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特集 沖縄総合事務局、沖縄地区税関、沖縄国税事務所 沖縄復帰50年の歴史と果たしてきた役割

沖縄が本土復帰を果たしてから令和4年で50周年を迎える。沖縄には財務省関連の機関として沖縄総合事務局、沖縄地区税関、沖縄国税事務所があるが、50年間でどんな役割を果たしてきたのかをリポートする。取材・文 向山 勇

写真:沖縄復帰前の那覇税関の外観
写真:那覇空港における旅具検査
写真:復帰に伴って掲げられた沖縄国税事務所の看板
写真:復帰直後の沖縄国税

事務所の庁舎

写真:復帰後の沖縄総合

事務局の庁舎
27年のアメリカ統治を経て昭和47年に復帰
財務省関連機関では、沖縄総合事務局、沖縄地区税関、沖縄国税事務所を設置
昭和44年の佐藤・ニクソン会談で昭和47年までの沖縄復帰を表明
昭和20年7月26日、ポツダム宣言の受諾により、その第八項「日本国の主権は本州、北海道、九州、四国並びに諸小島に局限される」の規定より、沖縄は施政権が分離された。
その後、昭和28年8月には、米ダレス国務長官の声明が発表され、同年12月25日に南西諸島のうち奄美大島が復帰した。また、昭和43年6月には小笠原諸島の復帰が実現したが、沖縄の復帰は未定のままだった。
佐藤総理は現職の総理大臣として戦後初めて、昭和40年8月に沖縄を訪問し、「私は沖縄の祖国復帰が実現しない限り、わが国にとって戦争が終わっていないことをよく承知しています」と述べ、日本政府が沖縄住民の多年の念願であった施政権復帰問題に本格的に取り組むことを明らかにした。
そして昭和44年12月21日、佐藤・ニクソン会談における共同声明によって、沖縄の復帰が表明され、その時期は、昭和47年中の早い時期とされた。
昭和45年3月の閣議で復帰対策の基本方針を策定
政府は、佐藤・ニクソン会談の声明をうけ、ただちに復帰準備にとりかかり、昭和45年3月の閣議決定において「沖縄復帰対策等の基本方針」が定められ、同時に復帰政策の調整・推進のための機関として「沖縄北方対策庁」が総理府に設置されることになった。
また、本土法令の沖縄への適用のための準備として、復帰対策の基本をうたうとともに、法令の適用にあたっては、沖縄の経済・社会の特殊性を考慮して暫定的特別措置法を講ずること、経済・社会の開発・発展を推進するために、立法上および財政上の措置を講ずることに、特段の考慮を払うべきことが明示された。
そして、昭和47年5月15日、27年間に及んだアメリカによる沖縄統治が終わり、沖縄は日本に復帰した。復帰に伴い財務省関連機関として、沖縄総合事務局(財務部)、沖縄地区税関、沖縄国税事務所が設置された。次ページ以降では3つの機関がこれまでにはたしてきた役割について紹介する。

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一万円金貨幣と千円銀貨幣の2種類
沖縄復帰50周年記念貨幣を発行
財務省は沖縄復帰50周年記念貨幣を発行する。貨幣の種類は、一万円金貨幣と千円銀貨幣の2種類。一万円金貨幣の図柄(表面)には、首里城正殿を、琉球舞踊の演目である「四つ竹」とともにデザイン、千円銀貨幣の図柄(表面)には、首里城正殿を、沖縄県の県鳥である「ノグチゲラ」と県花である「デイゴ」とともにデザインしている。
申込受付期間は令和4年5月15日から3週間程度を予定している。

