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「沖縄振興の5年間」雑感

渡部  晶

写真:琉球みやらびこけしと東北の伝統こけしたち

はじめに
筆者は、2016年6月から2021年6月までの5年間にわたり、沖縄振興に関わる仕事についた*1。この5年間について、地元紙が年末に行ういわゆる「今年の10大ニュース」を参考に、2016年から2021年前半のトピックを私なりに整理したものが、表1 沖縄県内の主なニュースになる。
2000年代初頭、初代の沖縄振興局長などを務めた安達俊雄氏は、「沖縄というのは私に言わせると、問題総量不変の原則っていうか、一所懸命に課題に取り組んで解決しても、次から次に新しい問題が泉のように湧いてきて問題の総量は減らないというのが、沖縄の仕事をしていての実感でした」*2と回想している。
筆者が沖縄振興に関わった5年間は、経済的には、インバウンドの絶好調から、「観光公害」が問題視されはじめ、新型コロナウィルスの感染拡大により一転して不振に陥るという大きな激動の時期であった。東京と沖縄を往復しながら、社会学の文脈で謂う「ツーリスト」的なものの見方でこの5年間について感じたことを示すことで、今後の沖縄振興に少しでも参考になればと思う次第である*3。

1.最近の沖縄振興をめぐる動き
沖縄振興を担当する内閣府は、8月24日に「新たな沖縄振興策の検討の基本方向について」を公表した*4。
この文書の冒頭「新たな沖縄振興策の必要性」は、「現行の沖縄振興特別措置法では、沖縄の特殊事情に鑑み、県・市町村など地元の取組を支援する一括交付金や高率補助、特区・地域制度など様々な特別措置が設けられ、これらとあわせ国として必要に応じ個別の補助事業等を実施することにより沖縄振興策は推進されてきた。
これらの振興策により、現行の振興計画期間中、県内総生産や就業者数が全国を上回る伸びを示したほか、社会資本の整備等の面で本土との格差が縮小するなど、一定の成果が見られた。
しかしながら、一人当たり県民所得が全国最下位にとどまるほか、子供の相対的貧困率が全国を大きく上回る水準にあるなど、法が目的とする沖縄の自立的発展と豊かな住民生活の実現に向けて依然として様々な課題が存在しており、今一度、法的措置を講じ沖縄振興策を推進していく必要がある。
また、沖縄の離島は、近年特に、我が国の広大な領海及び排他的経済水域の保全にも極めて重要な役割を果たすようになってきていることにも注目する必要がある」としている。
河野沖縄担当大臣は、今後、この「基本方向」に沿って概算要求及び税制改正要望に向けて検討を進めるとともに、令和4年の通常国会への法案提出に向けて準備を進めていきたい旨を述べた。
その前日の8月23日、第36回沖縄振興審議会が開催され、審議会の下に置かれた総合部会専門委員会が取りまとめた「最終報告」について報告を受けるとともに、今後の沖縄振興に関する審議会の「意見具申(案)」について意見交換を行い、審議会の高橋進会長から、政府に対する「意見具申」が河野沖縄担当大臣になされた*5。並行して沖縄県での検討も、沖縄県振興審議会を中心に進められている*6。
今後、令和4年度以降の沖縄の振興に向けて、令和4年度予算編成プロセス等を経ながら、さらに検討・調整が本格化していくことが見込まれる。

表.沖縄県内の主なニュース

2.沖縄への向き合い方に関する考察など
(1)沖縄への向き合い方
文芸評論家として活躍している齋藤美奈子氏は、『忖度しません』(筑摩書房 2020年9月)*7の「わかったつもりになっちゃいけない、地方の現在地」で、沖縄に関わる新書3冊(『消えゆく沖縄』(仲村清司著 光文社新書 2016年)、『沖縄問題』(高良倉吉ほか著 中公新書 2017年)、『沖縄の不都合な真実』(大久保潤・篠原章著 新潮新書 2015年)をとりあげている。そこで、「<「戦争と基地の島」「自然の楽園」というイメージは沖縄の一面であり、一種の幻想です。この沖縄幻想を支えているのが本土のマスコミや沖縄フリークの学識者です。この構図が沖縄問題をややこしくしています>とは、『沖縄の不都合な真実』の一節だが、立ち位置こそちがえ、他の二冊にも根底には同様の戸惑いが流れているように思われる。沖縄についてあれこれいう人は以前に比べて随分増えた。だが、私たちは自分の思いを沖縄に勝手に仮託していないだろうか。少し反省いたしました」(p153 下線は筆者付す。)としていることに注目したい。
社会学の方面からは、宮城能彦・沖縄大学人文学部教授が、「沖縄村落社会研究の動向と課題―共同体像の形成と再考」*8の締めくくりで、「いずれにせよ、沖縄という地域はさまざま意味や視角から社会学者にとってテーマの宝庫であることは間違いないようである。だからこそ、問題の設定の時点で調査者の価値観・思い入れが顕在的・潜在的に入り込んでくることに対する意識も重要となってくる。沖縄は研究者が自己投影しやすいフィールドである。しかし、このような指摘すらもすでに多く語られてきたことではある。沖縄を研究するということは、このような複雑で煩わしい作業と向き合うことなのかもしれない」(下線は筆者付す。)と述べている。
ファイナンス2019年5月号に寄稿した、拙稿「『魅せる沖縄』の今後~沖縄経済の現況を踏まえて」の最後の部分で筆者は次のように記した。
【再び、「はじめに」でも引用した多田氏の「沖縄イメージ」についての考察を引きたい。「イメージの円環、消費社会の円環の外へ、自分だけが抜け出すことは困難だ。むしろ、その円環の内部に踏みとどまり、こうしたイメージ込みの現実と、いかにつきあっていけるかが問われていくだろう。例えば、現実を単純化するイメージ、隠蔽するイメージに違和感をおぼえたならば、オールタナティブとして、より複雑でリアルなイメージをいかに代置できるかどうかが、問われるだろう。」
