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令和4年度 上級管理セミナー

講師 藻谷  ゆかり 氏(経営エッセイスト 巴創業塾主宰)
 
演題 地方経済の活性化策 『山奥ビジネス』の取材から
 
令和4年10月6日(木)開催
 
 
はじめに
皆様こんにちは。経営エッセイストの藻谷ゆかりと申します。本日はたくさんの方にご参加いただき誠にありがとうございます。
本日の講演の流れですが、最初に自己紹介、次いで本日の主題である『山奥ビジネス』について、概要、3つのキーコンセプト、ビジネス事例2つと自治体事例1つ、次に「地方経済活性化のために」、最後に「『山奥ビジネス』の本に盛り込めなかったこと」の順でお話させていただきます。
 
 
1.自己紹介
(1)高度経済成長期、バブル経済期を経験
私は1963年生まれです。高度経済成長期を子供の頃に経験しました。小学校入学が1970年ですが、小学生になると物心が付いてきて、世の中がどうなってきているかが次第にわかるようになってきました。高度経済成長期にサラリーマンであった私の父親は毎日忙しそうにしていて、周りの人たちもそんな感じでした。社会人になったのが1986年なので、バブル期を若干経験して、その後の日本経済も経験しております。そのころに経験したことと今の「失われた30年」と言われる日本経済の停滞の状況から、これからどうやって日本経済、特に地方経済を活性化していけばいいのか、ということを私なりに考えるところがありまして、本日お話させていただきたいと思います。
 
(2)長野県北御牧村に移住
私ども家族5人は2002年に長野県北御牧(きたみまき)村(現在では東御(とうみ)市)に移住しました。移住した理由は子供3人をどう育てていくかを夫と話した際に、「都会の中学受験戦争が過激になっているので、これを経験させたくないね」というのが私たち夫婦の願いでした。
そこで田舎に引っ越そう、ということになり2002年に移住したのです。夫の仕事の関係上、東京駅から新幹線で2時間以内のところに住むというのが条件です。いろいろ検討した結果、長野新幹線が通る長野県にしようということになり、佐久平駅と上田駅の間をターゲットにして探しておりましたところ、北御牧村に出会ったのです。「どうして北御牧村に決めたの?」とよく聞かれますが、「風景が素敵だったから」としか言いようがないのです。
北御牧村は本当に何もない、なんでもない田舎ですが、一流の田舎なのです。
 
(3)田舎の定義
田舎の定義はいろいろあるとは思いますが、「夕刊が来ない」「ガスが来ていない」「三階建ては役場と小中学校だけ」、そして「不動産屋がない」これは土地の売買は相続だけだからです。さらに北御牧村は「車庫証明が不要」なんですね。こんな田舎でも慣れれば何でもないですし、不自由を感じません。
 
(4)経営エッセイストとして心がけていること
私は「地方移住」と「起業」と「事業承継」を執筆のテーマにしており、私自身が経験したことを本に書いたり講演したりしています。経営エッセイストとして心がけていることは「自分が実際に見聞きしたことを主観的に書いていくこと」です。理論だけではなく、主観的な意見を書いております。もう一つ心がけていることは「時代が求めていることをタイムリーに書く」ことです。
 
(5)著書紹介
こうしたことを踏まえつつ、2019年5月に『衰退産業でも稼げます』(新潮社)という本を出しました。衰退産業と言われている商店、農業、旅館、伝統産業において、代替わりしてイノベーションを起こした16事例を取材して書きました。
2020年9月には新型コロナウイルス感染拡大に伴うコロナ移住の増加を念頭に『コロナ移住のすすめ』(毎日新聞出版)を出版しました。
そして昨年出版したのが『六方よし経営』です。副題は「日本を元気にする新しいビジネスのかたち」で、皆さんご存じの「近江商人の三方よし(売り手よし、買い手よし、世間よし)」に、新たに「作り手よし、地球よし、未来よし」を加えて、14事例と4コラムが書いてあります。
「六方よし」は、すなわち「和のSDGs」です。ただSDGsが17の高い理想を言っているのに対して、「六方よし」はあくまで行動規範なのでわかりやすいかな、と思っております。
「六方よし」は二手に分かれます。先ず「売り手よし、買い手よし、作り手よし」の部分は人権問題なのです。いまインフレが起こってきているのに、価格を転嫁できない。部品メーカーが特にそうだと思うのですが、少し値上げしたら逆に(取引先から)切られてしまう。今は「買い手よし」が強すぎる状況になっております。今こそ「売り手よし、作り手よし」で格差の解消をしなければいけないと思います。
一方の「世間よし、地球よし、未来よし」の方は環境問題です。これも非常に重要です。
日本では「SDGs=環境」と思われがちですが、SDGsというのは、人権問題もきちんと取り組まなければいけないのです。
 
