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講師 中西  寛 氏(京都大学大学院法学研究科教授)
 
演題 ウクライナ戦争の歴史的意味について-『大きな物語』の喪失と『危機の30年』
 
令和4年8月26日(金)開催
 
 
 
1.ウクライナ戦争の現状と背景
(1)現状
最初にウクライナ戦争の現状と背景について簡単にお話いたします。2月24日にロシアのプーチン大統領が特別軍事作戦の開始について長い演説を行いました。すなわち、ロシア人勢力が独立を宣言したウクライナ東部の2州において、ロシア人に対する虐殺が行われており、救援してほしいという依頼が来ているので、特別軍事作戦を始める、というものです。ウクライナの首都キーウを目指した大規模侵攻が同時的に行われることになって、事実上の戦争となりました。
それ以降3月末まではこの戦争の第一段階と呼ばれており、首都キーウをめぐる攻防が焦点となっていたと思います。結果的にはロシアのキーウ攻略戦が失敗に終ったことは動かないところかと思います。
4月以降は攻撃の焦点を東部のドンバス地域の制圧に集中するようになっていきます。
そのあと今日に至るまで、全体としてはロシアにとって目覚ましい成果は上がらずに、徐々に戦線は膠着状態になっている、というのが今の状況であります。
先週あたりから報じられるようになってきましたが、ウクライナによる反攻あるいは攻撃が本格化しているのが現状ではないかと思います。
 
 
(2)展望
マクロの視点で考えたときのこの戦争の帰趨は、3つのシナリオのいずれかになるのではないかと思います。
1 休戦シナリオ
一番ありそうなシナリオは、ウクライナの反攻に対してロシアが態勢を立て直して戦線の膠着状態が続き、それをやっているうちに仲介者が間に入って一応の休戦ができるというというものです。
今回の場合、ロシアは当事者ですが、アメリカもヨーロッパ、NATOも当事者ではないので、当事者であるウクライナの主張を西側としては抑え込んで休戦することはできません。朝鮮戦争における北緯38度線のような明確な現状に戻る線もありませんので、例えば、ロシアとしては、クリミアは既にもう自国の一部であるとしているので、ロシアが妥協してクリミアをウクライナに返す、渡すということは政治的にものすごくコストが高いということがあります。
そういうことから言うと、両国が休戦に対するステークが高い状態にならないと休戦に至らない可能性が高いということで、今のところどういう形で休戦が実現するかが見えない状況です。
 
2 戦争拡大シナリオ
2番目のシナリオは、ロシアによる戦争のエスカレーションであります。この戦争はウクライナの背後にいる西側との戦いが本当なのだ、と言ってエスカレーションするというのが政治的には納得を得られやすい言い方ですので、そうだとすると、エスカレーションと同時に部分的にでも戦線を拡大する可能性がかなりあるだろうと思います。とりわけカリーニングラードという飛び地にロシアが回廊を設定することを一つの口実として、ポーランド、バルト三国に対して軍事攻撃をかけるということはありうると思います。
そうなると、これらの国はNATO加盟国ですから、NATO全体とロシアとのより本格的な交戦ということになりうるわけです。そのようになると、戦術核兵器の使用ということが実際に射程に入ってくる。戦術核兵器の使用、いわゆる核戦争となってくると、実際上どのように進展するのかというのは西側にも明確なシナリオはない。そういう人類の未体験ゾーンに入っていく形での戦争拡大シナリオ、これは日本を含めて世界にとって最悪のシナリオです。
 
3 プーチン体制の動揺瓦解シナリオ
3つ目のシナリオは、プーチン政権がウクライナで事実上の敗北を受け入れるというものです。そうなると、プーチン政権が無事でいることはなかなか難しく、何らかの体制の動揺、瓦解シナリオが射程に入ってくることだと思います。私の見るところでは、そのシナリオが30年くらい前の冷戦の終わりのような形で平和的に民主的ロシアに移行する可能性は極めて低いと言ってもよいかと思います。
ロシアには連邦政府が倒れた時にその後を引き継ぐような組織はありませんし、当然プーチン支持勢力以外の政治勢力は徹底的に弾圧されていますので、プーチン氏に代わった誰かが平和的に次を継承するシナリオは非常に難しいということで、ロシアの保有する核弾頭の管理をはじめとして、ロシアの体制が抱え込んでいる様々な要素の世界的な管理を含めて考えていかないといけないのです。
 