沖縄経済については、慎重に経済数値などを分析・検討し、単純なイメージに流されない強さを持って取り組んでいけるよう精進したい。】と。*9
また、筆者は同号で、続けて次のように記した。
【一方、同じく「はじめに」で紹介した石戸氏の「OKINAWAN RHAPSODY 僕たちは、この島を生きている」であるが、結論部分で「冒頭、表層的な政争のさらに奥にある現実、「複雑」の心底に何があるのか知りたいと書いた。見えてきたのは、「複雑」の奥にあるシンプルな本質だ。沖縄の問題は『米軍基地が多すぎる、経済が弱すぎる』ということに尽きる」と喝破する。この指摘の「経済が弱すぎる」ということを真摯に受け止め、沖縄振興においても、少しでも経済的な不幸を改善していければと改めて考えた。】(下線は筆者付す。)と。
この「少しでも経済的な不幸を改善していければ」と記した筆者の願いは、この新型コロナウィルスの感染拡大で、その実現に向けた動きが遺憾ながら停滞する結果となった。しかし、謂わば止血をまさに懸命に行なうことは当然であるが、並行して、この未曾有の経験こそを、皆でもう一度、沖縄経済を冷静に見詰め直し、その後に備える契機とすべきである*10。
(2)福島県人と沖縄
筆者は、1963年に福島県平市(現いわき市)に生まれ、親の仕事の都合により福島市で4年間過ごし、小学校を卒業してからは、再び高校卒業までいわき市に在住していた。沖縄には、社会人になってから何度か観光や仕事で訪問したことはあるが、かつては、それほど深い関心があったわけではない。
沖縄振興の仕事に関わるようになって、沖縄の歴史を勉強する際に、福島県(地域)にゆかりのある者との御縁ということで調べてみると、意外と興味深い人物に行き当たったのでご紹介しておきたい。
1人は、袋中上人である*11。袋中上人は、1552年磐城国(現福島県いわき市)生まれ。1603~1606年に琉球に滞在し、第二尚氏王統第7代国王・尚寧王の信頼を得て、浄土宗の布教を行った。琉球への薩摩藩の侵攻後の1611年に京都で尚寧王と再会している。袋中の伝えた念仏は、沖縄で旧盆に先祖送りのために踊られるエイサーのなかに、念仏歌として受け継がれたとされる。また、琉球の士族、馬幸明の依頼で著した『琉球神道記』等、古琉球時代の琉球を知ることのできる貴重な著述を遺した。
もう1人は、島尾敏雄である。両親が福島県小高町(現南相馬市)出身で、本人は東北のルーツを重んじていた。敏雄はしばしば小高を訪れ、小高を「いなか」と呼んで親しんだという。代表作に『死の棘』がある。同郷人の埴谷雄高との親交も知られる。琉球弧・ヤポネシアという魅力的な視野を提示している。
ファイナンス2020年11月号に寄稿した「新型コロナウィルス感染下の 沖縄経済の状況及び 今後の中長期的な課題について(下)」で、筆者は次のように記した。
【両親が福島県の小高地区出身ということで、自らを東北にルーツを持つものとしていた、作家の故島尾敏雄は、「琉球弧」(島尾にあっては、奄美諸島、沖縄本島を中心にした沖縄諸島、宮古諸島、八重山諸島などをひっくるめたもの)という視点の重要性をつとに強調していた。「私の考えている日本国は琉球弧も東北も共に処を得たそれだ。殊に琉球弧、就中沖縄は一個独自の文化をかたくなに表現しつつ、どことなく風通しがよくて外に開けた世界を予想している・・」(「新編・琉球弧の視点から」(朝日文庫 1992年))という】と。
島尾には、1976年に多摩美術大学で行った集中講義をもとにした『琉球文学論』(2017年)があり、その中の「第五章 琉球弧の歴史」で、東北と琉球弧について考察している。袋中上人のほか、笹森儀助(青森出身)、加藤三吾(弘前出身)、上杉茂憲(山形出身)、岩崎卓爾(仙台出身)、さらには自身(福島「出身」)にもふれて、「どういうわけか東北の人は沖縄に非常に関心を持ちやすい状況にある」としているのが目を引いた。
最後の1人は、松江春次(はるじ)である*12。会津藩士の子息で、南洋興発の創業者であり、初代社長。サイパン、テニアンで製糖事業を営み砂糖王と呼ばれた。兄は、豊寿(とよひさ)で、板東俘虜収容所長として知られる。春次は、製糖会社を転々とし、台湾での製糖業で大きく成功を収めた。しかし、自身が描く南洋開発の夢のため退社、サイパン島に渡る。島では、国の入植事業に失敗した1千人の日本人が飢えていた。島の調査で製糖事業の成功を確信した春次は、飢餓を救うため南洋興発株式会社を設立し、開拓に着手。自ら陣頭で指揮を執り、資金難や病害虫などの苦難に立ち向かった。やがて製糖事業に成功し、5万人もの入植者を迎えたという。沖縄からの移民も多かった*13。成功した春次は、成金趣味を持たず質素な生活を続け、育英事業に私財を投じた。自身の苦難の経験から「青年に投資する」を持論とし、故郷の会津工業高校には33万円(現在の数億円に相当)を寄付した。同校は機械科を創設したほか講堂などを大増築し、多くの人材を輩出した*14。
なお、会津に関連してここで触れておきたいのが、会津藩の鶴ヶ城の自力再建についてである。鶴ヶ城は戊辰戦争後の明治初頭に、戊辰戦争時の損害が大きかったため取り壊されたが、多くの人々の尽力(寄付)により、1965(昭和40)年(9月17日竣工)に天守閣が博物館として再建されている。歴史を紐解けば、2019年の火災で焼失した首里城正殿の再建にも大いに参考になるかもしれない。
(3)那覇と福岡
筆者は、これもたまたまの御縁で、2001年2月から2003年7月まで、福岡市役所に出向する機会を得た。そのため、那覇と福岡についても調べてみた。歴史的には、朝鮮半島との交易に博多商人が介在したことがはっきりしているが、中世博多商人は那覇も1つの拠点として活発に貿易活動していたと推測される。
