このページの本文へ移動

ファイナンスライブラリー

ファイナンスライブラリー

評者 渡部 晶

坂本 旬/山脇 岳志 編著 メディアリテラシー吟味思考(クリティカルシンキング)を育む 時事通信社 2022年1月 定価 本体2,500円+税

本書の表紙裏には、「これまで分断されてきたメディアリテラシー研究という学問の世界と、ジャーナリズム、そして教育現場をつなぐ一冊。メディアリテラシーに関心を持つすべての方にー」とある。
本書の大きな英断の1つは、メディアリテラシーの中核に位置するとする「critical thinking」に「吟味思考」という訳で副題につけたことだろう。その決断については、「はじめに」で「『クリティカル』は、非難ではない」(p7)で、編著者である山脇岳志・スマートニュース メディア研究所研究主幹(出版時。現在は所長。元朝日新聞編集委員・アメリカ総局長)が解説する。
また、もう1人の編著者である、坂本旬・法政大学キャリアデザイン学部教授は、本書の「おわりに」で、「メディアリテラシー教育の目的は、決してメディア批判ではない。英語の『critical』にぴったり当てはまる日本語はないが、あえて日本語にするならば、深く考え、そして詳しく調べて真実を明らかにするという意味を持つ『吟味』であろう。日本と世界の研究や実践をつなぐためには、まずこの誤解をとく必要があるだろう。重要なことは、メディアリテラシーにおいてクリティカルシンキングの重要性を議論の基盤に置くことだと私は思う」と断じている。
本書の「はじめに」では、メディアリテラシーがいま重要とされる理由を5点に整理している。ソーシャルメディアの発達、それに伴うデマや虚偽情報の拡散、「フィルターバブル」への対処、民主主義の揺らぎに対する防波堤としての期待、文部科学省が進める「GIGAスクール構想」で学校現場において情報端末が普及していること、である。
本書の構成は、第1部 メディアの激変とメディアリテラシーの潮流、第2部 ジャーナリストの視点と実践、第3部 教育現場での実践、第4部 座談会・メディアリテラシー教育の現在地と未来~中央省庁、教育委員会、学校の現場から、となっている。「内外のさまざまな立場の研究者やジャーナリスト、現場教師の見解や実践を掲載し、メディアリテラシーを総括的に捉えることで、現時点での『決定版(テキスト)』とすることを目指した」(「おわりに」)豊富な内容で、すべてを紹介できないが、評者が特に印象に残った点をいくつかあげてみたい。

第1部はページ数で本書の半分を占めるが、「理論編」と位置付けられている。「第2章 若年層のSNS利用とコミュニケーション特性」(電通メディアイノベーションラボ主任研究員 天野彬)で、40代を境に、デジタルメディアを頼りにする若年層と、伝統メディアを頼りにする高齢層がはっきり分かれているとの分析はあらためて考えさせられる。若者の情報接触が「ググるからタグる」(SNSでハッシュタグを通じて情報を手繰りよせるように集める)になっているのだという。また、SNSで最も強力なコンテンツが「怒り」で、人間を社会的な生き物にする進化上の特性がネガティブな副作用をもたらしているという指摘は深刻だ。
「第3章 メディアリテラシーの本質とは何か」では、坂本教授が詳細な考察を行い、「メディアリテラシーとは、民主主義社会におけるメディアの機能を理解するとともに、あらゆる形態のメディアメッセージへアクセスし、批判的に分析評価し、創造的に自己表現し、それによって市民社会に参加し、異文化を超えて対話し、行動する能力」と定義を示す。
「第5章 日本のメディアリテラシー教育の歴史的潮流」(弘前大学教育学部准教授 森本洋介)を読むと、「メディアリテラシー」という言葉が教育の世界で様々に理解されていることを俯瞰できる。そして、著名な論者の中でも理解が一定していないことがわかる。
「第8章 すべての子供たちにメディアリテラシー教育を」(ロードアイランド大学教授 ルネ・ホッブス)では、トランプ氏が自分にとって都合が悪い情報すべてを「フェイクニュース」として社会的分断を別次元のレベルまで悪化させたとし、「メディアリテラシーの教育者たちは皆、『フェイクニュース』という言葉を決して用いないと誓っています」という点は日本の状況に鑑み、胸を打たれた。
「第9章 批判的思考とメディアリテラシー」(京都大学大学院教育学研究科教授 楠見孝)は、情報の評価をめぐるバイアスについて福島第一原発事故のリスク情報に関する研究を踏まえて説得力のある分析・考察がなされている。

