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各地の話題/「ファイナンス」令和3年10月号

立川市
どこに行く?見どころがいっぱい立川~多摩地域を望んで
東京税関 立川出張所長 井上  雅夫

1.はじめに
 立川出張所は、東京都の西部・内陸地に位置し、多摩地域の26市1郡及び埼玉県西部の5市1郡、合わせて31市2郡の広域に点在する16か所の保税地域に係る輸出入通関や保税取締等の業務を行っている。
 その歴史は、昭和27年10月に横浜税関東京税関支署立川分室として設置され、当時の主な業務は、「臨時特例法」に基づいて立川を中心に横田、府中、入間、所沢などに展開していた米軍基地からの払い下げ物資の通関であった。
 昭和28年8月に東京税関が横浜税関から独立すると、同年9月には東京税関立川出張所に昇格、昭和44年に立川市錦町の立川合同庁舎に移転した。そして、平成25年11月、立川市緑町に新しく完成した立川地方合同庁舎に移転し現在に至っている。
 現在の立川出張所で取り扱う品目は、輸出では食料調製品、火薬類など、輸入では、外食産業向け冷凍食品が多くを占める。また、米軍横田基地も管轄していることから、「日本国とアメリカ合衆国との間の相互防衛援助協定第6条」に係る貨物の輸出入通関も行っており、このほか、基地に入港するチャーター機等の旅客、乗組員の旅具検査や、基地内の横田航空郵便ターミナル局(AMT)における非公用軍事郵便物の通関検査など他の税関官署とは異なる独特の業務も行っている。
写真:立川地方合同庁舎

2.立川市
 立川出張所がある立川市は、人口約18万人の中核都市である。立川駅周辺にはバラエティに富んだ商業施設やオフィスビルが集積し、多摩地域随一の賑わいを見せる一方で、中心市街地から少し歩けば、国営昭和記念公園や玉川上水、多摩川などがある水と緑に囲まれた街でもある。
 街の玄関口であるJR立川駅には、中央線、青梅線、五日市線、南武線が乗り入れているほか、多摩モノレールや西武拝島線、多数のバス路線があり、多摩地域の交通の要衝となっており、多くの人で賑わっている。なお、首都圏のテレビニュースなどでは、降雪が観測された際に映像が映し出されることもあり、ご存じの方も多いのではないだろうか。
 また、立川市は、国から首都圏の「業務核都市」に位置付けられており、文化、研究、防災などの広域的な都市機能が整備され、国や都の各機関、医療機関などが多く集まっている。
 なかでも立川広域防災基地は、南関東地域に広域的な災害が発生した場合に、人員、物資の緊急輸送の中継、集積拠点として災害応急対策活動の中枢を担い、陸上自衛隊立川駐屯地、東京消防庁(第8消防方面本部:ハイパーレスキュー他)、警視庁(警視庁第8方面本部他)のほか、国立病院機構災害医療センターや内閣府の災害対策本部予備施設などが配置され、災害応急に備えるとともに防災知識の普及や職員の訓練・研修などを行っている。
写真:JR立川駅
写真:立川市キャラクター「くるりん」がお出迎え
写真:国立病院機構災害医療センター

聖地がいっぱい! 立川
 立川市は、映画、ドラマやアニメ、漫画などのロケ地舞台としても多数登場する。
 映画「シン・ゴジラ」で登場する「内閣府災害対策本部予備施設」やドラマ「凪のお暇」のロケ地「オニ公園」など聖地が随所にある。
写真:© tachikawa city
写真:内閣府災害対策本部予備施設
写真:錦第二公園(オニ公園)

ファン必見! 秋の恒例行事
 陸上自衛隊立川駐屯地では、例年秋に「立川防災航空祭」が行われ、防災訓練の模様や航空機の展示等を一般に公開している。
 また、箱根駅伝予選会の会場としても有名で、本大会へ進める10校に入るためランナーが鎬を削る模様はテレビでも中継されている。
写真:© tachikawa city
写真:箱根駅伝予選会