また、現在の福岡市と那覇市の共通点として、ツインシティ(首里と那覇、博多と福岡)であること、港湾・空港が都市中心部に近接して所在することが挙げられよう。さらに、福岡は大きな河川がないことから、用水の確保に苦労した歴史を持ち、結果として大量の工業用水を必要とするような第二次産業は発展しなかった。沖縄、特に那覇の今後の発展を考えるうえで、政令指定都市の雄として発展を続ける福岡市の都市政策について、過去の行政経営改革の取組みも含めていろいろと研究してみることは極めて有意義ではないだろうか*15。
なお、筆者が福岡市役所に出向した際、総務企画局長として担当した仕事の1つに、福岡アジア文化賞の事務がある。着任してすぐの2001年の第12回福岡アジア文化賞は、大賞がムハマド・ユヌス氏(グラミン銀行総裁、2006年ノーベル平和賞受賞者)、学術研究賞が速水佑次郎氏(開発経済学)であった。このころ、沖縄振興に関わるとはまったく想像していなかったが、この2人の謦咳に接したことは、沖縄振興を考える際に、たいへん貴重な経験となったと思う*16。
(4)財務省と沖縄
大蔵省・財務省では、沖縄返還にかかる、いわゆる「財務密約」が何度も話題になったことがある*17。また、大学時代、国際法ゼミにいたこともあるので、若泉敬著『他策ナカリシヲ信ゼムト欲ス』(1994年5月)、船橋洋一著『同盟漂流』(1997年11月)、我部政明著『沖縄返還とは何だったのか』(2000年6月)を読んだことが記憶に残る*18。
また、理財局資金第二課で1999年から2001年にかけて財政投融資計画の編成の仕事をしていた際、地域振興整備公団(現UR)を担当し、当時、整備が進んでいた那覇新都心のプロジェクトを知る機会があった。新都心に官公庁やメディアを集積させるという試みは、残念ながら中途半端なものに留まった。
2014年7月から1年間の大臣官房地方課長の際には、地方支分部局訪問の一環で沖縄総合事務局、宮古支所、八重山支所をそれぞれ訪問した。特に宮古地域で、開通間近の伊良部大橋を見たことは記憶に新しい。
大蔵省と沖縄の縁のうち重要なものとしては、渋沢敬三のことが思い浮かぶ。今年のNHK大河ドラマの主人公は渋沢栄一で、彼も大蔵省に在籍したことがある明治の偉人だが、その孫である渋沢敬三は、日銀総裁・大蔵大臣経験者であり、南方同胞援護会初代会長であった*19。民俗学者としての側面もあり、大正末期に台湾から鹿児島までの船旅で接した沖縄の状況については、「南島見聞録」に記述されている。また、戦後、屋良朝苗らの依頼で、壊滅的な被害を受けた沖縄の校舎を復興させるための戦災校舎復興後援会の会長を引き受け、寄付集めに尽力した。
(5)その他
筆者は高校生の頃から、国民のために、国民自身の手で、大切な自然環境という資産を寄付や買い取りなどで入手し、守っていくという、ナショナルトラスト運動に関心を持ってきた。新婚旅行ではナショナルトラスト活動の発祥の地である英国湖水地方を訪れたこともある。
あまりにも豊かな自然環境に恵まれているためか、沖縄でのナショナルトラスト運動は、正直、低調と言ってもよいと思う。しかし、たまたま、公益社団法人日本ナショナル・トラスト協会の団体賛助会員の中に、沖縄県では唯一、有限会社ペンギン食堂(沖縄県石垣市)があることを知り、2017年秋、沖縄振興開発金融公庫が地域の経済界と年に1回開催する「チバリヨー懇談会」の際に、ペンギン食堂*20のオーナーである辺銀(ペンギン)暁峰さん・愛理さんご夫婦に面会させていただいたことがある。愛理さんが米国に留学した際に、ホームステイ先の英国人宅でナショナルトラストの重要性を聞いたことがきっかけという話であった。

3.県民投票の裏で
「はじめに」で触れたように、この5年間、経済的には大変な激動が沖縄経済を襲った。ここでは、政治的な動きではあるが、いわゆる県民投票の手続きについて感じたことを記しておきたい。県民投票を行うには、実際には基礎的自治体で投票事務を担ってもらわないとできない。そのため、県民投票条例(辺野古米軍基地建設のための埋立ての賛否を問う県民投票条例)*21は、その第13条で事務処理の特例を規定し、「‥知事の事務のうち、投票資格者名簿の調製、投票及び開票の実施その他の規則で定めるものは、地方自治法(昭和22年法律第67号)第252条の17の2の規定により、市町村が処理することとする。」としている。
他方で、地方自治法第252条の17の2は、その第2項で、「前項の条例(同項の規定により都道府県の規則に基づく事務を市町村が処理することとする場合で、同項の条例の定めるところにより、規則に委任して当該事務の範囲を定めるときは、当該規則を含む。以下本節において同じ。)を制定し又は改廃する場合においては、都道府県知事は、あらかじめ、その権限に属する事務の一部を処理し又は処理することとなる市町村の長に協議しなければならない。」としている*22。
この地方自治法で定める「あらかじめ」の「協議」について、同法の権威ある解説本『新版 逐条地方自治法 第9次改訂版』(松本英昭著 2017年11月 学陽書房)は、「第二項の「協議」は、市町村長の同意までを必要としないものであるが、運用上は、都道府県と市町村との間で十分協議し、両者合意のうえで市町村が処理することとなるものと思われる。なお、協議を行う場合は、都道府県の事務権限の配分先である市町村と個別の協議が必要である」(同書1358頁)としている。条例が制定される前に市町村の担当者を県が呼び集めて説明をしたということはあったが、上記の解釈によれば、これは「事前協議」とは言えないだろう。
当時、新装なった沖縄県立図書館には所蔵されていなかったので、市民が知らないのは仕方がないとしても、行政的にきちんと本条が運用されていたのかについては、大いに疑問がある。
