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講師 吉川 洋 氏(財務総合政策研究所名誉所長 東京大学名誉教授)

演題 経済学の歴史と経済政策

令和4年6月8日(水)開催


はじめに
ご紹介いただきました吉川でございます。
本日は「経済学の歴史と経済政策」というタイトルで、私が専門としておりますマクロ経済学の歴史をざっくり300年くらい振り返ってみたいと思います。特にマクロとミクロということについてお話しいたします。
本日何度も言及することになるケインズ(J. M. Keynes)の「一般理論」(「雇用・利子及び貨幣の一般理論」)を読みますと、その最後には、実際の経済の運営についての議論をするうえで一番危険なのは経済理論だ、という趣旨のことが書いてあります。いろいろな主張が対立している時に、やはり人間はどこか正しい主張をしていると、自分の主張には根拠があると思う、あるいは思いたいわけです。それは煎じ詰めればある種の経済理論ということになります。
近代の経済学の歴史は300年ですが、西洋では古く遡ると、アリストテレスに行き着きますし、中世のトマス・アキナスも様々な言説を唱えています。では東洋の方はどうかというと、中国を見ますと、孔子は経済には冷たいのですが、孔子の孫の世代の孟子になると、同じ名前の「孟子」という書物には経済の話がたくさん出てきて、格差の問題とか、今日でいう社会保障の整備という話も出てきます。以後、中国の儒教を柱とする思想の中では、経済というのは非常に大きな役割を果たしているのです。
中国では歴代王朝の正史は、ほぼすべて「食貨志」という経済史を含んでおります。ここに財政のあり方、税のあり方、そうしたことも書かれていて、歴代王朝が経済に関してどういう策を講じてきたのか、ということがわかります。これを担っていた官僚は、概ね儒家といわれる人たちです。
わが日本ですと、江戸時代、儒教特に朱子学が正統とされ、260年間いわゆる儒者というのは、今の言葉ですとエコノミストでありました。経済というのは「経世済民」のことで、「経世家」と言われるエコノミスト、歴代の儒家は新井白石をはじめ何らかの経済論議をしていたのです。
いずれにしても孔子の時には経済にやや冷たかった儒教ですが、東洋・中国・日本の歴史の中でも経済に関する議論は長く行われてきました。


1.原初、経済学はマクロだった!
原初、経済学は当然のことながらマクロでした。一国経済全体の様々な問題を対象にしておりました。西洋で経済学という学問の担い手となった国は、やはりイギリスとフランスということになります。イギリスではヘンリー八世、エリザベス一世といったチューダー王朝の時期に重商主義というものがあり、フランスでは18世紀にフランシス・ケネー(F. Quesnay)という人の重農主義というものがあります。
18世紀の終わりから19世紀の初めにいわゆる産業革命を経て、経済が資本主義に移る頃、イギリスでスミス(A. Smith)、マルサス(T. R. Malthus)、リカード(D. Ricardo)により古典派経済学が確立されたことは皆さまよくご存じのとおりです。
最初に指摘したいことは、誕生したころの経済学は、きわめてinterdisciplinary(学際的)な学問、特に自然科学の影響を強く受けたということであります。ウィリアム・ハーベー(W. Harvey)というイギリスの外科医が人体解剖をして、今日のいわゆる循環器系、血液循環のメカニズムを1628年に解明しました。これがヨーロッパの知的世界に与えた影響は極めて大きいものでした。これを受けて、17世紀にイギリスではウィリアム・ぺティ(W. Petty)、フランスではケネーという代表的な経済学者が登場します。
ぺティはオックスフォード大学の解剖学の初代教授であり、ケネーも宮廷の外科医でありました。彼らは自分の専門である血液の循環ということから、経済の流れも同じように捉えることができるはずだ、ということで分析を行ったのです。経済学はこのようにして誕生しました。


