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恩給担保貸付の原則廃止にあたって

大臣官房政策金融課 政策金融第二係長 中川 忠明

1.はじめに
今般の新型コロナウイルス感染症(以下「新型コロナ」という。)の拡大に際しては、様々な対策が講じられてきたことは周知のとおりであるが、その中において、株式会社日本政策金融公庫(以下「日本公庫」という。)等の政府系金融機関を通じた資金繰り支援は、これまでにない注目を浴びたところである。
一方、そういった新型コロナ対策の最中において、いわゆる恩給担保貸付という制度が、令和3年度をもって、原則終了することとなったことは意外と知られていないのではないだろうか。
古くは戦前から、国民の皆様への資金供給手段として活用されてきた制度であるものの、令和の現在となった今、なぜ当時このような制度が創設されたのか、恩給担保貸付とはそもそもどういうものなのか、ということは誰もよく分からない、というのが実態かと思われる。
時代の役目を果たし、縮小されゆく制度・政策について、そもそもどういうものだったのかを振り返ることは少ないであろう。しかしながら、その過去の経緯を整理することは、今後の新たな行政需要への対応策として学べることが無いかを整理することでもあるのではないだろうか。そういった観点から、本政策(事業)の節目にあたり、一度纏めてみたい。
また、今般の法改正により、どういった者が恩給担保貸付の対象として残されることになるのかという照会を、地方公共団体を中心に頂いているところ、各地方公共団体における業務の参考に資するよう、今般の改正におけるポイントを併せて解説することとしたい。
なお、本改正にあたり、恩給制度はもとより、共済年金をはじめとした公的年金制度の経緯等も遡って確認・調整を要することが多々あったところ、厚生労働省や総務省をはじめとした関係省庁及び日本公庫等の皆様には、様々な面でお力添えを頂いた。改めて御礼申し上げたい。
また、本稿の意見に亘る部分は筆者個人の私的見解であり、政府や財務省の公式見解ではないことを確認しておきたい。

(注) 引用にあたり、原文は旧字体であるものについて、一部については、常用漢字に直している。また、その引用中には、今日の観点からは差別的表現ととられかねない箇所があるものの、恩給担保貸付に係る法令の成立過程等を詳述するにあたり、当時の時代背景等を含めて正確に述べる観点から、当該箇所の削除や書き換えは行わず、原文のままとした。

2.恩給担保貸付とは何か
そもそも、令和となった現代社会において「恩給」という単語自体、多くの方には聞きなれない言葉かもしれない。また、その恩給を活用した「恩給担保貸付」となると、意味自体は分かるかもしれないが、一体どのようなものなのか知らない、という方が多いのではないだろうか。
そこで、まずこれから述べていく内容の前提として、そもそも「恩給」について簡単に触れておきたい。
日本の公的年金制度について、その歴史的経緯等を解説した「日本公的年金制度史-戦後七〇年・皆年金半世紀」(吉原 健二・畑 満)によると、次のように解説されている。
「…恩給制度は明治八年(一八七五年)の海軍退隠令、明治九年(一八七六年)の陸軍恩給令によってまず軍人恩給の制度ができ、明治十七年(一八八四年)の官吏恩給令によって一般官吏にまで拡大された。その後教職員などにも恩給制度ができ、大正十二年(一九ニ三年)に制定された恩給法によってこれらの制度が統合された。恩給制度は、一定年限公務に従事して退役した軍人や官吏に対する国の恩恵的給与(賜金)、報償的給付という性格を有し、厳密にいえば社会保障制度としての現在の公的年金制度とは性格が異なっている。」
現在の厚生年金や国民年金といった「社会保険」が、「社会保障法(第6版)」(加藤 智章・菊池 馨実・倉田 聡・前田 雅子)の言葉を借りれば、「リスク分散のため保険の技術を用いて保険料などを財源として給付を行う仕組み」であることと比較すれば、その性格の違いはより明白であろう。
そして、そういった性格を有する恩給等を担保とした金銭の貸付けこそが「恩給担保貸付」であるが、それらは万人が行えるものとはされていない。
例えば、恩給法(大正12年法律第48号)第11条第1項ただし書き等にあるように、日本公庫及び沖縄振興開発金融公庫(以下「沖縄公庫」という。)にのみ、貸付けにあたって、それらを担保とすることが認められているのである。
さらに、株式会社日本政策金融公庫が行う恩給担保金融に関する法律(昭和29年法律第91号。以下「恩給担保法」という。)等により、日本公庫及び沖縄公庫の業務としての法的位置付け等が定められている*1。
そのため、一般的に恩給担保貸付と言えば、日本公庫及び沖縄公庫が行っているものを指すわけである。
では、こういった恩給担保貸付は、どのような経緯を辿り、最終的に今回の改正に至ったのか。制度・政策の始まりから縮小という、概ね一世紀*2に亘る経緯を振り返ることとしたい。