よもや「目的が正しければ、多少の手続的不備も正当化される、心が大切だ」とでもいうような、巷間ではありがちな自己正当化のワナに行政が陥っていなかったか。ロールズの研究でも知られる法哲学者の田中成明京都大学名誉教授は著書『法理学講義』(1994年)において、手続的正義は「従来、『目的は手段を正当化する』とか『結果よければすべてよし』などと言われ、実質的正義の実現の手段にすぎないとみられがちであった。だが、最近では、手続的正義の順守自体が、その結果如何を問わず、別個独立の固有の価値を持つことが一般的に認められるようになっている」と述べている。
政治的対立が激しい沖縄の言論空間に接してきたこれまでの経験を振り返ってみても、そのときどきの政治的な有利不利で「手続的正義」がことさらに強調されたり、あるいは無視されたりと、一貫しないように感じられることがよくあった。この県民投票という一大政治イベントでの上記の経緯は、残念ながら沖縄においても「分断の世紀」を象徴する出来事のように思われた*23。
例えば、沖縄県内で新たに企業活動を始めようとする者の視点から考えた場合、沖縄県内のあまりの政治的対立の激しさは、県内の政治的な文脈からひとたび「炎上」などすれば、県当局において企業活動に関する手続的正義が反故にされるなどして活動が阻害される可能性もあると、みられてしまわないだろうか。

4.第10回県民意識調査(平成30年8月調査)*24について
沖縄県では、県民の意識や価値観、ニーズ等の変化の状況を把握し、県政運営に役立てるためとして、昭和54年から概ね3~5年ごとに県民意識調査を行っている。第10回調査では、「子どもの貧困対策」に関する質問を設けた。「沖縄県の施策として、特に重点を置いて取り組むべきことはどのようなことだと思いますか?」という設問に、3つの項目までを選択するという質問形式である。
沖縄県の取りまとめでは、3位までの項目を合算して紹介しているが、1位で回答があったものを並べると、「子どもの貧困対策の推進」(15.7%)、「魅力ある観光・リゾート地の形成」(15.5%)、「米軍基地問題の解決促進」(9.5%)となる。3位までの単純合算では、「子どもの貧困対策の推進」(42.1%)、「米軍基地問題の解決促進」(26.2%)、「魅力ある観光・リゾート地の形成」(26.1%)となり、審議会への報告資料や初出の公表資料はこの集計値を使用している。しかし、1位から3位に点数を付して加重平均すると、「子どもの貧困対策の推進」(15.1%)、「魅力ある観光・リゾート地の形成」(10.3%)、「米軍基地問題の解決促進」(8.3%)となり、「健康福祉社会の実現」(7.6%)    の4位が3位に迫ってくる。
また、年齢別の回答を見ると、40代までは、「子どもの貧困対策の推進」が他の回答を引き離し圧倒的1位である。50代で、「子どもの貧困対策の推進」に「米軍基地問題の解決促進」が追い付いてきて*25、60代で、「米軍基地問題の解決促進」と「子どもの貧困対策の推進」が逆転する。
中央メディアの特派員的目線からすれば、「戦争と基地の島」という観点ばかりになりがちだが、沖縄で現実に生きている県民の意識はきわめて「複雑」である。

5.観光収入VS基地収入、跡地利用の経済効果
政治的な対立の激しさは、統計数値の取り扱いにも及んでいる*26。
拙稿「『魅せる沖縄』の今後~沖縄経済の現況を踏まえて」(ファイナンス2019年5月号)で指摘したので、詳細は繰り返さないが、沖縄県が県民経済計算の参考資料で作成している「基地収入」と「観光収入」のうち、「観光収入」は、沖縄県が別途アンケート調査している「観光消費額」に過ぎず、「県民経済計算の概念を考慮した数値」でもない。平仄が合わない「基地収入」と「観光収入」を並べてみても生産的なものは出てこない。
「収入」という用語が誤解を招いている。北海道などの例に習い、「観光消費額」と改称すべきではないだろうか。加えて言えば、観光庁は、都道府県の観光消費額を統一した基準で公表する取り組み(共通基準による観光入込客統計)をしており*27、沖縄県も、平成22年4月から導入しているはずなのだが、平成26年4月以降の数値は「集計中」となっている。観光業が県経済に占める重要性に鑑みれば、北海道をはじめ他地域との比較検討も重要だと思うのだが。同じく推計上の特例を認められている北海道は、平成30年7-9月期までは公表している*28。
また、同じく、基地跡地利用に伴う経済波及効果についても、その根拠とされるのは、野村総合研究所・都市科学政策研究所への平成18年度の委託調査「駐留軍用地跡地利用に伴う経済波及効果等検討調査報告書(平成19年3月)」であり、ネットからはその概要版しかみることができないが、次のような留意事項が記載されている*29。
「(1)跡地利用によって、当該地域の周辺地域にマイナスの影響を及ぼす場合があるため、影響を緩和する手立てが必要になること(例:那覇新都心地区の成長と国際通り商店街の停滞)
(2)中長期的には財政的にプラスになるものの、(市の場合)財政支出の発生時期と経済効果発生(税収増効果)の時期がずれるため、地区の概成初期~中期段階においては、財政支出が税収による財政収入をかなり上回ること(財政負担が大きい)。
(3)今後の人口推移等を考慮し、地区整備のビルトアップ率が低くなると仮定すると、財政的にプラスになる時期が大幅に遅くなること」
また、返還予定地が、今後の沖縄県中南部の宅地需要の将来展望からしてかなり大きいと推計されていて、「返還跡地間での住宅や商業・業務機能をめぐる需要(パイ)を奪い合わないようにするために、立地需要の予測や跡地間での機能分担を踏まえた、長期的かつ広域的な跡地利用の戦略の立案が必要になる」と指摘している。