 
2.『山奥ビジネス』
(1)「一流の田舎」VS.「三流の都会」
ここからは10月15日に新潮新書として発売される『山奥ビジネス』についてお話いたします。この本の副題は「一流の田舎を創造する」です。
「一流の田舎」の反対は「三流の都会」ということです。「三流の都会」というのは都会の真似をしていて、田舎らしさが無くなっていることなのです。その一方で「一流の田舎」を維持したまま、ビジネスを大きく成長させている人もおります。ではそういう人たちはいったいどういうことをしているのか? そういうことをこの本で紹介しております。
 
(2)『山奥ビジネス』執筆のきっかけ
ちょうど一年前に『六方よし経営』を出したときに、たまたま長野県庁の人から「藻谷さんは中山間地の活用について、どのようにお考えですか?」と聞かれて、私は答えられなかったのです。答えられないということは、これを研究して良い事例を見つけたいと思いました。平成の大合併により県庁所在地にも限界集落があり、長野市では鬼無里(きなさ)とか戸隠(とがくし)とかです。
世の中を見回してみると「ポツンと一軒家」というTV番組が結構人気になっており、コロナの感染拡大を受けて、より山奥に人々が興味を持つようになったな、と私は思っておりました。
この本を企画した去年はちょうど岸田政権ができて、「新しい資本主義」や「成長と分配」という言葉が日々のニュースに出てくるようになっていました。私自身はユニコーン企業(「創業10年以内」「評価額10億ドル以上」「未上場」「テクノロジー企業」の4条件を満たすスタートアップ企業)を100社創出できたとしても、雇用創出効果は限定的と思います。高度経済成長期とかバブル経済期に経験したような分配は起きないのではないか、特に地方には起きてこないのではないかと思います。
ではどうすればよいのか。資本主義の新しい形が必要になるのではないか。私は「日本経済の隅々まで、毛細血管の隅々に至るまで元気になるべきだ」と常々考えており、それをやるのは山奥からではないか、ということでこの本を書いたのです。
 
(3)『山奥ビジネス』の構成
『山奥ビジネス』は三部構成です。第一部は山奥でビジネスを展開している事例を4つ紹介しています。その中で本日は熊本県山都(やまと)町の事例と、石川県能登町の事例をご紹介します。
第二部では自治体事例を3つ研究しました。その中から本日は人口約700人の山梨県小菅村の「源流の村」の事例をご紹介します。
第三部ではビジネス事例と自治体事例を踏まえて、「地方経済を活性化するためにはどうしたらよいか」そして「若い世代の地方移住を促進するためにはどうしたらよいか」ということを検討しております。本日は前者の「地方経済の活性化」についてお話いたします。
 