3.脱法行為の横行
そもそも、恩給担保貸付は、元々は戦前の闇金対策から始まったものという側面が強いものであった。具体的には、恩給等は受給権の保護があるため、原則として借入の担保とすることは、法令上できない*3ものの、その証書を、実態として担保として貸付け、貸し手が代理受領するスキーム(委任による代理受領の方法)を用いることが一般化し始めたため、後の最高裁判所判例の表現を借りるならば、そういった脱法行為*4への対応が必要となったのである。
昭和16年に当時の恩給金庫(後述する、昭和13年に設立された恩給担保貸付をその業務とする金融機関)が作成した「恩給金庫誌」によると、下記のように記されている。
「…如何に一般的に慣行されて居たとはいへ法の禁止ある限り、その方法はあくまでも脱法行為であるのみならず、後に述ぶるが如くこの方法をめぐつて受給者たる債務者と債権者との間に種々の弊害が続出し社会はこの種金融問題の解決を要望して止まなかつた。…」
「…大正三年第一次欧州大戦の齎らした世界的物価騰貴により一定の収入によつて衣食する人々は最も打撃をうけ、殊に恩給年金によつて生計を営むものに於いてその困難甚しかつたので大正五、六年来一方に於いては恩給増額運動が次第に猛烈となつたと同時に他方に於いて恩給年金担保金融は愈愈逓増するに至つた。」
恩給担保貸付が法定される以前の様子を見ると、恩給金庫誌によれば「…大正末期に於いて最も高潮に達し利子は四割にも五割にも達したといふ…」とあり、如何に激しいものであったかが分かる。
一方で、社会的需要は非常に強く、当時の信用組合までが恩給担保貸付(当時の表現では「恩給年金見返り貸付」とある)を、法律論としての違法論以上に重要であるとして、堂々と開き直る様相*5であり、単純に脱法行為であると取り締まることが、政策として適切とも言い難い様相であった。

