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巻頭言:いまなぜウェルビーイングなのか?

公益財団法人Well-being for Planet Earth代表理事 石川 善樹

あまりに気が早いかもしれないが、私はよく「ポストSDGsの目標は何になるのだろうか?」と夢想する。すでにご存じの通り、2030年に向け達成すべき目標としてSDGsが掲げられているが、仮にそれらすべてを達成したとしたら(あるいはいつか達成するとして)、その先に私たちはどのような未来を描くのだろうかという問いである。

もちろん、国際社会の目標たりえるには、いくつかの制約条件があろう。一つ目は、「目標への進捗が測定可能であること」である。たとえばSDGsは17の分野について、200を超える項目について測定可能な目標が定められているが、これはまさに「測定できないものはマネージメントできない」という考え方に立脚している。

二つ目は、「その進捗がグローバルで測定されていること」である。あたり前だが、グローバルで測定されていないものは、そもそも国際アジェンダの土台に乗らない。最低でも年に一度は各国で測定されている必要があろう。

そして三つ目は、完全に私見になるが、「2030年以降、世界人口の半分以上を占めるZ世代の共感が得られること」だと考えている。SDGsネイティブともいわれるZ世代は、これからどのような未来を構想していくのだろうか。日本でも、2024年には労働人口の半分がミレニアル世代・Z世代になる。右肩上がりの経済社会が、誰かの右肩下がりをつくることを痛いほど理解している将来世代は、2030年以降の成熟経済社会においてどのような目標を掲げていくのか。

…上記を考慮しながら、現時点でポストSDGsの目標たりえると私が考えているのが「ウェルビーイング」である。ウェルビーイングとは、16世紀イタリア語のベネッセレを始原とし、「よく在る」ことを意味する概念で、分かりやすく言うと「充実/しあわせ」な状態である。

たまたま父が、1980年代初頭よりウェルビーイングを研究・実践していたので、私は物心ついた頃からウェルビーイングに慣れ親しんで育ってきた。しかし、当時は誰も見向きもしていなかったウェルビーイングが、いま大きなうねりとなりつつあることを感じる。たとえば日本だと、政治の世界でGDP(国内総生産)だけでなく、GDW(Gross Domestic Well-being:国内総充実)を国家ビジョンとして据えようという動きが出ており、すでに骨太の方針は言うまでもなく、科学技術基本計画、子供・若者育成支援推進大綱、さらにはデジタル庁の目的などにもウェルビーイングという言葉が入り始めている。

また経済においても、さまざまな企業がウェルビーイングを会社の経営方針の中核にすえはじめている。たとえばトヨタは2020年、会社の新理念を「幸せの量産」とすることを発表したり、あるいは日経新聞は2021年、ウェルビーイングを会社の核に置く企業連合が参画するイニシアチブを立ち上げ「ウェルビーイング経営」を推進していくと明言している。

なぜこのような動きがいま起きているのだろうか。もちろんきっかけはコロナであろう。世界全体が多大なる犠牲を払って歩みを緩めているわけだが、それは一方で将来世代に対して多大なるツケを回しているともいえる。そのような状況の中、いま私たちはどのような社会を未来に対して残せるのか/つないでいきたいのかということを、改めて人類全体が考え直しているのだろう。だからこそ、「ウェルビーイング」という曖昧な概念に想いと期待をのせて、「これからの豊かさ」を具現化しようとしているのだと思う。ぜひ、注目頂けるとありがたい。