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近代的町並みと博多商人の町が調和する街 博多

博多税務署 総務課長 山下 誠
1.はじめに
博多税務署は、福岡市の中央を流れる那珂川の東側に位置する博多区と東区の一部を管轄し、管内面積は43.64km2と福岡国税局管内で最も狭い上、管内面積の約12分の1を福岡空港が占めています。
その昔、博多は「那の津」と呼ばれ、玄界灘を挟んで中国大陸、朝鮮半島と向い合う地理的条件から港湾都市として栄えてきました。その後、元寇など幾度の戦火に見舞われ、博多の街は再三に渡り焼け野原になりましたが、豊臣秀吉による「太閤町割」により再興されました。この太閤町割が、現在の博多の街の原型となっています。

2.管内の名所・話題

[JR博多駅]
九州最大の駅であるJR博多駅は、平成23年3月の九州新幹線鹿児島ルートの全線開通により、九州の各都市を結ぶ交通の拠点としての役割が一層大きくなりました。
令和元年5月には、駅周辺地域活性化プロジェクト「博多コネクティッド」が公表され、駅周辺ビルの先進的ビルへの建替えが計画されています。

[福岡空港]
福岡市街地から5km以内と至近距離に位置する福岡空港は、国際線が就航しており、同空港を利用して入国する外国人も多く、アジアの玄関口として利便性の高い空港として発展してきました。
発着回数は年間18万回と滑走路1本の発着回数は日本一です。しかし、容量限界のため、現在、滑走路増設工事が進められており、完成後は、アジアの玄関口として更なる発展が期待されています。

[博多港]
博多港は韓国等の国際航路の玄関口であり、国内外のクルーズ客船が多数寄港しており、外国人旅客数及びクルーズ船寄港数は日本一です。
また、中国・アメリカ・韓国を中心に、タイヤ及びチューブなどゴム製品、自動車、再利用資材の輸出、家具装備品、穀物、飼料肥料等の輸入など、貿易の物流拠点としても重要な役割を担っています。

[九州最大の歓楽街「中洲」]
九州最大の歓楽街である「中洲」は大阪・北新地と並ぶ西日本随一の歓楽街であり、新宿・歌舞伎町、札幌・すすきのとともに日本3大歓楽街と称されることもあります。
中洲のネオンと那珂川沿いの景色は、幻想的で訪れる人を魅了する街となっています。

[櫛田神社・博多祇園山笠]
櫛田神社は、757年創建の博多の総鎮守として“お櫛田さん”の愛称で広く市民から親しまれています。
また、博多の夏の風物詩として名高い「博多祇園山笠」の舞台でもあり、毎年7月1日から15日にかけて開催されるこの祭りは、770年以上の伝統を誇り、「山笠のあるけん、博多たい!」とPRされるほど、地元・博多にとっては、なくてはならない存在です。

[うどん発祥の地]
博多区にある承天寺には、「饂飩蕎麦発祥之地」の石碑があり、一説では、承天寺の僧侶が宋の時代に製粉技術を持ち帰り、再現したことで麺を食べる文化が福岡から全国へ広まったと言われています。博多うどんの大きな特徴は、ふわふわしたコシの弱い柔らかな麺で、定番のトッピングは歯ごたえのよい「ゴボ天(ゴボウの天ぷら)」や「丸天(魚の練り物を揚げたもの)」。うどんと併せて鶏肉と具材を一緒に炊き込んだ「かしわめし」を注文する人も多いです。

[博多の締め]
博多の締めとしてなくてはならないのが、「博多手一本」。企業の会合や宴会の手締めとして行われ、居酒屋でもそろそろお開きというタイミングで、あちこちのグループの掛け声が聞こえてきます。
「よーお、シャンシャン ま(も)ひとつシャンシャン 祝おうて三度、シャシャンシャン」と独自のリズムと掛け声で、みんなでかしわ手を打ちます。
博多の最後の締めは、やっぱり、博多ラーメン。
博多ラーメンの特徴としては、ストレートの細麺に乳白色の豚骨スープで、「替え玉」というシステムが一般的です。また、「やわ」「かた」「ばりかた」「針金」「粉落とし」など好みの硬さを選んで注文する人が多いのも特徴です。