4.恩給金庫の成立
こうした実勢を踏まえ、当時の政府においても対応策の検討が行われた。そして、その端緒となったのは、当時の逓信省であった。元々、恩給の支給事務は、内務省から大蔵省へと移り、さらに明治43年度以降は逓信省に移管されたこともあり、恩給担保貸付に係る問題は、逓信省にとっての課題として、まず対策が検討されたのである*6。
そして、逓信省から昭和11年に「郵便官署に於ける年金恩給担保貸付制度案」「郵便貸付法案」等の形で、具体案が示されるに至ったところ、実際に恩給を主管していた当時の内閣恩給局においても検討した結果、内閣恩給局は「…恩給総額の厖大化に伴ひ資金は広く民間よりも収集せざれば金額及弾力性に於いて充分ならざること及簡易保険局案の定期生命保険にては幼老廃疾者の恩給に対する貸付金の副担保として適当ならざること等の理由に依り次第に政府の特別監督に服する民営を適当とするの論…」に傾いていき、「恩給担保金融会社創設案」「恩給銀行法案」「恩給金庫法案」等の案に帰着していった。
こうした変遷を経て、昭和12年に最終案として「恩給金庫法案」に到達し、当時の帝国議会に提出されるに至ったものの、当初の議会提出案は、審議半ばにして議会解散となったために成立に至らなかった。
ただ、そこは時代の要請があった。日中戦争の勃発に伴い、国家総動員体制の強化が図られる中で、いわゆる闇金対策という観点だけでなく、将士が後顧の憂いなく出征出来るようにする観点からの「国家としての福祉増進に係る国策的な機関」として、恩給金庫の創設が急がれることとなったからである。
このことを恩給金庫誌は、次のように述べている。
「…殊に偶々支那事変の勃発に際会し国家総動員の下に銃後の護を一層固め以て出征将士をして後顧の憂なからしむる上より銃後施設の一としてもその国家重要性が認識せられその運用に期待が懸けられたものである…」
「…偶々支那事変の勃発に際会し長期戦時体制に入るや、国民総動員の覚悟を以て堅忍持久軍需資源の自給自足を図ると共に牢固たる銃後の護りを備へるため国内諸施設の上に萬遺憾なきを期せしむべき関係から恩給年金受給者に対する金融並にその福祉増進施設創設の必要性愈々高まりこの上遅延することを許さない情勢となつた…」
この結果、恩給金庫は、恩給金庫誌の言葉を借りれば、恩給担保貸付をその主要業務として営む「非営利公益的特殊金融機関」であって「半官半民の国策的施設」として、昭和13年に誕生した(恩給金庫法(昭和13年法律第57号))。
ちなみに、このように恩給担保貸付の始まりは、半官半民という組織形態から始まっているところ、実は全く同じ時期に成立した庶民金庫(庶民金庫法(昭和13年法律第58号))は、全額政府出資の法人という形態を選んでいる*7。
このあたりについて、恩給金庫誌において纏められている、恩給金庫法案に係る帝国議会での質疑応答の大要に基づくと、次のように整理されており、当時も現代社会と同じような議論があったことが伺えよう。
「13 資金ヲ何故全部政府負担トシナカツタカ…
実ハ恩給金庫ヲ政府デ設ケマスニツキマシテ色々ノ議論ガアツタノデアリマス ソノ一ハ凡ソ恩給受給者ハ既ニ国家カラ多クノ恩恵ヲ受ケテ居ル ソレニ更ニ恩恵ヲ施スヤウナ恩給金庫ヲ作ルトイフ事ハドウカトイフ非難モアツタノデアリマス シカシ他方事実問題トシテ恩給担保金融ガ可ナリ行ハレテ居ルノミナラズ之ニ伴ツテ色々ナ弊害ガ惹起セラレ之ニ対シ何等カノ対策ヲ講ゼネバナラヌ現状ニ立到ツテ居ルノデアリマシテ何等カノ施設-恩給金庫-ヲツクル事ハ不可避ノ事実デアリマス シカシ之以上ニ国家(政府)ノ御厄介ニナルコトナシニ受給者自身ガ已ムヲ得ザル場合 已ムヲ得ザル手段トシテ自給自足的ニヤツテ行クトイフコトハ宜イノデハナイカトイフコトニ成リ ソコニ恩給金庫ハ全部国家ノ力ニマタナイデ 一部分国家ノ助力ヲ得テ国家ノ保護監督ノ下ニ民間ノ資力ヲモソレニ加ヘテ自給自足的ニヤツテ行カウトイフコトニ成リ 政府カラノ出資ヲ五百万円ニ限リ他ハ金庫自身ガ調達スルトイフ考デアリマス…」*8
さて、上記の内容を見て、少し違和感を覚えられた方もおられるかもしれない。おそらくそれは、当時の帝国議会の質疑応答を見る限り、あまり国家総動員体制の強化という国策的な観点で半官半民という形を選んだとまでは言い難いのではないか、というものであろう。
このあたりについては、過去の資料に基づく私見となるが、下記のとおりお答えしておきたい。
実際、恩給金庫誌(昭和16年)より少し前(昭和14年)に発行された「恩給金庫法解説」(高木 三郎)を見てみると、恩給金庫誌とは少し様相が異なる解説がなされている。
「…恩給金庫法には別段恩給金庫の設立目的に付定むる所がない。…主たる業務は恩給扶助料乃至勲章年金の受給者に対し恩給年金を担保として金融を行ふと云ふ事にあるは明かである。然し自分は恩給金庫の本来の使命は単に従来の高利貸に代つて恩給年金担保の金融を行ふと云ふ事を以てその目的の全部とする所ではないと思ふ。…恩給金庫の使命は寧ろ恩給年金受給者の福祉増進にあるのであつて、担保金融は其の手段の一部であると考へても宜いのではないかと思ふ。即ち恩給金庫は担保金融に依つて営利を計るものではない。金庫自体の自給自足が出来れば成るべく低利に簡易に金融を行ひ、以て恩給年金受給者の経済的圧迫からの救済を行ふと共に、余力があれば積極的に受給者の福利増進に乗出して初めて恩給金庫本来の目的を達成するのではないかと思ふ。…」
ここから見えてくるのは、国家総動員体制に係るものというよりは、より現実に起きている「恩給年金受給者の経済的圧迫からの救済」のために、恩給金庫法の制定が求められていたという事実であろう。
しかし、現代の感覚として、恩給年金受給者の経済的圧迫というものがどういうものだったのか、あまり想像し難いのではないだろうか。この点については、恩給金庫法が成立した、第73回議会における政府委員の法案提出理由演説がその具体例を述べている。恩給金庫法解説にある演説の要旨に基づけば、下記のとおりである。
「…受給者ハ現在ノ給与ニ依ツテハ生活ノ余裕ト云フヤウナモノヲ持ツ程度ニ至ツテオリマセヌノデ、一朝不慮ノ災厄ニ遭遇シ、又ハ疾病ニ罹ルト云フヤウナ、不時ノ失費ヲ必要トスル場合ニ於キマシテハ、已ムヲ得ズ之ヲ担保ニ供シテ金融ヲ受ケルト云フ者モ少カラザル実状デアルノデアリマス…其弊害甚シク、何トカ恩給受給者ノ生活安定上、適当ナル方策ヲ講ゼラレタシトノ要望ガ少クナイノデアリマス、加之、老幼者及ビ廃疾者等、最モ救済ヲ必要トスル者ハ、金融ノ途ヲ途絶サレテ居ル実状デアリマス、…政府ハ之ニ対シ種々適当ナル方策ヲ攻究致シマシタ所、政府自身積極的ニ金融機関ノ設立ヲ企画シ、従来ノ弊害ヲ除去スルヲ以テ、最善ノ方策ト認メタノデアリマスガ、政府自ラ全部ノ資金ヲ支出シ融通ヲ行ヒマスコトハ、今日ノ財政状態ヨリ見テ困難ナル事情モアリマスノデ、資金ノ一部ヲ政府負担トシ、更ニ民間ノ資力ヲモ取入レ、政府ハ之ニ十分ナル保護監督ヲ加ヘテ、政府自ラスルト略同様ノ効果ヲ収ムルコトヲ目標トシ、茲ニ恩給金庫ナル一金融機関ヲ法律ヲ以テ特置シ、之ヲシテ公正妥当ナル条件ノ下ニ、恩給年金受給者ノ為ニ金融ヲ行ハシメントスルニ至ツタノデアリマス。…」
この中でも、「老幼者及ビ廃疾者等、最モ救済ヲ必要トスル者ハ、金融ノ途ヲ途絶サレテ居ル実状デアリマス」というフレーズは、恩給金庫法の必要性及びその本来の立法趣旨が何たるかを端的に表していると言えよう。
恩給金庫法の立法趣旨、それは、国家総動員体制に係るものというよりは、「成るべく低利に簡易に金融を行ひ、以て恩給年金受給者の経済的圧迫からの救済を行ふと共に、余力があれば積極的に受給者の福利増進に乗出して」いくという、今様に言えば、ファイナンシャル・インクルージョン(金融包摂)の実現にあったわけである。
そして、昭和14年(1939年)から昭和16年(1941年)と、国家総動員体制が急速に強化され、有事への備えが国家の優先課題となる中にあって、国家総動員体制のためという説明が強調されていったのは、恩給金庫法を成立させる上で、また恩給金庫の必要性を説明していく上で、当時の政策担当者たちが、一種の「追い風」として利用した側面もあったのであろう。それが、僅か2年程の間に、恩給金庫法及び恩給金庫に係る説明が、大きく国家総動員体制の点に依りつつある理由と思われる。
なお、「公企業の成立と展開 戦時期・戦後復興期の営団・公団・公社」(�住 弘久)は、経済統制の方式としての国策会社について、「…国策会社と国家総動員体制は、ともに官民の協力を基調とするものであった。それ故に、行政手法としての国策会社は、国家総動員体制の要請に極めて適合的であり得た…」と述べている。
恩給金庫は、上記で言うような国策会社とは、また少し性質を異にするものであろう。しかしながら、結果的に、半官半民という形を採ったことは、恩給金庫法及び恩給金庫を国家総動員体制の要請に応えるものと位置づける上で、合理的な判断であったのかもしれない。

