財務総合政策研究所

サイトマップ


8.第七回研究会(5月14日)

(1)国別報告「シンガポール」

東京三菱銀行常務取締役
浜石満


 [1] アジア経済危機後のシンガポール経済


(A)堅固なファンダメンタルズ

 今日は、アジア通貨危機以降のシンガポールの経済・金融情勢、特に、経済混乱を克服する工夫がどのようにされているかということを中心にお話ししたい。

 97年7月のタイ・バーツの混乱を機に、アジア全体に、「コンテェイジョン」という言葉がはやっていたが、アジア通貨全般がどんどん売られていき、いわゆるアジア経済危機が始まった。シンガポールには当初、ファンダメンタルズが非常に堅固であったので、その影響があまり及ばず、影響は軽微ではないかと言われていた。

 実質GDP成長率は、93年、94年は二けた以上の伸びを示し、96年から少し下降ぎみではあったが、そこそこの成長を遂げており、バーツの暴落があった97年も、四半期ごとの成長率は 8.5%、10.7%、 7.6%であった。98年第1四半期が前年同期比約 6.2%となっている。

 為替の面では、シンガポール・ドルは、通貨危機が起きる直前までは、対米ドルレートで大体 1.4で安定的に推移しており、通貨危機以降はだんだん弱くなり、97年10月には1.56、1.55という42カ月ぶりの安値をつけ、約12%下落した。バーツ大下落以降、アジア各国では25%とか30%という暴落をしていたわけだが、当初シンガポールドルの下げは大きくなかった。


(B)シンガポール政府による先んじた対応

 折しもシンガポール政府は、97年2〜3月ころに、建国後第2回目の競争力委員会を組織し、製造業、金融・銀行、ハブ、サービスといった分野での国際競争力の強化を検討していた。その1つである金融・銀行小委員会は、1年間にわたって作業し、55の勧告を出し、この半分ぐらいを直ちに採用するというような形で、迅速に金融市場の改革に動いてきた。具体的には、ファンドマネジメントのインフラの強化、あるいは起債市場、社債市場の拡大といった形で、金融市場の改革についての検討並びに実施が1年ちょっとで行われ始めた。

 5つのうち、その他の製造業、ハブ機能、サービスというのは、実はまとまった答申が現時点でまだ出ていないが、これらについても折に触れて、この1年間半に答申をしており、後で出てくるビジネスコストの大幅カットというのはその流れから出てきている。


(C)周辺諸国の景気減速の影響

 政府が一歩先んじた対応を打ち出すことで、アジア通貨危機を無難に乗り切れるのではないかと見られていた。ところが、シンガポールは、金融や物流の面を中心に東南アジア地域のハブとしての役割を担っているので、周辺諸国における景気減速の影響がじわじわと及んできた。


  (a) インドネシア経済破綻の影響

 一番厳しかったのは、昨年春、インドネシア情勢が混迷を深めてスハルト退陣が余儀なくされたころであるが、シンガポール経済は目に見えて陰りが出始め、実際、GDP成長率は、昨年第2四半期は 1.6%と大幅に減速した後、第3四半期では▲ 0.6%、四半期ベースの実績としては、86年第1四半期以来、実に12年半ぶりにマイナス成長に落ち込んだ

 シンガポールは、インドネシアやマレーシアなどの周辺国との貿易関係が非常に深い。貿易統計や金融統計の入手に制約があり、シンガポールの政府は、特にインドネシアとの貿易額とか金融取引の数字を発表していないため、ウエートがなかなかはっきりしないがインドネシアにはかなりのウエートを置いており、経済上の結びつきが非常に強いのは明らかである。

 シンガポールの地場企業だけではなく日米欧の外資系企業も、インドネシアとの間で分業体制を積極的に構築している。マレーシアとの間でも同様であるが、マレーシア以上にインドネシアは、非常に大きな資源国であり、2億人という大きな人口、マーケットを持っているということから、ここ数年ウエートの意味づけが非常に大きくなり、現地における不動産開発等へ活発な投資をしてきた。インドネシア経済がおかしくなるとシンガポール経済もおかしくなるということである。


  (b) 周辺諸国の景気減退の余波

 シンガポールのコンテナ港というのは香港に次いで世界第2位のコンテナの取扱量となっているが、これの7割ぐらいはトランスシップメントで、インドネシア、マレーシア、タイ等の国からシンガポールで積みかえて欧米に行くというものが多い。そのため、インドネシア経済破綻の影響は非常に大きかった。

 別の話としては、シンガポールの百貨店、ホテル、高級レストランは、日本人観光客も一時は多かったが、ここへ来て日本人観光客が非常に少なくなった中で何とかこれらの産業が発展してきたのも、アジアの周辺国からの客が増えてきたことによる。例えばインドネシアの華人富裕層というのは、高級レストラン、病院等の上得意客であったが、アジア周辺国からの観光客がまったくなくなってしまった。


(D)マレーシアの資本取引規制


  (a) 資本取引規制の概容

 さらに昨年9月に、マレーシアが、自国の通貨や株式市場の海外における取引を禁止するという大幅な資本取引規制を突然導入した。このことが、金融業界を中心にシンガポール経済にだめ押しとも言える衝撃を与えたことは間違いない。マレーシア・リンギットの為替取引(9月1日から)、シンガポールでのマレーシア株の店頭市場の売買を禁止(8月31日から)するというようなことから、銀行や証券会社にとっては事業の根幹をなす取引が封じられてしまった。

 マレーシアの資本取引規制策は、銀行業界にとっても日系の産業界にとっても一大事だった。10月1日以降、マレーシアのオフショア・リンギットというのは交換価値を持たない。9月1日に発表した措置であるが、9月8日までにオフショア・リンギット清算せよということであった。今後は国内の非居住者リンギット預金と国外にあるオフショア・リンギット預金との自由な交換を禁止して、許可制にする。短期投資の果実を国外へ持ち出すことについても規制をかける。リンギットを1米ドル 3.8マレーシア・ドルに固定(導入の直前は、 4.1マレーシア・ドルぐらいだったので、マレーシア・ドルを若干強く固定した)する。金融機関は、9月1日以前に締結された契約に基づく為替取引を9日までに清算しなければならないことになっていた。


  (b) 資本取引規制の影響

 日系企業を例にとっても、大きな家電メーカーは、シンガポールの統括会社を中心に、生産はマレーシア、タイ、インドネシアと分散していた。マレーシアは特に白物家電、オーディオ関係のものが多いが、この決済代金をシンガポールでオフショアのマレーシア・リンギットで持っているケースが多かった。しかも、長期の先物の為替の予約を、多量に持っていた。これをどうするのだということで大騒ぎになった。当時のシンガポールの銀行協会は一斉に清算ということを打ち出した。為替の先物をそのレートで清算することは損もするし得もするということで混乱があったが、これは一斉にやるよりしようがない、ホースマジュールみたいなものだということになった。これは9月6日ごろに決まったがその日のうちに、ロンドン、ニューヨーク、東京で清算が行われた。

 この混乱があって、当時、マレーシアは信用がおけない。こういうことが突然行われるようでは困ったものだ、今後の新しい投資に大きく影響するのではないかというふうに冷やかに見ていたが、実際には強気のマハティール首相が勝ったという面があり、ねらいどおり、外と中をシャットアウトすることによって、金利は下げ、為替は固定して安定させ輸出代金、輸入代金は全部ドル建てでやるということで、何とか切り抜けたような感じがする。特にメーカーで、シンガポールとマレーシアとの間の下請関係、部品納入、アセンブル代金の決済、親会社の決算等についてはそれほど大きな混乱はなく、価格の調整をするなどで何とか切り抜けたというのが現状である。