基地跡地利用について、沖縄県は「中南部都市圏駐留軍用地跡地利用広域構想」(平成25年1月公表)以降、地元での具体的な取り組みが弱いように思う。県のホームページに記載されているこの構想のパンフレット(平成31年3月改定版)でも「今後大幅な人口増が見込めない中で、これまでと同様な手法では、跡地相互の競合による全体発展の阻害、良好な環境形成につながらないことが懸念されます」と記載されている。今後の積極的な取り組みに期待したい。

6.経済の自立に向けて
全国比でいう「1%経済」である沖縄経済を、ながらくきちんと分析してその成果を世に問うている経済学者として、嘉数啓・琉球大学名誉教授と、来間泰男・沖縄国際大学名誉教授を紹介したい。お二人とも、同調圧力が強いように感じる沖縄の言論空間の中で、しっかりと自らの立ち位置をもって活動されていることに、お二人に比べればまったくの若輩者であるので僭越ではあるが、筆者は最大限の敬意を表したい。
嘉数啓氏は、元沖縄振興開発金融公庫副理事長でもあるが、現行の沖縄振興策の理論的支柱の1人で、島嶼学を提唱している。「啓発された楽観主義」をモットーとする*30。嘉数氏による沖縄振興開発金融公庫の「公庫レポートNo.126(2013.02)」(沖縄:新たな挑戦 経済のグローバル化と地域の繁栄 世界の目を沖縄へ、沖縄の心を世界へ)は、10年近く前の著作であるが、沖縄経済を語る上での出発点とすべき労作である。また、続く『島嶼学への誘いー沖縄からみる「島」の社会経済学』(2017年 岩波書店)、その続編となる『島嶼学(Nissology)』(2019年 古今書院)も必読であろう。
一方、来間泰男氏は、最近は歴史研究にいそしまれている*31が、現行の沖縄振興策へのもっとも鋭い批判者*32であり、このような本質的な批判を吟味して活かすことが肝要と思う。
「かつて、アメリカ軍占領下の沖縄については、誰もが同じ説明をした。そこには現状認識の共通性があった。しかし、いまはちがう。復帰後の沖縄についての現状認識は分裂している。・・」*33との来間氏の指摘は、40年前の指摘ではあるが、いまだに通用すると考える。
また、「沖縄の社会のあり方や、人びとのものの感じ方・考え方が、日本のそれとは異なっていて、なかなか同一にはなれないということを、しっかり見つめることの必要である。そのうえで、その差異のゆえに対立し分離していくのではなく、その差異をお互いに認め合ったうえで、連帯していくべきであろう」*34との問題提起には、はっとさせられる。
お二人が、総合研究開発機構(NIRA)が行った「沖縄振興中長期展望についての検討調査」研究会(座長:香西泰氏)*35(1997年9月~1998年3月)に委員として参加していることに筆者は注目する。
この研究会は、1997年4月に沖縄県が設置した「産業・経済の振興と規制緩和委員会」(座長:田中直毅・21世紀政策研究所理事長)により提言された県内への輸入関税や消費税、輸出手続き料などを免除する「全県フリーゾーン」案が、様々な反対を生み、混乱したことを収拾して、沖縄振興の方向を落ち着かせるために開催されたという*36。
この研究会の最終報告(1998年3月)には以下のような見解が示されている。
・自立経済とは~経済発展の動因(成長のエンジン)を自己の経済構造に内蔵し、それを自己の経済循環の中から絶えず再生産し、持続可能な発展に進化しうること。
・沖縄経済成長のエンジン~「人材」、「創業」、「ネットワークの経済」の3つの要素を重視。
・経済の自立は、孤立、閉鎖ではない。解放と相互依存の中にこそ自立はある。しかし一方的依存は隷属であり、自立ではない。経済の自立は、持続可能な発展のメカニズム(成長のエンジン)を内蔵することによって、その実現を図るもの。
特に沖縄経済の自立は、その自然的地理的文化的条件、あるいは世界的な技術や思想の潮流からいって、交流と共生の中でしか育たない。
交流と共生は多様性と接触機会を生み、それが文化と産業の創造へと繋がるところに21世紀への沖縄の道筋がある。
・沖縄の自立のための戦略的産業として、交易型産業(農林水産業を含む)、文化交流型産業、情報通信産業。
・人材育成、低コスト化に貢献するインフラ整備、規制緩和、創業支援の重要性。
(「ここで創業支援の例として、沖縄振興開発金融公庫などによる(1)技術評価、(2)会計法務相談指導等の創業支援、(3)創業者同士の相互支援、(4)草の根の少額資金の融通マイクロファイナンスの試行などが検討に値しよう」と研究会の最終報告にあることは指摘・強調しておきたい。)
である。
20年たっても輝きを失わない、碩学の透徹した見識の高さに感服するとともに、沖縄振興については、やるべきことは20年前からはっきりしていると思わざるを得ない。何がそれを阻害しているのか、をより真剣に考える時期が到来しているように思われる。
ただし、「子どもの貧困」に象徴される社会問題の解決は、最近まで、沖縄では明確な形で認識されてこなかった。このような社会問題の解決は、今後最も注力すべき課題であろう。1.で紹介した内閣府の「新たな沖縄振興策の検討の基本方向」でも、個別の事項の筆頭が「子どもの貧困」で、次に「教育」と続き、「産業の振興」がそのあとになっている。先に紹介した県民意識調査でもそれは明確である。

おわりに