3.おわりに
博多は、博多駅を中心としたオフィス街のイメージがありますが、和の情緒あふれる街並みが多く存在し、近代的な町並みと博多商人の町とが調和しながら成長を続けています。
歴史ある神社が連なる静粛な街並みを散策し、祭り好きで知られる博多っ子の暮らしや文化を感じることができる街・博多へ是非お越しください。

【写真提供:福岡市】

九州が交差する街 鳥栖
鳥栖
鳥栖税務署 総務課長 中村 孝則

1.はじめに
鳥栖税務署は、明治29年11月に轟木税務署として設置され、その後、大正13年11月に一旦は佐賀税務署との合併に伴い廃止されましたが、昭和23年12月、佐賀税務署管内の一部(三養基郡、神埼郡)を管轄区域として再度、設置されました。現庁舎は昭和47年に新築され、その後、平成21年に増築されましたが、昭和23年に鳥栖税務署として再度設置されて以降、庁舎場所は移転することなく、今に至ります。
現在の管轄区域は、鳥栖市、神埼市と三養基郡(基山町、上峰町、みやき町)、神埼郡(吉野ヶ里町)の2市4町で、管内面積は約327km2、管内人口は約174,000人です。
当署管内は佐賀県の最東部に位置し、北部の背振山地、南部の筑後川が福岡県との県境となっており、水と緑に恵まれた豊かな自然環境がある一方で、鳥栖プレミアムアウトレットやJリーグサガン鳥栖のホームスタジアムである鳥栖スタジアム(駅前不動産スタジアム)など、広域的な集客施設が立地し、九州内外から多くの人が訪れています。

2.管内の特色
〔交通の要衝〕
鳥栖は古来より「交通要衝の地」としての歴史を積み重ね、江戸時代には長崎街道の田代・轟木(とどろき)の2ケ所の宿場町、そして明治時代以降は「鉄道の町」として発展してきました。広大な車両基地であった鳥栖機関区の最盛期には60両を超える蒸気機関車、5,000人近くもの鉄道員が勤務し、敷地は42ha、これは福岡ソフトバンクホークスの本拠地である福岡PayPayドームの6倍の面積で、九州最大級の広さを誇っていました。
その後、高度経済成長期に入ると自動車の発達と道路の整備が急速に進むことで、陸上輸送の主役は鉄道から自動車に代わり、鳥栖は福岡県・熊本県・宮崎県・鹿児島県を結ぶ南北軸と長崎県・大分県を結ぶ東西軸の交点に位置する地理的条件から九州陸上交通網の要衝の地として発展することになりました。
現在、九州の主要高速道路である九州縦貫自動車道と九州横断自動車道は、鳥栖ジャンクションで結ばれていて、九州の主要都市を結ぶ節点として重要な役割を果たしていますが、鉄道でも平成23年3月の九州新幹線の全線開通に伴い新鳥栖駅が開業し、「鉄道の町」の歴史に新しい1ページを加えたところであり、今年の9月には、西九州新幹線の開業で、鳥栖は「交通要衝の地」として更なる発展を遂げようとしています。

写真:【昭和30年の鳥栖駅】
写真:【プラットホームの立ち食いうどん】
写真:【駅弁売り(アイスクリームと冷凍みかん)】
写真:【新鳥栖駅】

〔配置売薬〕
「配置売薬」とは、医薬品販売の形態の一つであり、販売員が一般家庭等を訪問してかぜ薬や胃腸薬、膏薬などを預け置き、次回の訪問時に使用した分の代金を精算し、集金する仕組みのことです。ちなみに、この際に預け置かれる薬が一般的に「置き薬(おきぐすり)」と呼ばれています。
鳥栖の田代地方は、富山・大和(奈良)・近江(滋賀)と並ぶ「四大配置売薬」の地として知られ、その歴史は江戸時代にまで遡ります。配置売薬の地として発展した理由として、四つの地方に共通しているのは、各地が江戸時代の街道の要衝に位置していたこともありますが、田代地方は、それに加えて対馬藩(現在の長崎県対馬市)の飛地であったため、領主の支配力が弱く、領域外の出入りが比較的容易であったことが影響していました。
なお、田代地方は現在でもサロンパスで有名な久光製薬を始めとした医薬品製造業が盛んな地域であり、平成7年には「中冨記念くすり博物館」が開設され、配置売薬にまつわる資料が保存・公開されています。