沖縄総合事務局
沖縄の振興開発を一元的、効率的に推進する国の唯一の総合出先機関
沖縄復帰と同時に沖縄開発庁の地方支分部局として沖縄総合事務局を設置
昭和47年中に沖縄の復帰が実現することになったことを受けて、復帰準備に万全を期するとともに、北方領土問題等に関する諸問題を解決するため、昭和45年5月1日、従来の特別地域連絡局の機構が拡充され、新たに総理府の外局として沖縄・北方対策庁が発足した。同時に従来の日本政府沖縄事務所に代えて、沖縄・北方対策庁の機関である沖縄事務局が設置された。
その後、昭和47年5月15日に沖縄の本土復帰が実現すると、沖縄・北方対策庁は廃止され、国務大臣を長とする沖縄開発庁が、総理府の外局として設置された。沖縄開発庁は、沖縄の振興開発に関する国の諸施策を積極的に推進し、豊かな沖縄県づくりに政府が直接の力添えをする体制を整備するための総合的な計画の作成並びにその実施に関する事務の総合調整及び推進に当たることを主たる任務とした。
また、沖縄の振興開発を能率的に進めるとともに、県民の便益に資するため、県民生活に密接な関係のある許認可事務や指導助言等の行政事務、振興開発関連の建設工事等について、一元的、かつ、総合的な事務処理を行うため、沖縄開発庁の地方支分部局として「沖縄総合事務局」が設置された。
沖縄総合事務局は、沖縄開発庁の所掌事務の一部を分掌するほか、公正取引委員会の事務局の地方事務所、財務局、地方農政局、通商産業局、海運局、港湾建設局、陸運局、地方建設局の地方支分部局で所掌すべきとされている事務、その他民有林及び水産関係の事務の一部を分掌することとされた。
なお、沖縄総合事務局は、平成13年1月6日の省庁再編に伴い、内閣府の地方支分部局となっている。
沖縄総合事務局財務部で「財務局」の役割を担う
沖縄総合事務局は、総務部、財務部、農林水産部、経済産業部、開発建設部、運輸部の6部と19の事務所から組織されており、関係省庁から出向してきている職員等を含め、総勢874人(令和3年度末定員)の職員が勤務している。
このうち、財務部では財務省の出先機関にあたる財務局の機能を担っており、地域において財政や国有財産などに関する施策を実施するとともに、地域経済の実情や動向を把握してこれを財務省の施策の企画立案に活かしていくなど、地域社会と国とを結ぶ重要な役割を果たしている。また、金融庁長官の委任を受けて、地方における民間金融機関等の検査・監督等の業務を実施している。
近年では、米軍返還財産等の国有財産について、地域や社会のニーズに対応して有効活用を図り、また、沖縄・事業者支援態勢構築プロジェクトの一つである事業者支援セミナーを開催し、さらに、財政健全化の理解や金融リテラシー向上を目的として、財政授業や金融経済教育授業等を実施している。

今後の取組
沖縄総合事務局は、今後も、国の唯一の総合出先機関として、新たな沖縄振興計画の下、新型コロナで落ち込んだ沖縄のリーディング産業である観光産業の復活を初め、沖縄の新しい未来を創造するため、様々な関係者と協働して、沖縄の課題解決に貢献する組織を目指していくこととしている。

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沖縄総合事務局財務部の取組例

国有財産に関する取組
米軍返還財産を大学医学部と病院の移転整備用地として活用
沖縄総合事務局は、米軍から返還された西普天間住宅地区跡地に所在する国有地(約11千m2)を「琉球大学医学部及び病院の移転整備用地」として国立大学法人琉球大学へ売却した。
今後、同大学医学部と病院の移転に伴い、沖縄の医療体制の中核となる施設が整備され、高度医療や研究機能の充実、地域医療水準の向上などにつながることを期待している。

金融リテラシー向上や金融犯罪被害防止に向けた取組
若者の金融リテラシー向上へ出前講座を実施
沖縄県は、金融広報中央委員会が実施した2019年の金融リテラシー調査で、正答率が前回(2016年)に引き続き全国最下位、金融トラブル経験者や消費者ローン利用者の割合も全国上位となる等、金融リテラシーの向上が課題となっている。沖縄総合事務局では、県民の金融リテラシー向上に向けて、高校等で多重債務や投資詐欺被害防止をテーマとする出前講座を実施している。

