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ファイナンスライブラリー

評者 みずほリサーチ&テクノロジーズ理事長 中尾  武彦
 
寺澤  辰麿 著
コロンビア共和国憲政史
風行社 2022年9月 定価 本体4,000円+税
 
 
財務省OBの寺澤辰麿氏が、重厚なコロンビアの憲政史を上梓した。同氏は、関税局長、理財局長、国税庁長官を歴任したあと、2007年から2010年までコロンビア大使を務め、さらに横浜銀行で頭取として経営に当たったが、これまでも忙しい仕事の合間を縫って『ビオレンシアの社会経済史』(アジア経済研究所、2011年)、『コロンビアの素顔』(かまくら春秋社、2016年)を出版している。コロンビアへの深い愛情と理解がなければできないことだと思う。
ほとんどの日本人にとって、コロンビアは遠い国であり、知っていることと言えば、有名なコーヒーの産地であること、石油が重要な資源であること、1980年代には最高裁判所も襲撃されることになった長く続いた左派ゲリラとの内戦(2016年に和平合意)ぐらいだろう。歴史に少し詳しい人であれば、かつて金を多く産出し、エルドラドと呼ばれたこと、シモン・ボリバルの活躍でスペインとの戦いに勝ち、19世紀前半に現在のエクアドルやベネズエラも含むグラン・コロンビア共和国を建国していたことも覚えているかもしれない。
しかし、コロンビアがラテンアメリカのなかでは、ポピュリズム的な経済政策でハイパーインフレに陥ったことがなく、政治的な不安定性が続いた環境においても一定の成長を享受してきたことや、長い民主主義と法治の伝統を持つことを知る人はあまりいない。寺澤氏の『コロンビア共和国憲政史』は、コロンビアの政治体制がどう変遷したのか、憲法はいつ制定され、どのように改正されてきたのか、その特徴はどこにあり、コロンビアの社会と経済にどのような影響を及ぼしてきたのかを丹念に解き明かしている。
コロンビアがスペインに対して独立を宣言したのは1810年であり、1776年の米国の独立宣言やフランス革命の影響を受けて、国民が主権を謳う先進的なものとなっている。当初は各県の連合体であったが、ボリバルによる解放戦争を経てグラン・コロンビア共和国としての最初の憲法が制定されたのは1821年であり、主権在民や市民の自由の原則も織り込まれた。同じ年には、奴隷の母親から生まれた子でも、一定年齢に達したあとに自由にするという奴隷の一部解放令も出されている。リンカーン大統領の奴隷解放に先立つこと半世紀も前だ(1852年には奴隷制度全面廃止)。
その後、コロンビアでは頻繁に憲法改正がなされた。寺澤氏によれば、150年以上にわたる二大政党制の下で、政権交代のたびに、政党綱領に沿って、中央集権か地方分権か、宗教の自由をどこまで認めるか、基本的人権の範囲などを含め、党派性の強い改正が繰り返された。そのたびに既存の利害関係の転換が生じ、大きな混乱を招くことになった。憲法制定議会を開催し、抜本的改正が行われたのは1991年のことだ。
寺澤氏は、我が国でも憲法改正が議論になっているなかで、どのような点を参考として考慮すべきかをまとめている。第1に、日本ではこれまで憲法の解釈変更が続いたことにより憲法の最高法規性の価値と実効性が低下しているとして、憲政の根幹にかかわる問題については、憲法改正により適切に対応することが基本だとしている。第2に、コロンビアの1991年憲法の制定過程において、国内のNGOや大学が書面により憲法改正案を提出したように、国民が民主的な参画意識を持てる手続きが必要だと指摘している。第3に、1991年憲法では憲法裁判所が創設され、具体的な訴訟の存在を必要とせずに、合憲性を抽象的に判断することができるようになったことを挙げている。日本での現在のアメリカ型の通常裁判所による憲法審査は、行政権の憲法解釈について十分なチェック機能を果たしていないとの理解に立っている。
米国や欧州の政治体制ばかりが参照されがちななか、長い固有の憲政をはぐくんできたコロンビアの経験は、1889年公布の明治憲法以来、やはり独自の発展を遂げてきた我が国の民主主義と憲法のあり方に大きな示唆を与えている。