(4)3つのキーコンセプト
『山奥ビジネス』のキーコンセプトは3つです。それは「ハイバリュー・ローインパクト」「SLOCシナリオ」「越境学習」です。
ハイバリュー・ローインパクトというのは、価値が高い財・サービスを提供して、自然環境や土地の文化への影響は少なくしていくというビジネス展開のことです。ハイバリュー・ローインパクトはブータン政府の観光政策です。
2番目のSLOCシナリオですが、SLOCというのはSmall,Local,Open,Connectedの4つの頭文字をとったもので、イタリアのソーシャルデザイン学者のエンツィオ・マンヅィーニが提唱しております。SLOCシナリオを説明した箇所で、マンヅィーニはE・F・シューマッハーが1973年に出版した『スモール イズ ビューティフル』という本に言及しています。インターネットの存在により、世界は開かれてつながるようになっているので、「SmallはSmallではなく、LocalはLocalではない」とマンヅィーニは言っております。
このSLOCシナリオの典型例として紹介されているのがイタリアのスローフード運動です。1986年にローマのスペイン広場にマクドナルドが出店することについて、イタリア国内でローマを中心に強い反対運動が起きました。実際にはスペイン広場のあまり目立たない場所にマクドナルドは出店できたのですが、「アメリカのファストフードが来ていいのか」「イタリアのマンマの味はどうなるのだ」といった出店に反対する運動がローマを中心に起こったのです。
イタリアのスローフード運動とは、「単にご飯をゆっくり食べましょう」ということではなくて、「その土地でできた農産物を使い、ローカルな食べ物や食文化を大切にしましょう」というものですが、それが世界的な運動につながっていくわけです。
『スモール イズ ビューティフル』という本は、ほぼ50年前に書かれたのですが、その文章の中の本質的なところをレジュメに書き出してあります。「大量生産の体制によって立つ技術は非常に資本集約的である。大量にエネルギーを食い、しかも労働節約型である。あまり雇用創出力を持たない。一方、大衆による生産においては、誰もが持っている尊い資源、すなわちよく働く頭と器用な手が活用され、これを第一級の道具が助ける。」というものです。
つまり全くの手仕事で何かやっていることが尊いということではなくて、多少機械化するのだけれども、エネルギーをできるだけ使わずにやる、こういうことが50年前の本に書いてあって、「まさにこれは今のSDGsにつながっている」と思います。
3番目の越境学習ですが、越境学習の典型例は、地方から都会の学校に進学・留学したりすることです。家業を継ぐ人が他社に勤めてから家業に戻ることも越境学習です。ですが私の場合のように、「都会から地方に移住して20年間地方に住む」というのも越境学習です。そして、その20年間のフィールドワークの成果を『山奥ビジネス』という本にまとめました。
 
(5)事例1:熊本県上益城郡山都町
(ア)山奥にある赤字の小さな酒造を継ぐ
では実際に「山奥ビジネス」の事例をご紹介したいと思います。最初の事例、熊本県上益城郡山都町は人口1万4千人の高齢化・過疎化が進む山奥の町です。山都町は熊本と宮崎県延岡をつなぐ日向往還という街道沿いにあり、自由律俳句の種田山頭火がここで「分け入っても 分け入っても 青い山」と句を詠んだそうです。まさにこの句のように、青い山々が連なっているところです。
山都町は2014年に出版された『地方消滅』(増田寛也著)において、熊本県で2番目に消滅可能性が高い自治体と指摘されております。
この町に通潤酒造という江戸時代からの老舗酒造がありまして、12代目の山下泰雄さんという方がいらっしゃいます。この方は私と同じ1963年生まれで、三人きょうだいの長男です。大阪大学経済学部を卒業して日本興業銀行に就職しました。実家の通潤酒造は山奥の小さな酒造だったので、売り上げ1.5億円、借入金が2億円ある状態で赤字経営でした。経営は山下さんの祖父がやっていたのですが、孫が日本興業銀行に入ったことだし、自分の代で酒造を止めると言ったそうです。山下さんは自分が酒造を継ぐものだと思って育ってきたので、酒造を止めると言い出した祖父と喧嘩をして、その際に祖父は脳梗塞を起こしてしまい、その後亡くなります。これにショックを受けて、山下さんは銀行を辞めて家業に戻りますが、バブル絶頂期の1989年11月のことです。
 