5.恩給金庫の廃止から恩給担保法の制定へ
戦前の国家総動員体制の整備という潮流にも乗り、経営を開始した恩給金庫であったが、敗戦に伴い、その情勢は大きく変わってしまう。すなわち、連合国軍総司令部(GHQ)が旧軍人軍属の恩給を廃止したことや、国民金融公庫が誕生したことに伴い、昭和24年に恩給金庫は廃止となったのである。
しかしながら、旧軍人軍属の恩給復活(昭和28年)がなされると、旧恩給金庫復活論が沸き起こることとなり、戦前時の状況とは大きく異なるものの、改めて恩給担保貸付の途を如何にして開くべきか、という事態となった。
そこで当時の大蔵省は、財政状況等に鑑み、新機関設立ではなく、国民金融公庫の業務として追加する(正確にはその法律関係が不安定である現況に対し、旧恩給金庫法と同趣旨の立法措置を行う)という措置を講じることとした。こうして制定されたのが、現在の恩給担保法である。
この経緯は、国民金融公庫の機関報に、当時の大蔵省銀行局特殊金融課の職員が寄せた寄稿文(以下「恩給担保法メモ」という。)に詳しい。それによると、下記のとおりであるが、こうした経緯を積み重ね、恩給担保貸付は国民金融公庫の業務となり、また政策金融改革を経て、現在の日本公庫及び沖縄公庫において行われることとなったのである。
「軍人恩給復活の先駆をなしたのは昭和27年4月に公布された戦傷病者戦没者遺族等援護法であるが、翌28年8月公布された恩給法の一部改正により軍人恩給は殆んど全面的に復活…同時に恩給法第11条の規定が改正され恩給を受ける権利を国民金融公庫及び別に法律で定める金融機関に担保に供することができることとなつた。…これらの一連の措置を契機として恩給関係者の間に恩給金庫復活論が急速に高まるに至つた。その狙とするところは財政資金許りでなく広く民間の資金を導入し、恩給を担保として事業資金たると消費資金たるとを問わず低利の資金を豊富に供給せんとするものの如くであつた。
これに対しては次の如き理由で大蔵省としては反対の立場を取つたのである。恩給金庫が行わんとする業務と国民金融公庫のそれは金融上の性質が必ずしも異らず公庫を活用することで足り経費その他の点から考えて独立の機関を設ける積極的理由が見出し難い。現在の財政事情からみて、恩給受給者という特定のもののために特別の機関を設けて多額の財政支出をするだけの余裕がない。前記の如き狙については、民間資金の導入そのものに根本的問題がある許りでなく、低利の資金調達は極めて困難である等々である。
…昭和29年度緊縮予算の編成が進み、…公庫に対する新規資金のうち20億円が公庫が行う恩給担保貸付資金に充てられることとなり、…恩給金庫の設立は不可能となつた。
かかる客観状勢の変化もあり、恩給担保金融に対する措置として次の如き方針が再確認され、関係方面との折衝が重ねられた。
(1)公庫の行つている恩給担保金融の方法は代理受領の方法であるが、法律関係が不安定であるので債権確保の見地から物権化するため旧恩給金庫法と同趣旨の立法措置を行う。
(2)恩給法第11条の「別に法律で定める金融機関」とは広く一般金融機関を指定する。
(3)公庫の貸付は事業資金に限られているが、恩給担保貸付に限つて消費資金の貸付を認める。
以上の措置は単行法によつて行う…併し、…一般金融機関の指定は見送るとともに国民金融審議会の委員に国民大衆の利益代表を加え、これに恩給受給者の代表を充てることを予定し立案が進められることとなつた。…」

6.恩給担保貸付の原則廃止へ
さて、こうして戦後に改めて復活した恩給担保貸付であったが、その後も共済・公務員災害補償系がその対象として追加(拡充)されていった。そこに加えて、戦後の社会保障制度整備の一環として、厚生年金等が整備されていく中、昭和50年には年金担保貸付制度が整備されることとなる。
この背景としては、(1)年金受給者が高利貸しから年金証書を担保とし、高利の資金を借り入れたことが社会問題化したことに加え、(2)公務員には既に同様の制度が存在している点についての官民格差是正が求められたこと等があったとされ、これにより、官民共に同様の制度を整備するに至った。*9
しかしながら、年金担保貸付制度は、平成22年の行政刷新会議の事業仕分けにおいて、
・年金担保貸付制度を利用した者が、その借入金の返済期間中に生活保護を受ける等生活保護制度の立場から問題事例が生じていること
・年金給付を担保に貸し付ける仕組み自体が問題であること
等の理由から廃止すべきとされ、平成22年12月の閣議決定により廃止することとされた。
上記閣議決定後、年金担保貸付制度については段階的に事業規模の縮減を図るとともに、令和2年の年金制度改正により、令和4年3月末で新規の申込受付を終了することが決定した。
これを踏まえ、国家公務員等を対象として、日本公庫及び沖縄公庫が行っている恩給担保貸付についても同様に、官民不平等を防止する観点から、一部廃止(共済・公務員災害補償系を担保とする恩給担保貸付を廃止)することとなった(これにあたっては、令和元年10月23日の財政制度等審議会財政投融資分科会において、その廃止の方向性を説明・公表している)。