  (c) マレーシア銘柄株の取引規制

 資本取引以外に、クローブ(マレーシアの上場株 112銘柄と香港企業他18銘柄がシンガポールの外国株式店頭市場で取引されていた)取引に、去年の8月31日に取引規制が入りマレーシア株の取引が無効になってしまった。マレーシア株取引に主軸を置いていた証券会社は(マレーシア株の扱いだけで営業収入の5割を占めている会社もあった)、一遍に干上がってしまったというような混乱があった。それから、銀行もマレーシア・リンギットに関する為替の商売は当然なくなってしまい、商売は激減した。


(E)後退局面を迎えたシンガポール経済

 この結果、98年第4四半期の成長率は▲ 0.8%と、前期に比べてマイナス幅が一段と広がり、第1四半期がなかなか好調であったため、98年通年で見れば 1.5%と、かろうじてプラスにとどまったが、シンガポール経済が後退局面に入ったことは間違いない。97年が8%、96年が 7.5%であるから、急にブレーキがかかったと言える。


  (a) 輸出動向

 シンガポール経済にとって成長の牽引車である輸出の動向を見ると、米ドルに換算すると、月次の伸び率は、昨年1月以降、ほぼ一貫して前年同期比マイナスで推移している。特徴的なのは、通年の落ち込み幅は周辺諸国を上回っている。これは通貨の下落幅が周辺諸国より小さいこともあるわけだが、より根本的な問題としては、ASEAN域内全体の需要が落ちて、これが影響しているということと、シンガポールの輸出の中心である機械電子(ハードディスク等のパソコン関係)、石油化学関係、こういったものが、世界的な需給ギャップの顕在化に伴って、輸出が相当落ち込んだことであると思われる。

 ASEAN各国の輸出動向を、97年と98年で比べると、米ドル建てでは、シンガポールが▲11%、マレーシアが▲3.8%、タイが▲ 2.4%、インドネシアが▲ 5.4%となっている。現地通貨で見ると、マレーシアは逆に増加しているように見えるが、実際には、米ドル建てで見ると非常に落ち込んでいるということである。


  (b) 為替の動向

 今年3月時点における対米ドル下落率は、97年6月末(バーツ問題の起きる以前)対比シンガポール・ドルで17.3%、マレーシア・リンギットが33.6%、タイ・バーツが34.1%インドネシア・ルピアが72.0%と、少し回復してきている。


  (c) オフショアローン

 シンガポールの金融面で大きな要素を占めているオフショア・ローン(Asian Currency Units)、これは後で述べるシンガポール・ドル国内マーケットとは別の、シンガポール・ドル以外の通貨での貸出残高であり、周辺国にも行っているわけだが、98年末には前年比▲ 9.6%の 5,035億ドルとなっており、92年以来、6年ぶりに前年割れになっている


  (d) 企業の業績悪化

 企業の業績悪化であるが、シンガポールの上場企業 193社の昨年12月期の税引き後利益は、約89%減の5億 790万Sドル。上半期が8億Sドルのプラスだったので、下半期が2億 9,000万Sドルぐらいの赤字で、年後半に業績が急速に悪化してきた。こうした中で失業率は、98年6月の 2.3%から、12月には一気に 4.3%へと、半年間で2ポイントも悪化した。


 [2] シンガポール政府の景気浮揚策

 シンガポール政府としては、直面する景気後退に何とかしようということで、昨年6月と11月の2回にわたって、人件費、公共料金、政府関係手数料などの、いわゆるビジネスコストの削減を柱に総額 125億Sドル(約 8,750億円)の景気テコ入れ策を実施しているこれは要するにいろいろなコストを切るということである。


  (a) 人件費の削減

 まず大きいのは人件費である。シンガポールの年金基金というのはセントラル・プロビデント・ファンドというが、雇用者と、給与をもらっているワーカーがそれぞれ給与とは別に、給与の20%ずつをCPFに毎月組み入れなくてはいけない。これを、雇用者側の20%の部分についてのみ、10%に削減した。実施日は99年1月1日で、2年間の予定である

 それから、バリュアブルボーナスという、業績に応じて可変するボーナスがあるが、いいときで通常のボーナスが1年間で4カ月分プラス可変ボーナスが2カ月分という位の水準であったが、その可変部分に当たる2カ月分をゼロにした。


  (b) 租税措置

 租税措置として、法人税を10%割り戻し、不動産税を55%割り戻し、そして、印紙税を99年1月1日より一年間凍結した。

 それから、外国人雇用税、これは人頭税の話であるが、製造業、サービス業では、マキシマムで1企業50%ぐらいまで外国人労働力を使えるわけだが、1人当たり 300ドルとか 500ドル、業種によって違うが、その人頭税を削減する。


  (c) 地代削減

 地代については、ジュロン・タウン公社というシンガポールの工業団地のオーナーの賃借料を引き下げる。それから、公共住宅の賃借料を引き下げる等々。陸運については、道路税の払い戻し。入港税の20%減免、空港着陸料の10%減免等という非常に思い切った削減策を発表し、昨年の名目GDPの 1,412億Sドルの 8.8%に相当する額である。実際には今年の1月から実施というのが多い。


  (d) なかなか効果をあらわさない内需刺激策

 シンガポールがいかにコストを削減しても、総需要の3分の2が外需であり、一気に効果をあらわさない。あくまでも周辺国の景気回復次第ということであり、今年2月の予算の発表でも、予想成長率は、幅はあるが、マイナス1%から1%の間という見通しである

 シンガポールは、従来、立地条件を生かし、積極的に域内のハブ機能あるいはハイテク産業の育成といったところに、他国との競争力を求めてきたわけだが、シンガポールの場合は、やはり周辺国あってのシンガポールということが今回ははっきりしたというのが実情ではないか。この1カ月、日本もそうだが、金融・株式市場では急速に景気回復期待感が高まって、ムードとしてはいくらか明るい感じがしているようであるが、実際に当行の現地の支店に聞いてみても、実体経済としてはまだそれほどよくなっていないというのが現状である。


 [3] シンガポール競争力委員会の状況


(A)競争力委員会設置の背景

 シンガポール競争力委員会の状況についてコメントをさせていただく。

 これは日本にとっても大きく影響があることだと思われるが、97年5月にシンガポール政府は、向こう10年間にわたる自国の国際競争力の向上を目指すために、民間の有識者を中心とするシンガポール競争力委員会を設置した。シンガポールが委員会を設置するのは建国以来2度目であり、第1回目は1985年、第二次オイル危機後、一次産品市況が非常に悪化して、シンガポールでは、パンエレクトリック事件といったか、大きな上場会社が倒産する等の大変な危機があり、そのときに今回のような競争力委員会を設置した。

 小委員会は5つあるわけだが、特に金融部門は、世界の金融市場が大きく変わろうとしているという中で、周辺国のマレーシア、タイ、インドネシアというのはこの分野ではまだ追いついていないと思っていたのが、マレーシアにはラブアン、タイにはBIBFというオフショア市場ができ、現実に、従来シンガポールにブッキングしてあったような商売がどんどんマレーシアやタイへ移っていっている。一方で、ライバルの香港は、中国への返還を控えて、ヒンターランドの中国を抱えており、いくらか内容は変わるかもしれないけれども、金融市場としては引き続き拡大していくであろう。東京がビッグバンを控えて非常に大きな変革を遂げるだろうというような中で、非常な危機感を募らせていた。

