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ファイナンスライブラリー

柯  隆 著 「ネオ・チャイナリスク」研究
評者 前財務総合政策研究所副所長 高見  博
慶應義塾大学出版会 2021年5月 定価 本体2,400円+税

柯隆さんは中国経済研究の第一人者であり、中国問題に関する舌鋒鋭いコメンテーターとしてご存じの方も多いと思う。去る7月21日の財務総合政策研究所主催ランチミーティングにお招きし、今後の中国リスクのなかでも最も影響の大きい米中対立と中国経済の展望を中心に、非常に濃い内容のお話をいただいた。柯隆さんのユーモアとウィットに富んだ話はとても分かりやすいので、できるだけ多くの方に話を聞いていただきたかったが、ご参加されなかった方も多いと思うので、ファイナンスの紙面をお借りしてこの本をご紹介させていただく。
私が柯隆さんに初めてお会いしたのは20年以上前のことである。仕事とはいえ真剣に長い時間お話しした、初めての中国人であった。柯隆さんがなぜそんなに日本語が上手なのかすごく不思議に感じたのと、彼とペアを組んでいた相方が大柄で中国人にも見えそうな雰囲気の方で、彼らが事務室に来ると、存在感が際立っていたことを今でもよく覚えている。余談になるが、当時、中国の中央銀行である中国人民銀行東京事務所に、徐風さんというこれまた日本語がめっぽう上手な方がおられて、お二人の語学力には大変助けられた。
当時はアジア通貨危機の直後であり、国際金融局(当時)では、アジア各国のマクロ経済の動向や不良債権問題、現地に進出する日系企業への影響などについて、各課室が手分けして調査していた。中国においては、国有企業が日本で発行したサムライ債の債務不履行(デフォルト)が相次いで発生し、金融機関や投資家が損失を大きく被っていた。また、それ以前から中国では朱鎔基元総理の経済改革が断行され、為替レートの一本化や税制の抜本的な改革とともに、国有商業銀行の不良債権処理にも大掛かりな政策が打たれていた。こうした中国の金融の問題については、当時は日本語や英語で入手可能な情報が限られており、また日系金融機関の現地拠点のほとんどが上海に置かれていたため、北京の政策当局や研究者に直接コンタクトするパイプも十分とは言えなかった。
こうした状況で柯隆さんに白羽の矢が立った。当時の我が国にとっての中国リスクとは、もっぱら個別企業の信用リスクと、共産党内の主導権争いのような政治リスクが多くの方の念頭にあり、メディアでも取り上げられていたが、それとは少し距離を置いたところで、朱鎔基元総理の元に数多くの若手の実務家や研究者が集められ、改革開放を強力に進めるための柱となる経済政策が盛んに議論されていた。彼らは西側先進国、特に日本の事例を詳しく研究しており、中国側も我々との接点を求めていた。柯隆さんはこうした実務家や研究者にアクセスできたのである。
なお、財務総研は前身の財政金融研究所の時代の1993年、いち早く「中国研究会」を立ち上げ、経済問題だけでなく、政治、外交、社会を含めて幅広く取り上げ、有力な研究者や実務家のご知見を得ながら、中国を多面的かつ深く理解しようとする試みを今日なお続けていることに触れておきたい。柯隆さんにも過去、その委員を務めていただいたことがある。
話を戻すと、その後しばらく経って、2004年から北京の日本大使館で働く機会を得て以降、様々な機会に柯隆さんとご一緒させていただいた。中国の経済発展が進み、我が国だけでなく世界経済における中国の存在感が増す一方、日中は政治・安全保障の面で対立することが多くなった。それが日中間の人的交流に少なからず影を落とすようになっても、柯隆さんは財務省や金融庁、日本銀行との関係を重視され、我々が中国を理解するためのガイド役を一貫して担っている。ご自身の研究活動については、所属先が変わったり若干の変化はあるが、我々との関係を常に大切にしていただいており、実に光栄なことである。