7.今般の改正内容
では、今回の改正内容について、簡単に解説しておきたい。
今回の改正は、年金担保貸付制度の新規の申込受付終了と併せ、年金制度の機能強化のための国民年金法等の一部を改正する法律(令和2年法律第40号)によって行われた。施行日は令和4年4月1日である。
ただし、年金担保貸付制度と異なり、恩給担保貸付については、一部の者について引き続き対象とするよう改正しており、その点が最大のポイントである。
具体的には、まず恩給担保法においては、その第2条第1項において、恩給担保貸付の対象となる「恩給等」について、下記のものに限定する形で改正を行っている。
(1)恩給法(大正12年法律第48号)その他の法令に規定する恩給で年金として給されるもの
(2)戦傷病者戦没者遺族等援護法(昭和27年法律第127号)第5条(援護の種類)に規定する障害年金、遺族年金及び遺族給与金
加えて、恩給を給すべきものとされた公務員として在職した期間を有する者に係るものについても、引き続き、恩給担保貸付の対象となるよう改正を行っている。
具体的には、被用者年金制度の一元化等を図るための厚生年金保険法等の一部を改正する法律(平成24年法律第63号)附則第122条を改正し、恩給担保法第2条第1項の「恩給等」とみなされる年金について、「恩給公務員期間」を有する者に係るものに限るよう改正を行っている。なお、恩給公務員期間とは、具体的には下記のとおりである。
・国家公務員にあっては、国家公務員共済組合法の長期給付に関する施行法(昭和33年法律第129号。以下「国共済施行法」という。)第2条第10号に規定する恩給公務員期間。
・地方公務員にあっては、地方公務員等共済組合法の長期給付等に関する施行法(昭和37年法律第153号。以下「地共済施行法」という。)第2条第1項第33号に規定する恩給公務員期間。

○国共済施行法(抄)
(定義)
第二条 この法律において、次の各号に掲げる用語の意義は、それぞれ当該各号に定めるところによる。
一~九 (略)
十 恩給公務員期間 恩給公務員、従前の宮内官の恩給規程による宮内職員、恩給法第八十四条に掲げる法令の規定により恩給、退隠料その他これらに準ずるものを給すべきものとされていた公務員その他法令の規定により恩給を給すべきものとされた公務員として在職した期間(法令の規定により恩給を給すべきものとされた公務員として在職するものとみなされる期間、恩給につき在職年月数に通算される期間及び在職年の計算上恩給公務員としての在職年月数に加えられる期間を含む。)をいう。
十一~十四 (略)

○地共済施行法(抄)
(定義)
第二条 この法律(第十三章を除く。)において、次の各号に掲げる用語の意義は、それぞれ当該各号に定めるところによる。
一~三十二 (略)
三十三 恩給公務員期間 恩給公務員、従前の宮内官の恩給規程による宮内職員、恩給法第八十四条に掲げる法令の規定により恩給、退隠料その他これらに準ずるものを給すべきものとされていた公務員その他法令の規定により恩給を給すべきものとされた公務員として在職した期間(法令の規定により恩給を給すべきものとされた公務員として在職するものとみなされる期間、恩給につき在職年月数に通算される期間及び在職年の計算上恩給公務員としての在職年月数に加えられる期間を含む。)をいう。
三十四~四十二 (略)
2・3 (略)

そして、当該期間を有する者に係るものが想定されないもの(いわゆる農林年金や私学共済年金)については、恩給担保法において恩給等とみなすとした根拠規定を削除する等の措置を行っているものである。
この改正の考え方は、概して言えば、国家補償としての性格等を有する恩給等については、相互扶助の精神に基づき保険数理の原則により運営される公的年金制度とは異なるため*10、廃止対象からは除いたというものである。
なお、一部廃止であって、恩給公務員期間を有する者に係るもの等については、引き続き貸付対象とするという点に鑑みれば、恩給担保貸付は、累次の制度改正を経たことで、結果的に国家補償としての性格等を有する恩給等を対象に必要な資金を供給するという、その制度創設時の姿に立ち返ることとなった*11、と言えるのかもしれない。
さて、今般の改正の趣旨は上記の通りであるが、恩給担保法第2条第1項第1号は今回改正されず「恩給法…その他の法令に規定する恩給」として残るところ、この「その他の法令」として、地方公共団体が定める条例も含まれると解するべきかというお問い合わせを受けることがあったので、この部分についても補足的にお答えしておきたい。
この「その他の法令」をどう解するべきかであるが、現行の(今般の改正前)第2条第1項第3号は「条例により地方公共団体から給される年金で前二号に掲げるものに準ずるもの」としているため、ここにいう法令に条例は入らないと考えられる。
また、恩給公務員期間を有する者に係るものに限る中で、同法第2条第1項第3号は削られていることも踏まえれば、条例に係るものを、改正後に「その他の法令」として読むということは、一般論としても不適当と考えられるだろう。*12
なお、より法改正の趣旨を踏まえる形で述べるのであれば、次のようになろう。
すなわち、今般の法改正においては、地方公務員の場合、今後、恩給担保貸付の対象とする者に関し、地共済施行法第2条第1項第33号に規定する恩給公務員期間を有する者に係るものに限るという形で、法令上も定義付けをした改正を行っている。
その点を踏まえれば、恩給担保法もさることながら、地共済施行法にいう「恩給公務員期間」と解釈し得ないような性質のものをその対象と解しようとする場合は、上記改正内容とも齟齬を来すおそれがあるため、対象とはならないと解することが望ましいであろう。
ちなみに、条例と「その他の法令」に関して、町村職員恩給組合法(昭和27年法律第118号)に基づくものはどうすべきか、というご指摘についてもお答えしておきたい。*13
こちらについては、恩給担保法第2条第1項第3号を削っているという点はもとより、(1)国家補償としての性格等を有する恩給等についてはその廃止対象から除くとして、(2)地方公務員の場合、今後、恩給担保貸付の対象とする者に関し、地共済施行法第2条第1項第33号に規定する恩給公務員期間を有する者に係るものに限るという形で、法令上も定義付けをした改正を行っている、ということに鑑みれば、改正後においては「その他の法令」として解する余地は乏しいであろう。よって、今般の改正において、恩給担保貸付の対象から廃止することとなるものである。今般の改正にあたり、ご留意いただければ幸いである。
以上が、今回の改正に係る大まかな解説である。