(イ)国際化・IT化・ブランド化を推進
赤字の小さな酒造に戻ってきて泰雄さんがどうしたかというと、国際化・IT化・ブランド化を推進したのです。当時できたばかりの成田空港第二ターミナルにある免税店に、業者を通じて少し高めの純米吟醸酒を卸すようにしたのです。その結果、多い時には月4千本くらい売れて、非常にうまくいきました。同じ業者を通じて中国の航空会社の機内販売に採用され、韓国のホテルでも販売されるようになりました。売り上げは2.5億円まで伸び、そのうち3割が海外売上になったのです。
でもうまくいっていると競合が増えてきます。また卸マージンが大きく、利益が少ないという問題がありました。そこで山下さんは消費者に直接販売しようと考えて、最初はカタログ通販、その後ネット通販を行うようになります。ネット通販を始めて地元出身の若い社員も雇いました。その若い社員が、山都町に縁ある名刀「蛍丸」がオンラインゲームの「刀剣乱舞」に登場していることを知ります。そして、彼の提案でこの名刀の名前を冠した「蛍丸」というお酒を造ることにしました。ご覧いただいているのがそのお酒の写真ですが、山都町に住んでいるデザイナーがデザインしたものです。ボトルにお酒をいれると刀に蛍が舞い飛んでいるように見えるデザインです。そういう商品を開発したところ、350mlの小さな瓶で1,500円と割高なのですが、若い世代から注文が殺到したのです。
 
(ウ)酒造エンターテイメント業へ
経営が持ち直したところで、2016年4月に熊本地震が発生し、山都町は震度6の地震を2回記録しました。通潤酒造の14棟ある蔵や倉庫が全半壊する大きな被害でした。ネット通販がやっとうまくいき始めたときにこの地震に遭遇したので、山下さんもすっかり気落ちしたのですが、「蛍丸」で知り合った全国のお客さんから「大丈夫ですか?」という問い合わせとともに注文が殺到したのです。そこで残っているお酒を社員総出で手詰めして何とか注文に応えようと努力し、少しずつ事業を再建していきました。5月の連休に東京・有明でコミケの一種であるSUPER COMIC CITYに「蛍丸」2千本を瓶詰めして持っていったところ、半日で完売したそうです。山下さんは今まで日本酒を飲んできた人たちとは違う層を開拓し、そうした人たちの支持を受けて、何とか事業を回復基調に持っていくことができました。
熊本地震の後、山下さんは、これからは「酒造エンターテイメント業」、いいお酒を造って売るだけではなく、お客様をお酒でもてなすというようにミッションを変えて、大きな被害を受けた酒蔵を補助金やクラウドファンディングを活用し「おもてなしのカフェ」として改装しました。ここでは日本酒のお試しセットなども飲めるのですが、ドライバーやお子さんもいらっしゃるので、ノンアルコールの甘酒とかスイーツなども用意して、みんなが楽しめるようにしました。
 
(エ)IT企業の本社が山都町に
さらに熊本地震後に山下さんはIT企業の小山さんと知り合って、この方を山都町に招いた際に「こういう山奥にこそ、IT企業に来てほしい」とお願いしたところ、小山さんは了承し、それまで渋谷に持っていたIT関係の会社2社を手放して、新たにIT企業「MARUKU」を山都町に設立したのです。
MARUKUは最初通潤酒造の空いたスペースを借りて本社にして、2年目にはあえて東京支社を設けます。これは仕事を東京から取ってくることと、リクルーティングの2つを目的にしたものです。熊本県県北には半導体の工場が新たに設立されたりしていますが、県南はまだ発展途上でありMARUKUは主に県南の自治体や企業のIT化を進める事業を行っております。
ご覧いただいている集合写真のように、MARUKUには若い人達がUターン、Iターン移住して、設立5年で年商2億円を超える会社に育っております。
MARUKUは熊本県内2つ目のオフィスを、熊本八代市の商店街にある古民家ギャラリーに設立しました。広いスペースがあったので、MARUKUの他にもIT企業数社が入居しておりシェアオフィスのようになっております。
また県南の芦北町にある廃校を活用したシェアオフィスにMARUKUが声掛けして、熊本出身の人のIT企業が入るようになって、結構こちらも埋まるようになりました。
こうして小山さんが山都町にMARUKUというIT企業を設立したことで、八代市や芦北町にも様々なIT企業が移ってくるようになったのです。
 