3.管内の名所
〔吉野ヶ里歴史公園〕
神埼市及び吉野ヶ里町にまたがる吉野ヶ里丘陵には、約二千年前の弥生時代の日本最大の環濠集落跡として、平成3年に国の特別史跡に指定された「吉野ヶ里遺跡」があります。
この地域に人の定住が始まったのは、当時の有明海が、吉野ヶ里丘陵の南端付近まで広がっており、遺跡のある地点から2~3kmほどの距離にあったことから、有明海の特徴である日本最大の干満差(約6m)を利用した水運に優れていたことや干潮時に捕獲できる貝・カニといった食料が豊富に得られたことなどの好条件が揃っていたと考えられています。
なお、吉野ヶ里遺跡は整備されて平成13年には、奈良・飛鳥に次ぐ全国2例目の国営歴史公園として開園し、園内には、弥生時代最大級の建物である主祭殿をはじめ竪穴式住居や物見櫓が復元されています。

4.グルメ
〔神埼そうめん〕
神埼そうめんの歴史は古く、寛永12年(西暦1635年)小豆島より行脚遍歴してきた修行僧がこの地で病に臥した際、地元の行商人の手厚い看病で病が癒えたことに感謝し、そのお礼として手延べそうめんの製麺方法を伝授したのが始まりとされています。
脊振山系の良質な水と佐賀平野の小麦を使用して製造し、喉越しの良さとコシの強さが特徴で、夏は冷やしそうめん、冬はにゅうめんで、1年を通じて美味しく食べることができます。

5.おわりに
筆者にとって鳥栖は、幼少のころの特別な思い出の地でもあります。
当時、長崎方面から博多に向かう列車が鳥栖駅に停車した際、優しかった祖母が長旅で疲れた私に、お菓子や弁当、時には容器代さえ払えば車内に持ち込むことができたうどん(名物の「かしわうどん」!)を買って慰めてくれた記憶があります。
鳥栖の魅力はご紹介した以外にも地酒の酒蔵や「シュガーロード」の長崎街道にまつわる老舗甘味店の伝統菓子など、まだまだご紹介しきれない観光スポットや美味しいグルメが満載です。
九州旅行の際は、交通要衝の地というだけではない、魅力あふれる鳥栖へ是非お越しください。
(写真提供:鳥栖市、神埼市、中冨記念くすり博物館)

火山と人が共生する地、島原半島
島原

島原税務署 総務課長 井上 暁晴

1.はじめに
島原税務署は、長崎県の南東、橘湾と有明海、島原湾に囲まれた葉状に突出した島原半島(島原市、雲仙市、南島原市)を管轄しています。
島原半島は、中心部の普賢岳を中心とする雲仙岳(雲仙火山群の総称)の活動によって生まれた半島全域が国内第1号の世界ジオパーク(島原半島ユネスコ世界ジオパーク)に認定されています。
雲仙岳は、有史以降3回の噴火を起こしており、近年では、平成2年から7年までの噴火活動で火砕流などの災害(雲仙普賢岳噴火災害)をもたらしていますが、見事に復興を遂げ、火山の恵みである肥沃な土壌や豊かな湧水などを活かした農業や、泉質が異なる温泉を活かした観光業など、火山と共生した暮らしが営まれています。