8.おわりに
戦後も約80年が経ち、令和の時代になって「恩給」の話とは、と思われた方も多くおられるであろうが、本稿で取り上げてきた恩給担保貸付は、国民の皆様の生活を支える重要な金融仲介手段の一つとして機能してきたものである。
社会・経済環境が大きく変容した今の価値観で見れば、なぜ恩給や共済年金等を担保に金を貸すのだろう、と思われていた方もおられるかもしれない。しかしながら、こうして当時の政策担当者の見解等も踏まえて読み解けば、様々な角度からの議論・調整があったことがお分かりいただけるのではないかと思う。
最盛期には、1年度間に1,000億円を超える小口資金を供給してきた事実は、この恩給担保貸付が、明白な行政需要に裏打ちされた政策だったことを示しているだろう。
一方で、制度創設当時と比較し、代替となる制度が整備されつつあることも事実であり、既に恩給担保法が目指したその政策目的は概ね達せられたとの評価も可能であろう。
当初においては極めて実需に応じた、合理的な理由に基づく制度・政策であり、国民の皆さまの実需に応じて累次に渡り制度を拡充・充実してきたとしても、社会・経済環境が変容する中で、その制度・政策が時代の役目を果たした際には、縮小に向けた検討が必要となる。
社会・経済環境が目まぐるしく変化する今日においてこそ、望ましい資金供給を実現するため、今どのような制度設計をするべきなのか、また、制度改善すべき点はないかといった視点を見落とすこと無く、不断の検討を行っていくことが重要ではないだろうか。
恩給担保貸付という実例は、国民の皆様の実需に応じ、制度・政策を企画立案するとはどういうものなのかということを、その時代の役目を果たすにあたり、令和の時代における政策担当者に対し、改めて問いかけている。
(以上)

図表.(参考1)令和元年10月23日 財政制度等審議会財政投融資分科会資料(抄)
図表.(参考2)地方公務員等共済組合法制定以前の地方公共団体職員への恩給等適用イメージ
図表.日本公庫及び沖縄公庫における恩給担保貸付実績*14

*1)参照条文は、下記のとおり。
○恩給法(抄)
(譲渡・担保・差押の禁止)
第十一条 恩給ヲ受クルノ権利ハ之ヲ譲渡シ又ハ担保ニ供スルコトヲ得ス但シ株式会社日本政策金融公庫及別ニ法律ヲ以テ定ムル金融機関ニ担保ニ供スルハ此ノ限ニ在ラズ
(2) 前項ノ規定ニ違反シタルトキハ裁定庁ハ支給庁ニ通知シ恩給ノ支給ヲ差止ムヘシ
(3) (略)

○恩給担保法(抄)
 (目的)
第一条 この法律は、株式会社日本政策金融公庫が恩給等を担保として貸付けをする場合におけるその担保の効力に関する規定を設けるとともに、その業務の範囲を拡張することにより、恩給等を担保とする金融の円滑化を図ることを目的とする。
 (担保に供された恩給等の支払)
第三条 株式会社日本政策金融公庫(以下「公庫」という。)に担保に供された恩給等については、その担保に供されている間は、公庫だけがこれに係る恩給等の支払を受けることができる。
2 公庫は、担保に供された恩給等について支払を受ける金銭をもつて当該担保に係る貸付金の弁済に充当するものとする。
 (受給権の放棄の禁止)
第四条 恩給等を担保に供して公庫から貸付を受けた者は、その債務の全部の弁済が終るまでは、その担保に係る恩給等を受ける権利を放棄することができない。
 (公庫の業務の特例)
第十条 公庫は、株式会社日本政策金融公庫法(平成十九年法律第五十七号)第十一条第一項第一号及び第二号並びに第二項第一号の規定にかかわらず恩給等を担保とする場合に限り、これらの規定による貸付け以外の貸付けの業務を行うことができる。
2 前項の業務は、株式会社日本政策金融公庫法の適用については、同法第十一条第一項第一号の規定による同法別表第一第一号の下欄に掲げる資金の貸付けの業務とみなす。