(6)事例2:石川県能登町
(ア)奥能登の生乳のおいしさに目覚める
二番目のビジネス事例として石川県能登町をご紹介いたします。能登町は石川県の能登半島の先端の方にある町で人口1万6千人です。ここは先程触れた『地方消滅』において、石川県で一番消滅可能性が高いとされた自治体です。
能登町でマルガージェラートを経営する柴野大造さんは1975年生まれで、四人きょうだいの長男です。奥能登にある標高130メートルの丘の上のある牧場で育ちました。
柴野さんは子供の頃は「こんな田舎から抜け出したい」とずっと思っていたそうです。しかし東京農業大学の3年生の時に夏休みで帰省して、自分の家で作っている奥能登の牛乳を飲んで、そのおいしさにあらためてびっくりしたそうです。
柴野さんは大学卒業後、あれだけ嫌がっていた奥能登に戻り両親の牧場を手伝いながら、独学でジェラートを作って、マルガージェラート能登本店を2000年に開業しました。でも最初はなかなか売れなくて苦労したそうです。
 
(イ)ジェラートのマエストロとの出会い
柴野さんはイタリアの本場のジェラートを知りたいと思い、2007年に初めてイタリア旅行に出かけました。その時「イタリアには毎年ジェラート大会が開催されている」と通訳の日本人女性から教えてもらい、2009年から毎年イタリアのジェラート大会に挑戦し続けるのですが、なかなか認められませんでした。そのようなときに柴野さんがジェラ―ト大会で披露した、「液体窒素を使ったジェラートイリュージョン」がジェラートのマエストロの目にとまりました。
マエストロから「君は面白い。私のラボに来なさい」と声がかかったのです。そこでレッジョ・ディ・カラブリアにあるマエストロの工房に出向きました。ジェラートの巨匠は柴野さんに「ジェラートにはきちんとした組成理論がある」と水分と糖分の計算式を教えました。それをマスターした後、柴野さんは2017年のイタリアのジェラート大会で優勝し、「世界一のジェラート職人」となったのです。
世界一になった時に作ったのは「リンゴとパイナップルとセロリ」のジェラートでした。セロリを入れることに関して、周囲からは大反対されたそうです。でも柴野さんはセロリをほんの少し加えることで消化も良くなるし、結局爽やかさが残る、だから絶対にセロリが必要、とセロリにこだわり、優勝を勝ち取ったのです。
柴野さんは、マエストロから「おいしいジェラートを作るために必要な3つのこと」を直伝されました。それは「パッショーネ(情熱)」「アモーレ(愛)」「ファンタジーア(想像力)」だそうです。何かを作るとき、素材とかではなく、ファンタジーア(想像力)が大事だと私も思います。リンゴとパイナップルにセロリを入れたことによって今までにないジェラートができて、それが世界一おいしいと評価されたのですが、こういうファンタジーアが大事なのだなあ、と思います。
地方は資本力では負けますので、「カネではなく、頭を使うこと」が本当に大事なことだと思います。
 
(7)事例3:山梨県小菅村
(ア)差別化、可視化、ブランド化が重要
ここからは自治体事例のうちのひとつ、人口700人弱の山梨県小菅村についてお話しします。
自治体や地域をしっかり「差別化」して、差別化した状況を「可視化」して皆に分かるようにして、その価値を高めて「ブランド化」していくことが地域としても自治体としても重要です。山梨県小菅村はそれができているところです。
小菅村は多摩川の源流で、江戸時代は青梅街道沿いでした。2014年に松姫トンネルができて、大月とのアクセスがすごく良くなりました。
小菅村は山間の村ですから、林業で木工とかお箸を製造し、農業では清流を利用したわさびやこんにゃくを作っております。
 
(イ)「NIPPONIA小菅 源流の村」
小菅村ではNHKでも取り上げられた「NIPPONIA小菅 源流の村」が有名なのですが、これはかつて村で一番立派な建物だったところをホテルに改築したものです。コンセプトとしては「村全体をホテルに」というものです。古民家ホテルなのですが、1泊2食約3万円と確かに高いですが、今の為替レートだと「2食付で200ドルちょっと」となり、外国人観光客からすれば非常に安く感じると思います。
 