 
 
2.危機の30年を振り返る
―なぜ西側は平和を失ったのか
(1)冷戦終焉の誤認
大きく過去30年間を振り返ると、1989年に平和的に東ヨーロッパが脱共産化して、1991年におおむね平和的にソ連が解体し、冷戦が終焉することになったのですが、冷戦終焉という経験について西側に一種の誤認があった、と言えるだろうと思います。共産主義の破綻が示されて、典型的には有名なフランシス・フクヤマ氏の「歴史の終わり」という著述が世界的にも注目されました。
フクヤマ氏は「冷戦における共産主義体制の敗北は、ヘーゲルが予言したような近代的理性の最終的勝利を意味する。近代的理性を政治的、経済的、社会的に当てはめたものが自由主義というものであり、自由主義が唯一人類のイデオロギーとなったことが冷戦終結の意味なのだ」という趣旨のことを述べて、大きな論争を招いたわけです。
いまでもフクヤマ氏は活発に著述活動を行っており、政治的立場としてはネオコンから距離を置いたりして変わっているのですが、30年たっても彼はこの発想を変えていないと思います。西側全体としても根本から彼の議論を否定する議論は大きな存在にはならなかったと思います。
同時に歴史の現実を見た時に、1989年の6月に中国で起きた天安門事件は、結局中国の共産党体制を固めるという意味で歴史的には評価されています。天安門事件で鄧小平が命じて軍隊を投入して自由化を求める市民や学生を殺害したわけですが、そうした共産党・鄧小平の判断は正しかった、と全体としては総括されているのです。
すなわち、自由民主主義的な体制でなくとも、いわゆる専制体制であっても、市場経済とは共存できるのだ、ということが過去30年のひとつの教訓であります。
実践的にも理論的にも市場経済と政治体制の問題とはある程度距離があること、ニュートラルであることが分かってきたのですけれども、そういうことについて西側は十分に認識していなかったことは、冷戦が終わった時の誤認であったのではないかと思うのです。
 
 
(2)アメリカの驕り
さらにその10年くらい後にアメリカ中心の世界秩序というものが前面に出ました。1997年から2003年くらいがその絶頂期だったと思います。1997年には東アジア金融危機が起こりましたが、それに対して「アジア通貨基金」構想を日本が提案したところ、アメリカや中国の意向もあって、実現しませんでした。アメリカとしては、日本が大きな存在となることはアジア太平洋を分断する、アメリカの主導権を損なう、という認識があったのだろうと思います。
2000年前後の時期、アメリカは経済的にも軍事的にも技術的にも絶頂期でありまして、世界を主導できるという認識がアメリカ内にも世界にも存在したと思うのです。
ところが2001年に9.11事件が起きて、ブッシュ政権がテロとの戦いに精力を傾けるということになり、2001年にはアフガニスタン、2003年にはイラクで戦争を行うわけです。アメリカの軍事力は政権打倒についてはあっという間に実現して、その力を見せつけたわけですが、その後にアメリカにとって好ましいような、自由民主主義をモデルとしたような政治体制を定着させることについては完全に失敗しました。しかし、アメリカはそこにずっと資源を投入し続けて、アメリカの国力の後退、限界が見えるようになったわけです。
また、アメリカはこの6、7年の間、クリントン政権からブッシュ政権にかけてNATOの拡大を進めていきました。これについてはアメリカの中でも議論はあったのですが、基本的にはアメリカは力も価値も圧倒しているので、NATO拡大について大きな危険、リスクはないと考えていたと思われます。
さらに「民主的平和論」、すなわち民主化すれば民主国同士は戦争をしないので、最初はちょっと無理をしてでも非民主的な政権を打倒してその後に民主化すれば、長期的には安全になるのだ、という理屈をつけていろいろな形で他国の民主化を後押ししてきました。
市場経済についても2001年11月に中国と台湾をWTO(世界貿易機関)に加盟させるという決定がなされましたが、市場経済を導入していくことによって、中国に徐々にでも西側の価値を受け入れさせる、あるいは市場経済に組み込まれることによって中国は西側から離れられなくなっていく、そういう前提の下で市場経済を拡大していくことになりました。
しかし、結果的にはテロとの戦いを優先したこと、それからいわゆるアメリカ単独主義を進めたことから、西側の中でもとりわけヨーロッパ大陸国との亀裂をもたらし、アメリカの威信は低下することになりました。その後テロとの戦いでプーチン大統領とも協力関係を深めましたし、北朝鮮問題などで中国にもより大きな依存をするようになったわけで、中国やロシアをはじめとするBRICs諸国の台頭を容認する、というかむしろ後押しすることになったわけです。
 
