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観まっし、来まっし、食べまっし、金沢

金沢税務署 総務課長 島田 江

はじめに
金沢税務署は明治29年11月に設置され、石川県のほぼ中央に位置する金沢市を拠点として、2市2町(管轄面積664km2、管内人口約561,000人)を管轄しています。
管内の北部は、河北潟を中心として田園地帯が開け、発達した砂丘がやわらかな海岸線を造り、日本海に沿って能登半島へと続いています。南部は日本百名山の一つである白山2,702m(御前峰、大汝峰、剣ヶ峰で構成)の山々が連なり、金沢市内を流れる犀川、浅野川の源となっています。
管内の主な産業は、織物工業が長く重要な地位にありましたが、今日では特色ある機械メーカー等を中心とした機械工業が主要産業となっています。また、金沢箔、加賀友禅、金沢仏壇、金沢漆器などの伝統工芸品産業が数多くみられるのが特色です。
写真:金箔のソフトクリーム
写真:加賀友禅

管内の名所
〔倶利伽羅古戦場〕
NHKの大河ドラマ「鎌倉殿の13人」にも登場した源氏の木曽義仲は、寿永2年(1183年)、石川県河北郡津幡町と富山県小矢部市との境にある旧北陸道の倶利伽羅峠を舞台に、平家総大将の平維盛と戦いました。
木曽義仲は、奇襲戦法「火牛の計」を図り、5月11日夜半、上方から法螺貝、太鼓を鳴らした上、角にたいまつを付けた牛500頭を突っ込ませ見事勝利を収め、平家軍を壊滅させました。
〔金沢城〕
金沢城は、天正8年(1580年)、加賀一向一揆の拠点であった金沢御堂を織田信長軍の佐久間盛政が陥落させ、そこに城を築いたことに始まります。天正11年(1583年)、前田利家が加賀に入封して犀川と浅野川にはさまれた小立野台地上の金沢城を、加賀支配の拠点とすべく近世城郭へと改修しました。
〔3つの茶屋街〕
浅野川と犀川、金沢を流れる2つの川のそばに、金沢を代表する3つの茶屋街があります。これらの茶屋街は、近年整備が進み、建物を利用したカフェやレストラン、土産物店もあり、散策だけでも十分楽しめるようになっています。
「ひがし茶屋街」は金沢で最も格式が高い茶屋街であり、キムスコと呼ばれる繊細な格子が施されたお茶屋の建物が並ぶ通りは、粋で華やかです。
「にし茶屋街」は出格子が美しい茶屋が整然と並び、ガス灯や石畳がどこかハイカラな風情を感じさせます。
「主計町(かずえまち)茶屋街」は浅野川に沿った美しい街並みが特徴的です。

グルメ
〔金沢カレー〕
金沢カレーは、主に金沢市を中心とする石川県のカレーライス店で供される独自のカレーライスです。
金沢カレーの特徴は
・ルーは濃厚でドロッとしている
・キャベツの千切りが乗っている
・ルーの上にカツが乗っており、その上にソースがかかっている
・ステンレスの皿に盛られている
と言われており、癖になる美味しさなので、ぜひお試しください。
〔金沢おでん〕
冬の金沢を訪れる人の楽しみといえば、加能ガニや脂がのった寒ブリ、甘えびと思われますが、新幹線開業辺りから注目され始めたのが、「金沢おでん」です。
平成30年、金沢市内で創業50年以上の老舗で「金沢おでん老舗50年会」を発足し、金沢おでんの定義を決めたと言われています。
その定義は、「車麩、赤巻、ふかし、バイ貝、カニ面、銀杏、加賀野菜といった具と、各店が大切にするだしを用いたもの」というものです。
中でもおすすめは、カニ面です。石川県でも解禁期間の2カ月間しか食べられない逸品です。
〔和菓子〕
金沢は京都、松江とともに日本三大和菓子処と言われています。いずれの町も茶の湯が盛んなことで知られ、金沢の場合は初代藩主前田利家、利長父子が千利休に師事していたことが関係します。
菓子作りは、寛永7年(1630年)頃に三代藩主利常が越中井波から菓子師を連れてきて、香林坊で加賀落雁を作らせたのが始まりと言われています。
〔ルビーロマン〕
「赤くて大粒のぶどうがほしい!」
ルビーロマンは、ブドウ農家の願いをかなえるため、石川県農業総合研究センターが14年間の歳月を費やして育成したぶどうです。
平成9年頃から実を付け始め、400本の樹の中で赤い実を付けたのはわずかに4本。この中から、味、色、房や粒の大きさなどの品質、栽培のしやすさ等の地道な調査を繰り返し選ばれた1本が「ルビーロマン」です。
おいしさはもちろんのこと、巨峰の約2倍になる粒の大きさ、そして鮮やかな紅色など、まさに夢のぶどうです。

おわりに
市内だけでも見所がたくさんある金沢。他にも、兼六園、武家屋敷、九谷焼、輪島塗の店などいろいろとあり、ご紹介したいものばかりです。
見どころが集結しており、グルメも充実している金沢へぜひ。
「観まっし! 来まっし! 食べまっし!」
(写真提供:石川県)


