連載路線価でひもとく街の歴史図 5 旧東北実業銀行(奥)と観慶丸商店(手前)(出所)令和 5 年 1 月 19 日に筆者撮影 36 ファイナンス 2025 Nov.(1887)12 月15日に福島県郡山駅から仙台駅を経由し39 年(1906)で、当時の最高は仲町だった。大正以(1919)4 月に国有化される。昭和 3 年(1928)11月22日、宮城電気鉄道の石巻駅が開業する。現在の JR沢賢治も啄木とほぼ同じルートで石巻を訪れている。旅程からわかるように、明治後期、盛岡と仙台を結ぶルートは舟運と鉄道の 2 つあった。鉄道は明治 20 年塩釜駅まで開通している。終点が塩釜なのは鉄道延伸の工事資材の荷揚げ港があったからだ。初代の塩釜駅は港にあった。後に貨物駅となったが平成 9 年(1997)に廃止され、跡地はイオンタウン塩釜となっている。鉄道開通をきっかけに、舟運・海運から塩釜港で鉄道に連絡するルートが確立し、積み換え港の役割は石巻港から塩釜港に代わった。また、鉄道以前に北上川で輸送されていた米は鉄道で輸送されるようになった。内海橋の架橋をきっかけに石巻の一等地は本町から北、内海橋のたもとに移った。字別地価の初出は明治降、内海橋と駅を結ぶ立町の通りに沿って中心街が広がっていく。石巻駅は大正元年(1912)10 月28日に開業した。JR 東北本線の小牛田駅から枝分かれする現在の JR 石巻線で当初は仙北軽便鉄道だった。大正 8 年仙石線である。石巻・仙台間の交通は、明治の北上運河、大正の石巻線、昭和の仙石線の流れで捉えられる。街の中心移動に伴い、銀行も仲町界隈に集まった。明治 38 年(1905)、内海橋に続く橋通りの突き当りに宮城商業銀行の石巻支店が開店した。橋通りが延長され丁字路が十字路になったのに伴い、北西角にドーム屋根の行舎を新築した。昭和 2 年(1927)に七十七銀行に吸収され、建物は昭和 8 年(1933)4 月に進出した東北貯蓄銀行が引き継いだ。東北貯蓄銀行も昭和 20 年(1945)に七十七銀行に合併される。本町にあった七十七銀行石巻支店は昭和2年(1927)11 月、立町に店舗を新築して移転している。元の行舎は本町支店となった。戦後再び移転し、昭和 30 年(1955)5 月に宮城商業銀行、東北貯蓄銀行のあった橋通りの角地に店舗を新築して石巻支店とした(図6)。ちなみに同年、同じ橋通りに、仙台に本店を構える丸光百貨店が石巻店を出店している。立町と裏町の交差点に現存する旧東北実業銀行石巻支店は大正 14 年(1925)10 月に開店した(図 5)。仙台が本店。石巻は大正 10 年(1921)10 月の進出で当初は横町にあった。設計は葛西萬司で、師である辰野金吾と辰野葛西事務所を経営していた。師弟コンビで手掛けた作品には盛岡銀行本店(岩手銀行赤レンガ館)や東京駅もある。盛岡出身で、中世に石巻に本拠を構えた葛西家の分流の養嗣子である。東北実業銀行石巻支店は、昭和 7 年(1932)1 月の七十七銀行との合併で廃止された。その向かいにある観慶丸商店は昭和 5 年(1930)、石巻初の百貨店として建てられた(図 5)。観慶丸は、幕末期に創業した須田幸助が雇われ船頭として乗っていた千石船の名前に由来する。橋通りに七十七銀行石巻支店と丸光石巻店が開店した2 年後、確認できるもので最も古い昭和 32 年(1957)の路線価図では橋通りの路線価が最も高かった。その後、街の重心は立町に移っていく。昭和 42 年(1967)11月に地元スーパーのサンエーが開店している。同じとき丸光が仲町に5階建ての店舗を新築し移転した。昭和 49 年(1974)5月、立町でも駅よりのほうに仙台の総合スーパー(GMS)、エンドーチェーンの石巻店が開店した。その翌年の路線価は立町通りと橋通りが同水準となった。七十七銀行石巻支店も昭和 52 年(1977)8月に橋通りから立町に移転する。元の石巻支店には本町支店が入り、第一国立銀行以来立地していた本町から銀行が無くなった。昭和 54 年(1979)3 月、地元発のコンビニエンスストア「エイトテン」が登場。コンビニ最大手にあや石巻線〜仙石線の時代石巻バイパスと三陸自動車道の時代
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