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第2章 アジア通貨・経済混乱が新たに提起した課題

 

 以上のようなアジアの通貨危機の経緯及び特徴を踏まえ、それではどのような問題が提起されているのかを次に考えてみたい。その際、これまでの分析でも明らかなように、今回の通貨危機が、第1に、国際金融・資本市場のグローバル化、資本移動の自由化という潮流中で発生した点、第2に、その中で、マーケットのパーセプションが変化することにより資金フローの急激な逆転、特に民間国際資本の急激な流出が通貨・金融市場混乱の引き金となった点、第3に、94~95年のメキシコ危機の際にもこのような現象は一部見られたが、今回のアジアにおける通貨危機ではより鮮明かつ広範囲に想定外の規模で起こった点、に留意する必要があろう。

1.なぜ、通貨危機を予知・予防できなかったのか

 メキシコにおける通貨危機の反省として、危機発生の前に既に経常収支赤字は大きくなっており、しかも外国資本の流出が生じていたにもかかわらず、それがもたらす意味・影響がIMFにおいても十分把握されておらず、まして市場においても同様に看過された点が指摘されていた。このため事前の予知や警戒のシステムが機能する体制についての検討が、主としてIMFにおいてなされてきていた。しかしそれにもかかわらず世界の成長センターといわれたアジアにおいてメキシコ通貨危機を上回る通貨危機が発生した。どこに問題があるのであろうか。

(1)状況把握面

 メキシコの経験を生かし、タイについては少なくともマクロ経済状況の把握はできていた。しかし、今回の通貨危機の大きな特徴であった海外からの短期資金の流出入を十分把握できていなかったことが、混乱を増幅した。特に、今回の通貨危機では、民間部門の債務が主たる問題となったが、金融のグローバル化、技術革新の中にあって、借り手サイドばかりか貸し手サイドの国、また国際機関も、このような状況を問題が発生するまで十分把握しきれていなかった。韓国のケースにかんがみると、クロスボーダーでの資金フローばかりでなく、自国の金融機関や企業が行う借入が国内に持ち込まれない場合であっても、結局国内の資金繰りに跳ね返り、流動性を悪化させることがあった。また、近年における金融派生商品(デリバティブ)等の新しい金融商品の登場により、市場のヴォラティリティが高まっているとの指摘もある。
 早期警戒システムについては、当該国の政府の統計に依存せざるを得ないという問題点のほか、仮に有用なものが構築できたとしても、市場はそれをも勘案し先回りして行動することになるとの指摘がある。しかし、マーケットの情報はいずれにしても完全ではありえないこと、次に述べるIMF等国際機関等からの政策助言の基礎としても活用できること等にかんがみると、このシステムの一層の検討は必要である。特に、メキシコやタイ型の通貨危機(マクロ不均衡が主因となる場合)に対しては、かなりの程度その有用性が期待できる。

(教訓)

 通貨危機は予想以上の速さ、大きさで伝染しており、各国の経済状況を分析し事前に危機を予知しようとする場合には、マクロ経済指標の中でも資本面での指標の把握、分析が重要になっている。特に、今回の通貨危機にかんがみると、民間資金の流出入の状況をフォローする体制の整備が急がれる。その際、資金の受け手側とともに資金の出し手側の情報も把握できるような体制の整備の検討も望まれる。また、今回のアジア通貨危機において、ヘッジ・ファンド等の巨額の投資行動が影響を与えたのではないかとの見方もあり、近年急速にその取引が拡大しているデリバティブの動向についてフォローする必要が高まっている。

(2)情報開示面

 今回のアジアにおける一連の通貨危機の経緯を振り返ってみると、情報開示が不十分なことによって外国資本が疑心暗鬼になり、その流出に拍車をかけた面が依然としてあった。外貨準備の計数さえ公表していなかったメキシコにおける通貨危機発生の反省から、情報開示推進への取組みがなされてきており(SDDS構築)、今般危機が発生したアジア諸国においても情報開示は行われていたが、これが十分ではなかった。例えばタイのケースでは、外貨準備の計数はグロスでのみ公表され、先物での売却分は含まれていなかったが、その点につき市場で様々な憶測が流れ好ましくない事態を招いた。情報の開示は、かえって投機の機会を与える、あるいはいち早く資金を引き上げようとの誘因を強めるとのリスクも指摘されるが、市場の反応が早めに表面化することは、傷がより浅いうちに問題を顕在化させ、その分対応もより容易になるとの面も考えうる。

