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ファイナンスライブラリー

評者 河内 祐典

植田 健一 著
金融システムの経済学
日本評論社 2022年3月 定価 本体2,600円+税

1991年4月、評者と著者は共に大蔵省の門を叩いた。そして1993年から2年間、共に米シカゴ大学にて学ぶ機会を得た。評者は公共政策を学び、著者は経済学徒として激寒のシカゴの地で鍛えられていったが、本書には、長年にわたり蓄積された著者の知見と持ち味が存分に発揮されている。全体を貫くのは、「金融システムにおいて生じるほぼ全ての問題は、政府等の公的関与を経ることなく解決され、社会的厚生が最大化され得る」とのメッセージである。この点を中心軸に据え、著者のシカゴ大学での恩師であるRobert M. Townsend氏(現MIT教授)や著者自身の研究成果もふんだんに紹介しつつ、後に続く経済学徒や実務家に真摯に語りかけている。
本書は12章からなる。第1~3章では、第二次世界大戦後の金融抑圧の時代から1980年代以降の金融自由化・国際化の流れを俯瞰するとともに、その意義を分析する。即ち、各国による戦後の直接的な金融抑圧(日本の護送船団方式含む)は、銀行の利益保証と引き換えに銀行に低利で国債を引き受けさせるという、戦争で膨らんだ国家債務の管理政策の側面を持つとした上で、その後進んだ金融自由化、金融深化が望ましい経済成長をもたらしたことを、豊富な理論・実証例を引用しつつ丁寧に示す。同時に、政府が積極的に人々の金融アクセスを高める政策をもって関与することは必ずしも経済厚生を最大化しない、と付言することも忘れない。
第4~6章では、金融自由化・国際化が如何に経済厚生が最大化された望ましい状態(一般均衡)をもたらし得るかを示す。現実の金融システムにおいて生じる不完全情報、不完備市場、それに伴うモラルハザード、更には外部性による市場の失敗等の事象は、金融自由化・国際化を進めることにより、当局の介入なくしても解決され得る旨、数学的・定量的に豊富な事例を用いて明快に述べる。
評者は2000年代初頭に世界銀行に勤務する機会を得たが、その時、道を隔てたIMF(国際通貨基金)では、既に学究の道に転じていた著者がシニアエコノミストとして勤務していた。そして当時は、世銀チーフエコノミストを辞したばかりのJoseph E. Stiglitz氏(現コロンビア大教授)と、IMFチーフエコノミストのKenneth Rogoff氏(現ハーバード大教授)との間で、金融自由化・国際化の是非につき真っ向から対立する議論が繰り広げられていた。「是」を唱える上司の下でIMFの激務をこなした著者の知的蓄積が、この第4~6章の礎となっていることは論を待たないであろう。ちなみに評者は2010年から2度目の世界銀行勤務の機会を得たが、この時に著者は、当時のIMFチーフエコノミストの押しも押されぬ右腕となっていたことを付言しておく。
第7章で金融システムが家計に与える影響につき触れた後、第8~10章においては、これまでの論陣を踏まえた上で、それでも政府の介入が必要にならざるを得ない分野について述べる。具体的には、金融危機に備えるための仕組みとしての預金保険、銀行の資本規制、そして大きくて潰せない問題(Too Big Too Fail:TBTF)を取り上げている。この分野では最適化のための政府の介入が正当化され得ることを理論的に導いた上で、リスク・シフティングやモラルハザードといった問題を生じさせないよう、注意深い制度設計が必要であると述べる。また、金融自由化・国際化が進んだ状況下で金融危機が起きた場合にも市場がしっかりと機能することを担保する方策として、コーポレートガバナンスや倒産法制の重要性を指摘する。
第11~12章は今後に向けた問題提起である。フィンテックや暗号資産、中央銀行デジタル通貨(CBDC)等の技術革新につき、今後生じ得る論点を紹介している。デジタル通貨については、評者が所属した財務総合政策研究所において調査研究*1を先般実施し、有識者を交え様々な論点が議論されたところであるが、本書においては、「民間に任せられることは民間に」との考えの下、特にCBDCにおけるリテール型の導入や付利について明確に否定している。本書を貫く筆者の信念が最後まで感じられて興味深い。
霞が関、シカゴ、ワシントンDC、そして現在の拠点である本郷(東京大学)、いずれの地で見る著者も、時に寡黙に、時に饒舌に、時にユーモア満載で「あるべき経済社会の姿」を思索・追究している。本書はそうした著者のキャラクターが随所に感じられる力作である。ぜひご一読をお勧めしたい。

*1) 財務総研HP「『デジタル通貨』に関する調査研究」参照。
https://www.mof.go.jp/pri/research/digital_currency.html