豊かな自然と歴史ロマンに出会える街 福井

福井税務署 総務課長 佐々木 裕一

はじめに
福井税務署は、明治29年11月に設置され、庁舎は平成7年8月に福井春山合同庁舎に移転後、現在に至っており、県経済の中心地である福井市と曹洞宗大本山永平寺を有する吉田郡永平寺町の1市1町(管内面積約631km2、管内人口約279,000人)を管轄しています。
管内は嶺北地方の中心である福井平野に位置し、東西にやや細長く広がっており、西は日本海(越前海岸)に面し、東は九頭竜川(全長116km)に沿って大野市などの奥越地方に接しています。
また、当署がある福井市は、九頭竜川・足羽川・日野川の三大河川が合流する福井平野の中央に位置し、豊かな水と肥沃な土壌に恵まれて、集落が形成され、かつては「北ノ庄」と呼ばれていました。
そしてこの地に、1575年、柴田勝家が「北ノ庄城」を築城してから、越前国の中心地として発展しました。
その後、1624年に「北」は敗北に通じることから、「福居」に改められ、福井城址の天守閣跡の脇に今も残る名井「福の井」から「福井」に改められたとの起源説があります。
写真:〔「福井」の地名の由来 名井「福の井」〕

管内の名所
〔一乗谷朝倉氏遺跡〕
一乗谷朝倉氏遺跡は、1471年に初代朝倉孝景が越前国を掌握してから、5代義景まで103年間にわたり栄華を誇った戦国大名の朝倉氏が、三方を山で囲まれた守りの面で軍事環境に適した「一乗谷」の地に築いた戦国城下町の遺跡です。
昭和42年に初めて本格的な発掘調査が行われ、戦国時代の山城と城下町が良好な状態で残されている極めて重要な歴史的価値がある遺跡と認められたため、国の特別史跡に指定されました。
以来、発掘調査が続けられ、「唐門」で有名な当主の館をはじめ、武家屋敷、寺院、職人たちの町屋、さらにそれを結ぶ道路に至るまで、戦国時代の町並みが当時の姿を残して発掘され、織田信長によって焼き払われた後、400年もの時を経て、地中から蘇りました。
最近では、テレビCMのロケ地や明智光秀のゆかりの地としても話題となったこともあり、多くの観光客が訪れています。
写真:(唐門)
写真:(復元町並)
〔一条滝〕
「一条滝」は一乗谷朝倉氏遺跡がある一乗谷の一番奥まった山あいに位置し、高さは約12.5メートルあります。
この「一条滝」は、この近辺が生誕の地とも言われる剣豪佐々木小次郎が修行を積み、秘伝の技「つばめ返し」を編み出した場所と伝えられており、滝の前には小次郎の像も建てられています。
写真 :(佐々木小次郎像)

グルメ
〔越前おろしそば〕
冷たいそばに、辛みの効いた大根おろしがたっぷり入った出汁をかけ、鰹節とネギでいただく「越前おろしそば」。
素朴でさっぱりとした味わいは、毎日食べても飽きません。
福井人がこよなく愛するふるさとの味です。
〔ソースカツ丼〕
福井で「かつ丼」と注文しても、「卵とじ」は多分出てきません。登場するのは、きめ細かいパン粉でカラリと揚げたカツに、甘辛いソースをたっぷり含ませた「ソ-スカツ丼」。鼻腔と食欲を刺激する香ばしいソースの香りがたまらない、福井人のソウルフードです。
〔水ようかん〕
全国的には夏のお菓子の「水ようかん」ですが、福井では冬が旬!
つるっとした瑞々しい食感がたまりません。
「冬はこたつで冷たい水ようかん」は、福井の“標準語”です。

おわりに
令和6年3月には、北陸新幹線が敦賀まで延伸される予定であり、福井はより身近な街になります。
福井には、まだまだ紹介しきれなかった「地味にすごい」魅力がたくさん残っています。
恐竜たちもお出迎えしてくれる街「福井」へ是非ともお越しください!
(写真提供:福井市、永平寺町)


紫式部が暮らした越前国府(旧武生市)

武生税務署 総務課長 田中 利明

はじめに
紫式部が生涯で唯一都を離れて暮らした越前国府(現越前市)は、福井県のほぼ中央に位置しており、その越前市(旧武生市)に拠点を構える武生税務署は、昭和39年に現在の場所に設置され、越前市、鯖江市、今立郡池田町、南条郡南越前町、丹生郡越前町の2市3町(管内面積1,007km2、管内人口約186,000人)を管轄しています。
越前市は、かつて越前国の中心地として栄え、昔から「ものづくり」が盛んな地域で、伝統工芸品の産地が集まった「手仕事のまち」としても知られています。