写真:島原港

2.産業・経済
島原半島は、火山の恵みにより土壌が肥沃であることから農業が盛んで、長崎県全体の農業生産額の約4割を占め、馬鈴薯(じゃがいも)を代表に、大根や人参、レタス、いちごなど多種多様な品目が生産されています。また、牛、豚、鶏などの畜産も盛んなほか、海に囲まれているため、海産物も特産品となっています。
島原半島の形が人の胃袋に似ており、農林水産業が盛んなことから「一億人のいぶくろ」とも呼ばれています。
観光では、それぞれ泉質の異なる、西岸に海の温泉「小浜温泉」があり、中央の雲仙岳に山の温泉「雲仙温泉」、そして東岸に松平氏7万石の城下町だった島原市の「島原温泉」があります。
○小浜温泉・・・塩化物泉
○雲仙温泉・・・硫黄泉
○島原温泉・・・炭酸水素塩泉

また、島原は、キリシタン弾圧に対する反乱「島原の乱」で有名であるとともに、日本最初の国立公園に指定された「雲仙天草国立公園」などがあり、美しい自然の残っている半島です。
写真:雲仙温泉

3.管内の名所

〔島原城〕
有明海を望み、雲仙岳の麓に位置する島原城(別名「森岳城」)。五層天守閣を中核に大小の櫓を要所に配置した、安土桃山期の築城様式を取り入れた壮麗な城で、島原の乱の舞台にもなりました。また、江戸時代から残る高く頑丈な石垣と水堀が特徴で、水堀には、明治時代に食用として植えられたレンコンが根付いており、夏になると一面の緑の葉の中からハスの花が美しく顔を出します。「日本100名城」にも認定されています。

〔武家屋敷〕
島原城西側に残る下層武士の屋敷跡。鉄砲を主力とする徒士(歩兵)部隊の住居であったため、鉄砲町とも呼ばれています。街路の中央の水路は豊かな湧水を引いたもので、生活用水として大切に守られてきました。現代になっても地域住民が水路を大切に扱い綺麗に保存され、島原を代表する水の名所となっています。

〔雲仙岳〕
雲仙岳は、妙見岳、国見岳、普賢岳など三峰五岳から成る火山群の総称で、主峰は普賢岳、平成2年に200年振りに噴火し、島原市や南島原市に甚大な被害を与えました。このとき吹き出した溶岩の山(溶岩ドーム)は、それまで最高峰だった普賢岳より標高が高くなり「平成新山」と命名されました。
現在は、火山活動が下火になったと見なされ登山解禁となっており、1~2月の霧氷や5月のミヤマキリシマ、秋の紅葉といろいろ楽しめます。
~雲仙岳災害記念館「がまだすドーム」~
自然の驚異と災害の教訓を風化させることなく後世へ残しながら、火山や防災、ジオパークまで、幅広く学ぶことができます。
「がまだす」とは、島原地方の方言で「がんばる」という意味です。

〔原城跡〕
島原半島南東部の海に面した丘陵に立地しており、別名を日暮城、春城と呼ばれました。しかし、総大将「天草四郎」を含む約三万七千人の方が亡くなったといわれる島原の乱の主戦場となり、幕府から徹底的に破壊されたため、城そのものを見ることはできません。「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」の構成資産として世界文化遺産に登録されています。春から夏にかけては緑豊かになるなど、四季折々の表情を見ることができます。

4.グルメ

〔具雑煮〕
具雑煮とは、島原半島地域で正月などに食べる独特な雑煮のことです。由来は、島原の乱のとき、天草四郎が信徒達と共に原城に籠城した際、もちを兵糧として貯えさせ山や海からいろいろな材料を集めて雑煮を炊き、栄養をとりながら約3ヶ月も戦った時のものと言われています。農林水産省の「農山漁村の郷土料理百選」に選定されています。

〔かんざらし〕
白玉粉で作った小さな団子を島原の湧水で冷やし、蜂蜜、砂糖等で作った特製の密をかけたもので、口の中でとろけそうな上品な甘さと喉越しの良さが人気の郷土の味です。もち米を大寒の日に水にさらすことから「かん(寒)ざらし」と呼ばれており、文化庁の「100年フード」に認定されています。
写真:具雑煮
写真:かんざらし

5.まとめ
島原市街のいたる所から美しい水がコンコンと湧く湧水群(日本名水百選)で、通りの脇の水路には鯉が泳ぐ静かで情緒あふれる街です。是非お越しいただき、心身を癒してください。