金の資産と負債の均衡を保つため、スワップ等のデリバティブやレポ取引を利用し、負債のキャッシュフローやデュレーションに合致する運用ポートフォリオを構築する戦略のことを指す。英国での採用が多くみられる(図表6. 英国主要年金基金のLDIの採用状況)。
英国のLDI運用規模は、2021年には1.6兆ポンドとなり、この10年で約4倍に増えている(図表7. 英国のLDI運用残高)。ポートフォリオの多様性を見ても、年金基金の運用資産構成は、英国が特出して債券に集中している(図表8. 各国の企業年金基金の運用資産構成)。LDIへの依存が大きいため、ポジションの価値が変動した際に、自己資産や流動資産を利用した対応が困難だったと考えられる。
その結果、市場の混乱を増幅させることとなったが、英中央銀行が緊急的な債券買入を実施したこともあり、混乱は徐々に沈静化した。
(注)図表8.:米国と英国は暦年、日本は年度。

英国債の海外保有比率と国債危機
このように、英国は短期的に大きなショックに見舞われたが、対外ポジションを見ると、中長期的にも脆弱性を抱えていると言える。英国債保有別内訳をみると、海外、特に海外非公的部門の保有が多い(図表9. 先進国の国債保有)。
一般に、投資家の資産選択には「ホームバイアス」が存在する。「ホームバイアス」とは、為替リスクや制度的要因等から、ポートフォリオ上、一見リターンが低いように見えても、海外資産よりも国内資産への投資を選好しやすいことを指す。
反対に、海外の投資家は、為替リスクから高い金利を要求しやすく、また、流通市場において、活発に取引を行う傾向にある。そのため、民間の海外投資家の保有が高まれば、国債金利の急騰が生じやすいとされる。
英国債の海外保有比率の高さは、長期的な経常赤字が背景にある。英国は、有数の金融街を抱えるロンドンを背景にサービス収支で黒字を稼ぐ一方で、貿易収支赤字が大きく、長期的に経常収支赤字国である(図表10. 英国の経常収支の推移)。こうしたことを背景にして、海外保有比率が高くなっていた英国債には、ホームバイアスが働きにくく、国債市場の危機が増幅されやすかった可能性がある。
一方で、ここで述べたような経常収支と国債の海外保有比率の間の関係は必ずしも普遍的ではなく、経常収支黒字でありながら、国債の海外保有比率が高いドイツのような例外も存在する。そこには「安全資産としての国債」という別の要因も介在している。

経常収支と国債の海外保有・安全資産
ここでは「安全資産」という概念も踏まえて、経常収支、国債・為替市場の動向を整理する(図表11. 国債への認識と経常収支の関係)。
米国債がグローバルな安全資産と認識されている米国は、海外公的部門を中心に国債の海外保有比率が高い。一方で、経常収支赤字が続いていても、安全資産としての米国債や基軸通貨としての地位を背景にドルに対する需要は強いため、通貨安圧力は働きにくく、国債市場の安定性も損なわれにくい。
ドイツや日本は、国債が安全資産と認識されると共に、競争力のある輸出産業や所得収支黒字を背景とした経常収支黒字の国である。国内の貯蓄も潤沢なこれらの国では、国債は基本的に安定消化されやすいとの指摘がある。
一方で、過度な財政赤字が国内民間部門の支出増加や輸入の増加を伴う場合には、貿易収支赤字圧力を通じて、最終的には経常収支の赤字圧力となりうる点に留意が必要である。図表12. 政府の財政赤字は貿易収支赤字圧力へは政府が家計への所得移転を行った場合の模式図である。
かつてポンドが世界の基軸通貨だった英国は、第2次世界大戦以降、IMF危機やポンド危機等の経済・為替・国債の危機を経て、英国債がグローバルな安全資産の地位を失いつつあると言えるだろう。今後の英国における国債・為替市場の動向や、安全資産に関する議論に注目していく必要がある。
(注)図表10について、経常収支の黒字国・赤字国は、IMF統計における各国の経常収支の推移から分類している。
(出所)月刊資本市場「トラスノミクスはなぜ失敗に終わったか?」、イングランド銀行資料、Bloomberg、IMF「世界経済見通し」、大和総研「英国債市場を動揺させたLDI問題の本質」、日銀レビュー「企業年金の運用戦略からみた金融安定への含意―英国債市場の混乱からの教訓―」、WTW「2021 asset allocations in Fortune 1000 pensionplans」、英国年金保護基金、企業年金連合会、財務省「債務管理レポート2022」、Arslanalp, S., and T. Tsuda “Tracking Global Demand for Advanced Economy Sovereign Debt”、英国統計局、H. Matsuoka “Debt Intolerance”、一上、清水「長期金利の変動要因:主要国のパネル分析と日米の要因分解」

(注)文中、意見に関る部分は全て筆者の私見である。