 
(3)転機としての2007‐2008年
第一次世界大戦と第二次世界大戦との間の戦間期に関しては「危機の20年」というイギリスの歴史家E.H.カーの著作があります。「危機の20年」における転換点は1929年の世界大恐慌だったと思いますが、現在から過去に至る30年を「危機の30年」と呼ぶのであれば、その転換点を一つ挙げるなら2008年のリーマン危機だろうと思います。
その前年の2007年に転機が始まりつつあったと思うのですが、2006年10月に北朝鮮が最初の地下核実験を行いました。9月に発足したばかりの(第一次)安倍政権は北朝鮮に対して国際的な制裁を強化する方向でアメリカと足並みをそろえようとしたのですが、当時のブッシュ政権はイラクやアフガニスタンが大変だということもあって、北朝鮮との対話路線に舵を切ることになりました。その代表的な事例というのは、歴史的にすごく大きなことではないのですが、バンコ・デルタ・アジアというマカオの金融機関への対応です。
北朝鮮はここに隠し口座を持っていて、アメリカ財務省が制裁ということでこの口座の資金を抑え込んだわけです。それに対して北朝鮮が強く反発して、「この問題が解決しないと一切の対話を拒否する」との姿勢を示しました。最終的にはアメリカが譲歩して、この北朝鮮口座についてはFRBが仲介して北朝鮮に資金を戻す、という特別措置を取ることとなり、そこまでして北朝鮮との対話を再開することにしたわけです。
ちょうどこの時期、2007年末の中国の共産党大会で習近平氏が常務委員の一人に入り、次の国家主席になることが明白になっていくわけですが、この頃から中国でも新しい政治勢力が力を持ち始めたということだろうと思います。
2008年8月に北京オリンピックがありましたが、その前後に中国でチベットの騒擾問題があって国際的な論争となりました。IOCと中国は北京オリンピックを無事に開催させることを優先させましたし、結果的に北京オリンピックの開会式にはブッシュ大統領夫妻や日本の福田首相夫妻も参加する、という形で中国との協力を優先することになりました。
北京オリンピック開会式の直前にジョージアが係争地域に対して軍事攻撃をかけたことを一つの理由としてロシアが反撃をして係争地域をロシアが支配することになりました。
ここにおいて既に今日の中露の、西側とは違うスタンスが明白化していたわけです。しかし、アメリカを中心とする西側は、9月にリーマン危機が始まってG20首脳会議が発足したことが示すように、ともかく世界経済恐慌を避けることを優先しました。そのためにはBRICsを含めた新興国の政治体制とか人権などを言っているよりも、まず経済で協力する方が大事だということで、胡錦涛政権のもとでのいわゆる「4兆元政策」、すなわち大規模公共事業をやって中国の成長率を下げないという政策に西側は非常に大きく依存することとなったのです。
また2000年代に入ってずっと資源価格の高騰が問題になっていたわけですが、それに対してロシアのエネルギーを積極的に活用する、当然ながら結果的にプーチン体制を強めるということになったわけですが、経済危機を乗り越えることを優先したということであります。
そうしたツケが2010年代に出てきたということでありまして、西側秩序が2010年代にははっきり後退して、とりわけ中国とロシアが西側秩序に対する挑戦をあからさまに行うようになりました。
 