2.19世紀末の「限界革命」
(1)「限界革命」の担い手たち
19世紀の終わりに新古典派経済学が確立されました。その間に「限界革命」と呼ばれるものがありました。経済学の歴史の本を見ると、この「限界革命」の担い手は3人ないし4人、場所で言えば3カ所でありました。
一人目はフランス人のワルラス(L. Walras)です。スイスのローザンヌ大学で教えた人です。
二人目はケンブリッジ大学のアルフレッド・マーシャル(A. Marshall)です。ケインズやピグー(A. C. Pigou)の先生です。
三人目はウィーン大学のカール・メンガー(C. Menger)です。そのほかにイギリス人のジェボンズ(W. S. Jevons)を限界革命の担い手と考える場合もあります。
場所としてはイギリス、フランス、オーストリアということになります。でもワルラス、マーシャル、メンガーの三人の経済学は全然違うのです。
確かに「限界革命」と呼ばれるようなmarginal(限界)というコンセプトを強調して分析の中心に据えたという点では共通ですが、経済学をどういうふうに考えるかという点では三人は全然違いました。
ワルラスは「一般均衡理論」を作り上げました。我々の財やサービスがn個あるとして、その需要と供給をn(正確に言うとn-1ですが)の価格が上下に調整することで需給が等しくなる、つまり価格が手旗信号のようにすべての財やサービスの需給を均衡させて、経済全体の均衡をもたらす、これが一般均衡理論の考え方であり、それを数式の連立方程式の体系として表現し、それに解がある、ということなのです。
第二次世界大戦後、アロー(K. J. Arrow)やドブルー(G. Debreu)がやった数理経済学とは何か。ワルラスは方程式の数と未知数の数を数えて、それが一致しているからいいだろう、という話だったのですが、考えてみればわかるように、我々が中学の時に習う二次方程式でも解が複素根になることがあります。でも価格は正の実数でなければならず、負の数や複素数では困るのです。
アローやドブルーがやったことは、正の実数解が存在することを証明したということです。それがどのくらい重要な意味合いを持つかについては、経済学者はそこに使われた数学の難しさなどから、「これこそ戦後経済学の最大のachievement(業績)のひとつだ」と言いたがるのですが、ヒックス(J. R. Hicks)などイギリスの経済学者たちは冷めた目で見ており、もしケインズが生きていたとしたら、彼は一笑に付していたでしょう。

(2)理性重視のフランスとワルラス
フランスは特有の、デカルト(R. Descartes)発とでも言うべきある種の知的な世界を持っております。何から何まで理性でやらなければならない、目で見たことは信じるな、というのがデカルトです。デカルトは言います、「もし目に見えることを信じるというなら、次のことを考えよ。水の中に一本の杭が立っていたとする。目にはそこに曲がった杭が立っているように見える。目に見えるものを信じるなら、水の中に曲がった杭が立っていることになる。しかし、光の屈折ということを知っている人間は、理性でろ過して、目には曲がって見えても、水の中に立っているのはまっすぐの杭であることを正しく認識できる。」と。これがデカルトのやり方です。
そのような理性を、私たちは具体的にどのような方法で使うのか。その手本となる学問が数学である、というのがデカルトの考えです。やや誇張していえば、その考えは現在のフランスにいまだに残っていると言えるかもしれません。およそ学問の中で最も規範となるべき学問は数学である、と。
数学を現実に応用したものとして物理学があります。ラグランジュ(Joseph-Lois Lagrange)とかラプラス(Pierre-Simon Laplace)といった人たちの19世紀初頭における活躍があって、やがて同じ世紀の終わりにワルラスが登場します。
ワルラスは、経済学という学問をぜひともデカルトやラグランジュ等々によってうち立てられた学問の伝統の中で、respectableな(立派な)学問にしたい、と書き残しております。そういう情熱をもって彼は一般均衡理論を構築したのです。