3.多摩地域のみどころ
 次に立川市周辺の観光スポットを紹介する。
(1)国営昭和記念公園
 国営昭和記念公園は、昭和天皇陛下在位50年記念事業の一環として、立川市の米軍立川飛行場跡地に建設された総面積180ヘクタール(東京ドーム40個分)に及ぶ国営公園である。
 広大な公園内は、森のゾーン、広場ゾーン、水のゾーン、展示施設ゾーン、みどりの文化ゾーンに分けられ、エリアごとに様々な遊具や施設が設置されている。四季折々の花や自然を楽しめるほか、年間を通じて花火大会やクリスマスイルミネーション、フードフェスなど様々なイベントが開催されている。
写真:国営昭和記念公園(みどりの文化ゾーン)
(2)大國魂(おおくにたま)神社
 弥生時代の景行天皇41年(西暦111年)5月5日に創建された神社であり、武蔵国の護り神として大国魂大神を祀ったのが始まりとされている。
 1900年以上の歴史があり、東京五社といわれる大國魂神社、靖国神社、明治神宮、東京大神宮、日枝神社の中で一番古い歴史がある。
 初詣には多くの参拝客で賑わうほか、例年4月から5月にかけて7日間行われる東京都指定無形民俗文化財指定の「くらやみ祭」は、国内外から80万人の観光客で賑わう大國魂神社最大の例大祭である。
 ちなみに「くらやみ祭」は、かの有名な新選組・土方歳三を主人公にした司馬遼太郎の小説「燃えよ剣」にも登場するので、コアなファンの方は知っている方も多いと思う。
写真:大國魂神社(府中市)
(3)東京スタジアム(味の素スタジアム)
 Jリーグファンにはお馴染みの、FC東京、東京ヴェルディのホームスタジアム、通称「味スタ」である。
 2001年設立の多目的スタジアムで、2003年に味の素がネーミングライツ(命名権)を獲得、以降、サッカーやラグビーのほか、野外コンサートや展示会等にも使用されている。
 東京オリンピックでも、サッカー、ラグビー7人制、近代五種の会場として多く使用された。
写真:味の素スタジアム(調布市)
(4)東京競馬場
 これまた競馬ファンにはお馴染みの日本を代表する競馬場の一つ、東京競馬場である。日本ダービーを始めとする年間8つのG1レースが開催されている。また、場内には子供が遊べる場所や、乗馬体験コーナーなどもあり、親子で行っても十分に楽しめる場所となっている(注:新型コロナウイルス感染拡大防止のため、現在は提供していないサービスもある)。
写真:東京競馬場(府中市) 提供:日本中央競馬会
(5)高尾山
 高尾山は東京の中心部から西に50km離れた神奈川県との県境に位置し、四季折々に美しい自然が見られる標高599mの山である。
 都心からの交通のアクセスも良く、1号路から6号路までの代表的な登山道のほか、いくつもの登山ルートがあり、リフトやケーブルカーも整備されているので、老若男女を問わず気軽にハイキングを楽しめる。
 「大都市近郊にもかかわらず豊かな自然に溢れている」との理由から、2007年ミシュランガイドで観光地の三つ星を獲得したことでも有名になり、年間 300万人ともいわれる登山客で賑わう都内きっての観光地となっている。
 なお、山頂を含む一帯は「明治の森高尾国定公園」に指定され、自然や建造物は保護されているほか、山腹には約1200年前に開山された「高尾山薬王院有喜寺」がある。高尾山薬王院有喜寺は奈良時代の高僧である行基が天平16年(744年)に開山した。永和元年(1376年)、京都醍醐山の高僧・俊源大徳が入山し、本尊である「飯縄(いづな)大権現」をまつり、中興した。
 現在では成田山新勝寺、川崎大師平間寺とともに真言宗智山派の三大本山として広く知られている。
写真:高尾山薬王院有喜寺(八王子市)

高尾山に天狗のなぜ?
 高尾山を歩くと、あちらこちらで天狗の銅像を見ることができる。
 高尾山の天狗は飯縄大権現の随身として、開運、魔よけなど多くの利益を施す力を持ち、古来より多くの伝説や信仰の対象として、時に親しみを、時に恐れをもって崇められている。
また、高尾山は修験道根本道場として知られており、修験道を修める人のことを山に伏し、野に伏して修行することから「山伏」と呼ぶようになり、その姿が天狗のように見えたともいわれている。
写真:© tachikawa city
写真:「大天狗」神通力で開運をもたらすといわれる