(注)SDDSとは、Special Data Dissemination Standard(特別データ公表基準)の略であり、IMFが定める、国際資本市場にアクセスを持つ又は求めている加盟国に対する、経済・金融データを公表する際の基準(項目・頻度・迅速性等)。

(教訓)

 外貨準備のネットの水準を含め、こうした途上国の経済状況についての正確な情報開示が、市場のパーセプション形成を適正にする上で重要となっている。このような観点から、各国の経済状況を包括的に知りうる立場にあるIMF等国際機関の役割の重要性は一層高まっている。また、情報開示についての当事国自身の姿勢も重要である。

(3)サーベイランス

 適切な経済政策に基づく経済運営は、一国の経済破たんが広く地域に影響を及ぼすことを考えるとますます重要になっているが、各国経済政策の遂行は各国当局によらざるを得ない。したがって、IMF等の各国経済政策への助言・指導は、各国の経済運営に何らかの問題があった場合それを是正する上で極めて重要な役割を担っている。その際、ある国の通貨・金融市場の混乱は容易に近隣諸国に影響を与えることを考えると、地域の各国はそれぞれの経済運営・経済状況に互いにより強い利害関係を有しているわけであり、IMF等が行うグローバル・サーベイランスとの整合性にも配慮しつつ、関係する地域の各国が域内サーベイランスを行うことの有用性が高まっている。
 また、アジアの通貨危機では、マクロ経済の状況というよりも金融セクター等の構造面での問題が浮上したが、これへの政策助言の重要性も増してきている。
 以上に加え、上記のサーベイランス結果を市場に還元し、当該国の経済状況の評価及びその今後の方向につき情報を提供することも、重要なポイントとなっている。

(教訓)

 アジア地域の各国が域内サーベイランスを行い、互いにピアプレッシャーを加えることが重要になっている。アジアを含む地域経済状況を討議するフォーラムとしては、APEC、ASEM、G22、マニラ・フレームワーク等既にいろいろあるが、今回の通貨危機の過程で創設されたマニラ・フレームワークに基づく会合が、アジア地域の域内サーベイランスにとって、1規模・メンバーともに最適であること、2フレームワークの中には資金支援の枠組みも含まれていること等から、その一層の活用・充実が望まれる。
 サーベイランスにおいては、マクロ経済状況ばかりでなく、構造問題にもメスを入れて検討すべきである。その場合、特に、金融制度や貿易・投資制度を検討する際には、BIS・WTO等における議論との整合性にも留意することが必要である。
 また、サーベイランスの結果については、その透明性を向上していくことがマーケットの信認を得るために重要である。

(BOX-マニラ・フレームワーク)

 アジア通貨基金(AMF)構想は、タイ金融支援国会合において、アジア各国間で常設のファシリティーを創設しようとの気運が高まったことから具体的に提起されてきたものである。ただしそれ以前にも、既に97年春にはASEAN諸国の間で同様の議論はあったと言われる。

(注)タイ金融支援国会合:タイの通貨危機に対応するため、97年8月11日に東京で開催されたIMF主催の会合。日本はホスト国として最大限のサポートを行った。会合の結果、必要な金融支援額を超える約160億ドル程度に上る支援が約束された。

 そして9月下旬、バンコクでのASEM蔵相会議、香港でのG7等の一連の国際会議の機会に、AMF構想の実現に向けての議論が行われた。その内容は、IMFのサーベイランスを補完するため域内サーベイランスを行うとともに、IMFの経済調整プログラムを前提として金融支援を行うこと等であった。その後もAMF構想については、関係国やIMF等の国際機関による検討が続けられた。この時期に、タイに端を発した通貨危機はインドネシア等のASEAN諸国に波及し、10月8日にインドネシアがIMFに支援を要請するに至った(31日にはIMFとの間で経済調整プログラム合意)。

 こうした状況下の11月18-19日、アジア地域を中心に14か国の蔵相・中央銀行総裁代理会合がマニラで開催され、「金融・通貨の安定に向けたアジア地域協力強化のためのフレームワーク(マニラ・フレームワーク)」について合意された。

(注)マニラ会合参加国・機関:オーストラリア、ブルネイ、カナダ、中国、香港、インドネシア、日本、韓国、マレーシア、ニュージーランド、フィリピン、シンガポール、タイ、米国、IMF、世界銀行、ADB