 政府は、そこで地場銀行の頭取をトップに、地場銀行、外資系銀行のトップ19名でこの委員会を1年間にわたって行った。邦銀からは私が、この19名の1人として参加した。

 また、政府自身は、リー・シェンロン副首相をトップに、ニューヨークのコリガン元連銀総裁等々の何人かがブレーンを集めて、金融行政の見直し(若干角度は違うが)研究を開始した。

 シンガポールの金融市場は、従来のイメージで言うと、非常に規制の強い市場である。オフショアとオンショアを分けていて、シンガポール・ドルの国際化を拒んでいた。一方為替市場としては、ロンドン、ニューヨーク、東京に次いで第4位で、これは数年前に香港を抜いている。ただ、「調達のシンガポール市場、運用の香港市場」とよく言われるように、例えばシンジケートローンの組成比率というのは、香港が70ぐらい、シンガポールが30ぐらいのイメージで、香港のほうが圧倒的に強い。それから、ファンドマネジャーの数が、おそらく香港が 500で、シンガポールが70とか、そのように圧倒的に運用面でおくれているということが目立っていた。


(B)競争力委員会の提言内容


  (a) 資本市場の育成

 第1の柱は、香港に比べて立ちおくれていた資本市場の育成を促す。そのために、スキルを持った外国金融機関あるいは外国人スタッフを一層誘致するという大きな流れの中でファンドマネジメントの振興と、そのための助成措置に重点を置いた。公的年金基金、セントラル・プロビデント・ファンドの運用を民間のファンドマネジャーにも一部開放するファンドマネジメント業務に従事する企業の誘致を目的とした新たな税制上の恩典措置をつくる。具体的には、アメリカや香港から優秀なファンドマネジャーを連れてくるときには、ファーストクラスの飛行機代も全部、損金算入に算入(二重控除と言っていた)するなどのインセンティブを働かせる。CPFの投資対象となる投資信託商品の拡大する、などを提言している。


  (b) 債券市場の育成

 第2の柱は、債券市場の育成である。従来、シンガポールは国債市場も非常に硬直的だった。国の財政収支がずっと黒字経営だから、国債発行の必要性がなかったのだが、金融機関のリザーブの重要な柱として定期的に発行していた。ただ、マーケットは非常に硬直的で、期間も7年物が最長であり、したがって、中長期金利の指標となるようなイールド・カーブも国債では見られない。政府も国債以外では、例えば公社などの債券発行による資金調達というのはやったことがない。そういうことを何とか改善していこうということで、結論から言うと、約1年間検討して、2月ごろに発表して55項目の提言をしたら、翌月、33項目に許可が下り、その他は引き続き検討しようと。ただし、どうしてもだめというのが幾つかあり、3項目が却下された。


  (c) 多岐に渡る提言

 リー・シェンロン副首相はその後すぐ、ファンドマネジメントで次のことを発表した。[1]政府投資公社(GIC=The Government of Singapore Investment Corporation)がファンドマネージをしているわけだが、今まで民間への運用委託をあまりやっていなかった現在、 100億Sドルしかやっていなかったのを、今後3年間で 350億Sドルに引き上げるそれから、[2]投資顧問免許の資格要件を緩和する。[3]審査期間を短縮する。[4]CPF加入者に専門家がアドバイスする投資信託への投資を奨励する。[5]外資系ファンド・マネージャーにPOSB(郵便貯蓄銀行等)を通じての商品の販売を認める。[6]シンガポール証券取引所の上場規則を見直して、外国企業の上場を奨励するとともに、店頭市場取引も推進する。[7]10年物の国債を発行する。これは実際に発行された。

 同様のことをリチャード・フー大蔵大臣が続いて2月に発表した。いろいろな指数先物の上場をSIMEXでやる。おもしろいのは、MAS(金融機関のコントロールをするMonetary Authority of Singapore)に、Financial Sector Promotion Department というプロモーションの部署をつくる。これは今までのMASには考えられない。銀行はときどき急に呼び出されて、「あなたのところの先月の為替の扱いは幾らだった。これは何十行中何位でみじめな結果だ」、あるいは「オフショアの貸し出しはここのところ落ちている」という形で常にチェックをされて、ほとんど、何をやってはいけないという感じの市場だったが、そうではなくて、それはリー・シェンロン副首相が後で言っているが、規制からスーパーバイズに変えていく、一方でプロモーションをするという部署をつくって、外国金融機関をさらにどんどん誘致するというようなことを始めたわけである。これは現実にワークしている。


 [4] シンガポールドルの非国際化政策

 シンガポール・ドルの非国際化政策はどうするかということについては、徐々に緩和していくが堅持するということが、現時点の結論である。シンガポールの「Sドルの非国際化政策」は、ノンインターナショナライゼーションという変な言葉で呼んでいるが、通達で規制がかけてある。

 どういう規制かというと、例えば非居住者に対して、わずか 500万Sドル以上の貸し出しは禁止であり、1件1件ごとの許可制である。シンガポールの銀行ライセンスというのは3種類あり、フルバンク、ディストリクト、オフショアバンクとあって、特にオフショアバンクについてはシンガポール・ドルの貸出枠が制限されている。現状、大分多くなって、ようやく3億Sドル(約 240億円)に上がってきた。私が10年前に行ったときは、これが 2,000万Sドルぐらいだった。邦銀としては東京三菱銀行はさくら銀行と並んで唯一のフルバンクであるが、複数店舗を持つことは許されていない。唯一我々がジュロンというところに出張所を持っているだけである。多店舗展開はできない。それから、ATMの展開ができない等々。

 現地のシティバンク、香港、上海、スタンダードチャーターなど、歴史的に古くから根をおろしている外銀からも非常に大きな不平不満が出て、WTOの金融サービス部門の自由化という点でもいつもここが問題になるところである。シンガポールはこれに対して、シンガポールというのは非常に小さい国なのだということで、かつ国内銀行が規模も内容もまだ非常に弱体である。したがって、この分野を一気に開放してしまうと国益が損なわれる。したがって、これについては徐々に緩和しかできないという言い方でやっている。

 アジア通貨危機が起きたときに、域内貿易の基軸通貨として米ドルにかわる何かをという話の中で、Sドルを少し使ったらいいではないかという議論がASEANのあちこちの国から出たが、シンガポール政府は直ちにこれを退けた。「我が国は経済規模も小さく、海外で流通させるだけの十分なシンガポール・ドルを持たない」と言って、依然としてその立場は堅持している。

 最後に、たまたま宮澤大蔵大臣のアジア経済再生策提案という日経記事の中で、債券市場の必要性が叫ばれているが、金融競争力委員会の提言を受けたシンガポールは急ピッチで債券市場を拡大させており、98年9月には初のシンガポール・ドル建て10年物国債を発行している。それから、98年10月には、シンガポールでは初めてで第2世銀だったと思われるが、国際機関によるSドル債の発行が行われた。それから、98年11月にはシンガポール証券取引所とSIMEXの合併を発表し、99年末に実施されることになっている。98年11月には大型公共債の発行が行われ、ジュロン・タウン・コーポレーションの大型債を発行した。それから、今年1月には、外国企業による初のシンガポール・ドル債、これはGEファイナンス、(ジェネラル・エレクトリック・キャピタル)のAAAの銘柄であるがシンガポール・ドル建てで3億ドル、米ドルで約1億 8,000万ドルの債券発行をして大成功に終わったというような形で、小さい規模ではあるが、従来、香港と比べると非常に手薄だったところがだんだんと広がってきたというのが現状ではないかと思う。