4.米軍横田基地
 以上、名勝・観光地を紹介してきたが最後に米軍横田基地を紹介したい。
〈沿革〉
 横田基地は1940年に旧日本陸軍立川飛行場の付属飛行場として開設され、「多摩飛行場」と呼ばれた。第二次世界大戦中は日本の主要な航空機試験場として機能し、陸軍航空審査本部をはじめ、陸軍航空整備学校、陸軍航空発動機試験所、陸軍航空機気象部等の諸機関が置かれていた。当時の滑走路は1,200m、180機以上の最新鋭機があった。
 終戦後の1945年9月4日、同飛行場に米軍が進駐し、その後の多大な増築・改築を経て近代化が図られ、現在では日本における米軍の主要飛行場として機能している(5市1町に接し面積は約714万m2、滑走路3,350m)。
 ちなみに「横田」と名付けられたのは、多摩飛行場と呼ばれていた当初、飛行場の東にあった小さな村(現在の武蔵村山市)の字名が「横田」であったことからといわれている。
〈組織〉
 横田基地には在日米軍司令部、第5空軍司令部、第374空輸航空団の司令部が置かれているほか、西太平洋地域での任務を担う多数の部隊が駐留している。
 在日米軍司令部は、統合軍司令部として日米同盟の強化や日米防衛関係に影響を及ぼす事案の調整を行っており、第5空軍司令部はアメリカ合衆国の抑止力政策に貢献し、万が一その抑止が崩れた際には空中作戦を行うため、戦術戦闘機の提供と軍事空輸支援を行う。
 第374空輸航空団は、インド太平洋地域における空輸航空団として空輸支援を行っており、横田基地の主航空機であるC-130Jスーパーハーキュリーズを駆使した空輸を担い、また、税関と緊密な関係にある憲兵隊を所掌しており、在日米軍と日本国税関において最も重要かつ密接な関係にある組織の一つである。
〈地域交流、その他〉
 横田基地には、米軍放送局(AFN)、太平洋空軍音楽隊の司令部、消防や警察、空港ターミナルなどの軍の施設のほか、住宅、学校、銀行、スーパーマーケット、映画館、運動施設、レストランなどの一般の施設も完備されている。
 地域社会との交流も盛んであり、「日米友好祭」は、基地を一般に開放し、航空機の地上展示、降下訓練、ステージ演奏、露店などが行われ、2日間で10万人以上が来場する人気イベントとなっている。
〈2011.3.11 東日本大震災救援・復興支援〉
 そして「トモダチ作戦(Operation Tomodachi)」である。
 トモダチ作戦と名付け行われた活動では、地震発生当日、第374空輸航空団は、成田空港などに着陸できず目的地変更で横田に緊急着陸した11機の民間旅客機の受け入れを行った。さらに復興支援のために投入された数百人の派遣要員とともに航空機の収容、被災した福島第一原子力発電所の原子炉冷却対策のための大型消防車の提供、軍用機による幾多の軍事支援、人道支援、米国エネルギー省による空と地上からの放射線測定作業の支援など約1か月半にわたり行われた。
 あれから10年。毎年3月11日には、米国大使館及び日本各地の米軍基地にはいまでも弔意の半旗が掲揚され続けている。
 米軍の惜しみない多大な支援活動を通して、米軍と日本の友好関係がより強固になった出来事でもあった。
写真:スーパーハーキュリーズ C-130J-30
写真:日米友好祭:駅からゲートまで続く人の波
写真:日米友好祭:航空機の地上展示
写真:2011年3月12日撮影:横田基地に緊急着陸した旅客機
   乗客にはレクリエーション施設などが提供された
写真:掲げられた半旗
   左端から時計周りに米国大使館、米軍嘉手納基地、米海兵隊太平洋基地、米軍三沢基地、米軍横田基地

5.おわりに
 東京都立川市及び多摩地域、いかがでしたでしょうか?
 まだまだお伝えしたい場所がたくさんあるのですが紙面が足りません。
 この原稿を執筆している8月の時点でも、紹介した各種イベントは新型コロナウイルスの感染拡大の影響で軒並み中止や延期が続いています。いつか通常の生活が戻り、立川市そして多摩地域を散策していただけましたら幸いです。

【参考文献】
TACHIKAWA市勢要覧2020年版
(立川市総合政策部広報課発行)
TACHIKAWA CITY 21
(立川市まちづくり部発行)
八王子市公式HP
高尾山薬王院公式HP
在日米軍横田基地公式HP

【画像提供】
立川市総合政策部広報課
立川市まちづくり部都市計画課
陸上自衛隊立川駐屯地広報室
府中観光協会
八王子市産業振興部観光課
日本中央競馬会

沼津
~日本一高い富士山、日本一深い駿河湾~静岡 沼津
名古屋税関 清水税関支署沼津出張所 所長 野口  和敏

はじめに
 名古屋税関は、中部地区5県(愛知、岐阜、三重、静岡、長野)を管轄区域とし、そのうち静岡県全域を清水税関支署が管轄しています。
 そして、静岡県東部に位置する清水税関支署沼津出張所は、昭和22年に清水税関支署沼津監視署として設置され、昭和43年に出張所に昇格し現在に至ります。
 管轄区域は、静岡県沼津市以東、伊豆半島中部までの8市、2郡となります。
 当出張所では、輸出入貨物の通関業務、保税地域の管理監督業務や管内の港に入港する外国船舶の取締り等を行っています。