 
(4)西側秩序の後退と中露の台頭
1 アメリカ
2010年頃にはすでにアメリカのオバマ政権が「アジア・リバランス」ということを言っており、テロとの戦いには一応区切りをつけて、中国を主敵とまでは当時言いませんでしたが、軍事的にはアジアを最も重要視するという方針を打ち出しました。しかし実際にやろうとすると、中東で「アラブの春」と当時言われたような政治不安定が生じて、とりわけシリアやリビアで深刻な状況になりました。ヨーロッパにおいてもロシアの問題があって、アメリカはNATOを重視せざるを得ないということで、リバランスと言ってはいますが実際にはそれほど大きなアジアへの集中というのはできなかったと思います。その間に南シナ海での中国による人工島の拡大、浚渫工事などをアメリカが容認してしまうことになったわけです。
アメリカが国内政治の問題も含めて苦しんでいる状況が2016年にはさらに大きな形となって、ポピュリズムという形でトランプ氏が大統領に選ばれたり、イギリスがEUから離脱したりする、ということで今日に至るわけです。
 
2 中露
ロシアではプーチン氏が4年間首相をやった後に2012年にまた大統領に復帰しましたが、この頃からプーチン政権の性質はかなり強権化・イデオロギー化が明確になったと思います。彼なりの保守的な歴史観を前面に出していって、それに合わない価値観を弾圧していく。
同じ年に習近平氏も共産党大会で総書記になり、翌年には国家主席になりましたが、彼が国家主席就任後最初に訪問した国はロシアであり、プーチン大統領と会見して、プーチン大統領と習近平主席の間の個人的友情が確認されたと言えるのだろうと思います。
習近平の思想も従来の「経済を発展させることで共産党体制を保つ」という鄧小平路線から、むしろ中国の歴史を背景としたナショナリズム、中華民族の歴史的復興、中国が世界史的に本来あるべき文明のリーダーとしての地位を取り戻すことを長期目標として掲げるようになったのです。
ウクライナでは2013年から2014年にウクライナのいわゆる民主化革命であるマイダン革命とロシアのクリミア併合が起きたわけですし、中国においても南シナ海の問題、台湾の問題があったわけですが、2019年には中国とロシアが「包括的・戦略協力パートナーシップ」を提唱しました。
中ロはいわゆる軍事同盟ではない、お互いに軍事的に助ける義務を負い合う関係ではないけれど、逆にあらゆる面で協力できるところは協力していく、ということです。特に両首脳はそういう関係を実現していくことを重要政策としているということだろうと思います。
 
 
(5)コロナ・パンデミックと世界の分断
このような前提のもとに2年前にコロナ・パンデミックが始まりました。今回のウクライナ戦争の直接の背景としてコロナの世界的流行は大きな意味を持つのではないかと思います。コロナというのは強制的に経済交流を停止させる効果を持つものであり、国境措置もありましたし、社会的にも分断なりあるいはオンライン化なり、そういったものが強制されたわけです。
1 中国
中国或いはアジアにとって、今回のウクライナ戦争と同じか或いはそれ以上に大きかったのは、2020年の6月に中国の立法府のもとで行われた香港への国家安全維持法の適用です。これは一国二制度が事実上空洞化してしまう、香港の少なくとも治安安全については本土と同じにする、ということで香港の反政府・自由民主勢力を徹底的に抑圧することを可能にする枠組みを作ったということであろうと思います。
これはコロナがなければ、あれだけスムーズに実現しなかったと思われます。コロナを理由として集会の大幅な制限という活動制限を行う建前があったから実施できたと言えると思います。
この措置によって、台湾と中国の関係も決定的に変化が生じました。それまでは一国二制度は曲がりなりにも中国側が示したある種の曖昧な枠組みで、そのもとで平和的に統一していくという建前を鄧小平時代以来維持してきたわけですが、習近平政権は「まさに香港と同じようにするというのが一国二制度なのだ」ということで、治安・軍事関係については台湾の自立性というのは認めない、とし、台湾としてはとても受け入れることができないという意味で、中国と台湾の間の曖昧ゾーンというのがほぼなくなってしまったということかと思います。
 