写真:完成イメージ(琉球大学提供)
写真:出前講座の様子

沖縄地区税関
沖縄の本土復帰と同時に全国で9番目の税関として発足。
最西端における税関行政の任に当たる
石炭の輸出開始とともに明治19年に初めて税関が誕生
「長崎税関沿革氏史」によると、沖縄に税関が誕生したのは明治19年。八重山西表の内離島から石炭の輸出が認められたことから、同島の船浮港に面したところに長崎税関内離出張所が設置されたものの、3年9か月で閉鎖された。明治27年には、那覇港において清国貿易が許可されたことにより、税関業務を処理するため那覇港に長崎税関那覇税関出張所が設置された。その後明治30年6月に行われた税関官制の改正によって、長崎税関那覇税関支署に改称された。その後太平洋戦争終結後、米軍は米国軍政府の樹立と日本政府のすべての行政権及び司法権の停止を宣言。続いて同年11月、沖縄諸島を除く北緯30度以南の南西諸島における日本国政府の全ての権限を停止した。昭和25年9月、沖縄群島アメリカ民政府法務部に税関移民局が新設された。これが戦後沖縄における税関機構の始まりとなった。そして、昭和26年7月1日、税関事務がアメリカ政府から琉球臨時中央政府財政局に移管されると同時に、「琉球税関」が発足した。米軍統治下の沖縄では日本本土との輸出入貨物の取締りも税関の業務であった。昭和27年以降、琉球税関は幾多の機構改革を経て、那覇、泊、那覇空港の三つの税関に分離され、その体制は本土復帰まで続いた。
そして昭和47年5月15日、沖縄の本土復帰とともに「沖縄地区税関」が全国で9番目の税関として設置され、わが国最西端における税関行政の任に当たることとなった。

地方活性化への貢献
沖縄県には沖縄振興特別措置法に基づく沖縄独自の関税関係特別措置があり、沖縄県経済の発展に大きく寄与している。この措置には以下の制度がある。
関税等に関する特別措置
復帰前、アメリカ統治下にあった沖縄は本土と異なる関税制度や関税率を有し、従来沖縄で輸入される場合には非課税または比較的低税率であった物品が、復帰に伴って新たに課税されまたは従来より高い関税率となる場合が発生し、これについて何らかの措置も講じない場合には、沖縄の経済や消費生活に大きな混乱を招く恐れがあったため、「沖縄の復帰に伴う特別措置に関する法律(昭和46年法律第129号)が制定され、その後おおむね5年を期限とし、見直しされていった。

復帰直後の制度
従来、沖縄では各種の土産品が非課税又は低税率となっていて、本土に比べて値段が安く、本土へ入国する際には携帯品免税が認められ、観光客にとってショッピングは大きな魅力であったことから、沖縄旅行の魅力を維持するため観光戻税制度が設けられた。具体的な品名、限度額等は次のとおりであった。

現在の制度
特定免税店制度
沖縄県の区域から当該区域以外の本邦の地域へ出域をする旅客が、個人的用途に供するため、20万円以下の範囲内で、沖縄地区税関長の承認を受けた小売業者から購入した物品であって、内閣総理大臣が指定した旅客ターミナル施設等において引渡しを受ける物品の関税を免除する。
国際物流拠点産業集積地域
沖縄県における産業及び貿易の振興に資するため、国際物流拠点産業の集積を図る地域として、沖縄振興特別措置法に基づき、沖縄県知事が「国際物流拠点産業集積計画」の中で定めている。域内立地企業は、一定の条件下で、税制上の優遇措置や関税の選択課税、保税地域許可手数料の軽減、助成制度などの優遇措置が整備されている。

税関の3つの使命
●安全・安心な社会を実現する
●適正かつ公平に関税等を徴収する
●貿易の円滑を進める

我が国及び各国経済、社会活動のグローバル化が進み、人や物が国境を越えて活発に移動している今日、税関は、水際における不正薬物・銃器等の取締り等を通じた国民の安全・安心の確保、関税・消費税等の賦課徴収及び税関手続きの迅速化などによる貿易の円滑化、さらには世界貿易の健全な発展に向けた取り組みなど、国際社会の中で重要な役割を担っている。

発足50年という節目に新しい「挑戦」
税関の3つの使命の実現を胸に、国民の皆さまの負託に応えるためには組織力の強化と体制整備の促進が必要不可欠であり、職員のモチベーション向上の観点から新名称を沖縄税関(仮称)として、地区税関からの昇格を目指す挑戦をしている。

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沖縄地区税関の取組
テロ対策強化と広大な管轄区域の取締強化
沖縄では、米軍関係施設が沖縄本島の約15%の面積を占める。国際的には米国人・米国施設がテロのターゲットとされることが多く、万が一、テロが実行されると隣接する県民も被害を受ける。そこで沖縄地区税関ではテロ対策を強化している。たとえば、東京オリパラ開催時は、商業貨物、国際郵便物に重きを置いた取締強化(マンパワー投入)を実施した。また、大規模イベント開催等がない平時においても常にテロ対策を念頭に体制強化が不可欠。
また、広大な管轄区域の取締を強化するため、監視艇2艇を活用した洋上取締り等を実施している。