(2)国別報告「香港」

(株)さくら総合研究所副社長
飯島健

 まず、冒頭に「香港の中国化」の大きな流れを採りあげ、続いて「香港返還」「香港経済の現況と展望」「国際金融センター・香港」という構成でお話しさせていただく。


 [1] 香港返還と中国化の予兆


(A)97年6月30日−7月1日のイルミネーションと垂れ幕

 97年6月30日から7月1日にかけて、香港が中国に返還される(中国流では、香港を中国が回収する)タイミングに香港向けクルーズに乗る機会があった。

 7月1日に、街へ出て、まず目についたのは、中国がスポンサーシップをとったと思われるイルミネーション広告がやたらに多かったということである。ビルの屋上には「慶祝回帰」という大きな文字のイルミネーションが揚げられ、バルコニーには張り子の龍が所せましと飾られていた。また、少し視線を下げてみると、商店やビルの壁面に、「熱烈歓迎香港恢復」、「熱烈歓迎中国人民解放軍」。香港には中国系産物の販売店がかなりありこういう看板が目立った。歩道と車道の仕切りフェンスを注意して見ると、「民主派集会○時○分」という垂れ幕(当日は豪雨であり、民主派集会の垂れ幕はずぶ濡れで、一字一句文字が読めないほどの状況)が遠慮がちにかかっており、いよいよ香港も中国に返還されたとの感を強くした。


(B)香港の中国化か、中国の香港化か


  (a) South China Morning Postのアンケート

 時系列でとったおもしろいアンケートが1つある。このアンケートは、今後の香港の理想的なステータスはどうかという設問であり、回答は、「中国の香港特別行政区になるのがいい」「独立するのがいい」「英国の植民地のままがいい」の3項目である。

 中英間の最終合意が確認されたのが1984年で、87年8月のアンケートを見てみると、まだ「英国の植民地のまま」という意見が52%と圧倒的多数であり、それに次ぐのは「独立」で、「中国化する」については極めてネガティブなアンケート結果であった。89年6月に天安門事件が起きたが、このころは引き続き同じような意見の分布だった。92年7月にパッテン総督が着任した。新総督は、にわかに選挙制度の改正など民主化の方策をいろいろ打ち出したが、それに伴い、世論が「独立」のほうに動いている。その後、多数の中国企業が香港に進出した。95年までにおおむね 400億ドルほどの資金がつぎ込まれ、中国企業の進出が行われた。それと同時に、パッテン総督に対抗して中国側からもかなりの情宣活動が行われた。その結果として、93年4月のアンケートでは、「独立」より「香港特別行政区化する」を選択する人がわずかながら上回った。94年12月には街角の看板に時計が揚げられ返還日に向けてのカウンティングが始まった。それから半年足らずのアンケート(95年5月)では、「独立」の方向に振り戻った感がある。その後、97年7月に向けて香港市場への中国系企業の株式、すなわちH株、レッドチップスの上場が続き、株価が上押しし始めたことから、返還を前向きにとらえる向きが増え、97年6月、統合の前の月には「中国の香港特別行政区」派が、40%と「独立」派をしのぐところまで変化した。


  (b) 香港の中国時代、中国の香港化

 香港人は、中国の特別行政区へのステータスの転換を、どのように考えているのかと発言をいろいろ探してみたことがある。その中で典型的なのは、ホープウェル・グループのゴードン・ウー氏が、「香港が中国化するのでなく、中国が香港化する方向で動くだろう」という極めて楽観的な見方が目についた。

 92年に行われた中国の中央工作会議における「T字型発展論」というのがある。大連、北京、天津から厦門、香港までの中国沿海岸を「T」の上の横棒に見て、縦棒は、交点を上海とする長江を示すという意味の「T字型」である。この「T字型発展論」と関連して唱えられたのが、「華南地域の『非中国牌発展(ノンチャイニーズ・ブランド・ディベロップメント)』を見直し、『中国牌発展』で進むべきである」という発言である。端的に言うと、華南の発展の果実が、国境を越え、香港を経由して、ほとんど外国に流出している、華南の発展の利益は中国国内に包摂すべきであるという考え方である。この『中国牌発展』論を思い浮かべるときに、中国は決して香港を従来のままとせず、香港に中国企業が進出することにより、華南発展の果実を吸収し、国内に止め置く手だてをとるものと考えてもよかろう。


(C)中国と香港との経済関係

 香港にとって中国は、貿易では34%、香港での中国企業のプレゼンスでは事業規模でほぼ25%、上場社数では13%、一方、香港から中国への投資といえば、全投資額の88%に達する。ちなみに、「香港の輸出仕向け国(98年)」には、地場輸出も再輸出もともに中国に30%以上依存している。


  (a) 中国企業の香港でのプレゼンス[投資]

 95年の数字であるが、貿易額では、中国系企業は22%インボルブしている。中国系銀行の預金量は香港全体の預金量の23%、建築請負額では12%、保険料収入では21%、貨物輸送量では25%を占め、国内旅行業では50%の企業が中国資本である。

 中国企業が香港に 1,800社出ており、その投資額は 250億ドルと公式統計では伝えていたが、識者による実態調査では 5,000社ほど進出しており、中国からの企業による投資額は、95年末現在で 450億ドルに上っているという。

 中国から香港への資金流入はさらに大きく、公式統計ではないが、95年に、フロー、米ドルベースで 566億ドル、96年に 600億ドル、そして97年、香港統一を目前にして 710億ドルに上る資金が中国から香港に流入し、そのうちかなりの額が香港で投資されたと伝えられる。

 さて、その投資の一部を反映する中国系企業の香港上場株式の動向である。一言で言えば、ハンセン指数で見る香港の株式市場は、すでに通貨危機前の水準に比べ8割方、株価を戻しているが、レッド・チップスとH株が足を引っ張っている。

 ハンセン指数総合終値でみると、96年末に1万 3,451に対し、99年3月末では1万 942とほぼ80%回復し、現在では1万 2,000台に戻している。株価の戻しが最も遅いのがレッド・チップスで、96年末に対していまだ43%、H株が36%。不動産業界が非常に悪いといわれるが、不動産株式は53%で、レッド・チップス、H株よりはまだましな回復度である一方、金融関連についてみると、すでに今年の3月で96年末比 121%の株価水準に戻している。

 ハンセン指数は、香港の株式市場に上場している企業 680社の中の33社を対象として算出されており、その中にレッド・チップス、H株が数社含まれている。レッド・チップスというのは、中国法人の香港子会社の株であり、H株は、中国法人の上場株式であるが、レッド・チップスは48社、H株は41社登録している。特にH株は返還の年に16社(現登録社数の40%)も登録されている。

 返還時に向けて香港株価ブームの主役はだれだったか。中国系株式取り引きを見てみると、売買高では、97年8月は2年前に比べ4倍ほどに増えている。その構成比を、H株、レッド・チップス、その他と区分して見てみると、H株とレッド・チップスの売買高構成比が、96年10月にはそれぞれ1%、9%と1桁台だったものが、97年8月のブーム時期には15%、23%と主役に躍り出ており、その後、H株、レッド・チップス取引の冷え込みとともにブームが終った。