(3)マーシャルは部分均衡を分析
イギリス人マーシャルは全然違います。みなさんご存じの需要と供給の図があります。リンゴの数量を横軸に、リンゴの価格を縦軸に、右下がりの需要曲線と右上がりの供給曲線が描かれ、交点で均衡する数量と価格が決まる。これはマーシャルがやったことです。部分均衡分析ということがよく言われますが、リンゴだけを考えるのです。マーシャルは繰り返し、「リンゴだけ取り出して考えるときにはこういう手法も許されるであろう。」と言っております。
マーシャルは1つの財やサービスを取り上げました。その需要供給が価格の関数として表現できることにはそれなりの意味があるだろう、しかしまさかそれを経済全体に当てはめることは考えられない、という立場なのです。
ではマーシャルのマクロの経済というのはどんな感じになるのか。その雰囲気だけ少しお伝えすると、彼は19世紀の終わりに活躍した人ですが、イギリスの経済が新興のドイツやアメリカに比べてずいぶん追い付かれ、ひょっとすると追い抜かれているかもしれない、という危機感を持ちました。そこで彼はいろいろなことを議論しております。起業家精神の衰退などにも言及しています。
マーシャルのマクロ経済に対する議論というのはそういったものなのです。価格の関数として需要と供給を表す、という話はどこにも出てこないのです。

(4)戦後の経済学のフレームワーク:
ワルラスの一般均衡理論
ですから、ワルラスの一般均衡理論というのは、フランス特有の知的風土の場から19世紀末にワルラスによって生み出された一つの経済学のやり方ですが、結論を先取りして申し上げれば、これこそが第二次世界大戦後、経済学の中心がアメリカに移ってから現在に至るまで経済学のプロフェッションが引き継いできた基本的なフレームワークだった、と申し上げてよいかと思います。


3.市場経済の「不都合な真実」
ワルラスの一般均衡理論あるいは一般に新古典派の経済学というは、ある種、予定調和的なのです。価格がフレキシブルに動いてくれれば、需要と供給が一致するような均衡、ワルラス的にいうと一般均衡が達成されると考えるのです。
ところが、市場経済にはいわゆる「不都合な真実」というものも存在ます。同時代的に多くの人、特に皆さんのような実務家や政府が議論して大騒ぎする現象、すなわち不況、恐慌、それに伴う失業、場合によっては金融危機など、それらはまさにマクロの現象であり、マクロ経済学のテーマである、と19世紀以来考えられてきました。


4.マクロ経済学の誕生
今日我々がマクロ経済学と呼んでいる一つのdiscipline(学問分野)、つまり一国経済の、私流にいうなら「不都合な真実」を、いろいろ議論する分野というのは以下の大きく三つの流れの中で誕生してきたと考えられております。
(1)GDP等マクロの統計整備(19世紀末~)
一つ目の流れは経済全体をマクロで見よう、というattitude(態度)です。それは決して19世紀の終わりとか20世紀初めに生まれたわけではなく、先ほど紹介したペティなどもそういうことをやりました。ペティは王様から、今流に言うなら、新たにイングランドの領土となったアイルランドのGDPを推計せよ、という命令を受けて、あれやこれやとやっているわけです。まさにマクロの統計を作ろうという話です。
19世紀末から主としてイギリスで今の言葉でいうGDPの推計のようなものが始まりました。
19世紀終わりのイギリス経済は新興のアメリカやドイツに追い付かれつつあるという同時代的認識を持っていたのですが、それをきっちりと押さえる統計がなかった。経済全体の大きさはどうなっているのか? 端的にイギリス経済はアメリカやドイツと比べてどうなのか? この問題意識を実務的に一番持ったのはイギリスの大蔵省です。大蔵省には優れたエコノミストがたくさんおり、その中で例えばロバート・ギッフェン(R. Giffen)のような人たちがコツコツと統計を作り始ました。
最終的には、第二次世界大戦勃発と同時にケインズが大学から二人の弟子を連れて大蔵省に移り、戦時経済をコントロールするために今日の国民経済計算とかGDP統計をしっかり作り上げることをやりました。ケインズが大蔵省に連れて行った二人の有能な弟子であるジェイムズ・ミード(J. E. Meade)とリチャード・ストーン(J. R. N. Stone)は、ともに後にノーベル経済学賞を受賞することになります。特にストーンはマクロ統計の整備者として国連を中心に改定を主導し、今日でも国連は国民経済計算の国際的なコーディネーターになっています。