2 アメリカ
アメリカでは2020年11月の大統領選挙でバイデン氏が勝利したわけですが、選挙の結果をめぐって年明け1月6日に議会への暴徒の乱入というアメリカの憲政史上かなり大きな事件が起きました。選挙の結果がバイデン氏による不正によるものではないことは間違いないと思いますが、しかしこの結果に大きく影響したのはコロナでした。コロナによって直接投票は無理であることから郵便投票を大幅に拡充したわけです。そしてまず間違いなく、そうした制度変更によって民主党側が大きく有利になって、普段投票に行けない人が郵便で投票できたことが結果に影響したということは否定できないところです。
それまでもアメリカの政治的分断は深刻だったのですが、今のアメリカは南北戦争以来の分断になっていて、内戦が起きても正直不思議ではないくらいの激しい対立になっています。
今の世界の状況というのは、ロシアをめぐる対立ということが非常に大きく出ているのですが、アジアにおいてもアメリカにおいてもコロナが加速させた政治的亀裂がより決定的な段階に至っており、そういう中でウクライナ戦争が起きているのだと思います。
 
 
(6)総括
過去30年間において世界経済が大きく繁栄したことは間違いないですが、30年を通じて政治的な安定の時代というのは基本的にはなかったと思います。にもかかわらず西側の経済的優位がそのまま政治的優位につながると読み替えて、当面の危機を乗り越えればより安定した時代が来るということで、金融危機であれ、テロとの戦いであれ、対応してきたわけですが、より大きな秩序構築ということには意を用いてこなかったのです。自由民主主義、市場経済、法の支配、人権というものがワンセットで正しい価値なので、これを共有しない勢力をやっつけていけば、こういう価値観の共有ゾーンが広がっていくと考えてきたのです。
こういう考え方の根底には、アメリカが主導するテクノロジーが世界を引っ張ってきたのだから、同様に政治や経済、社会、思想といったものにも当てはめることができる、つまりテクノロジーの力ですべてにおいて自由主義の価値観を共有できているという前提があるのです。
しかし、実際には今回のコロナ・パンデミックが示すように、科学やそれを応用した技術は重要なツールではあるのですが、それで実際的な問題はすべて片付くわけではいないのです。
すべてに合理的理性的な解決が可能であるとする価値観を暗黙の前提としてきた、その結果として自由主義世界における政治が空洞化してしまう、ということになったのです。
政治の世界では、合理的、客観的、理性的で、いわゆる権力闘争なしに、ある政治が行うべき行政、アウトプットが決められるのだという「権力論なき政策」と、合理性は抜きにして感情とか思想だけで論じる「政策論なき権力」とに分裂をきたしてしまっており、その大きな根源には、一元論的自由主義、つまり過剰な科学合理主義というものが逆に期待に応えられず、それに対する不満が反合理主義、反理性主義という勢力を強めてしまっている、という構造があるのではないかと思います。
 
 
 