新刊『平成史―昨日の世界のすべて』(文藝春秋社)*37を「歴史学者」として著す最後の著作として世に問うた與那覇潤氏は、2013年4月28日にヤフーの個人ブログに投稿した「反転する理念への投企 沖縄『復帰』40周年から、主権『回復』式典へ」と題する論稿*38で、まず「沖縄について論じるのは常に気の重い仕事である」とする。また、博士論文(のち『翻訳の政治学 近代東アジア世界の形成と日琉関係の変容』(2009年 岩波書店))では、「1990年代以降、沖縄(や北海道/アイヌや台湾や朝鮮)を素材に『日本という国家に回収されない語り』を持ち上げて、違背者と見なされた既往の叙述の揚げ足をとる風潮があったが、他者の記述ばかりを批判して、自分は回収されたくないから何も語らないという態度ほど無責任なものはない。ナショナリズムは(キャピタリズムやデモクラシーとも類似するが)個々の思想という以上に政治・社会的な『体制』、メカニズムの問題であり、現実の情勢がナショナルな枠組みで動いている以上は、あらゆる語りが潜在的にはそこに『回収』されうる。むしろ必要なのは、『回収されたか否か』ではなく、『いかなる形で』回収されたかを問う営為だ、ということを記した」と述べる。
そして同氏は、「かつて沖縄は『近代』の支配の構造の下でも、日本という理念の方を選んでくれた。そのことの意味を、私たち日本人がもう一度噛みしめる時が来ていると思う」というのだ。
日本が「魅力ある国家理念」を提示できるか、が死活的に重要なのだ。沖縄振興を考える上でもこの点を常に忘れてはならないと思う。
本稿の資料作成において、武田浩徳・前沖縄振興開発金融公庫総務部総務課上席調査役(現・主計局主計官補佐(内閣・デジタル・復興))を煩わせた。記して感謝したい。ただし、ありうべき誤りなど文責は筆者にある。
(付論)
本稿の準備をはじめるタイミングで接したのが、本年3月に発刊された『沖縄経済と業界発展ー歴史と展望ー』(大城肇ほか著 1950倶楽部編 光文社コミュニケーションズ株式会社刊)である。その中で「第一章 琉球・沖縄の経済発展史」(執筆:大城淳・沖縄大学経法商学部准教授)は、「琉球・沖縄の歴史を経済学の視点で整理した」注目すべき論考である。すなわち、「沖縄が王国時代、唐の世、ヤマトの世、アメリカ世…というように、世代わりによって制度変革をたびたび経験してきた歴史を、パラダイム・チェンジという観点から経済学的にとらえ」、「制度的ゆがみがある中で、経済発展を支える一貫した制度がなかったこと、個人が主人公となる市民社会の立ちおくれ、何よりもヒューマン・キャピタル(人的資本)への投資と民間の資本蓄積のおくれが、沖縄経済の低位性をもたらしたことを示した」労作である。大城准教授は、この論考の締めくくりで、「イノベーションを醸成する地理的環境に関しては、沖縄はまだまだ改善の余地があるように筆者は感じている。知の時代において、おもしろいことをやるなら沖縄で、と思える空間にしていきたい。さらなる経済発展に向けて、沖縄は地理的な課題と格闘する必要があるだろう」と述べる。このような気鋭の論者による、アカデミズムを踏まえつつも、のびのびとした忌憚のない議論が今後の沖縄でさかんに行われるようになることを衷心より期待したい。

プロフィール
渡部  晶(わたべ  あきら)
財務省大臣官房公文書監理官
1963年福島県生まれ。87年京都大学法学部卒、大蔵省(現財務省)に入省。福岡市総務企画局長、財務省地方課長、内閣府大臣官房審議官(沖縄政策担当)、沖縄振興開発公庫副理事長などを経て、21年7月から現職。「月刊コロンブス」(東方通信社)で書評コラムを掲載中。出身の福島県いわき市の応援大使を務める。
写真:筆者近影(フレディ(2歳7か月)と)

*1)最初の1年間は、内閣府大臣官房審議官(沖縄政策担当、兼沖縄科学技術大学大学院大学企画推進担当)、残りの4年間は沖縄振興開発金融公庫副理事長、という立場である。
*2)安達俊雄・初代沖縄振興局長のオーラルヒストリーより(「沖縄開発庁および沖縄振興開発計画 オーラルヒストリー(3) 研究代表者 早稲田大学政治経済学術院教授 江上能義 (2016年1月発行)」)。
*3)沖縄振興開発金融公庫には、東京事務所として「東京本部」があり、基本的には東京で執務を行ったが、原則毎月1回の役員会出席などで沖縄に出張するというかたちであった。コロナ禍の影響がなかった時期は、だいたい1年間の5分の1程度を沖縄で仕事をした計算になる。
   ここで、多田治著『沖縄イメージを旅する』(中央公論新社 2008年)の「ツーリストという立場」に注目したい。社会学者ディーン・マッカネルの視点を借りて、「高度に細分化し、全体を見通すのが困難なほど複雑化・不透明化した近代の社会に対して、表層的にであれ、外側から全体像を見渡し、垣間見る立場にあるのがツーリストなのだという」とする。筆者も沖縄振興開発金融公庫に在籍した4年間は、東京と沖縄を行き来するという「ツーリスト」的な立場であったと思う。そのような視点が少しでも本文に出ていれば幸いだ。
*4)https://www8.cao.go.jp/okinawa/9/2021/20210824.html
*5)https://www8.cao.go.jp/okinawa/9/2021/20210823.html
*6)https://www.pref.okinawa.jp/site/kikaku/chosei/kikaku/shingikai.html
*7)「ちくま」の「世の中ラボ」連載をまとめた第3弾。初出は2017年3月号。
*8)「社会学評論第67巻第4号 特集号・沖縄と社会学」(日本社会学会編 2017)
     https://www.jstage.jst.go.jp/browse/jsr/67/0/_contents/-char/ja
     ~沖縄をこの媒体ではじめて特集した。社会学者である岸政彦氏は、『はじめての沖縄』(2018年)の終章の最後で、「語らなければならない。私たちは、沖縄について語る必要がある」といい、「これまでの定型的な話法からはみ出すような、沖縄の人々の多様な経験や、基地を受け入れさえするような複雑な意思を、そのままのかたちで描きだすこと。さらに、そうした多様性を、沖縄と日本との境界線や、日本がこれまで沖縄にしてきたことの責任を解除するような方向で語らないこと」とする。「いまだ発明されてない、沖縄の新しい語り方が存在するはずだ」というのは常に念頭におくべきものだろう。
