連載PRI Open Campus 54 ファイナンス 2025 Nov.2 点目、子育てペナルティ自体は長期間継続するものの、その背後にある要因は時間とともに変化することが分かりました。具体的には、出産直後は、育休取得や時短勤務により労働時間が減少し、これが子育てペナルティのほとんどの要因となっています。しかし、子供の成長に伴い育児にかかる時間が減少すると、職場に復帰してフルタイム勤務や残業をする方も少なくないです。労働時間の意味では、現場に復帰できているにもかかわらず、大きな賃金格差は残るのです。その主因は昇進機会の欠如であり、役職が低いランクにとどまることが子育てペナルティにつながっているのです。つまり、出産直後は長時間働けないことがダイレクトに給与に影響するのですが、この労働時間の一時期の減少は、実は短期間で終わる話ではなく、評価や昇進の遅れを通じて、長期にわたり影響を及ぼす構造が明らかになったといえます。3 点目、この企業では「長時間労働が高く評価され、その結果昇進しやすくなる」というメカニズムが、いわゆる一般社員レベルにおいて非常によく観察されました。もちろん、この企業の明文化された人事制度において、労働時間を評価基準に含めるとは一切規定されていません。むしろ人事部門としては「労働時間ではなく生産性や成果で評価すべき」ということを、現場に対して指導しているのですが、そうはいっても長時間労働が評価されるという昇進慣行からなかなか抜け出せていないのです。私たちは、この企業の現行の昇進制度あるいは慣行は、生産性・公平性の両面で非効率的であると考えています。なぜなら、労働時間を重視する仕組みでは、長時間働ける人ほど昇進しやすい一方で、家庭の事情等で長時間働けない人は昇進の機会を得にくくなるからです。これは個人の立場としては不公平と感じるでしょう。長時間働くことはできなくても優秀な人材は数多く存在します。実際、そのことを示唆するデータも確認されています。それにもかかわらず、この企業では長時間労働が前提となっており、時間に制約があるものの優秀な人材が活用されない状況に陥っています。結果として、会社としては生産性向上の機会を失い、個人としても優秀なのに登用されないという、両者にとってマイナスの状態が生じているのです。このような昇進制度あるいは慣行を見直し、優秀な女性がより多く登用されるようになれば、この企業における男女間の賃金格差は解消され、同時に優秀な人材が正しく登用されるようになります。会社と個人の双方にとってプラスとなり、Win-Win の関係を実現できるのです。そのためには、長時間労働に依存しない評価を徹底することが重要になると思います。会社としては「生産性・成果で評価する」という方針を公に掲げているものの、現場に十分浸透していないのが実情です。人事部門としては評価体系に関する指導を行うとともに、人事制度そのものを長時間労働に依存しない仕組みへと改革していく必要があると考えています。そもそも、なぜ私たちがこのような研究を行っているのかについて説明します。もともと、男女間の賃金格差というのは、世界的に見ても依然として大きく、日本は特にその差が顕著です。日本を除く先進国においては高学歴女性が増加しているにもかかわらず、男女間の賃金格差は持続しています。実際、四年制大学の卒業者(学士号以上)は女性の方が男性よりも多く、学歴ベースでは女性の方が高学歴であるにもかかわらず賃金水準は男性が上回っています。なぜこのようなことが起こるのでしょうか。この疑問に対して、これまで差別や労働時間の問題など、さまざまな角度から分析が行われてきましたが、近年では労働経済学の中で注目すべき点について、ある程度のコンセンサスが形成されつつあります。現在の研究の動向としては、男女間の賃金格差に関する分析は、出産の影響、つまり子育てペナルティに注目して進めることが、問題解決への近道であるとの認識が広がっています。従来の子育てペナルティに関する論文は、データの制約もあり、出産を機にパートで働けるような仕事に自らの意思で切り替えるまたは家庭内で夫が家事・育児に十分参加しないといった、労働者側の原因を深掘りする研究が多く、家計単位のデータを用いて労働供給側の原因を分析するアプローチが中心でした。これに対して、私たちの研究は労働市場の反対側、すなわち労働需要側、企業の内部で何が起きているのかに着目しています。こうした観点の研究は、私たちの把握する限りでは、まだ他に例がないのではないかと思っています。今回の研究の独自性はまさにそこにあります。
元のページ ../index.html#58