  (b) 香港から中国への投資

 APEC域内への香港の直接投資を見てみると、中国に対しての投資が圧倒的に多くて88.2%を占める。もちろん、香港からの投資の中には、第三国の金融子会社ないしは企業子会社による中国への投資、迂回投資も含まれる。特に台湾の企業は、中国との間で2国間の投資協定がなく、外国投資の安全性が保障されていないという状況であり、それを持つ香港経由で投資するという形がこの中に含まれていたのは当然である。


  (c) 香港の製造業の広東省への移転

 産業面であるが、広東省に多くの製造業が移転してしまったために、製造部門が96年には 7.3%と空洞化し、圧倒的にサービス業に傾斜している。5月4日の新聞で、ソニー・プレシジョン・テクノロジーが香港から撤退し、台湾に移転するという記事が出ていた。このソニー・プレシジョン・テクノロジーの販売先は香港のメーカーだったが、それらのメーカーが深 など香港外に生産拠点を移したことで、機能の台湾への集中を企図したものである。


(D)中国化の影響

 中国化に伴う市場慣行、市場倫理の変質もかなり目に見えてきている。「東と西」というタイトルのパッテン氏の回顧録の中でも、香港の商慣行の劣化をかなり指摘していた。ハイエクがかつて、契約の遵守と資産の保全、これが商業市場の成り立つ基本的な条件であるということを言っている。この基本的な条件の軽視が、中国はもちろんのこと、香港にまで広がると、香港市場の国際金融市場としての信認にも大きく影響するのではないか

 その他、一国両制がどうなるか、そしてまた、対中国投資・融資のリスクの行方がどうなるのか、GITICの問題もある。プラス要因の1つにもなるかもしれない中国のWTO加盟の実現性がどうなのかという問題も、これからのテーマとなってこよう。


 [2] 香港経済の現況と展望


(A)経済成長率


  (a) 概況

 香港特別行政区の政府の発表によれば、99年のGDP成長率予想は、98年の▲ 5.1%から、99年は 0.5%ながらプラス成長に転ずるとみている。今、私どもの研究所でもその修正予測を検討しているが、▲ 1.6%という数字を出すこととなろう。要因は幾つもあるが最大の要因は民間消費動向の見方で、香港特別行政府は昨年の▲ 6.6%から一転し、今年は 2.5%のプラスと踏んでいる。これは到底無理であろう。民間消費の寄与度が非常に高いだけに、それが大きく足を引っ張る結果となるのではないか。


  (b) 成長率の下落要因

 成長率がここまで落ちてきた要因は、第一に、アジア通貨危機の伝播、その防衛のための高金利、不動産価格の急落、民間需要の低迷というサイクルで、第二に、観光客の減少外国企業の撤退と地場企業及び合弁企業の倒産、第三に、香港がシンガポールにかなりまさっているシンジケートローンやプロジェクトファイナンス等の協調融資組成の大幅な減少、などが大きく影響している。 


  (c) 99年の予測

 99年の予測であるが、第一に、株式市況及び不動産市況は大方落着きを示している。特別行政区政府も不動産市況、株式市場を回復させるための所得税減税、不動産税の還付などの施策を手当てしており、これが今後の市況の落着きにどれだけプラス要因になるか。

 第二に、財政については、99年度は365億ドルの財政赤字を前提に積極財政に取り組んでおり、需要喚起の効果があるかと思う。第三に、アジア経済の復調が観察されているものの、それ以上に、中国経済が今後かなり後退するのではないかと心配され、場合によると、中国要因がアジア経済の復調要因を凌駕して、香港にマイナス影響を及ぼすのではないかと見ている。


(B)サービス業の低迷と失業率の上昇

 サービス業が沈滞している。小売売上高の伸び率が低下している一方、観光客数の増加しているが、中国からの観光客に対して緩和措置がとられたためで、香港への中国からの観光客が増えている。落とす金は微々たるもののようだが、観光客数ではプラスに転じている。

 ゆゆしい問題は失業率であり、最近時の統計では6%台にのせており、これが大きく足を引っ張るであろう。個人消費減少の悪循環に次いで消費者物価の下落(99年3月前年同月比▲2.6%)があり、金利はほぼ旧に復したわけだが、今、香港ではデフレの本格化が頭痛の種となっている。


(C)不動産市況

 不動産市況は、95年のボトムをやや上回る程度に戻しており、市場では底値感を感じている。政府も98年度分の不動産税の還付も行っており、金利の落着きもあり、不動産に関しては住宅ローンの活発化など、住宅を中心にして市況が底打ちをしたのではないかと見られている。

 香港の場合には、通貨がドルとリンクしており、為替はカレンシー・ボード制をとっているので、金利と為替相場を駆使した経済運営は非常に難しいわけで、結局、物価によって経済の調整が行われるような実態にある。物価といったときに非常に大きな影響を及ぼすのが不動産価格のトレンドであり、そういう意味では、しばらくは安定が期待できよう


(D)株式市況の回復

 98年8月13日の株価暴落のときに、香港特別行政府が株式市場に介入した。これが非常に大きな問題になり、香港はレッセフェールの自由さを失ったのか、また、レッセフェールから決別するのではないかということが一時議論になった。したがって、これからはレッセフェールと言えるのか、コム・レセフェールと言うべきか、注意深く見ていこうという風潮にある。

 株価市況は、値ごろ感から多額の外資が流入し、99年4月16日のハンセン指数が、大暴落直前の1万 2,970に迫る1万 2,490という数字を回復した。


 [3] 国際金融センター・香港の位置づけ


(A)香港とシンガポールの金融市場規模の比較

 香港とシンガポールの金融市場の規模を比べてみると、オフショア市場の規模と株式時価総額については、香港はシンガポールを圧倒的にしのぐ市場である。外為市場はシンガポールがやや上回る。ただ、時間を隔てて、92年乃至93年と98年でそれぞれを比較してみると、決定的な違いが観察される。香港の場合には、オフショア市場が 584.4(単位:10億香港ドル)で、ほぼ横這いにあり、外為市場は増加しているが、株式時価総額は大幅に減少している。総じて言えば、収縮していると言える。一方、シンガポールは、オフショア市場の規模では 93年12月の386(単位:10香港ドル)に対して 98年8月は463と伸びており、外為市場も74から 139と急増し、株式時価総額も伸びている。トレンドとしては、シンガポール市場の規模はこの間に圧倒的に堅調な伸びを示しており香港と対称的である


(B)香港の金融機関の内外融資内訳の推移

 香港内の金融機関による総融資額は通貨危機後も19,155(単位:100億香港ドル)から19,579と微増している。それに対して海外向けの融資は、21,265から11,700と半減しており、香港の金融の規模の縮小は専ら海外向け融資の減少によるものである。

 また、香港ドル建てと外貨建ての割合は、98年12月には、ほぼ半々で、香港ドル建てが51%、外貨建てが49%である。これを97年の数字で見てみると逆転しており、香港ドル建てが49%、外貨建てが51%と、ちょうど97年から98年に海外向けが急減したのに応じて香港ドル建てが多くなったということである。


