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財務省再生プロジェクト 部局横断的勉強会(4)「事業承継の現場から~「その時」を支えるファイナンスとは?」編

大臣官房地方課総務室長 川本  敦/国際局為替市場課資金管理室課長補佐 林原  賢悟/大臣官房秘書課財務官室課長補佐 足立  直也/金融庁総合政策局国際室課長補佐 大槻  裕明/関税局関税課課長補佐 神代  康幸

財務省では、常に国民の視点に立って、高い価値を国民に提供できる組織風土をつくり上げていくため、「財務省再生プロジェクト」を進めています。その一環として、部局横断的な議論の活性化や職員の政策能力向上を図るため、若手の課長補佐を中心とした有志勉強会を開催しており、「コロナ後の様々な政策課題」をテーマとして活動しています。
日本の高齢化は、国民全体の高齢化だけではありません。「社長の高齢化」も右肩上がりで進んでいます。全国の94万社を対象とした帝国データバンクの「全国社長年齢分析」によると、社長の平均年齢は調査を開始した1990年(54.0歳)から2020年(60.1歳)まで31年連続で上昇しています。2020年の社長の年齢を年代別で見ると、60代が27.3%、70代が8.9%、80歳以上が4.4%と、社長の年齢が60歳を超える企業は4割を超えます。
年齢に関係なく第一線で活躍する経営者が多いこと、それ自体は悪いことではありません。しかし、企業がある日突然廃業することになると、その影響は、その企業の従業員や家族の生活はもちろんのこと、取引先の企業、ひいては地域経済に様々な影響が及びます。今回のテーマは事業承継です。製造業・宿泊業それぞれの分野で事業承継を経験した2名の企業経営者にご登場いただき、事業承継の現実、金融機関との関わり、そして、最近のコロナ禍を踏まえた経営上の対応について、お話を伺いました。

1.諏訪 貴子先生(ダイヤ精機代表取締役社長)
プロフィール
大学卒業後、ユニシアジェックス(現・日立オートモティブシステムズ)でエンジニアとして勤務。27歳から32歳にかけて2度にわたり、ダイヤ精機入社・リストラ退社を経験。32歳(2004年)で父の逝去に伴いダイヤ精機社長に就任。新しい社風を構築し、育児と経営を両立させる若手女性経営者として活躍中。日経BP社ウーマン・オブ・ザ・イヤー 2013大賞(リーダー部門)受賞。ダイヤ精機代表取締役社長のほか、日本郵便社外取締役、中小企業省中小企業政策審議会委員、政府税制調査会特別委員。
―本日は東京・大田区のダイヤ精機本社工場3階の社長室にお邪魔しております。お時間を頂戴しありがとうございます。2004年に先代のお父様が突然お亡くなりになり、当時主婦をされていた諏訪先生が、急きょ精密加工メーカーを引き継がれたストーリーはあまりに有名で、ご著書『町工場の娘』は8刷を数えるほか、2017年にはNHKで内山理名さん主演のドラマの原作にもなっています。まずは、ご著書やドラマを見ていない本誌読者向けに、当時のお話を、金融機関との関係を中心に、お話いただけないでしょうか。
諏訪
2004年4月、メーカーに勤務している主人の海外赴任が決まり、家族で渡米する準備をしていました。米国での新生活を始めるため、既に荷物を船便で送っています。そうした中、病院に緊急入院してからわずか4日で父が亡くなりました。幹部社員からの依頼もあり、私が社長を継ぐことにしたのですが、父の社葬の数日後に訪問してきたメインバンクの支店長から同業メーカーとの合併を持ちかけられ、しかも「社長には、お辞めいただきます。合併後の新会社社長には、先方の社長についてもらいます」と言われました。銀行は、ついこの前まで主婦だった私には社長の仕事を担う力量はない、私がトップに立ったダイヤ精機は、もはや単独では生き残れないと見限っていたのです。当社はバブル崩壊後、売上はピークの半分以下に落ち込んでいました。銀行としても、手をこまねいているわけにはいかなったのでしょう。ただこれでは、実質的な吸収合併で、従業員が大幅にリストラされてしまいます。その場で、提案を一蹴し、結果を出すので半年待ってほしいと言いました。