(2)景気循環の実証研究
2つ目の流れは景気循環の実証研究です。景気循環というのは19世紀からすでに誰もが否定できない、目に見えるものであり、特に不況は「不都合な真実」であったわけですが、大学の経済学というのは、どちらかと言うと「限界革命」以来、ミクロ経済学寄りになって「パレート最適」といった話になっていたわけで、いきおい景気循環についての研究は実務家が担うことになりました。ジュグラー(J. C. Juglar)のような人が「ジュグラーサイクル」という景気循環の一つの形態で名を残しております。
(3)ケインズの「一般理論」出版 1936年
3つ目の流れは1936年に出版されたケインズの「一般理論」です。これが今日のマクロ経済学の出発点となったのです。
ちなみにケインズの「一般理論」は1936年2月に刊行されましたが、昭和17年(1942年)に当時の大蔵省が「一般理論」を全訳しております。理財局の調査月報に、抄訳ではなく全訳が掲載されております。旧大蔵省時代からこうした経済学の動向に対して、しっかり学ばなければいけないという姿勢を持っていたということで、私はこれは良き伝統として今後も財務省に続けていただきたいと思います。
ケインズの「一般理論」はご存じの通り、資本主義経済の「不都合な真実」をいろいろ扱うわけであります。一方で新古典派の経済学は「資本主義経済というのはうまくいく」と考えるのです。


5.サミュエルソン「新古典派総合」
第二次世界大戦終了後、学問の中心がヨーロッパからアメリカに移りました。そのアメリカではMIT(マサチューセッツ工科大学)の教授であるサミュエルソン(P. A. Samuelson)が登場します。経済学の世界で、戦後最も著名な学者だと言っていいかと思いますが、彼は1960年代に「新古典派総合」を唱えました。これはある意味とても分かりやすくて、経済学は「二刀流」である、すなわちミクロ経済学は新古典派経済学、マクロ経済学はケインズ経済学、ということです。
サミュエルソンは次のように言っております。「資本主義経済は時として深刻な不況に陥る。失業率が高くなる。そこで活躍するのがケインズ経済学である。ケインズ経済学の教える通りに財政金融政策を適切に使い、できるだけ早く完全雇用の状態に経済を持っていきなさい。完全雇用の状態では資源の有効配分、efficiency(効率)も非常に大事なことで、そこではいわゆる限界原理が活躍する。Efficiencyに関していろいろなことを教える新古典派のミクロ経済学を使わなければいけない。」
こういうことで皆納得していたのです。私が学生だった頃は、そういう時代の終わりの頃でした。


6.マクロ経済学のミクロ経済化
しかし1970年代からどんどんマクロ経済学のミクロ経済学化が進んでいきました。それはどういうことかというと、「ケインズ経済学というのはよくわからない。」というところから始まります。
ワルラスの一般均衡理論の立場からすると、「ケインズ経済学は何を言っているのかよくわからない。ケインズ経済学にはミクロ的基礎付けがないのではないか?」という話になるのです。
右下がりである「市場の需要曲線」と違い、個々の企業が直面する「個別需要曲線」(individual demand curve)は、一般均衡理論の中でも一番標準的な、いわゆる完全競争(企業でも家計でも価格だけを所与として行動し、効用・利潤を最大化する)の場合、水平です。これは何を言っているかというと、マーケットで与えられている価格でいくらでも売れるということです。
でもいくらでも売れるというなら、売り手はいくらでも作りますよね。それを止める論理は「限界費用が逓増していく」というものです。それである時点で生産を止めるのです。それ以上作ったら採算割れするから、企業は生産しなくなるというのが新古典派の完全競争の下での均衡です。
一方でケインズ経済学の立場からすると、「そういう場合もあるかもしれないが、一般的ではないのではないか? 売れるというなら、企業はいくらでも売りたいのではないか? 売りたくても売れないから生産しないのだ」と反論します。「売りたくても売れない」ということは、経済学の言葉では完全競争ではないということ、不完全競争の世界ということなのです。


