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「万葉歌めぐりの旅」の考案と万葉集の全翻訳

翻訳家・詩人 ピーター・J・マクミラン


日本全国には、万葉集の歌が刻まれている万葉歌碑だけでも、2,300基ほどの歌碑が存在する。その歌碑は、景勝地や神社仏閣をはじめ、全国各地に数多く点在している。万葉歌碑は、1基1基としても、約2,300基全体としても、重要な観光資源として役に立つ可能性を秘めており、各地の万葉歌碑を目的地として、万葉集を巡る旅をすることによって、観光客は万葉集の世界の虜になるはずだ。しかし、残念ながら、万葉歌碑はこのように豊かな可能性を秘めながらも、今のままでは観光資源として活用することができない。というのも、歌碑の歌は崩し字で刻まれているため、日本人でさえほとんど判読不可能であり、歌を理解するとなるとさらに難しいからである。また、歌には何の説明や解説も添えられていないため、万葉歌碑は時折訪れる研究者以外には意味のないものとなってしまっている。 そこで、専門家でなくても万葉集を巡る旅ができるように、歌碑の近くにわかりやすい看板を設置するプロジェクトを考案した。これらの看板には、歌の現代語訳や英語訳に加え、それぞれの歌の背景や文学的意味を説明する解説文も両言語で掲載している。このプロジェクトは昨年、日本財団の基金を財源とする日本観光振興協会の地域ブランディング事業に選定された。先日、富山県高岡市にある「万葉歌めぐりの旅」と命名された万葉歌碑のための看板の第一号が完成した。これは、高岡市万葉歴史館の坂本信行館長や高岡市役所の方々の協力を得て完成できたものだ。次の歌(3954番)は、「万葉歌めぐりの旅」に含まれる一首である。 「馬並(な)めて いざ打ち行かな 渋谿(しぶたに)(しぶたに)の 清き磯廻(いそみ)に 寄する波見に」 (馬を並べて、さあ出かけよう。渋谿の清らかな磯辺に打ち寄せる波を見に。) この歌は越中(富山県の旧称)の国守に任命された大伴家持が、着任後初めて開いた宴席で詠んだとされる。渋谿は家持の館から約3km北西にある美しい磯を望む景勝地で、現在は雨晴海岸として国定公園に指定されている。富山県の数々の名勝を訪れた人々は、今や遥か昔を生きた万葉の歌人たちの目を通して旅を楽しみ、現代を生きる私たちとは物の見方が違うことにも、また驚くほど似通ったところがあることにも気付くことができるはずだ。 万葉集は、7世紀前半から8世紀後半の約130年にわたって編纂された現存する日本最古の歌集である。このたび、プロジェクト推進の第二段階として、筑波大学助教の茂野智大氏と共に万葉集の全訳に着手した。万葉集の全訳は、国家レベルでの取り組みを要する一大事業だ。4,500首を超える万葉集の全訳には10年以上の歳月を要するであろうし、その実現には多数の万葉集専門の研究者や編集者などから成るチームの専門知識が必要になるだろう。そのためには、相当な資金と支援が欠かせない。 このプロジェクトは、日本人にとっても大きな意味を持つだろう。英語訳は日本語の原文よりも理解しやすいかもしれない。私の英語訳を読んで、初めてその和歌の意味が分かったという感想を寄せてくれる日本人は多い。万葉集の英語訳は、海外の人々のみならず、日本人にとっても価値ある資料になるはずだ。 万葉集は世界的にも文学の至宝といえるものであり、古代人の独特な視点を理解する上で極めて貴重な資料でもある。私は、1400年以上にわたって大切にされてきた万葉集が、日本語と英語訳の両方で次の1000年も生き続けていくことを祈っている。