社長に就任したのが2004年5月、断腸の思いで5人の社員をリストラしたのが6月、そしてありがたいことに「神風」もありました。メインの取引先である日産自動車がグローバル展開を拡大し、新たなラインを立ち上げるタイミングと重なりました。2005年7月期決算の売上高は、前年比14.2%増を達成しました。「悪口会議」から生まれた地道な経営改善を行い、利益率も上昇。銀行の担当者も折に触れて当社を訪ねて、業績を確認してくれました。
当社は上場しておらず業績を開示しているわけではないですから、業績がV字回復したことも、周囲の人は殆ど知らない。結果を出しているにもかかわらず、外からの評価も無いから「これで良いのか」不安になることもありましたが、「よく頑張ってますよ」という銀行の担当者の言葉は大きな支えになり、勇気づけられました。
―会社の債務に対する経営者の個人保証が事業承継のハードルになると聞くことがあります。御社の場合は、どのような取り組みをされましたでしょうか。
諏訪
事業を引き継いだ際、銀行から10億円の個人保証を求められました。車や家のローンすら組んだことが無いのに、会社が抱える負債の連帯保証人になることは怖かったです。先代からお世話になっている女性弁護士に悩みを打ち明けたところ、「失敗したときに取られて困る財産がないなら怖いものなんてない」、「うまくいけばそれでいいし、失敗しても命まで取られることはない」、「ダメだったら自己破産すればいい」、と言われました。最終的に銀行と交渉して、3,000万円まで個人保証を減らしてもらいました。会社の連帯保証を負うことで、「俺も一人前になった」と捉える経営者もいるようですが、やはり個人保証は重荷になると思います。
―現在、コロナ禍による影響が経済全体に及んでいますが、御社の活動への影響はいかがでしょうか。金融機関にどのような期待をされているでしょうか。
諏訪
リーマンショックの際の経験で、自動車の生産が減少した際も、メーカーの研究開発部門については開発業務が止まらないことを知りました。コロナの感染拡大後も、研究開発部門向けの受注に力を入れました。また、機械類など、中国の生産活動の立ち上がりが早かったこともあり、全体的に大きくマイナスにはなっていません。
他方で、コロナが広がって以降、経営者同士の集まりが少なくなり、多くの中小企業には、業界の趨勢が分かりづらくなっています。また、金融機関は、黒字企業に対して安心されているのかもしれませんが、各企業の設備や顧客層を理解したうえで、事業承継や、取引すれば更に業績が伸びるような企業の紹介といったマッチングをしてくれるとありがたいです。大勢で集まる機会が失われた以上、金融機関に足を運んでもらい、より多くの情報をもたらしていただくことがベストだと思っています。
―事業承継の実情や、コロナ禍の課題について様々なご意見をありがとうございます。本日は、お時間をいただきましてありがとうございました。
(この勉強会は、3月29日に行われました。参加メンバーは川本・林原・大槻です。)

2.小高 芳宗先生(ホテル三日月グループ代表取締役)
プロフィール
2015年現職に就任。18年7月ベトナム国ダナン市スアンティエウ観光投資株式会社(現ダナン三日月所有運営会社)代表就任。
―本日はお時間を頂戴しありがとうございます。御社が運営する「勝浦スパホテル三日月」は、昨年2月、中国・武漢市から退避した邦人の一時受入れ先となったことで、全国的に報道されました。その後の感染の爆発的拡大、緊急事態宣言の際には、全館休館されたとお聞きしています。まずは、コロナ危機の影響、金融機関の対応や、Gotoトラベルについて伺えればと思います。
小高
2020年1月29日に中国・武漢市からの帰国者を受け入れましたが、帰国者受入れに伴う風評被害も大きく、当社のホテルのみならず、近隣の市町村には「勝浦市民お断り」の札を出すお店があったり、帰国者が勝浦のスナックで飲み歩きをしているという根拠のない噂が流れ、未知のウイルスへの不安を原因とする差別がありました。約2週間で当グループ千葉3館において27,000人以上、6月までで累計キャンセル人数は68,000名に及びました。平時のホテル部門の売り上げが110億円から120億円である中、前年比マイナス75億円となっています。