○沖縄振興開発金融公庫法(昭和47年法律第31号)(抄)
 (目的)
第一条 沖縄振興開発金融公庫は、沖縄(沖縄県の区域をいう。以下同じ。)における産業の開発を促進するため、長期資金を供給すること等により、一般の金融機関が行う金融及び民間の投資を補完し、又は奨励するとともに、沖縄の国民大衆、住宅を必要とする者、農林漁業者、中小企業者、病院その他の医療施設を開設する者、生活衛生関係の営業者等に対する資金で、一般の金融機関が供給することを困難とするものを供給し、もつて沖縄における経済の振興及び社会の開発に資することを目的とする。
 (業務の範囲)
第十九条 公庫は、第一条の目的を達成するため、次の業務を行う。
 一~一の三 (略)
 二 沖縄に住所を有する者で沖縄において事業を営むものに対して、小口の事業資金の貸付けを行い、並びに沖縄に住所を有する者に対して、小口の教育資金の貸付け(所得の水準その他の政令で定める要件を満たす者に対するものに限る。)を行い、及び恩給等を担保として小口の資金を貸し付けること。
 三~九 (略)
2 前項において次の各号に掲げる用語の意義は、当該各号に定めるところによる。
 一・一の二 (略)
 二 恩給等 株式会社日本政策金融公庫が行う恩給担保金融に関する法律(昭和二十九年法律第九十一号)第二条第一項に規定する恩給等をいう。
 三~五 (略)
3 (略)
4 株式会社日本政策金融公庫が行う恩給担保金融に関する法律第三条から第九条までの規定は、公庫が同法第二条第一項に規定する恩給等を担保として貸付けをする場合について準用する。
 二 恩給等 株式会社日本政策金融公庫が行う恩給担保金融に関する法律(昭和二十九年法律第九十一号)第二条第一項に規定する恩給等をいう。
 三~五 (略)
3 (略)
4 株式会社日本政策金融公庫が行う恩給担保金融に関する法律第三条から第九条までの規定は、公庫が同法第二条第一項に規定する恩給等を担保として貸付けをする場合について準用する。
*2)なお、後述する恩給金庫誌に掲載されている「恩給金庫設立回顧」(樋貝 詮三)において、「恩給金庫設立の歴史は遠く大正十二年に遡る。…」とある。大正12年(1923年)から見て令和4年(2022年)は、概ね100年後となる。
*3)例えば、恩給法第11条には「恩給ヲ受クルノ権利ハ之ヲ譲渡シ又ハ担保ニ供スルコトヲ得ス」とある。
*4)なお、この証書を担保とする行為については、昭和30年の最高裁判所判例(事件番号.昭和29(オ)502)において次のように触れられている。「…その恩給金受領の委任と受領する恩給金による債務の弁済充当についての合意はもとより有効ではあるが、その委任契約の解除権の放棄を特約することは恩給法一一条に対する脱法行為として無効たること勿論であつて、債務者は何時でも恩給金受領の委任を解除し恩給証書の返還を請求し得るのである…」
*5)恩給金庫誌によれば「…信用組合に於いてこの種の金融取扱開始の理由とする所は「凡そ恩給又は年金を担保に供することは法律上禁止するところであり、従つて恩給見返り貸付は適法でない貸付であるが、中小産者をその現在の窮状から救済せむとする大使命をもつ産業組合金融機関が、充分にその取扱と資金の使途に注意を払いつゝ之を行ふに於いては、むしろ法律論としての違法論以上に実際的な一大功績をあげ得るものである」といふに在る。…」とある。
*6)なお、後述する恩給金庫法解説においては、恩給の支給事務の変遷について、次のように述べられている。
「…殊に日露戦役後多数の受給者が一時に増加したので年金恩給担保金融が益々盛んに行はるる様になつたのであつた。然るに明治四十三年国費支弁の年金恩給支給事務を郵便局に於て取扱はしむることとなり、従来の大蔵省所管より逓信省に移つた以後支給庁たる逓信省に於ては常に高利貸と受給者間の紛争に悩まされたのであつた。…」
「…殊に日露戦役後多数の受給者が一時に増加したので年金恩給担保金融が益々盛んに行はるる様になつたのであつた。然るに明治四十三年国費支弁の年金恩給支給事務を郵便局に於て取扱はしむることとなり、従来の大蔵省所管より逓信省に移つた以後支給庁たる逓信省に於ては常に高利貸と受給者間の紛争に悩まされたのであつた。…」
*7)「マイクロクレジットは金融格差を是正できるか」(佐藤 順子)によれば「庶民金庫がこの時期に設立された理由について庶民金庫の後身機関である国民金融公庫は、その社史である『国民金融公庫十年史』において、1937年の日中戦争以降の戦時体制、国家総動員運動の影響を指摘している…」とある。
*8)この他にも、「庶民金庫ガ出来レバ恩給金庫ハ要ラヌデハナイカ 一ツニ合併シテハ如何」という質疑応答もあり、ここでは、マクロ的には両機関とも庶民金融の機関であろうと述べつつ、(1)その利用者の対象が異なることや、(2)恩給金庫は恩給を担保とするのに対し、庶民金庫は無担保の対人信用本位なのだから「企業ノ危険率ヲ異ニシテ居ル」こと、さらに(3)庶民金庫が全額政府出資であるのに対し、恩給金庫は「大体自給自足ガ原則」であるため「計算ノ基礎ガ異ヒマスカラ計算ヲ別ニシテユカネバナラナイト思」う等の理由が述べられている。
*9)なお、年金担保貸付制度は、当初は年金福祉事業団において行われ、その後の実施機関の変遷を経て、最終的に、独立行政法人福祉医療機構が行うに至っている。
*10)例えば、参議院総務委員会(平成19年3月29日)において、恩給制度と公的年金制度の差異につき、次のように答弁している。
○伊藤基隆君
 …政府が推進しようとしている公的年金の制度改革、被用者年金の一元化と将来の恩給制度との関係について、現時点ではどのような検討課題があるとお考えなのか、御見解を伺います。
○政府参考人(戸谷好秀人事・恩給局長)
 …御案内のとおり、恩給制度でございます。国家補償の性格を有する制度ということで、相互扶助の精神に基づき、保険数理の原則というものがございます公的年金制度とは基本的な性格は異にしているというふうに考えているところでございます。…