(ウ)「源流」をキーワードに交流人口を増やす
(1)「多摩川源流大学」
小菅村はNIPPONIAができる以前の1987年から「多摩川源流」というキーワードで村づくりに取り組み、交流人口を増やす努力をしておりました。2007年には「多摩川源流大学」というものを打ち出して、東京農業大学とタイアップして、累計2千人の大学生が参加しました。現在では他の大学や社会人にも公開しております。ここで特徴的なのは村民が先生になることです。村民が林業やわさび栽培やそば打ちを教えます。
 
(2)「源流親子留学」
2014年からは「源流親子留学」がスタートし、6年間で27家族88人が移住してきております。なおコロナの関係でここ1,2年は外からの留学は受け入れていません。
「源流親子留学」で移住してくる場合、親子で来ますので、家探しや仕事探しが必要になるのですが、教育長が一括して窓口になって相談に応じているのが特長です。
ここの小中学校は、親子留学がないと学年が成り立たない状況です。学年が10人いたら半分以上が親子留学で来た子供たちなのです。複式学級という問題があって、生徒が8人にまで減ると学年を越えて一緒のクラスになってしまうのですが、小菅村は村長の方針で、どんなに少人数でも複式学級にはしないとしています。複式学級になる場合には、村が予算を付けて先生を雇って対応します。これをしっかりやると子供を持つ親が村から出ていかないのです。
中学校ではオーストラリア修学旅行があります。保護者の負担は6万円でそれ以外の費用はすべて村が負担します。これが楽しみで親子留学した家族は中学校まで村に残ってくれるのです。
このように地道な努力をしている企業や自治体は、ちゃんと栄えるということなのです。
 
(3)「道の駅こすげ」と周辺施設の連携
「道の駅こすげ」には物産館及び地場野菜を使ったレストランがあり、その横に温泉施設ができています。自然に恵まれたところなので、釣りやキャンプ、バイクのお客さんもいますし、登山客もいます。そういう人たちが温泉に入りに来ます。
もうひとつ「フォレストアドベンチャー」というフランスで始まった野外遊園施設があって、その施設が「道の駅こすげ」に隣接しているのです。フォレストアドベンチャーに来た人は終わってから温泉に入ったり、食べて帰ったり物を買ったりするのです。さらにRVパークの指定も受けていて、車中泊もできるようになっています。
つまり小菅村は、もう一歩先まで努力しているのです。ただ地元の野菜を売っています、温泉あります、だけでなく、もう一歩踏み込んで、ユニークな遊びの施設があるとかRVパークの指定を受けている、といったことが努力の差になるのです。
 
(4)独自のタイニーハウス・プロジェクト
また小菅村には、独自のタイニーハウス・プロジェクトがあります。タイニーハウスという考え方はリーマンショック後、世界的に広まった思想で、小さな家に住み多額の住宅ローンを抱えずに暮らす生き方です。
小菅村ではタイニーハウス・プロジェクトに取り組んでいて、村の木材を使った住宅・家具で移住体験者用のタイニーハウスを作り、「道の駅こすげ」に隣接させております。
小さい家に住むと光熱費が安くなります。田舎暮らしで大きな古民家などに住むと、冬は本当に寒いのです。タイニーハウスだと、すぐ暖まったり冷えたりするので、光熱費があまりかからないのです。
さらに2017年からは「タイニーハウスこすげデザインコンテスト」を開催していて、2021年には163組が応募しております。
 
(エ)渋谷からクラフトビール会社が移転
この小さな小菅村に、渋谷からクラフトビール会社が移転してきました。代表の山田司朗さんは2011年に渋谷でクラフトビール会社を創業しました。商品をOEM生産していましたが、2017年に小菅村に工場を設立しました。交通の便がいい甲府盆地で候補地を最初に探したのですが、とても高くて手が出なかったそうです。たまたま山梨県から小菅村の空き工場を紹介され、そこでやり始めたのです。そしてコロナの感染拡大に伴い、オンラインでの仕事になったことから、2020年に渋谷から小菅村に本社を移転しました。本社移転後に、アメリカ人2人が入社してきました。アメリカ人は山奥とかを全然気にしないで、むしろ自然の中で製造していることに興味をもって入社してくるのです。
このように山奥でも、差別化・可視化・ブランド化に成功すると、地方経済がうまくいくのです。
 