3.「大きな物語」の喪失
―賢人の退場と技術者の時代
(1)退場する賢人
では、そのミドルグラウンドをどういうふうに扱うのか。科学や理性が万能ではないとするなら、万能ではないところをどうしたらよいのか、ということになるのですが、それについては客観的、理性的、数学的な解答はないということであろうと思います。そのことと「大きな物語の喪失」は、関係していると思うのです。
「大きな物語」というのはレトリカルな表現ですが、1990年代前半ぐらいまでは、冷戦が終わった後の世界のあり方というものを考える、そういう思考はまだ存続していたのだと思います。フクヤマ氏であったり、サミュエル・ハンチントン氏であったり、そういう人たちの議論も「大きな物語」の一つだったりするかもしれませんが、ハンチントン氏やフクヤマ氏の議論は、冷戦が終わったことに伴う「従来の政治経済ビジョンの解体に対するレスポンス」としての大きなストーリーだったと思うのですけど、むしろ冷戦やその前の第二次世界大戦、20世紀の前半までの時代を踏まえたような大きなストーリーというのは1990年代の前半ぐらいまではまだ生き残っていたと思います。
そういうことを担ったいわゆる賢人たちが1990年代中頃から退場していく、これは世界的にも日本でもそういう傾向があったと思います。
1 ジョージ・ケナン
冷戦政策の初期をつくった外交官で、それ以上にアメリカでもっとも知性的な外交評論家として尊敬されていたジョージ・ケナン氏は、すでに90歳を超える年齢でしたが、NATOの拡大について非常に強く反対して、「ロシアは決して当時の東ヨーロッパの国々に比べて民主的ではないわけではないので、そこに対してNATOを東ヨーロッパに拡大することは、ロシアの誇りを傷つけ、ロシアの民主化を大きく後退させることになるだろう」と言っていたのです。
それに対してオルブライト国務長官とか当時のクリントン政権主流の人たちは「NATOはロシアを封じ込めるものではないし、ロシアはもはやかつてのソ連のような超大国ではないので、それほど気にする必要はない。東ヨーロッパの民主化を定着させるためにNATO拡大は重要である」と言って、ケナン氏の主張は無視されたのです。
西側にとってウクライナ戦争に関するベストシナリオはプーチン大統領がいなくなることですが、では彼がいなくなったらハッピーに終わるかというと、その可能性は現実的にはほとんどないでしょう。その後世界は非常に大きなロシア問題を抱えることになるだろうと思われるのですが、それはケナン氏が懸念していたことと重なるのです。
 
2 アイゼア・バーリン
ほぼ同じ時期に亡くなったのがイギリスの政治思想家として非常に有名なアイゼア・バーリンです。彼はバルト三国出身(ラトビア)でロシア文化に非常に詳しかった人です。彼が生涯をかけて言っていたことは、「政治における価値というのは共約不能な対立を含んでいるのだ」ということです。
 
3 村上泰亮、高坂正堯
日本ではちょうど1990年代の前半に村上泰亮氏とか私の恩師である高坂正堯先生といった戦後の政治経済面で知的なリーダーであった人たちが亡くなっております。時間がありましたら、村上氏の「反古典の経済学」という非常に分厚い2巻本の本ですとか高坂先生の「高坂正堯外交評論集」といった著作を読み返していただければ、と思います。村上氏が言っている一番根本のところは、「世界がどんどん進歩していくこと」を前提としない世界となって、その中で価値分配をどうしていくか、世界には西洋文明と非西洋的文明が複数存在する(多系的文明)中で、どういうふうに秩序を構築していくのかが課題である、ということであり、今日あらためて読み返す価値がある議論だと思います。
このように1990年代の後半から21世紀にかけてはこうした大きな物語を語ることが日本だけでなく世界的にもできなくなってしまったというのは現在の特に西側の知的な問題としてあると思います。
 
