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コラム 経済トレンド95

代替肉市場について

大臣官房総合政策課 調査員 中山 晃一/山口 晶子

本稿では、代替肉市場の現状と可能性について考察を行った。
代替肉が必要とされる背景
・今後の人口増加と1人当たり畜肉消費量の増加により、2010年から2050年にかけて世界全体の畜肉消費量が1.8倍、特に低所得国では3.5倍に増加すると予測されている(図表1所得階層別の畜産物需要量の見通し)。食肉需要の増加に畜産物の増産が追い付けば問題ないが、現行の畜産業は環境への負荷が大きく、持続可能性に関する懸念がある。
・そこで、新たなタンパク質の供給源として期待される食材の一つが代替肉である。代替肉には植物肉・微生物発酵肉・培養肉の3種類が存在し(図表2代替肉の製品例・普及状況の比較)、従来の家畜肉よりも環境への負荷が小さい。家畜の飼育には膨大な水と飼料が必要で、飼料作物の栽培には広大な土地を必要とする。また、家畜の消化管内発酵から発生するメタンなどGHG排出量も大きい(図表3タンパク源別の環境負荷比較)。
・また、肥料や飼料・培養液など生産過程で投入するタンパク質量に対して、最終的な食料として得られるタンパク質量の割合を比較すると、代替肉は70%以上と非常に変換効率が高く(図表4タンパク質の変換効率)、効率的にタンパク質を得られる方法と言える。

現状の代替肉市場
・代替肉を扱う企業数および投資件数は国際的に年々増加しており(図表5代替肉を扱う企業数、6代替肉への投資概況)、注目を集めている。
・国際的な代替肉ブームの背景には、環境負荷の小さい新たなタンパク源としての期待だけでなく、動物愛護や健康志向の高まりがあると考えられる。米Gallupが2020年に実施した調査では、米国人の4人に1人が、過去1年間に肉を食べる量を減らしたと回答しており、その理由として、健康志向、環境問題、食の安全性、動物愛護が挙げられている(図表7肉の消費量を減らした理由)。
・最も重要視されている健康という観点では、動物性タンパク質の代わりに大豆食品などの植物性タンパク質をより多く摂取すると死亡リスクが低下するという研究が数多く報告されており(図表8総エネルギーに対する植物性
タンパク質摂取の割合と死因率との関連)、植物性タンパク質は健康に良い影響をもたらすとの見方が強い。

植物肉のみに依存することへの懸念
・これまで述べてきた通り、代替肉の活用は様々な社会課題の解決に貢献し得ると考えられるが、懐疑的な声もある。
・現時点での代替肉市場は植物肉が大半を占めているが、一般的に、動物性食品は必須アミノ酸をバランスよく含む良質なタンパク質である一方、植物性食品はリジンなど不足している必須アミノ酸があるため、他の食物で補う必要がある(図表9アミノ酸の桶の理論)。
・また、植物性食品のみを接種する場合には、ビタミンB12やカルシウム、鉄などといった栄養素も不足する可能性が高い。近年の研究においては、ベジタリアンの方が出血性脳卒中や骨折のリスクが高いことが指摘されている(図表10食生活と疾患発症率の関係、11食事と骨折リスクの関係)。
・上記のような問題点は挙げられるものの、食料供給および環境保全の観点から、植物性食品を含む代替肉の消費割合を増やすことは必要である。今後は「植物性食品は良い」「動物性食品は悪い」とった二元論的な対立ではなく、代替肉を活用しつつ、植物性食品と動物性食品が互いに補完・共生する最適な食品マトリックスを模索していくことが必要であろう。

代替肉普及に向けた展望
・最後に、国内市場において、今後、代替肉がどのように普及していくかを考えてみたい。日本国内では代替肉を食べたことがあり、今後も食べたいと考える人の割合は15.7%と少なく、代替肉を購入しない理由としては、「わざわざ食べる必要がない」ことや、味や安全性への懸念が挙げられている(図表12代替肉の喫食経験と喫食意向、13代替肉を購入しない理由)。
・味や安全性への懸念については、植物性タンパク質の加工技術や繊細な食味の再現技術を生かすことで不安を払拭する取り組みが既に実施されているため(図表14代替肉を扱う企業例)、そうした取り組みを広く周知して消費者の理解を深めることが必要であろう。
・また、食べる必要性の訴求に関しては、環境保全や動物愛護といった倫理面から代替肉の必要性を訴えても特定層向けの商品に留まる可能性が高い。環境保全のために自身の行動を変える人の割合は2割以下と低いのが現状である(図表15地球温暖化/気候変動問題を踏まえて自身の行動を変えるか)。企業が、食品を選ぶ際に重要視される味や価格・手軽さ・安心感といった基本的な価値の提供に一層取り組み、普段の食生活の一部として代替肉が受け入れられることを期待したい。

(注)文中、意見に関る部分は全て筆者の私見である。