このマニラ・フレームワークのポイントは、1グローバル・サーベイランスを補完する域内サーベイランス、2各国の金融セクター強化のための技術支援、3新たな危機へのIMFの対応力を高めることの呼びかけ、4IMF等の国際金融機関の支援を補完するための域内国等による支援、の4点であり、AMF構想と軌を一にするものである。

1域内サーベイランスを行うこととし、年2回、各国のマクロ経済政策、構造政策、為替政策、金融制度の在り方等について緊密に意見交換を行う。

2各国の金融セクターの改善の重要性にかんがみ、国際金融機関に対し、技術支援等による各国の金融セクター・市場監督の強化の試みを支援するよう要請。

3市場の信認の回復のため十分な支援を可能とするために、支援限度額(アクセス・リミット)の見直し、及び、新たに短期的な融資を行うメカニズムの検討をIMFに要請。

(注)マニラ・フレームワークの合意を受け、97年12月には、IMFが短期的な支援を行うための新たな制度として、補完的準備融資制度(SRF)が創設され、韓国への支援に適用された。

4IMFと経済調整プログラムについて合意した参加国に対し、IMFによる最大限の支援を前提として他の参加国が支援を行う「アジア通貨安定のための協調支援アレンジメント(CFA)」を創設する。具体的な支援の形態・規模はケース・バイ・ケースで決める。

 98年3月26-27日には、第2回のマニラ・フレームワーク会合が我が国の主催により東京において開催された。同会合では、アジア諸国による初めての域内サーベイランスとして、タイ・韓国・インドネシアを中心に最近の地域の経済動向について意見交換が行われるとともに、アジア通貨危機からの教訓・国際金融システムの在り方について幅広い議論が行われた。

(4)短期的な資金の動きに対する規制

 メキシコのペソ危機でも見られたが、アジア通貨危機でも、短期資金の急激な流出が多くの国で、かつ大規模に発生し、危機を深刻なものにした。こうした状況の下で正確な情報開示が必要であることは既に指摘した。しかし、情報を完全に開示したとしても、投資家が常に合理的に行動するとは限らない。情報開示が進んでいる欧米先進国でも、金融・資本市場でバブル等の現象が生じたことはある。問題は、このような短期資金の移動の通貨や経済に対する深刻な影響を考えたとき、何らかの形での規制を検討する余地があるか否かである。資本の自由化が進み、短期資金の流入が大きかったタイ、インドネシア、韓国で危機が生じ、直接投資割合の高いマレーシア、中国への影響が軽微であったこと等から、資本自由化、特に短期資本取引の自由化が、小国経済にとっては通貨危機の確率を高めるとの認識が高まっている。
 第1に、危機が生じてから資本規制により資本の流出を中断させることは考えられるであろうか。例えば債券や株式に投資した外国資本の流出を後から規制することは、外国の投資家にとっては流入する時点で理解していたルールを一方的に変更されるということであり、激しい反発を招く。危機を乗り切ったとしても信認の喪失が起こるであろう。更に、資本流出の規制についてはいろいろなルートで抜け道もあるため、流出規制の効果は疑問である。
 第2に、経済規模に対して巨額の短期資本の流入があるときには、ある程度の「障害」を設けることが考えられる。途上国の銀行や企業が短期資本、特に外貨建ての短期資本を大量に受け入れることが、その財務体質をショックに弱くすることを考えて、流入規制を財務健全性維持のための規制(Prudential Regulation)として正当化することができる。短期資本の流入に対して、銀行の預金準備率の引上げ、流入資本の一部の中央銀行への無利子強制預託等が考えられる。このような規制を実施しているチリ等の例が参考となる。流入規制であっても、抜け道が考えられるのは同じである。しかし、コストを高くすることが目的であり、完全に流入を止めることを目的としているわけではない。投資家に対して流入の前にルールを示しているので、投資家の反発も最小限に抑えられる。

(BOX-チリの資本取引規制)

 チリにおいては、主として短期資金流入を抑制することを目的とした資本取引規制を導入し、おおむねこれを強化してきた。

 1980年代後半、チリ経済の安定化に伴い資金流入が増加し、89年には資本収支が黒

字に転じた。この資金流入増加を背景に、通貨ペソへの上昇圧力とインフレ懸念が生じた。これに対しチリ政府は、対外借入額の20%を無利子で1年間強制預託させる制度を導入した(91年)。その後も資金流入が増加を続けたこと等から、92年に預託割合を30%に引き上げるとともに、適用範囲を順次拡大し、96年には生産的目的に使用されていないと認定された全ての流入資金に適用されることとなった。