(C)香港の金融機関の不良債権

 統計基準の違いはあるが、シンガポールの不良債権比率は、通貨危機の影響が遅かったこともあり、98年初めの政府発表ではまだ 2.6%という数字である。一方、香港については、11月の香港ダラー・アタック直後の97年第4四半期では2.08%と低水準である。ところが、通貨危機後のシンガポール(98年8月)、香港(98年12月)の数字では、シンガポール 6.1%、香港 7.0%に上昇、後にゴールドマンサックスが予測したピーク時の数字はシンガポールは10%、香港は9%とみており、香港は、韓国を含めた他の地域・国よりは不良債権については軽傷ということがいえよう。


(D)香港に対する各国の金融機関、銀行の融資

 アジアNIEs4、アセアン4、中国とインドの「アジア10」につき、97年6月末と98年6月末で国際金融債務額の推移をみてみると、約23%減少している。日本の金融機関の「アジア10」に対する融資額は、全体の中での構成比が35%から30%に激減している。アメリカは6%から5%と微減しており、フランスが8%から9%でやや微増、ドイツが14%から14%で維持、イギリスは10%から13%に増加しており、日本がかなりの資金を撤退させていることが分る。香港に対する融資額についても同様の動きがうかがえる。


(E)国際金融センター・香港の今後の方向

 国際金融センター・香港は今後も基本的には自由度の高いと思われる。市場介入があったが、自由度の高い金融市場という点、アジア地域ではトップクラスのシンジケート・ローンの組成センター、そしてまた、投資国と非投資国の金融機関が一堂に会してマーケットを構成している対中投資窓口としての拠点、そして、人民元との連鎖を強める香港ドル華人マネーの集積、伝統に裏付けられた金融インフラストラクチャーという点から、香港の将来性は充分とみることが出来よう。

 ただ、観察するところ、中国経済・政情の不安定さ、人民元管理政策、その人民元と不離不可分な状況にある香港ドルという位置づけ、そしてまた、市場の中国化、それに伴う信認の劣化、さらに、今回のいわゆる非嫡子の香港籍をとれるかどうかの問題に見られるように、「一国両制」が形骸化していくおそれなきやといった諸点が負の要因として挙げられる。また、シンガポールとの競争で、シンガポールがかなり活発に国際市場としての体質を強化している点も、今後の香港の国際金融市場としての地位を大きく左右するのではないかと思う。

 あと、つけ加えたいことは、19世紀末から20世紀の初めにかけて、そして今日においても、シンガポールと香港は、中国と東南アジア、中国と西欧を結ぶ資金決済及びファイナンスのツインマーケットを構成していたことである。金本位のシンガポール(1906年に金本位制導入)、1935年まで銀本位を続け、同時に金本位に変わった中国と香港、両者がツインマーケットを構成し、それぞれのマーケットをサポートしていた華人と印僑がアングラでも両マーケットをつないでいた。こういうシンガポールと香港は、どちらが勝ってどちらが単独で機能していくということでなく、ツインマーケットとして生きていくのではないか。そういう方向が今後もあり続けるのではないかと思う。


〔 原 座長 〕 最後に飯島さんが述べられたように、両国は歴史的にも緊密な地域であり、そういう意味で非常におもしろい比較ができるのではないかと思う。



(3)質疑・討議


 〔 菊池委員 〕 両国ともに、金融や不動産といった面で繁栄しているわけであるがもう一つの問題として、日本の中小製造業などの立場からみると、そこが信用をつなぐ、また、いわゆる中国という変動の社会の窓口になり、今後も契約とか資産の安全性を守る役割を果していってほしいということがある。日本は戦後、どちらかというと、実物経済つまり、物をつくる経済を中心に発展し、その後にサービスなどの産業が発展してきたという経緯からすると、両国は逆のパターンをとってきているように思う。そうした中で、その実物経済がほんとうに発展しないままに、金融や不動産を中心に成長をはかることには、スピードが速いければ速いほど非常に不安定なものを攪乱要因として持つことになるのではないかと思う。今回もそれが表面化したわけであり、実物経済を発展させるという機能から見た場合の香港とかシンガポールというのは、どのように変質していくのか。そういう側面から何か示唆をいただければと思う。


〔 飯島委員 〕 中国への投資についても香港を迂回し行われている。いわゆる2国間の投資保障協定を利用し、また香港における貿易金融を活用している。貿易金融機能というのは歴史的にみても重要な機能であり、投資と貿易の金融を香港で行うことにより、国際的に信認のある市場に成長したわけである。

 香港の製造業は7%台にまで低下しており、香港が中国の一部として完全にサービス業中心となっても、実際に中国に包含された香港であると考えると、香港をサービス産業の拠点とすることに大きな議論はないと思う。香港を単体として考えれば、確かに一経済圏として難しい議論になると思うが、香港は、早くも中国の一部として国際金融・物流マーケットに特化すると考えているのではないか。そこにシンガポールと決定的に違うところがあると思う。


〔 浜石東京三菱銀行常務取締役 〕 シンガポールはいろいろ紆余曲折があるが、現時点での国の政策というのは、製造業と金融サービス業をバランスよく成長させるという方針を非常にはっきりとっていると思われる。実は、ここに至るまでに、もともと製造業、しかも外国資本 100%の製造業が進出して、輸出基地として発展を遂げた。しかし、10年前にシンガポールの賃金コストが非常に上昇して、特に家電のアセンブルを中心とした産業が周辺国あるいは香港、中国からだんだん追い上げられて競争力をなくしてきたころ、当時のシンガポール政府はそういう付加価値の低い製造業はどんどん外へ出してしまってむしろ我々は金融、保険、通信等のサービス中心に生きていくのだということを非常にはっきりさせた時代があった。

 しかし、当時、アメリカで大学の先生が書いた「金融センターというのは、製造業あっての金融センターだ」というような逆の話もあったが、その後まさに方向転換をしてきて現在は、GDPの構成比率で見ても、製造業も25%、それから金融サービス業も25%、通信その他等々はあるが、製造業と金融は大体同じぐらいのバランスをとっている。ではコスト競争力はどうするのかという問題があり、それがこの四、五年来あったマレーシアとインドネシアとの「成長の三角地帯」、要するにマレーシアのジョホール州とシンガポールとバタム島──シンガポールからフェリーで20分ぐらいのインドネシア領──という、この3つをゴールデントライアングルといって、シンガポールで競争力をなくした単純な加工組立業はそちらへ移ってもらって、島内のほうはどちらかというと付加価値の高いものを持ってくるという方法である。今、一番特徴的な産業として非常に力を入れているものが2つある。1つは、半導体のファウンドリーであり、シンガポール政府が、64Kの半導体工場を昨年春に立ち上げたわけだが、このクラスの半導体の前工程を6系列つくることとなっており、非常に付加価値の高いものを持ってくるというのが第1点である。もう一つは、シンガポール島のケミカルアイランドと呼んでいるが、化学産業でもいわゆるダウンストリーム、高機能樹脂であるとか、そういった工場を、今、急速に立ち上げつつある。島にはもともとエッソ、モービルの製油所、あるいは日本政府の借款でできた住友化学の石化工場があるが、それらがある7つの島を全部埋め立てて、そこへダウンストリームをどんどん入れていくという形で、引き続き高付加価値のものにウエートを置いていくそれから、ごく直近では、バランス論からいくとあまり高付加価値のものばかりではなく少々付加価値が低くても最低限は機械制御製造業でも金型工がなくてはいけないとか、そういうことを意識して、特に経済運営というか、産業立地運営が行われているというようなところはある。