*9)直近の筆者の沖縄経済についての見方は、「月刊事業構想」2021年3月号「沖縄県特集」の中の、筆者のインタビュー記事「政策金融から見た沖縄の可能性と課題」(112頁~113頁)を参照されたい。また、この5年間の沖縄関連の拙稿については、ファイナンス2020年11月号の拙稿「新型コロナウィルス感染下の沖縄経済の状況及び今後の中長期的な課題について(下)」の末尾に一覧を掲載した。
*10)「ポリタス『沖縄県県知事選2018』から考える」に寄稿された、先崎彰容氏(日本大学危機管理学部教授)の「沖縄を語る「文体」の乱れ」(2018年9月27日付)。
     https://politas.jp/features/14/article/614
     先崎氏は、「7年前の『フクシマ』にいた」という体験を背負う者としての立場から、「私たち本土の人間にとって、沖縄問題とは何か感情を刺激して止まないもの、本土/沖縄という二分線を聞く感情を喚起させる「民族問題」になってしまうのだ。「民族感情」というものを、右翼の専売特許だと考えるのは誤りだ。反政府的な立場であっても、沖縄という言葉に触れるだけで、私たちの心が揺さぶられ、「文体」が乱れることがある。このとき、私たちはいつの間にか、「民族感情」の虜になってしまっているのである」という。先崎氏は、「とにもかくにも動揺しないこと」、「みずからの『文体』の乱れ」を律すること、に重きを置く。
*11)文化庁月報No.517(平成23年10月号)連載「鑑 文化芸術へのいざない」京都・檀王法林寺開創400年記念 琉球と袋中上人展―エイサーの起源をたどるー
     https://www.bunka.go.jp/pr/publish/bunkachou_geppou/2011_10/series_01/series_01.html
*12)福島県会津若松市ホームページ掲載「あいづ人物伝」の「松江春次」より。
     https://www.city.aizuwakamatsu.fukushima.jp/j/rekishi/jinbutsu/jin12.htm
*13)マーク・ピーティ著『植民地―帝国50年の興亡』(読売新聞社 1996年)の114頁、264頁以下を参照。ピーティは当時の移民の圧倒的な増加について、「もしも太平洋戦争がなかったら、彼ら(土着の住民)は識別可能な民族集団として今世紀を生き残ることはできなかったであろう」と指摘している。これは、移民した側の視点のみが取り上げられがちな今日の沖縄に、新たな視点をもたらす言葉でもある。
*14)参照:宮脇俊三著『失われた鉄道を求めて』(文春文庫)は、サイパン、ティニアン(テニアン)の砂糖鉄道を紹介している。なお、沖縄県営鉄道も取り上げられている。作家の中村彰彦氏が当時、宮脇氏の担当編集者であった。
*15)石井幸孝・上山信一編著『自治体DNA革命―日本型組織を超えて』(東洋経済新報社 2001年)は、福岡市および国鉄民営化の経験を取り上げ、自治体職員が「親方日の丸」的な体質からどのように脱却すべきかを説く。福岡市が設立した公益財団法人福岡アジア都市研究所(URC)(将来の都市戦略を提言する研究機関)の活動なども参考になろう。
*16)ユヌス氏の信念は、「貧困こそが人類のあらゆる努力を汚し、侮辱するもの」「貧しくても人は自助努力をし、責任感を持って行動する」というものである。『ムハマド・ユヌス自伝』(原題:Banker to the Poor 1998)参照。一方、速水氏は、開発経済学において、市場の働き、政府の政策、共同体の人間関係の3つが経済発展において相互にどのような補完関係をもち得るかを、アジア農村社会での経験に照らしつつ追究した。速水氏は当時の受賞記念のシンポジウム(2001年9月14日開催)において、「競争のない社会では、共同体がモラルの低下や談合といった腐敗の源泉になる」と述べ、市場・国家・共同体がバランスよく相互の役割分担を果たす大切さを強調した。また、「共同体中心の協調から、新しい協力関係が含まれた競争メカニズムに軸足を移し、それをうまくデザインできるか否かが日本の将来を決定するだろう」と述べた。
     参照:第12回福岡アジア文化賞報告書
     https://fukuoka-prize.org/libraries/report-detail/6cb18c34-f1d9-4db7-9222-9985881fec5e
*17)大蔵省と沖縄返還に関しては、「昭和財政史―昭和27~48年度 第11巻 国際金融・対外関係事項(1)」(1999年)第5章沖縄返還が詳しい。
*18)近刊の『評伝 福田赳夫』(五旗頭真 監修 岩波書店 2021年6月)で、
     「財政密約は沖縄の早期返還を実現するための代償であった。これらは在沖米軍基地の機能維持に関わる問題であり、当時の反基地・反核の強い世論のなかで国民的コンセンサスを形成することは困難であったといえよう。
     福田は、佐藤政権の悲願である沖縄返還を実現するために、アメリカ側の理不尽な要求を受け入れざるを得なかった。『柏木―ジューリック了解覚書』は、福田の承認を得て作成されたものであり、そのことがもし明るみになれば、佐藤首相の後継と目されていた福田の政治生命にも影響しかねない問題であった。それゆえ、大蔵省はこの覚書の存在を徹底して秘匿したのである」(312頁)とあるのが目を引いた。
*19)この点については、元沖縄県副知事上原良幸氏((公財)沖縄協会副会長)にご教示いただいた。上原氏による「渋沢敬三を知っていますか」(沖縄協会だよりNo.6 2017.9)を参照。http://www.okinawakyoukai.jp/publics/index/54/