7.新古典派的マクロ経済学
ケインズの経済学とワルラスの一般均衡理論は違った土俵です。違った土俵でどこがどのように違うのか、ということを学問の世界で60年間理論闘争をやってきたのです。
そのようなことをいろいろやっている間に、アメリカの経済学界で最も力を持ったのは、シカゴ大学でした。ミルトン・フリードマン(M. Friedman)、ロバート・ルーカス(R. E. Lucas, Jr.)など、シカゴ大学を中心とする、日本ではやや不正確に「市場原理主義」といわれる人たちです。要するに資本主義経済というのは、自由放任にしておけばそれでいいのだ、と考える人たちです。
それでルーカスその他の人たちが「合理的期待理論」その他いろいろなものを持ち出して、あらゆることをやってきたわけです。
ではどんなミクロ的基礎付け、数学的なモデルができたのか、ということですが、要は企業にしても家計にしても代表的な企業、家計を措定してその行動を詳しく調べて、それを相似拡大してマクロ経済の姿をとらえる、わかりやすく言えばそのようなことをやったわけです。


8.ミクロとマクロの関係
私は、それはダメだと考えております。「合理的期待」もそうですが、ほとんどすべての経済モデルというのは、イメージ的にいうと、ミクロの家計や企業はマクロ経済の中にあって、制約条件として「マクロ」を全員がシェアしている、というものです。
それに対して、私が思う正しい状況というのは、すべてのミクロの主体は、マクロの中でさらに小さな「小宇宙」(Micro Universes)に入り込んでいて、この「小宇宙」のもとで最適化を図るのです。その積み上げとして、結果として、日本経済というマクロができ上っているのですが、経済モデルの中で誰一人として日本経済全体を制約条件には入れていないのです。現実の経済では個人も企業もGDPを制約条件にして最適化しているところはないのです。
日銀の当座預金については、金融市場の人たちはそれに注目するでしょうが、ほとんどの企業経営者は日銀の当座預金を正確に言える人はいないのです。まして家計では日銀当座預金なんて聞いたことがある人はほとんどいないと思います。ですから日銀当座預金をそのまま積み上げてマネタリーベースを増やせばインフレになるというのは、企業や家計がはじめから知らないことに関することなので、「期待」に影響するなどありえないのです。
私はマクロの変数が一つも制約条件に入っていないとは言いません。消費税はほとんどすべての消費者の制約条件に入っていると考えられます。だから皆それに注目するし、いわゆる駆け込み需要はあるのです。
別の言い方をするなら、今のほとんどの数学的な経済モデルというのは、日銀当座預金と消費税の間の区別はないのです。すべての合理的な消費者や企業がそうしたものを制約条件として見ている、と考えるのです。でも私はそれは全然違うと思いますし、そういうモデルはほとんど意味がない、と思っております。


9.ミクロの論理
ミクロの企業や家計が最適化、optimizeするというのは、定義によって「うまくいく」ということです。「うまくいく」という論理を積み上げて、それによってマクロの問題、「不都合な真実」、うまくいっていない問題を説明するというのは、はじめから無理筋なのです。
ヴォルテール(Voltaire、フランス人で18世紀の啓蒙思想を代表する人物)が書いた「カンディード」という小説があります。これは大したものだと思います。この世の中が現実にはどれだけ滅茶苦茶にできているかが描かれており、それでも「うまくいっている」と言い続けるのがドクターパングロスという人物です。彼は主人公と一緒にいろいろ旅をするのですが、例えばリスボンに行くと大地震に遭遇する。主人公が「こんなひどい目に遭っているじゃないか」と言うと、ドクターパングロスは、「いやいや、今はひどいように見えるけど、これこれこういうことで、世の中をよくする最適化に向けての途上なのです。」と屁理屈を言うのです。そうした積み上げの笑える内容の本ですが、まさに新古典派の経済学は「カンディード」の中のドクターパングロスの経済学だということができると思います。