〔 小川委員 〕 通貨面から2人の先生に聞きたいのだが、1つは、シンガポールのほうで、ASEAN域内の貿易の基軸通貨としてシンガポール・ドルを用いたいという声が高まったという指摘があったが、そのときに、ASEAN域内の貿易でどういう視点からシンガポール・ドルを用いたいという声が上がったのかを聞きたい。例えば、貿易面でシンガポールとの取引が各国が非常に大きいということでそういう声が上がってきているのか、それとも、相対的にほかの通貨から見ればシンガポール・ドルがまだ安定しているからという視点から出てきたのかということを1つ教えていただきたい。

 それから、香港のほうで、人民元との連鎖を強める香港ドルという話があったが、これは香港というより中国サイドの話かもしれないが、中国サイドが、なぜ香港ドルを人民元にしないで香港ドルとしてとっておいて、人民元との連鎖を強めることにより香港ドルを押さえるという方法をとっているのか。私がもし中国政府だったら、もしその連鎖を強めるというのであれば、アタックを受けないように人民元にしてしまうというのが1つの手かと思うが、香港ドルのままにしておいて連鎖を強めておくというところは、中国はどういうことを考えているのか。


〔 浜石常務 〕 シンガポール通貨の問題については、質問のとおり両方だと思う。各国が言っていたことは、おそらく貿易・物流両面でその中継基地としてのシンガポールを通して欧米輸出をやっている、あるいは原材料を輸入するという形の中で、シンガポール・ドルを使うのが都合がいいということが1つ。そして、シンガポールは総体的に黒字国であり、コントロールしている部分もあるが、為替事情は非常に安定しているということもある。

 さらに触れれば、1つめの点については、単純に物理的にあそこが中継基地であるということの裏返しとして、最近では、税制上非常に優遇されている地域の統括社会、いわゆるオペレーショナル・リージョナル・ヘッドクオーターというのが特別のライセンスを取って、欧米を含めて約 150社、日本で20社ぐらいある。そこでは、松下とかソニークラスの例をとって言えば、シンガポールにも10社ぐらいの子会社があるが、周辺国に30〜40社の製造子会社や販売子会社もあり、いわゆる資材のプロキュアメントや現地の貿易トレードの財務コントロールを行っている。タイ・バーツの売り買いについても、全てシンガポールの財務部門が見ている。現地の工場には財務の専門家はあまり置いていない。このため、アジア通貨危機のときに、財務の専門家がいないところでリスクテーキングしていたということで大変困ったこととなったのである。

 そういう理由もあって、かなりの企業、特に欧米企業の場合は、インフラの面でも、住む場所としても、あまりインドネシアの奥地に住みたくないということもあるが、やはりシンガポールに本社機能を持っておいて、そこから出張ベースでインド等のアジアをカバーするというようなシステムとなっている。


〔 飯島委員 〕 まず、人民元を香港で流通させるということは現状ではあり得ないことである。人民元は現状完全な管理通貨であり、中国国内の通貨と同じものを自由市場としての香港で流通させたときには、国内の経済の管理が難しくなる。現状は、「一国両制」をもじって、私の造語で「一価両幣」と呼んでいるが、変化の激しい中国経済をバックとする人民元の安定は管理通貨を絶対要件としてはじめて期待出来る。一方、香港ドルについては国際的信認を、少なくとも今までは維持してきているということで、人民元と共通にはできないという事情もある。それでは、いつになったら共通になれるかであるが香港と中国国内の経済格差が、現状で、まだパーキャピタ2万 2,000〜 3,000米ドルと1,000米ドル未満という違いがあるので、この経済格差が縮まり、それによって人民元を管理通貨でない自由通貨に転換しうる時期が来ないと難しい。

 しかしながら、香港ドルと人民元というのは、両方ともかたくなにその対ドル換算レートを維持している。質問にはなかったが、少し踏み込んで、香港ドルがデバリューされて人民元が追随デバリューになるかというと、それはまずなかろう。一方、人民元がデバリューしたときに香港ドルがデバリューするということは十分あり得ると考える。

 さらに踏み込んで、現状では、朱鎔基首相ほかの要人が人民元の切り下げはないと発言している。しかし、過去の中国の輸出の前年比伸び率と人民元の対ドル年間平均為替レートの推移を観察すると、その連鎖は非常にクリアである。例えば84年、2けた台の輸出の伸びであったが、85年には 4.6%と伸び率が大幅に減少した。すると、86年には人民元の年間平均換算レートが前年の 2.9から 3.5に切り下がっている。こうしたことが、85年から86年にかけて、89年から90年にかけて、93年から94年にかけて、3回も行われている。つまり、輸出の伸びが激減したときに人民元を切り下げるという動作が行われてきた。昨年の輸出の伸び率は 0.5%であり、アジア経済危機が影響しているとはいうものの、97年の輸出の伸び率20.9%から激減している。輸出という側面から見て、香港ドルではなく人民元のほうでまず何か動意をはらんでくる可能性があるのではないか。

 それと同時に、中国の外貨収入の根源というのは、貿易収支での四百数十億ドルと、直接投資での流入四百数十億ドル、それと、香港における上場とか新株の発行による調達が97年には推定42億ドルほどあり、それを合計しただけで八百数十億ドルという外貨の流入があった。98年は貿易黒字と直接投資は維持されたものの、香港での調達がほとんどゼロに近く落ち込んだ。ところが、99年は、貿易収支の黒字は 270億ドル程度まで激減すると推定され、直接投資流入額も激減するとみられる。そうしたときに、何をもってこの外貨収入の黒字を復元するか、維持するかといったときに、手をつけられるのは貿易収支の改善策であろう。そう考えると、人民元為替に手がつくこともないとはいえず、その場合香港ドルに当然影響するという動きになるのかと思う。


〔 小川委員 〕 今のお話だと、香港ドルは人民元にリンクしているという理解でいいか。また、それは偶然そうなっているという理解でいいのか。


〔 飯島委員 〕 香港ドルと人民元はドルを迂回してリンクしている。そしてそれは、偶然ではなく、政策として両方とも管理されていることによる。中国は8.2〜8.3程度で決められており、香港は 7.8でカレンシー・ボードを固めている。


〔 小川委員 〕 そうしたときに、確かに人民元は管理通貨ということなのだが、不自然な形でリンクしているということになると、アタックの対象に十分なり得る。そこは香港ドルがアタックを受けやすいところになるのかと思う。


〔 飯島委員 〕 既に、本来、香港ドルがアタックを受けた形跡はある。ただ、為替変動幅からすれば、そんなに大きな変動はしていない。タイやシンガポールなど国についても、通貨がアタックを受けたときに、私ども研究所では、常に株価の下落と通貨の下落幅の、パーセンテージを合算して大まかなトレンドを見ることにしていた。そう見ると、香港ドルは変わっていないが、香港の株価は 39%台まで下がったこともあり、通貨はアタックできないが、その代替策として、株価を通貨の切り下げ想定額を含めたアタックが行われたと読んでいる。