写真:沖縄地区税関の開所式の様子

沖縄国税事務所
国税庁の地方支分部局として発足。
泡盛製造業の発展へ技術指導なども実施
琉球政府時代の旧法令を本土に合わせた新法令に移行
沖縄国税事務所は、昭和47年5月15日、沖縄の本土復帰に伴い、大蔵省設置法に基づき、沖縄県の行政区域を管轄する、国税庁の地方支分部局として発足した。復帰直前までの税務機構であった琉球政府主税局は、国税事務所、沖縄地区税関及び沖縄県に三分された。
沖縄の本土復帰により、琉球政府時代に適用されていた所得税法や法人税法といった旧法令は、本土の所得税法や法人税法等の新法令に移行することとなった。復帰前の沖縄の税制は、基本的には本土の税制に倣って組み立てられていたが、県税がなかったことや沖縄経済の特殊事情等から本土の税制とはかなり相違している面もあった。
このため、復帰に伴う税制の以降の円滑化を図るため「沖縄の復帰に伴う特別措置に関する法律」、「沖縄の復帰に伴う国税関係法令の適用の特別措置等に関する政令」及び「沖縄の復帰に伴う国税関係法令の適用の特別措置等に関する省令」が施行された。
例えば、琉球政府時代における所得税の課税年度は4月から翌年の3月までで、所得税の確定申告期間は毎年5月1日から1ヶ月間となっていた。そのため、本土復帰の年の昭和47(1972)年分の課税期間は9ヶ月間(4月~12月)とされ、昭和48(1973)年分から暦年課税となった。
相続税は、本土復帰前、一部非課税規定はあったものの、一時所得として課税されていたが、復帰に伴い相続税法が適用されることとなった。昭和50年には相続税法の改正により、局別に土地評価審議会が設置されることとなり、沖縄国税事務所土地評価審議会が発足した。

定員の推移
沖縄国税事務所創設時は、国税事務所96名、税務署390名、合計486名の定員であった。その後、行政の簡素化、効率化、定員配置の合理化等を推進するため定員削減計画が実施され、昭和63年度には国税事務所・税務署合計で457名まで減少したが、好調な県経済を背景として、申告件数及び徴収決定済額が連年増加し、それに比例して平成29年度に国税事務所・税務署合計で500名を超え、令和3年4月1日現在、国税事務所254名、税務署331名、合計585名の定員となっている。

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沖縄国税事務所の近年の取組
泡盛製造業の発展へ酒類製造技術の向上に貢献
昭和47年の国税事務所創設以来、酒類行政の適正な運営にも力を注いできた。
創設時、間税課に鑑定官が2名設置され、昭和51年に主任鑑定官が設置された。主任鑑定官は、泡盛製造業の発展のため、技術指導の実施、泡盛鑑評会の開催、優良泡盛酵母の分離などの取組により、酒類製造技術の向上に貢献してきた。
現在、泡盛製造業は沖縄を代表する地場産業の地位を確立しているが、鑑定官が果たした役割は少なくないと評価され、国税庁としては初めて、平成31年2月14日に第31回人事院総裁賞(職域部門)を受賞した。特に近年では、主任鑑定官独自の理念を掲げ、酒類業の健全な発展のため既存事務に囚われない幅広い取組みを行っている。

写真:復帰直後の確定申告会場の様子
写真:現在の沖縄国税事務所
写真:復帰直後のコザ税務署(現沖縄税務署)
写真:復帰直後の那覇税務署
写真:復帰直後の石垣税務署
写真:復帰直後の名護税務署
写真:外国人による泡盛酒蔵見学ツアー
写真:泡盛鑑評会表彰式の様子

図表.沖縄復帰50周年記念貨幣の概要
図表.沖縄復帰50周年記念貨幣の図柄
図表.沖縄総合事務局の組織
図表.財務局(財務部)の使命
図表.沖縄における税関の歴史
図表.製造用原料品の減免税の税率の比較(主なもの)
図表.消費生活物資の減免税の比較(主なもの)
図表.観光戻税
図表.洋上・離島・不開港の取締り
図表.沖縄国税事務所における令和3年度の取組