 加えて、上記委員会においては、恩給の国家補償としての性格についても、次の通り答弁されている。
○伊藤基隆君
 …恩給制度は様々な経過をたどり、恩給法は度重なる改正を経て今日に至っております。国家が戦争に直接動員した人々、そのことで犠牲を受けた人々に対して国家補償的な性格を持つ現在の恩給制度を最後まで全うさせる、過去の経緯からもこのことが大切だと考えますが、総務大臣に恩給制度について基本的な見解を伺います。
 将来に向かってこの制度を維持していくためには、国民の理解を得るため、より一層の努力が必要となってきますが、特にこの点についての御意見をお聞かせください。
○国務大臣(菅義偉総務大臣)
 恩給は、元々明治初期に軍人を対象とする年金制度として発足したものであって、公務のために死亡したとき、公務のために傷病を負ったとき、また長年忠実に勤務した後退職したときに、公務員の国に対する貢献、奉仕に報いるため、国が公務員及びその遺族に対し給付を行う年金制度であります。こうした点から、恩給は基本的性格として国家補償の性格を持っているものと考えています。
 また、現在、ほとんどの受給者は、さきの大戦で生命をささげて国のために尽くされた旧軍人とその遺族であります。国としては、これらの受給者の方々に対し、国家補償の考え方により誠意を持って処遇すること、このことが極めて重要であると私は認識をいたしております。今日の日本の平和や安定、これがこうした先輩の皆さんの犠牲の上に成り立っていることを私どもは決して忘れることはできないというふうに思います。
 恩給が、生命をささげて国に尽くされた方々に対し誠意を持って処遇に当たるものであることについて、若い世代も含め国民の理解を一層深めてもらうように、私ども総務省としても広報に努めてまいりたいと考えているところであります。
○伊藤基隆君
 …政府が推進しようとしている公的年金の制度改革、被用者年金の一元化と将来の恩給制度との関係について、現時点ではどのような検討課題があるとお考えなのか、御見解を伺います。
○政府参考人(戸谷好秀人事・恩給局長)
 …御案内のとおり、恩給制度でございます。国家補償の性格を有する制度ということで、相互扶助の精神に基づき、保険数理の原則というものがございます公的年金制度とは基本的な性格は異にしているというふうに考えているところでございます。…

 加えて、上記委員会においては、恩給の国家補償としての性格についても、次の通り答弁されている。
○伊藤基隆君
 …恩給制度は様々な経過をたどり、恩給法は度重なる改正を経て今日に至っております。国家が戦争に直接動員した人々、そのことで犠牲を受けた人々に対して国家補償的な性格を持つ現在の恩給制度を最後まで全うさせる、過去の経緯からもこのことが大切だと考えますが、総務大臣に恩給制度について基本的な見解を伺います。
 将来に向かってこの制度を維持していくためには、国民の理解を得るため、より一層の努力が必要となってきますが、特にこの点についての御意見をお聞かせください。
○国務大臣(菅義偉総務大臣)
 恩給は、元々明治初期に軍人を対象とする年金制度として発足したものであって、公務のために死亡したとき、公務のために傷病を負ったとき、また長年忠実に勤務した後退職したときに、公務員の国に対する貢献、奉仕に報いるため、国が公務員及びその遺族に対し給付を行う年金制度であります。こうした点から、恩給は基本的性格として国家補償の性格を持っているものと考えています。
 また、現在、ほとんどの受給者は、さきの大戦で生命をささげて国のために尽くされた旧軍人とその遺族であります。国としては、これらの受給者の方々に対し、国家補償の考え方により誠意を持って処遇すること、このことが極めて重要であると私は認識をいたしております。今日の日本の平和や安定、これがこうした先輩の皆さんの犠牲の上に成り立っていることを私どもは決して忘れることはできないというふうに思います。
 恩給が、生命をささげて国に尽くされた方々に対し誠意を持って処遇に当たるものであることについて、若い世代も含め国民の理解を一層深めてもらうように、私ども総務省としても広報に努めてまいりたいと考えているところであります。
*11) 恩給金庫法解説によれば、恩給金庫の貸付対象として「…金庫に於て資金の貸付を為すものの範囲は、…三 恩給法以外の法令に依る恩給受給者 であるが、第三の恩給法以外の法令に依る恩給受給者中には、省令以上の法令に基く共済組合年金受給者をも包含するものと解釈してゐる。…」とあるため、その当初において、国家補償としての性格等を有する恩給等のみを対象としていたわけではないようである。したがって、今回の改正により、恩給担保貸付は、その制度創設時よりも厳密な形に対象を縮小したとも言えるだろう。
*12) 恩給担保法メモによれば、恩給法を準用する日本専売公社法(昭和23年法律第255号)や日本国有鉄道法(昭和23年法律第256号)等を想定していたようであるが、「…恩給法その他の法令の範囲は相当広般多岐に亘つている…」とあり、非常に幅広く読める規定であったようである。
*13) 町村職員恩給組合法は、法律に基づいて各町村が、地方自治法(昭和22年法律第67号)第284条に基づく一部事務組合を設けて行うという建付けであり、また昭和29年の参議院地方行政委員会の答弁にもあるように、条例に基づいて支給を行うというものであった。

○町村職員恩給組合法(昭和27年法律第118号)(抄)
 (町村職員恩給組合の設置)
第二条 町村は、都道府県の区域ごとに、職員の退職年金及び退職一時金に関する事務を共同処理するため、地方自治法(昭和二十二年法律第六十七号)第二百八十四条に規定する一部事務組合(以下「町村職員恩給組合」という。)を設けなければならない。
 (給付財源の計算及び資産の管理に関する原則)
第六条 町村職員恩給組合の給付に要する財源の計算及びその資産の管理は、健全な保険数理を基礎としなければならない。

第19回 参議院 地方行政委員会(昭和29年6月9日)(抄)
○説明員(松島五郎)
 …町村職員恩給組合法によつて恩給組合が条例を作りまして、その条例によりまして、現在吏員に対しては恩給が支給されておるわけでございます…。
○石村幸作
 そうすると、これは条例によるとしてありますがね、恩給組合法、あれは条例によつていますか。
○説明員(松島五郎)
 あれは組合法は一部事務組合として設立されておるのでございまして、一部事務組合でございますので、恩給の具体的支給はそれぞれの組合の条例によつて支給することになつております。
○石村幸作
 組合の条例ですか。
○説明員(松島五郎)
 組合の条例でございますが、あの一部事務組合は地方公共団体でございますから、結局普通の町村の条例と全く内容は同じことになるわけでございます。
*14) 貸付実績は、当時の物価変動等を勘案していない計数であることには留意する必要がある。また、日本公庫及び沖縄公庫の双方が取得可能な年度を用いている(単位未満四捨五入)。