そうしたなかで、累次の資金調達を行ってきました。7月20日までに34.5億を一般融資で、11月に21.6億円を商工中金の資本性劣後ローンで、それぞれ調達しました。商工中金は、土日も窓口を開けて対応したということで、企業のエッセンシャルワーカーと言えると思います。同時に日本政策金融公庫と民間金融機関の協力で、制度融資を広くスピーディーに対応する姿は官民一体となっての企業支援体制を感じ、経営に希望が持てる協業でした。
Gotoトラベルキャンペーンについては、額面上の割引という金銭的なインセンティブに留まらず、旅行のGoサインと捉える人も多く、物心両面にて効果は絶大でした。一方でキャンペーンが停止になると世の中が旅行してはいけない雰囲気になったのも事実です。観光は元の形に戻らないにせよ、アフターコロナは必ず来ると考えており、それに向けて今準備しているところです。
―一部の金融機関について、顧客との関係が希薄化しているとの指摘があります。お取引のある金融機関との間で、日常的なやりとりはあるのでしょうか。金融機関は御社の事業内容を理解していると思われるでしょうか。
小高
メインバンクの商工中金とは昭和44年より取引させて頂いております。長きにわたる関係維持のためには、常に当社の経営状態に対し「支援したくなる企業」であり続けるよう、担当変われば国が変わると仮定し、プロポーザルの繰り返しが必須だと感じます。お互い代変わりも担当変更もあるのですから、「長年付き合っているから大丈夫。」と思わないのが礼儀です。
当社は、人口減少による国内の市場縮小を見据え、経済成長が目覚ましいベトナムに、294室、開発面積13ヘクタールの大型リゾートコンプレックスを開業しています。商工中金には、2019年に、このベトナムへの投資のサポートをしていただいて以降は毎月バンクミーティングのお時間を頂戴しており、丁寧なコンディション確認を実施していただいています。また、メガバンク・地元金融機関を含む他の金融機関とも緊密にコミュニケーションを取らせていただいており、このような密なやり取りを通じて事業内容については金融機関皆様に理解されていると感じています。こうした日頃の積み重ねが有事の際の融資、今回で言えば3月7日の27.5億円のシンジケートローン組成の内示やその後の資本性劣後ローンの上限額までの融資にも繋がったと実感しています。
―話が前後しますが、御社におかれては、2015年に先代の創業者から事業承継をされています。金融機関の提供するサービスの中で事業の助けになるものはあるでしょうか。事業承継にあたって困難だった点はどのようなところでしょうか。特に、事業承継の際に会社の債務に対する個人保証を引き継がないといけないという話がありますが、御社の場合、いかがでしたでしょうか。
小高
事業承継、転換期の事例について、類似業種や異業種含め、過去の蓄積されたノウハウがあると思います。業種関わらず他社の例に置き換えた時のケーススタディで提供していただくとありがたいと思います。弊社としては、商工中金の提案にて、相続時精算課税制度で株式を引き継ぎましたが、2017年に先代が亡くなったのは、2015年の承継後すぐであったので、非常に助かりました。
個人保証についても引き受けることはマストだと当時は思っておりました。今は全国銀行協会と日本商工会議所のガイドラインで個人保証の引き受けをめぐる状況に変化が生じたようですが、当時は知らなかったですし、個人保証が底力を出すケースもあります。
―政府は、政府系金融機関を通じた支援のほか、ゼロゼロ融資、信用保証制度拡充等により企業の資金繰り支援をし、倒産の抑え込みを図ってきました。このような対応についてもしご所感があればお聞かせください。
小高
弊社のような中途半端な企業規模ですと、制度融資にフレームの枠があることは不利なこともある一方で、中には必要な資金以上に借り過ぎて余裕が出ている旅館もありました。しかしながら、政府が設計していただいた仕組みで圧倒的多数の企業が救われたことが事実です。支援がなかったらもっと倒産件数が増えていました。政府と民間が一体となって「金融機関が日本の危機を救う」というプライドが見え、1億2,000万人全員でこのコロナ禍と戦っているという実感がありました。
―本日はお忙しい中、貴重なお話を伺いました。誠に有難うございました。
(この勉強会は、3月16日に行われました。参加メンバーは川本・林原・足立・大槻です。)