産業・経済
北陸自動車道、国道8号が管内を南北に走り、中京・京阪神方面との交流も活発で、合繊・縫製・電機・機械などの工場も多く、「ものづくり」の技を生かした産業も多くあります。
1,500年の歴史を誇る越前和紙や、南北朝時代の名刀匠を祖とする越前打刃物、高度な指物技術が駆使された越前箪笥をはじめ、越前市のお隣、鯖江市では越前漆器、越前町では越前焼が国の伝統工芸品に指定されています。
そのほか、鯖江と言えば「眼鏡枠」が有名。
鯖江市の眼鏡枠の生産シェアは国内の約9割、世界の約2割を占めると言われています。
優れた品質の製品で海外市場の販路拡大を図るとともに、産地ブランドの確立に努め、軽さと薄さを極限まで追求した独自製品を開発し、国内外に発信しています。
また近年では、眼鏡製造で培われた加工技術を生かして開発された精密機器や医療関連器具も注目を集めています。

管内の名所・話題
〔岡太神社・大瀧神社〕
越前和紙の産地、越前市五箇地区にある当神社には、日本で唯一の紙の神様「川上御前」(川上から現れた女神で村人に紙すきの技を教えたと云われる。)が祀られています。
当神社の社殿は、本殿と拝殿が一体化された造りで複雑な屋根の形が特徴であり、国の重要文化財として指定されています。
〔武生中央公園〕
武生税務署から徒歩1分、JR武生駅からも車で約5分の場所に、スポーツやレクリエーションの場として市民に親しまれている「武生中央公園」があります。
毎年秋には越前市を代表するイベント「たけふ菊人形」が開催され、約2万株の菊花のほか、菊で飾られた人形や造形物が並べられています。
絵本作家かこさとし氏監修で整備された園内の「だるまちゃん広場」は子どもたちに大人気であり、週末には多くの家族連れでにぎわっています。
〔西山公園〕
鯖江市にある「西山公園」は、ヒラドツツジやドウダンツツジなど11種類約5万本のツツジが咲く日本海側随一のツツジの名所です。
毎年、満開を迎えるGW(2日間)には「さばえつつじまつり」(令和4年5月は3年振りに開催)が開催され、ピンクや白、赤など鮮やかな色で彩られた園内には1日4万~5万人の家族連れやカップルなどが県内外から訪れています。
〔夜叉ケ池〕
福井県南条郡南越前町と岐阜県揖斐郡揖斐川町との境界付近、標高1,100mに位置する「夜叉ケ池」は神秘的な雰囲気を醸し出しており、古くから多くの伝説が言い伝えられています。その一つには、干ばつを救うために池に身を投じた娘の言い伝えがあり、別名「雨乞いの池」とも呼ばれています。
泉鏡花作の戯曲「夜叉ケ池」が、昭和53年に坂東玉三郎主演で映画化(公開から42年が経過した令和3年7月には4Kデジタルリマスター版で再上映)されて全国的にも有名になったほか、1年中水が枯れないことや可憐な高山植物が登山者を楽しませてくれることなどから、多くの人々の注目を集めています。
登山口から「夜叉ケ池」まで約3km、しかしながら徒歩で約2時間半と紹介されたところで現地の撮影を断念(下部「イメージ図」参考)。
登山、体力に自信のある方、神秘的な美しい池に興味のある方は、是非チャレンジしてください。

グルメ
〔長~い、けど倒れないソフトクリーム〕
人気番組「オモウマい店」でも紹介され、溶ける前に全部食べ切ることが難しい巨大(長~い)ソフトクリームで全国に名を知らしめた当食堂(「越前市 ソフトクリーム」で検索すれば当食堂がすぐヒットします。)。このソフトクリームを求めて全国から多くの客が訪れています。しかも、お値段が130円(税込)と格安。また、このお店で巨大なのはソフトクリームだけではなく、ラーメン、オムライスなどの大盛りメニューも、ビ、ビ、ビッグ! なのです。ラーメン大盛りくらいは簡単に完食できるだろうと勝手に思い込み、意気揚々とオムライスの大盛りを注文するも、半分くらい食べ切ったところでギブアップ。残ったオムライスを何も言わず笑顔で「おみや」(持ち帰り)にしてくれた店員さんに感謝と苦笑いでした。
もちろんこの日も会計時に持ち帰り用のソフトクリームを注文。口と手から美味しくいただきました。
越前市にお越しの際は、巨大ソフトクリームを是非一度、ご賞味(チャレンジ)あれ。

おわりに
令和6年1月から放送予定のNHK大河ドラマが、紫式部を主人公とする「光る君へ」に決まりました。同じく、令和6年春の北陸新幹線敦賀延伸時に「越前たけふ駅」の開業が予定されています。
越前市では、「越前たけふ駅」の周辺整備事業計画「フォレスシティ&越前市版スマートシティ」を掲げ、地域特性を生かしながら先端産業の集積地化を視野に、商業施設やスポーツ施設、生活サービス施設など、地域住民も利用できる施設の誘致を計画しており、雇用創出や人口増加とともに、更なる街の魅力向上や発展が期待されます。
大河ドラマ「光る君へ」放送後には、是非とも、紫式部とのゆかりが深い、魅力ある越前市の街を散策してみてください。
写真:(令和4年6月1日現在の建設中の「越前たけふ駅」)