 この預託義務は、流入資金額の30%を、米ドルで1年間中央銀行に無利子預託することを義務づけるものである。これ以外に、流入資金に1年間の滞留義務(送金規制)が課せられる等の規制がある。

 チリはマクロ面のファンダメンタルズが良好であるのみならず、厳格な金融監督を実施していると言われる。資本取引規制はこうしたチリ経済の特質とあいまって、対外債務のマチュリティー管理を容易にする等の効果を上げている。この規制は、チリにおいてアジア通貨・経済変動の直接の影響が少なかったことの一因になっているとも考えられる。

 ただし、資本流入規制は財政・金融・構造面の改革を代替するものではなく、これに過度に依存することなくファンダメンタルズの強化が不可欠であることに留意する必要があろう。

 このほか、短期資本移動を抑制する目的で、取引税、いわゆるトービン税を課すべきとの意見も出された。短期的な取引に対して、そのコストを引き上げることから、投機的な取引を抑制する効果を期待するものである。しかしながら、トービン税は、世界で均一に課税しなければ、非課税地域に取引が逃げうる上に、デリバティブ等を使って課税取引額は小さいもののポジションは大きくとる商品を開発することは容易である。更に投機を防ぐためには0.1%の税率は低すぎるものの、投機を完全に抑制するような税率では実需の取引に影響が出る問題もあり、現実的ではない。
 これまでの多くの資本移動規制は、外国の資本が大量に流入したり流出したりすることの通貨危機への関連を議論しているが、通貨下落に最も深刻な影響を与えるのは、居住者による資本逃避である。いったん資本逃避が起きてしまうとこれを抑える手段が少ない。

(教訓)

 資本自由化は、世界経済における資本の最適分配を可能とし、経済成長の促進、ひいては、生活水準の向上、貧困の削減といった効果を新興市場経済国にもたらすことが期待される。こうしたメリットにかんがみれば、資本移動規制は、長期的には撤廃していくことが望ましいが、大量・急速な資金移動が通貨を不安定にし、かつ国内金融機関や企業の財務体質を脆弱なものにすることを考えると、財務健全性維持の観点から、資本流入規制を設けておくことも効果的である場合がある。
 また、資本の自由な移動を前提とした仕組みの下では、アルゼンチンにおけるような平時より外貨が不足する事態への対応策を講じておくことの重要性も各国において認識される必要がある。

(BOX-アルゼンチンのレポ取極)

 アルゼンチン中央銀行は、緊急時に外貨流動性を確保するための方策として、複数の主要外国銀行との間で米ドルを手当てできるような契約を締結している。カレンシー・ボード制を採用しているため最後の貸し手としての機能を制限されているアルゼンチンにとっては、この取極は緊急の場合に国内金融システムに流動性を供給するためにも必要な措置と考えられている。
 94年末のメキシコ危機の影響はアルゼンチンにも及び、同国の外貨準備は介入により減少した(94年末143億ドルから95年3月末85億ドル)。カレンシー・ボード制の下で、外貨準備の減少は国内流動性の減少・金利の上昇をもたらし、中小金融機関の経営不安につながった。
 緊急時における金融システムの安定を図ることができるようにするため、96年12月、アルゼンチン中央銀行は、複数の主要外国銀行との間でレポ取極を締結した。これは、中央銀行保有のアルゼンチン政府のドル建て国債等を担保として、取極期間内にいつでもドルを借り入れることができる契約である。中央銀行は借入可能枠に対し保証料を払い、実際に借入を行った場合には、別途金利を支払う。
 97年末にはレポ取極を拡充し、借入可能枠は74億ドル、アルゼンチンの国内預金の約1割に相当する額となっている。
 アルゼンチンはインフレを抑制し、通貨ペソの信用を維持する目的で、カレンシー・ボード制を採用しており、通貨価値(1ドル=1ペソ)を維持するために無制限の介入を義務づけられている。そのため、通貨の下落圧力が生じるとペソの流動性が減少する。カレンシー・ボードは裏付けとなる外貨の保有なく通貨を発行することができない仕組みであるため、結果として国内金融システムにおける流動性が減少し金利が上昇する。これは通貨価値を安定させるためには必要なことであるが、他方で銀行等の金融機関の流動性問題を生じさせる。
 こうした緊急の場合、外貨を調達することが困難であるため、あらかじめドルの借入枠を取り極めておくことで、金融システムへの流動性供給を可能にし、通貨危機が銀行危機に波及することを予防する効果が期待されている。

 


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