さて、随分前置きが長くなってしまったが、この本の素晴らしさを述べさせていただく。中国の経済だけでなく政治や社会について悲観的な見通しを示した論評は、90年代からそれこそ山のようにある。「共産党一党独裁は長く持たないだろう」「日本のように低成長時代への突入は避けられないだろう」「貧富の格差が拡大し社会が不安定化するだろう」といった見通しは示されても、その背景や根拠については十分に示されているとは言い難い。本書では、最初に中国リスクを再定義し、その背景や根拠について、共産党結党や中華人民共和国成立に遡って、丁寧に記述されている。現代の中国とその他の国際社会との関係を難しくするような、新たな中国リスクを「ネオ・チャイナリスク」と定義し、周辺国がそうしたリスクを抱える中国(社会)とどのように付き合うべきかといった点に、その未来予想図を示しながら示唆を与えている。
また、筆者の使う「ネオ」とは、中国自身の変化を受けて、まさに中国を取り巻く環境が新たなステージに入ったことを示すものである。その要因は中国自身の行き過ぎた行動や考え方に起因している部分があり、中国(人)がなぜそのような思考・行動パターンをとるのかを、筆者の幼少時代に、中国共産党や指導者層がどのような教育、社会管理を行っていたのかという実話や体験をエピソードとして紹介しながら説明している。ただし、そうした指摘は、一部の悪意に満ちた中国崩壊論や、アンチ中国を煽る風潮とは全く軌を別にするものであり、むしろ、自分の生まれ育った場所がそうした状況に陥ることを全く望んでおらず、どのような振る舞いを中国が行い、アジアの周辺国との間で尊重しあえる関係を作り出すことができるのかといった視点で書かれている。
さらに、米中関係にも見られるように、中国の考えていることが海外に伝わらないことの要因として、中国人の特に当局者の「上から目線」の言説・振舞いが大きく影響しているとも述べている。中国人がこうした行動パターンをとる背景の1つとして、中国社会の競争が厳しく、自らを大きく見せる習性があると見ている。また、こうした語り口調や行動パターンを改めない限りは、海外から信頼されるリーダー的な存在になるのは難しいことも、さりげなく触れている。中国自身がこうした点に(聞く耳を持って自分から)気づかない限り、中国経済が厳しい局面に立たされてくること、また、少なくともそうした不安定な状況が20~30年間続くのではないかと筆者は示唆する。
中国のこれまでの成長モデルと、今もって国内の技術基礎研究が不足している面を考え合わせると、海外への改革開放やそれを通じた交流が中国にとっても利益をもたらすものであり、今後も積極的な受け入れを続けていくことが望ましいのではないかと語る。
なお、各章の冒頭で、筆者は様々な欧米や中国の先人の言葉を引用して紹介をしている。こうした先人が残した言葉が、現在の中国の情況を言い当てていることに驚きを覚えるとともに、現在に生きる我々の世代がそうした「知恵」の大切さを理解し、ネオ・チャイナに対面した時にどのような「知恵」をお互いに出し合えるのかを、筆者は読者に投げかけていると感じる。ネオ・チャイナリスクに中国自身も含め誰が気付き(正しく理解し)、対処するかによって未来は変わるのではなかろうか。
また、筆者の優れた部分は、人生の大半を日本国内で過ごしながらも、中国の「オリジナル」を読み分析する力を持つ一方で、欧米の有識者とも英語で対話を重ねることができる点にある。筆者は、中国が抱える問題点を多角的に浮き彫りにすることができる非常に稀有な存在である。本書の英語版が発刊されることを強く願う。
さて、冒頭で触れたランチミーティングでの柯隆さんの言葉を最後に紹介したい。私が北京で親しく付き合った中国人は10年で皆豊かになって随分穏やかになったと言ったら、「あなたが優しい人だから相手も皆優しいんですよ」と柯隆さんは笑った。そう、辛口評論家で鳴らすあなたは、言葉は辛辣でも、私たちにずっと温かい眼差しを向けてくれている。そういう方がいてくれるから、私たちはこれからも中国と中国人に真剣に向き合うのだ。(了)