評者 元財務省関税局長/梶川 幹夫
ダグラス・A・アーウィン 著/長谷川 聰哲 監訳
米国通商政策史
文眞堂 2022年2月 定価 本体10,000円+税
本著は通商政策を軸として描いたダートマス大学アーウィン教授による米国の通史である。翻訳は長谷川聰哲中央大学名誉教授の監訳の下、酒井成田税関支署長らの関税・通商問題の専門家が当たっている。米国史の転換点において、独立戦争時の「ボストン茶会事件」や大恐慌時の「ホーリー・スムート関税」など、関税や通商政策が大きな役割を果たした。本著はこうした詳細な歴史の記述のみならず、政治学、経済学の知見を踏まえた各時代の分析を織り込んだ大著である。本書の魅力として以下の3点を挙げたい。
第一に、著書は米国の通商政策を「3つのR」に象徴させて三時代に区分し、米国史の大局的な理解を助けてくれる。南北戦争までは「Revenue:税収」の時代である。関税は米国の税収の大きなウエイトを占めた。輸出農産品を生産し自由貿易を支持する南部民主党と工業製品を生産し関税による産業保護を求める北部共和党との対立の時代であった。南北戦争後は、北部共和党の優位の下、高関税による「Restriction:輸入規制」の時代に入る。米国は景気拡大と製造業の発展を経験した。しかし著者は米国の成長は保護主義の結果ではなく、豊富な労働力、土地・鉱物、資本等による生産力の向上や自由な国内取引と自由競争の結果であると分析する。ニューディール政策以降オバマ政権までは「Reciprocity:互恵主義」の時代である。「ハル・ノート」で有名なハル国務長官は開放的・非差別的な互恵主義を提起した理想主義者として描かれている。国内の党派的・地域的対立が弱まった米国は第二次大戦後の自由貿易秩序を主導したが、追い上げる各国からの輸入品との競争に悩まされる。関税の機能に基づく時代区分は、米国内の産業構造や対応する政治構造の変化を反映する。
第二に、日米通商摩擦時代における米国の対日政策を理解することができる。私自身80年代の米国で学んだが、進級試験は「日本からの自動車輸入増加への対応について、補佐官になったつもりで議員への政策提言書を作成せよ。」という問題であった。経済学的な自由貿易の優位と消費者・生産者の損得、政治学的な選挙区ごとの利害を記述することが求められていた。本著はこの時代の通商政策を米国側の視点で詳細に記述している。日本が一枚岩であると思っていた米国政権内部の自由貿易論者と規制論者との対立などが描かれる。対米輸出自主規制はやがてプラザ合意へと至り、更に評者が課長補佐駆け出しのころ関わった「日米構造協議」へと記述は続く。30年が経ち、これらのできごとが既に米国史の一部となっているのは感慨深い。
第三に、今後の米国通商政策を考える上でのフレームワークを提供してくれる。日本語版への序文の中ではTariff Manことトランプ大統領による通商政策、すなわち鉄鋼関税賦課、TPP離脱、WTO軽視、対中国関税賦課等について、「はたして米国の通商政策の長期的方向に影響を与えたのだろうか」と問いかけている。多くの保護主義的施策については「画期的なものとは見なされない可能性がある」としつつも、「米国と中国の間の不和は、今後数十年にわたって世界経済の亀裂となる可能性がある」としている。本著は歴史書でありこれに対する解答はない。しかし米国通商政策は、上下院、民主党、共和党、大統領、USTRなどのプレーヤーが、その時代の産業構造や国際情勢を反映して形成されるものであることは変わらない。トランプ時代が「第4の時代」の始まりなのか、単なる徒花なのかを考えるフレームワークは、本著の中にある。
「米国通商政策史」は読み応えのある大著であり、膨大な情報と各時代の客観的分析が詰まっている。日米関係や通商・関税問題に関心のある方は、ぜひ手元に置いて欲しい。