*20)映画「ペンギン夫婦の作りかた」(平林克理監督 2012年)参照。
*21)沖縄県公報平成30年10月31日号外第43号参照。https://www.pref.okinawa.lg.jp/kenkouhou/H30/10gatsu/181031gogai43.pdf
*22)地方自治法の該当条文を念のため下記に掲げておく。
    (条例による事務処理の特例)
      第二百五十二条の十七の二 都道府県は、都道府県知事の権限に属する事務の一部を、条例の定めるところにより、市町村が処理することとすることができる。この場合においては、当該市町村が処理することとされた事務は、当該市町村の長が管理し及び執行するものとする。
      2 前項の条例(同項の規定により都道府県の規則に基づく事務を市町村が処理することとする場合で、同項の条例の定めるところにより、規則に委任して当該事務の範囲を定めるときは、当該規則を含む。以下本節において同じ。)を制定し又は改廃する場合においては、都道府県知事は、あらかじめ、その権限に属する事務の一部を処理し又は処理することとなる市町村の長に協議しなければならない。(以下略)
*23)残念なことは、特派員的立場で冷静な報道をすべき中央メディアが、このような事態を知りつつきちんと報道していないように感じられたことだ。県民投票を推進する立場を、進んだ民主主義社会を実現する「正義」と位置づけ、そうでない立場を「守旧派」または「抵抗勢力」と位置づけるような、対立図式を好む嫌いがあったように感じられた。
*24)沖縄県ホームページ「県民意識調査(くらしのアンケート)結果の公表について(2019年4月22日更新)
      https://www.pref.okinawa.jp/site/kikaku/chosei/seido/h30chousa.html
*25)新城和博著『ぼくの沖縄<復帰後>史プラス』(ボーダーインク 2018年)は、2021年の「この沖縄本がすごい」に選ばれた。1963年生れの著者が、1972年の本土復帰の後に起きた社会的な出来事と著者の経験を綴ったエッセーであるが、沖縄の世代の感じを知る最良の1冊だろう。新城和博は、沖縄本を代表する出版社であるボーダーインクの編集者としてもよく知られる。
*26)『統治の倫理 市場の倫理』(ジェイン・ジェイコブス著 香西泰訳 ちくま学芸文庫2016年 原著は1992年)が示唆深いので紹介しておく。沖縄では、このような経済的なものの細部においても、「統治の論理」が優越しすぎているように感じる。
      ○統治の倫理~目的にためには欺け、復讐せよ、排他的であれ
      ○市場の倫理~正直たれ、契約を尊重せよ、他人や外国人と気安く協力せよ
      ジェイコブスは、両者はしばしば相互に矛盾し、対立するとし、2つの倫理を混同すると「救いがたい腐敗」が生じるという。
*27)観光庁ホームページの「共通基準による観光入込客統計」
      https://www.mlit.go.jp/kankocho/siryou/toukei/irikomi.html
*28)観光庁ホームページの「共通基準による観光入込客統計」のサイト中、「全国観光入込客統計のとりまとめ状況」の、令和3年7月30日更新分で令和3年8月23日に確認。
*29)「概要版」59~60頁。https://www.pref.okinawa.jp/kichiatochi/keizaikouka-ga.pdf
*30)バイキングの末裔ゲーリック人の教え(マン島に在住)「Whatever I am thrown、I stand on my own feet.」
*31)『琉球王国の成立と展開 よくわかる沖縄の歴史』(2021年 日本経済評論社)
     「おわりに」で、「私の議論は沖縄の弱さ、遅れをかき立てていると読む人が多いと思う。違う。事実はどうだったのかという追究の中で遅れや弱さをあぶりだしてしまったということだ。私は沖縄を愛している。しかし、弱さを含めて沖縄の事実に即して理解し、愛する。沖縄を好きだから、良いところだけ見るというやり方は私にはできない。予断を持って歴史をみてはいけない」(204頁)とする。この姿勢は、注32に掲げた経済関係の著作にも貫かれている。
*32)『沖縄の農業 歴史のなかで考える』(1979年 日本経済評論社)、『沖縄経済論批判』(1990年 日本経済評論社)、『沖縄経済の幻想と現実』(1998年 日本経済評論社)、『沖縄の覚悟:基地・経済・“独立”』(2015年 日本経済評論社)は、沖縄振興を考える上で必読だろう。
*33)「復帰10年の沖縄」(1982年初出)(『沖縄経済論批判』(1990年 日本経済評論社))
*34)初出:「よくわかる沖縄の歴史 社会変化を読み解く(63)日本と琉球の社会、どう違うのか(10)」(琉球新報2019年9月20日朝刊)。注31の著作200~201頁。
*35)香西氏が注25で触れた『統治の倫理 市場の倫理』を翻訳して日本に紹介した方であることには、偶然とはいえないものを感じる。
*36)前出。安達俊雄・初代沖縄振興局長のオーラルヒストリーより(「沖縄開発庁および沖縄振興開発計画 オーラルヒストリー(3) 研究代表者 早稲田大学政治経済学術院教授 江上能義 (2016年1月発行)」)
*37)本書の中で、「・・直前の時代を克服しきれない社会と同じように、自分自身の中にも軋みを抱えつつ、新旧どちらか一色の価値観に染め上げられずに思考を続ける。そうした誠実なかたちで成熟を求めることのコストが、あまりに高くなっていった時代。それが平成だったのではないでしょうか」(533頁)としていることが目を引いた。
*38)初出:『図書新聞』2012年6月30日号(特集・「復帰40年の現在」)