沼津市について
~沼津の歴史~
 沼津は、古来、東海道が通る交通の要衝で、江戸時代には、東海道の宿場町として栄え、沼津城が築かれるなど、人・物・情報の交流拠点として、政治経済、商業、文化の中心的役割を担ってきました。
 駿河湾が奥深く入りこんだ海岸線であることから、特に静浦、内浦、西浦などでは、農業よりも漁業に収入の多くを頼る漁村がありました。
 明治22(1889)年に新橋・神戸間を結ぶ鉄道(現在の東海道線)の開通で沼津駅が作られ、多くの人々が行きかい、東駿河湾地域の中心都市となり、現在に至っています。
 沼津は、千本浜や美しい駿河湾の海岸、北に富士山を眺めることができ、また温暖な気候のため、観光地や保養地として注目を集めました。
 特に沼津港は、特定地域振興重要港湾に指定され、近海沿岸漁業基地として発展。全国に水産沼津の声価を高めており、静岡県東部の拠点市場として躍進しています。
~沼津といえば「鯵(あじ)の干物」~
 沼津の鯵の干物は、大正初期から生産され、魚の多い駿河湾、低い湿度、少ない雨、強い西風など干物作りに最適な気候に恵まれたことと生産者のたゆまぬ努力で全国一の生産量を誇っています。長い歴史に育てられた技術や味付けで沼津の鯵の干物は、全国でも愛される代表的な特産品です。
~沼津港大型展望水門「びゅうお」~
 静岡県が津波対策として建設した「びゅうお」は、駿河湾から沼津港内港に侵入する津波から陸側を守るために作られた水門です。
 津波をシャットアウトする扉体は、幅40m、高さ9m、重量406tと日本最大級です。
 また、この大きな扉体を活用して、展望施設が併設されており、富士山、駿河湾、千本松原を一望できます。
~一富士二鷹三茄子(諸説あり)~
 初夢に見ると縁起が良いとすることわざに「一富士二鷹三茄子」があります。
 諸説様々ありますが、一説には、一は富士山、二は愛鷹山(あしたかやま)、三は江戸時代大変高価だった早採りの香貫茄子(現在の沼津市香貫地域で採れた茄子)だったという説があります。
 徳川家康が、自分が住んだ駿河国の高いものを順に挙げ、日本一の富士山は言うまでもなく、鷹は鳥ではなく富士山の南側にある愛鷹山のこと、茄子は初物(その年の最初の収穫品)の値段の高さを言ったと言われています。

管内名所
~世界文化遺産「韮山反射炉」~
 伊豆半島北部の伊豆の国市(沼津市の南隣)に、平成27年に世界文化遺産に登録された韮山反射炉があります。
 韮山反射炉は、幕末期に軍事力強化を目的に鉄製大砲を鋳造するために建造され、実際に稼働した反射炉としては国内で唯一現存するものです。
 「反射炉」とは、銑鉄を溶かして優良な鉄を生産するための炉で、銑鉄を溶かすために炉内の天井部分が浅いドーム形となって、そこに炎や熱を反射させて銑鉄に集中させる構造からこの名で呼ばれました。
 韮山反射炉は、着工から3年半の歳月をかけて安政4(1857)年に完成し、幕府直営反射炉としての役割を終える1864年までの間、鉄製18ポンドカノン砲や青銅製野戦砲などの西洋式大砲が鋳造されました。
~伊豆ベロドローム~
 本年7月から9月にかけて開催された東京オリンピックパラリンピックの自転車競技会場として、伊豆市(伊豆半島中央部)の日本サイクルスポーツセンター内にある伊豆ベロドロームにおいてトラック競技が、マウンテンバイクコースにおいてマウンテンバイク競技がそれぞれ行われました。
 伊豆ベロドロームという名前は、ラテン語で自転車を意味する「ベロ」と、競技場を意味する「ドローム」が由来となっています。
 トラックは、一周250mの国際基準で決められたコースで、全て木(シベリア松)で作られています。すり鉢状の形状となっているコーナーの傾斜は、最大45度にもなります。
 今夏は、この会場で世界一流アスリートによる熱戦が繰り広げられました。

おわりに
 このほかにも、海と山の豊かさに恵まれた伊豆半島は人気の高い観光地で、金目鯛、タカアシガニなどの海鮮料理や熱海、伊東、修善寺をはじめとする国内有数の温泉地が点在しています。
 また、本年8月には、中部横断自動車道(静岡~山梨間)が開通したほか、現在、愛知県豊田市から静岡県御殿場市まで開通している新東名高速道路は、令和5年には神奈川県まで全線開通予定であり、静岡県のアクセスは、さらに向上し、観光面、経済面の発展が期待されます。

【参考文献・写真提供】
沼津市・伊豆の国市・伊豆市