第2部では、評者も「未来をつくる図書館」「メディア・リテラシー」で深い感銘を受けた菅谷明子氏や下村健一氏など内外のジャーナリストのインタビューなどが掲載される。
「第16章 虚実のあいまいさとメディアリテラシー 日米、新聞とニュースアプリの視点から」では、山脇氏が、朝日新聞アメリカ総局長としてトランプ氏が当選した米大統領選挙の現場での取材経験を経て、メディアリテラシー教育に取り組む想いが述べられる。
東京大学公共政策大学院での講義経験から、「自分でインタビューをし、記事を書き、見出しを付け、レイアウトをする。それを人と比べてみる」という、メディアリテラシー教育としてはシンプルな授業が学生の興味を引き、気づきが多いことがわかったという。このようなシンプルな取り組みを広げていくことに手ごたえがあるとする。
また、2019年9月にイスラエルであった、ユヴァル・ノア・ハラリ氏の言葉が印象的だとする。ハラリ氏の「人間は虚構を創作して信じる能力のおかげで世界を征服した」という見方を紹介しつつ、山脇氏は「誰もが、ある種のフィルターバブル的な状況で生きていると考えたほうが、自然なのかもしれない」という。そして、「要は、人間は固定観念にとらわれず、一生学び続けるものである、という態度を身に付けることが肝要なのではないか。『あいまいな情報に耐えつつ、自らの成長や発見を楽しむ』ようになれれば理想的だと思う」とする。
この点、評者が少し時間に余裕が出たら読んでみたいと思っているモンテーニュの「エセ―(随想録)」に通じているように感じた。「『エセー』の魅力は、著者が偉人だという点にあるのではありません。反対に、著者が多くの人間と同じく誤りや欠点に満ちている点に、そして何よりも、本人がそのことを自覚し、それでも次々にふりかかる艱難になんとか対処し、人生を朗らかに楽しもうと心がけている点にあるのです。われわれは、彼の考えのすべてに同意するわけではありませんが、そのような生の姿勢そのものに共感し、憧れるのです。」(山上浩嗣著『モンテーニュ入門講義』(筑摩書房)「まえがき」より)

第3部は、小学校から大学まで学校現場における「実践編」である。
実践1:想像力を働かせよう 「朝の会」やホームルーム授業で使える《ソ・ウ・カ・ナ》チエック 【対象】小学校5年~大学/朝の会・ホームルーム・国語など(令和メディア研究所 下村健一)(~ソ:即断しない ウ:うのみにしない カ:偏らない ナ:(スポットライトの)中だけ見ない)
から
実践10:SNSで、どう情報を受信・発信するのか 体験型オンラインゲームで学ぶ 【対象】中学3年~大学/総合的学習(探究)・国語・情報(スマートニュース メディア研究所 宮崎洋子、長澤江美)まで、10事例が紹介される。様々な学年を対象に様々な実践が行われていることがわかる。
第4部は、山脇氏がモデレーターとなり、埼玉県立川越初雁高校教諭の上田祥子氏、内閣府 科学技術・イノベーション推進事務局審議官の合田哲雄氏、広島県教育員会教育長の平川理恵氏の参加による座談会の模様が掲載される。
文科省で指導要領の改訂を担当していた合田氏が、「そもそも日本の教育では、与えられた情報が正しいかどうかを吟味することが必要だ、という点が意識されてこなかったと思います」とする。
小学4年生の国語で取り上げられる『ごんぎつね』を例に、テキストとして突き放し、子どもたちに分析的・論理的に思考させているわけではなく、「登場人物や作者の心情に寄り添う」ことを求め、それを国語教育だと、多くの先生は思ってきたわけです、と断じている。そして、「主体的・対話的で深い学び」の本質はクリティカルシンキングであるとし、『ごんぎつね』でなぜ日本の子供が泣くのかを、文化や言語の違う人に説明することが求められるとする。平川氏も、「小説は、はっきりいって心情の読み取りに偏りすぎている」と指摘する。
上田氏は、高校の授業でベストセラーの『人新世の「資本論」』を教材に使った経験を紹介し、これはあくまで1つの意見で、「先生も分からない」というと、生徒も一気に乗ってくるという。
いろいろな問題が行きつく先として、「教育」ということがいわれる。次の世代が「人生を朗らかに楽し」めるような社会になるか、本書を通じて気づかされるところは多い。
財務省もいま財政に関する教育に向けて様々な取り組みをしているが、その際の起点にもなるものと思う。ぜひ、一読をお勧めしたい。