〔 岡部委員 〕 政治の側から見た問題点を聞きたい。

 まず、香港返還がもたらした意味はいろいろあるわけで、その多くをご指摘されたが、私の感じでは、「広東の香港」から「中国の香港」へ変わったということが非常に大きいのではないかという感じを持つ。これは、時期的にちょうど中央対地方、過度の地方分権化というものに中央が対抗しようとしている時期に当たったということもあると思うが、先ほど指摘された沿岸と上海を中心とする長江流域という「T字型発展」には香港は出てこないわけである。中国人の経済専門の人に聞くと、香港をつぶすつもりはもちろんないそれから、上海が香港に追いつくなどということは、少なくとも数十年はあり得ないということを言う。では、数十年後はどうなるかということが当然出てくるわけであり、一国両制度、これは「一国両幣」でもあり、それから「一国両法域」でもある。成文法の中国大陸と英米法の香港との違いというものを専門に論じた論文があり、それを見ると、これは独立国ではないかと思うくらいの区別をせざるを得ないということがあったわけだが、それがだんだん緩んでくる。そして、地方を何とかしなければならない。そのときに一番ターゲットになったのは広東省で、GITIC(広東国際信託投資公司)が破産するのをはじめとして広東省いじめみたいなものが行われていると感じられるわけである。そういう問題から見た場合に、この香港の中国化の問題をどうごらんになるかということを聞きたい。

 それから、シンガポールについてであるが、私もシンガポールに2回、2年半住んだことがある。その後、特に経済のことはあまりフォローしていないが、シンガポールのメリットというのは、要するに、リーダーが清潔である、腐敗・汚職がないということにあったと思うが、三、四年前だったか、リー・クアンユー・スキャンダル、マンションの購買か何かで、日本流に言うと、いわゆるインサイダー的な行動をとったというようなことがあったが、その影響はどうなるか。果たしてリーダーに対する信任が続いているのか。市場倫理について、香港では飯島委員が述べられたとおり中国化が進んでいると思うが、シンガポールはどうなのか。

 それからもう一つ、権威主義的な政治のもとにおいて、それに嫌気が差したいわゆるプロフェッショナルズのブレインドレーンというのが、少なくとも二、三年前はかなり顕著に出ていたが、現在どうなっているか。それが続いていくと、あんな小さいシンガポールしかも、そのシンガポールがマレーシアから追い出されて独立したときには、そのときの内閣の閣僚は、リー・クアンユーを除いて、ほかは全部、マレーシア生まれだったわけである。シンガポールとマレーシアを含んだ母集団から出てきた優秀な者がシンガポールに集まったという状態であったが、シンガポールという非常に小さい母集団から優秀なリーダーを見つけてこなければならない。今聞いた限りにおいては、シンガポール経済はそこそこやっており、大丈夫のようであるという感じを受けたが、果たしてどうなるとお考えか。


〔 飯島委員 〕 非常に難しい問題だが、中国中央から見て、香港と広東省を対置するという格好で見るのは非常に難しいのではないかと私は思う。広東省について、トウ小平は経済特区を指定するときに、指定された地域に対してはそれ以後の経済発展に伴う税収の増分については、中央への上納金算出の対象としないと約束し、経済特区の発展を図ったところが、GITICの問題も含めてそれが行き過ぎた。この特区の特権によって、広東省及び広東省に位置する開放都市の外資導入額が地方導入外資全体の65%を占める程の集中度であった。これは、ある意味では広東省の発展の行き過ぎであり、それに対する賞罰の罰のほうが今回のGITICの倒産につながったと見ている。中国の場合には、この賞罰を非常にうまく、また、極端に使うというケースが多々見受けられる。

 香港の場合には、今、非常に微妙なタイミングにあり、やや柔軟な姿勢をとっている。せっかくこれまで継承してきた資本市場、金融市場をディテリオレートさせてはいけないという考えがあろう。しかし実際は、残念ながら中国企業の参入がディテリオレートに手を貸していると思うが、中国中央にしてみれば、このかけがえのない資本市場を壊していいのだろうかという考え方がベースにあって、その対応が香港に対してはプラスの方向で行き過ぎた広東省についてはマイナスの方向で対応していくことと考える。

 いま一つ、政治的、軍事的に考えると、香港の九龍のすぐ右側にあるストーンカッターズアイランドという小さな島の英海軍基地が、通信設備などを含めすべて中国軍に移転された。南シナ海まで展望する無線傍受の施設を持ったまま中国に移転されたことで、東シナ海、南シナ海地域のパワーバランスに大きな変更をもたらしたことも重要であろう。


〔 浜石常務 〕 シンガポールのリー・クアンユー上級相が、高額マンション、いわゆる日本で言う億ションを安く買ったということは、2年前、新聞に大きく報道された。結論はどうなったかというと、その安く買った分に見合う部分の金額を小切手にして、コミュニティーチェストに寄附するとして、ゴー・チョクトン首相に出した。もちろんそれは新聞に大きく出て、それをもって、この問題は処理された。それ以外にその種のことが目立つかというと、ほとんどなく、政府高官の方々とのいろいろなつき合いを通じても、透明度、クリーン度というのは確かに非常に高い。

 ただ、質問の流れからいって、リー・クアンユー体制は、開発独裁型のリーダーということになっているわけだが、国民がどう思っているか、若い人はどう思っているかということについては、若い人には自由な発言がなかなかしにくいという鬱積感というものは引き続きあって、ブレーンドレーンというものも引き続きあるように思う。それに対してシンガポール政府は、特に今の指導者は、ゴー・チョクトン首相にしても、リー・シェンロン副首相にしても、既に第2世代に入っている指導者たちはそのことを非常にわかっていて、建国の苦しみを若い人にも受け継いでもらわないといけないけれども、一方で、自由な発言ができるような社会に持っていく必要があるということを折に触れて言っているように思う。

 シンガポール競争力委員会をやっているときに非常に議論になったのは、これはリー・クアンユー上級相が言ったことだが、香港にはバズ──わあわあというざわめき──があるけれども、シンガポールにはバズがない。金融センター、中継基地として、そういうバズというのが欠けているのではないかということがあった。また、今、フォーリンタレントという言葉が一つのはやり言葉で、金融以外にも、半導体の技術者など、ブレーンドレーンを上回るフォーリンタレントを連れてきて、その人たちにはパーマネントビザも与えようではないかという動きが非常に強い。

 技術者養成については、欧米のビジネススクールを3つとメディカルスクールを1つ、いわゆる大学院大学を4つぐらい招聘する計画があり、経営管理技術を中心に、東南アジアの企業の中堅管理層をそこで育てるという動きをしている。

 以上のように、製造業以外の、文化・思想といったものをもう少し欧米型にしようという努力を非常にしている。それは自国の人間だけでなくて、欧米人とまじわる中でやっていこうという努力をしている。その点は、英語によるコミュニケーションが可能であり、また、シンガポール・ワンで全家庭がパソコンネットワークでつながっているわけであるが、こうした取り組みなどというのは、小国だが非常に速いし、進んでいるし、悪ければすぐ直すという点においては、シンガポールは非常に見習う点が多いと思う。


〔 原 座長 〕 両国はアジアに出た島、ただし、香港は島だけではないが、という共通点はある。ところが、香港は、大きなヒンターランドを持っていて、陸の中国というものと海の中国とのせめぎ合いの場になっている。一方、シンガポールはヒンターランドは持っておらず、自由度を持っている。アジアの1つのセンターのようなところがロケーションとしてシンガポールにはあって、香港は東シナ海につながっているのだが、同時に、後ろに大きいヒンターランドがあって、常に陸の影というのを持っている。どうもこの両国は、似ていて、かなり違うのではないかと思われ、そういう意味で、これからのグローバルな時代に、2つは相当パスが違ってくるのではないかというような直惑がしている。