SPOT(高橋是清大蔵大臣 左は「十四歳当時の面影」 出典:『高橋是清自伝』, 千倉書房 , 昭 11. 国立国会図書館デジタルコレクション 高橋是清自伝 - 国立国会図書館デジタルコレクション 右は「旭日桐花大綬章を佩ひて」出典:高橋是清 口述『是清翁一代記』下巻 , 朝日新聞社 , 昭和 5. 国立国会図書館デジタルコレクション 是清翁一代記 下巻 - 国立国会図書館デジタルコレクション) 16 ファイナンス 2025 Nov.のため臨時議会に日本銀行の非常貸出に伴ふ損失補償法案を提出することに決定した…」。更に、「台湾銀行整理に対する根本方針いよいよ成る 兌換発行権及び海外為替業務を廃止し 国庫が損失負担の場合は再び臨時議会招集」〔4.29 読売〕は「台湾銀行の整理問題に関し既報の通り大蔵省において臨時開会の召集されざる前に政府としての根本方針を決定する必要あり…大体、方針の骨組みの決定を見たので、更に詳細に研究の結果臨時議会後において具体的の方針を決定し国庫損失等の法律事項の発生する場合には第一回の臨時議会を招集し立憲的に処することに決定を見た。」との記事。結果、「財界安定の二法案 貴衆両院を通過す 休銀救済の修正可決 臨時議會終る」〔5.9 時事〕は「政府が臨時議会に提案した財界安定案〔日銀特別融通法、台湾金融機関の融資法)及び緊急勅令支払延期令承認案は、臨時議会の審議予期の如く進まず、会期延長の外なき形勢なりしも、最終日の八日に至り、政府は修正に同意して衆議院を通過し、案の送付を受けた貴族院は委員会を開くこと一時間、本会議は僅かに二十数分にて、…可決し、…安定策は…日ならず実施を見るに至つた。」。金融恐慌が落ち着きを見せると、「高橋蔵相突如引退して田中内閣改造行はる 蔵相の後任は三土文相 水野氏文相として入閣」〔6.3 東朝〕は「高橋蔵相は財界安定の根幹も立ったので突如辞表を提出したので田中首相は直ちに後任選考に入り二日午前七時水野錬太郎氏を又同八時三土文相をいづれも首相官邸に招致して、高橋蔵相の辞職に伴ひ、その後任として三土氏を蔵相に、文相には水野氏を挙げたき旨を述べて両氏の内諾を得た、よつて田中首相は同九時半赤坂離宮に参内し聖上陛下に拝謁仰せつけられ右両大臣の内奏をなし御裁可を得併せて北支出兵に関し、その後の支那戦局の模様を伏奏して同十時退下した、…」、「いい潮時と見て……引き上げる達翁 未練気もない禅師の一言」か考えていないらしい蔵相高橋是清翁は二日午前八時四十五分、おそらくは大臣としてはこれが最後であらうところの官邸入りをした。…古いボルドー酒を数杯傾けた後、微くんを帯びた親しみ深いあの童顔を、応接室へあらわした。けふは寛いだ和服である、『突然でまったく驚きました』とたれやらがいふと『はははは』と軽く笑つたが、やがて厳粛な態度で『これが当たり前だ』…」とのこと。「『桐花大授章を授けよ』と聖上御躬ら畏き御沙汰 けさ御所に召されて 御手づから翁の胸に 高橋翁空前の光栄」〔6.2 報知〕は「天皇陛下には畏くも 高橋是清翁が田中内閣の大蔵大臣として混乱せる財界を安定に導いた功労を思召され、二日辞職後珍田侍従長を召され『高橋には桐花大綬章を授けよ』とのあり難き、御諚を賜った…」との記事。かつて、ミッテランフランス大統領の隠し子が「エリゼ宮記者会見で問題にされ、大統領の答え「Et alors? (それが何か?)でピリオドが打たれた」というが、「内證内證で生まれた 義一首相の御曹子 六十四歳といふにこの元気! 縁起を喜ぶ与党連」〔8.3 東朝〕は、「時は我党天下、総理大臣の栄冠に時めく田中義一大将に又お目出度があったーといふのはモウ六十四歳の義一首相にツイ二三日まえまるまると太った赤ちやんが生まれた、…この坊ちやんのお母さんは義一首相の影の人として田中さんの家庭を知るほどの人なれば、たれでも知つているアノ出口ふみ子さんである、何でも今度が五人目といふから田中さんの元気思ふべしである。…『…我が党の将来も幸先よしだ』とツイ鼻先に近づいた全国府県議員選挙の皮算用に縁起を担いでいる連中もある、…」との報道とは、おおらかな時代。明治時代に三度首相を務めた桂太郎の愛妾が出版した本につき、「明治側面観としての『お鯉物語』読書出版号」〔8.26 讀賣〕も「…日清、日露の二大戦役の宰相と美人との物語は永く永く後世への語り草となった。…講和条約の不満から国民公憤の余り満都の焼打事件となり、〔6.3 東朝〕は、「大臣のイスを食堂のイスぐらいにし
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