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21世紀のラスティニャック

脳科学者 中野 信子


名だたる知識人が面会のために列を成したという“伝説の犯罪者”ラスネールに死刑が宣告されたのが1835年、モームが世界十大小説の一つに挙げるバルザックの『ゴリオ爺さん』の初版が刊行された年である(バルザックもラスネールに面会している)。ラスネールの知性と教養の水準は低くはなかったとされる。当時の通念からすれば、こうした人物が凶悪な犯罪者となるのは想像の範疇外であり、その存在は社会に衝撃を与えたという。
ラスネールは回想録の中で「社会基盤と、特権的階級である『金持ち連中』に対する『抗議』を行うため、『社会の災厄』となることを決意した」と記している。当該年代から約200年が経過しているが、この文言があまり古さを感じさせないのは興味深い。
バルザックの『ゴリオ爺さん』に登場するラスティニャックは、勉強と地道な労働によって出世と安定した生活基盤の獲得を目指すべきか、莫大な財産の相続が期待される女性と結婚して手っ取り早く富裕層の仲間入りを果たすのか、その間でぶざまなまでに揺れる。その描写のあまりの見事さに、当時は「人間を邪悪に描きすぎている」などとして、批評は賛否二分され、バルザックを性悪説の擁護者等と断罪する声もあったようだ。
さて、この二択は「ラスティニャックのジレンマ」として知られている。ピケティを読んだ人ならピンと来ると思うが、彼は著書の中で、まさにこの『ゴリオ爺さん』の当該箇所を引用している。
アメリカの社会学者マートンは、優れた人物・組織への好意的な評価が、さらなる成功をもたらす現象について論じ、これを「マタイ効果」と名付けた(Merton RK, 1968)。マタイ効果の名は、マタイによる福音書25節の「おおよそ、持っている人は与えられて、いよいよ豊かになるが、持っていない人は、持っているものまでも取り上げられるであろう」に由来する。有名な大御所が無名の科学者に比べ、より論文の採択率が高く、多くの研究費を獲得しやすい、という実も蓋もない事実を説明するものだが、経済学分野で、貧富の格差が拡大する理由の説明としてもこの理論がしばしば敷衍される。
格差は広がり続けるとしたピケティの主張に対して従来の経済学領域からの反論もある。しかし、地道に働き続ければいつか報われるというパラダイムが不成立である可能性を複数の学者が指摘し、人間観察の雄たる大作家がはるか昔にこの構造を描き切り、「持てる者」の存在そのものを標的として捨て身の攻撃を仕掛ける者が周期的に発生するのを、どう見るか。
もちろん構造上の問題を個人に転嫁して攻撃するのはまったく論理的ではなく、許される行為でもない。しかし、人間は論理的にはできていない。その「不正義」がいかに主観的で理の通らないものであったとしても、それに対してサンクションを加える行為には、脳内で生じる快感が報酬として約束されている。他からの金銭的報酬でこれを抑えられるかといえば効用関数の比較が困難であるため効果は限定的となるだろう。知性で抑えられると語れば反知性主義との分断を生み、さらなるリスクが誘発されかねない。固着した構造を一時的に倒置させ、集団内の緊張を緩和する役割を「遊び」が持つとする霊長類学の研究は示唆的だが、その行為の延長である「文化」への軽視が続く世界では、未来に対する見方は悲観的にならざるを得ない。

参考文献:
Robert K. Merton, The Matthew Effect in Science. Science159,56-63(1968).