10.マクロ固有の方法論:
統計物理学
マクロの事象をいろいろ説明するときに、ミクロの行動を詳しく追ってもダメなのです。以前、東大に大変有名な、統計力学を専門とする久保亮吾という方がおられましたが、その先生が次のような趣旨のことを書いておられます。「統計力学の考え方は、マクロを見るためには、ミクロを追ってもダメであり、purposefulに(意図的に)ミクロの詳細を大胆に無視することである。」
私は経済学でもこれが正しいと思っております。
関数を最大最小にするときに微分法を使うことはご存じかと思います。何か動学的に変わっていくもの、それに関するある種の最適化、最大最小の手法が変分法と呼ばれるものです。
変分法では、定積分の中に入れる被積分関数を取り換えて最大最小を求めます。経済学では消費者や企業について変分法を使って分析しますが、物理学が対象とする無機的な物質を対象にするような統計物理の方法というのは、複雑な経済には当てはまらないだろう、と多くの経済学者は考えています。しかしそれは初歩的な誤解であります。実は無機的な物質の物理的な動きというのは変分法の解になっているのです。
先ほどデカルトの話で例に挙げましたが、光が水面に入ると光は屈折します。あれはある種の変分問題の解になるように光が屈折しているのです。それが変分原理とよばれるもので、これは古く18世紀に物理学者たちが発見して、当時の物理学者は「これこそが神の偉大さを示すもの」、つまり神様たちは最大最小問題を解いている、と考えたのです。
ですから変分問題の解になっているという点では人間も無機的な物質もon par(同じ)だということなのです。
ポイントはたくさんのものが集まったときの集合体で、どれだけ不都合なことが生じるか、です。人間が関わるようなものでもいくつかの例を簡単に挙げることができます。車の渋滞とか、サッカー場での将棋倒し、等が容易に考えられます。