 
3.地方経済活性化のために
(1)地方経済の衰退
(1)地場産業・鉱業(炭鉱)が消滅
ここから地方経済活性化についてお話しします。
戦後の復興期は、全国各地で繊維を中心とした地場産業や鉱業や炭鉱が盛んでしたが、1970年代からそれらが消滅していきました。
 
(2)日本人の生活習慣の変化
また1990年を境に人々の習慣が大きく変化して、例えば、仏壇や婚礼家具等の需要が激減しました。
 
(3)円高による工場の海外移転と企業城下町消滅
それから1990年代後半の円高で工場が海外移転してしまい、さらに高度経済成長期にあった企業城下町が消滅していきました。
 
(2)製造業から観光業へ転換
それではどうするのか? 一つの可能性として、私は「日本は製造業から観光業に転換すべきだ」と考えております。私が小学校に通っていた頃は「日本は資源がないから人が資源」などと言われておりましたが、日本には豊かな自然資源があるのです。日本は先進国の中でも森林率が高い国です。降雨量も多いですから水、雪、温泉とかもありますよね。歴史もあるから世界遺産も25カ所あって、さらに公共交通機関も発達しているし、治安も良いです。先ほども言いましたが、この円安傾向でNIPPONIA小菅のような1泊2食3万円の高級ホテルに200ドルちょっとで泊まれるというのは、非常に魅力的になります。
2019年、コロナ前のインバウンド消費の額は4兆8,135億円と推計されております。輸出品目を見ると自動車が12兆円くらいあって、次に半導体が4兆円くらいある。つまり、インバウンド消費は、第二位の半導体の輸出額を2019年時点で、すでに越えているわけです。
観光業には老若男女が関わることができます。地方のおじいさんおばあさんでも、観光業に関わっています。地産地消で農産物や海産物を使えば一次産業にも貢献する。
そのためには観光客の分散化が必要で、京都や浅草ばかりに観光客が集中するのではなくて、全国隅々まで観光客に行ってもらう努力が必要なのではないかと思います。
 
 
4.『山奥ビジネス』に盛り込めなかったこと
『山奥ビジネス』という本には盛り込めなかったことを、少しだけお話しします。
アダム・スミス以降の経済学においては、「労働は苦行」なのです。でもイギリスのデザイナー・建築家・詩人であるウィリアム・モリスは、「労働は喜びである」と言っております。十分な休息があり、短い労働時間であること、労働に多様性があること、快適な環境で労働すべきだとも言っております。これは結局、最初に紹介した「作り手よし」につながるのです。
最後に、人はなぜ棚田のある風景を美しいと感じるのでしょうか。棚田はその土地の人々の営みそのものなのです。棚田は非効率な生産手段であり、耕作放棄地になりがちなのですが、棚田がもし太陽光発電になってしまうと、醜い風景になってしまうと私は思います。棚田は風景として観光資源になり、限界集落であっても人々を惹きつけるのです。これもひとつの「山奥ビジネス」のあり方ではないかと思います。
ご清聴ありがとうございました。(以上)
 
 
講師略歴
藻谷  ゆかり(もたに  ゆかり)
経営エッセイスト 巴創業塾主宰
1963年横浜市生まれ。東京大学経済学部卒業後、金融機関に勤務。1991年ハーバード・ビジネススクールでMBA取得。外資系メーカー2社に勤務後、1997年にインド紅茶の輸入・ネット通販会社を千葉県で起業、2002年に家族5人で長野県北御牧村(現東御市)に移住し、2018年に会社を事業承継。
現在は「起業×事業承継×地方移住」に関する講演を全国の商工会議所や自治体等で展開。2019年に『衰退産業でも稼げます』(新潮社)、2020年に『コロナ移住のすすめ』(毎日新聞出版)、2021年7月に『六方よし経営 日本を元気にする新しいビジネスのかたち』(日経BP)、2022年10月に『山奥ビジネス 一流の田舎を創造する』(新潮新書)を出版。
夫は国際エコノミストの藻谷俊介氏、『デフレの正体』『里山資本主義』の藻谷浩介氏は義弟。