 
(2)人文社会科学の技術化
ちょうどこの時期に出たのが、KKVと我々社会科学者が呼んでいるコヘイン、キング、ヴァーバという3人の著作「社会科学のリサーチ・デザイン」です。この本は、社会科学をいかに自然科学化するか、ということについて現代の統計手法を用いていろいろなリサーチの仕方をコーチングする方針を示した著作です。これは私の属する政治学の分野を含めて社会科学のあらゆる分野で大きな影響を持っております。
日本でも今日でもよく言われますEvidence-Based Policy Making(EBPM)が1990年代後半から最初にイギリスで提唱されるようになり、アメリカやオーストラリアでも導入されていくようになります。これは自然科学、とりわけ統計データを用いて、発達したコンピュータでエクセルなどの統計ソフトを使えば簡単に統計処理ができるようになったことが背景にあるかと思いますが、これも科学を政治にどの程度使うのか、ということを十分に吟味せずに、この議論だけが先行してしまったことが西側にとっても大きな問題だったと思います。EBPMには、その基になったEBM(Evidence-Based Medicine)というものがあり、これは医学の世界から来たのですが、当時特にガン治療などで多数の患者に対してどういう治療を行えば最も効果が上がるのかについて統計的な処理ができるようになったことが認識されるようになり、いわゆる標準治療という考え方ができてきたことを背景に、行政についても同じようなやり方でやりましょう、ということがこのEBPMの提唱だったわけです。
しかし、政治の重要な要素、それが政策に直接反映することもありうるわけですが、そこにはEvidenceの問題ではない、価値対立をどうするかという問題が当然ながらあるわけです。
こうした問題ではEvidence-Basedな解決はあり得ないわけで、これについて何らかの判断を行うのが政治の役割であり、反対派も含めて説得をしてコンセンサスを作り出すというのが本来あるべき政治の姿であるわけです。優先すべき価値が違うわけだから、完全な一致というのはあり得ないかもしれませんが、その中でどうバランスをとるかが本来の政治であって、そのために「大きな物語」というものがやはり必要であるのです。そういうものを抜きにして、「客観的合理的にやれば、理性的な人間は説得される」というモデルでは、政治は機能しないことが今日分かってきたことではないかと思います。
 
 
(3)日本の課題
最後に日本の課題について一言だけ申し上げます。我々はこれからの世界の「始まり」に立っているのではないかと思います。その一つの大きな特徴はインド太平洋世界が人類の中心になりつつあるということです。このエリアがかつての大西洋世界に代わって、世界の中心になりつつあります。
それと政治、経済、社会、文化の仕組みが20世紀から21世へと変化をしていく、すでにその変化は進んでいるわけですが、今回のウクライナ戦争やコロナの経験を経て本格的な変化を認識する時代になっていくということです。
これからはグローバルな協調と言いますか、全体的な変化がより重要であり、それは技術と人間との関係というのが大きな課題になると思います。
ポストヒューマンであるとかトランス・ヒューマンと呼ばれるもの、人間が自然環境をどの程度制御して、また人類の活動を制限することで自然環境を維持するのかということを人間自身が意思決定していかないといけない、ということだろうと思います。
日本は今いろいろな意味で苦しくなっていますので、根本的に基本から見直す、という意味での「大きな物語」を考え直すべき時代だと思います。
とりわけ政治行政、あるいは学問もそうかもしれませんが、日本の中に依然として残っている「明治以来の日本は成功した、戦後日本ももう一回成功している、そういうものをまた取り戻したい」という認識からいかに脱却できるか、ということだと思います。
現代世界はアメリカであれ、西洋であれ、人類の中のひとつの文明であることがますます明らかになってきていて、それに代わるような優越した文明があるというよりも、複数の文明が人類的なテクノロジーや自然との関係の課題に取り組むという状況になっていますので、そういう状況を客観視して、外国の状況を学ぶべきところは学ぶし、日本自身が考えるべきところは考える、という姿勢が必要ではないかと思います。
ご清聴ありがとうございました。(以上)
 
 
 
講師略歴
中西  寛(なかにし  ひろし)
京都大学大学院法学研究科教授
1962年大阪府生まれ。京都大学法学部卒、京都大学大学院法学研究科、シカゴ大学歴史学部大学院を経て1991年京都大学法学部助教授、2002年から京都大学大学院法学研究科教授。2016-18年京都大学公共政策大学院長。法学修士。その間、主な学外委員として、「安全保障の法的基盤に関する懇談会」委員(2006-07年、2013-14年)、日本国際政治学会理事長(2014-16年)などを務める。
主要著作『国際政治とは何か-地球社会における人間と秩序』(中公新書)は第4回読売吉野作造賞を受賞。