11.金融政策の有効性
これまで挙げてきたような経済学の理論は、現実の経済とどのように関係しているのでしょうか。
例として金融政策を取り上げてみます。金融政策はいわゆるゼロ金利状態に日本、それからアメリカ、ヨーロッパも陥ったわけですが、そこでどういう政策がありうるでしょうか。結論的に言えば、金融政策の有効性というのは、かなり限られてきたというのが我々の経験ではないでしょうか。
しかしながらそうした状態でも、「『期待』に働きかける金融政策は有効だ」というモデルがいくつも作られました。しかし私は、そうしたモデルにはほとんどミクロ的な基礎付けはないと考えております。その理由は先ほどお話ししたとおりです。つまり「ミクロ的基礎付けは与えた」と主張するモデルは、わかりやすく言えば「消費者と日銀が向かい合っている、消費者は日銀の行動をすべて理解して見ている」と考えるのです。
将来という概念があって、将来においては貨幣数量説が成り立っており、そのことを消費者は理解している、だから今貨幣をたくさん出すと、今の物価にはすぐには影響は与えられないけれど、そのことは将来の貨幣が増えるというメッセージになり、将来貨幣が増えれば、将来の価格が上がる、皆がそれを信じるから、今の価格が上がる、というのが最近経済学で言われているロジックですが、これが「期待」に働きかけるというものです。
しかし、多くの物価、特に消費者物価はそういうようには決められていないと私は思います。むしろ昔から土臭く言われてきた「物価は川上から川下にだんだん流れていく」ものであり、そこでは資産価格と違い「期待」の役割はそんなにはない。
私の考えでは、現在の経済学では「期待」、expectationがあまりにも言われ過ぎていると思うのです。誤解ないように申し上げておきますが、金融市場では「期待」がすべてです。金融市場はその点で特殊であり、金融以外の実体経済で「期待」など、そもそも交渉材料になりえないのです。例えば野球の選手が今シーズン怪我をしたとします。来シーズンの年俸を球団と交渉する際、「今シーズンは怪我のため活躍できなかったが、来期は打率3割5分になるはずだ、という期待を自分は持っている」と言っても、これは交渉の材料にはなりません。
およそ人間が交渉するときには、現在を含めた過去のファクトが確定していれば、ファクトは共有できる、あるいは共有されなければならない。しかし将来の期待についてはそれを同意、共有する根拠はないのです。
今の経済学では実体的な経済の議論でも、金融市場と同じように「期待、期待」ということが、おそらくルーカスの「合理的期待」あたりから、非常に強まってきているわけですが、私はそれはおかしいと思っております。
最近バーナンキ(B. Bernanke、元FRB〈米連邦準備制度理事会〉議長)が講演で、いろいろなunconventional monetary policy(非伝統的な金融政策)をやってきたけれど、これは非常に重要で、基本的にうまくいった、という趣旨の自画自賛の発言をしていましたが、私はどこがうまくいったのか、という感じがいたします。
もともとFRBにはアメリカのマクロ経済学で重装備されたスタッフがたくさんいます。2%の物価上昇目標(これ自体問題だと私は思っておりますが)、これを一時期オーバーシュートしていくのが正しい、しかし最後は2%に上から漸近していくから大丈夫だ、昨年CPIが5%くらいに上昇した時でも、お任せあれ、という感じだったのですが、はっきり言って、FRBの金融政策は大失敗だったということではないでしょうか。
2%の物価目標よりは、グリーンスパン(A. Greenspan、元FRB議長、バーナンキの前任者)、かつてはマエストロとまで言われ、マエストロではなかったことはその後残念ながら2008年(リーマンショック)に明らかになってしまったのですが、彼が1996年に「そこそこ物価が安定していて、みんながあまり意識しなくなったということが物価の安定ということであり、中央銀行はそういう状況をもたらせば合格ということだろう」と言っていました。2%という数字で右往左往するよりははるかにmake senseな(道理にかなう)物価目標だと思います。
最後にケインズの言葉を紹介したいと思います。ケインズの先生であるマーシャルが1924年に亡くなった時のobituary(追悼記事)の中でケインズはこう言っております。「経済学という学問をやるためには特別に優れた才能、例えば数学といったようなものは必要としない。にもかかわらず、優れた経済学者というものはほとんどいない。ある種のパラドックスである。何でそうなるかというと、economist、master economistというのはいくつかのgifts(才能)のcombination(組み合わせ)を持っていなければいけない。それはどういうものかというと、抽象的なsymbol、これは数式という感じでしょうか、それを理解しなければいけないけれども一方で、それを言葉で表現できなければいけない。個別なことを一般的なperspective(視点)から議論できなければいけない。抽象的なことと具体的なことを両方とも併せ持って考えなければいけない。現在について考えるわけだけれども、過去をふまえそして未来のためにそれをやらなければいけない。彼が関心を持たなくてもいいような制度とかそういうものはない。逆にすべてのことに関心をもっていなければいけない。He must be purposefulと同時に公平でなければいけない。
彼はaloof、超然としていなくてはいけないが、一方では芸術家のようでなければいけない。しかし時々は、政治家のようなこともできないといけない。これをすべて持っている人間はあまりいない。だから優れたeconomistはほとんどいない。自分の先生であったマーシャルはそういう人であった。」という内容です。
ケインズが言っているこうした資質というのは、政策を担う実務家である皆様方に期待される資質でもあると思います。
ご清聴ありがとうございました。
(以上)


講師略歴
吉川 洋(よしかわ ひろし)
財務総合政策研究所名誉所長・東京大学名誉教授
1951年生まれ、東京都出身。1974年に東京大学経済学部を卒業後、1978年にはエール大学大学院経済学部博士課程修了(Ph. D.)。その後、ニューヨーク州立大学経済学部助教授、大阪大学社会経済研究所助教授、東京大学大学院経済学研究科教授などを歴任し、2016年から東京大学名誉教授。その間、内閣府景気動向指数研究会座長(1999年-)、財務省財政制度審議会会長(2010年-2017年)、財務省財務総合研究所名誉所長(2017年-)などを務める。経済学の研究、教育、社会への普及等の功績から多くの学術賞を受賞。2010年には紫綬褒章を受章。